「実話怪談:白いワンピースの女」藍沢紫音+岡和田晃+伊野隆之


「ポップカルチャー論」学生優秀作 の第4回は、藍沢紫音+岡和田晃「白いワンピースの女」です。
 第3回でご紹介した「Utopia」と同じく、2017年度の履修生の手になる作品です。この年次においては、社会学的なラベリング理論の観点から、本格ミステリやホラーの講読を行いました。拙著『世界であけられた弾痕と、黄昏の原郷』(2017年)に収めた「現代「伝奇ミステリ」論」の議論をベースにしつつ、近年の実話怪談なども議論の射程に入れた次第です。
 なかでも学生の反応がよかったのは、高原英理『怪談生活』(立東舎)です。同書を読んだことへのフィードバックとして、新たに実話怪談のスタイルでの創作が出てくるという現象は、いまの若い学生が何にリアリティを感じているのかを、明確に反映しているように思えてなりません。「SF Prologue Wave」掲載にあたり、岡和田晃が改題し、全体の構成を整え、伊野隆之氏の協力で文章を補筆しました。(岡和田晃)

               * * *

 乗換駅を過ぎ、通勤電車が少し空いたところで、その女に気がついた。
 私と彼女の間には、三メートルほどの距離がある。ぼさぼさの髪の毛に、白いワンピース。何日も着たままでいるようで、全体に黄ばんでおり、ところどころ泥はねもある。さらに足元は特に汚く、草の汁だろうか、緑色の染みが付いている。
 女は、長い髪の下からこちらを睨めつけている。もしかすると私ではなく私の背後にいる誰いるのかと振り返っても、それらしい人はいない。 
 ――やはり、私を睨んでいる。 
 その冷たい視線に、私は背筋が凍りつくような恐怖を感じた。

 勤務先は次の駅で、停車と同時に電車を飛び降り、早足で改札口に向かった。
 途中で追っては来てないだろうかと心配はしたものの、その気配はなかった。
 安心したのもつかの間、時計を見ると8:25を指している。
 始業時間は8:30。連日の残業で、家を出るのが遅れ、ぎりぎりになってしまった。
 やばいと思った私は、改札口を抜けるとすぐさま走り出した。
 私の勤め先は駅から徒歩十分、片側2 車線の 国道 に面した、全体がガラス 張りの三 十階以上もある、立派なビル 。……
 ――ではない。そのすぐ隣 の、 ひっそりと申し訳なさそうに建つ、何の変哲 もないアパートみたいなビルにある会社だ。
 会社 自体は 小さいが、私は自分 の会社に誇りを 持っており、仕事 にもやりがいを感じている。
 仕事内容は面白く、同僚や上司 とは気が合い、 仕事 中はお 互い助け合って 物事 を進め、仕事帰りにも彼らと一杯やって帰ることも少なくはない。
 休みになると、連れ立って遊びに出かけることだって多いのである。
 時間ぎりぎりで出勤した私に、同僚のYが声をかけてきた。
「滑り込みセーフだな。遅刻したら部長の雷が落ちるぜ」
「わかってるって、何度か喰らったあるからな。お前も雷が落ちないように気をつけろよ」
「俺は大丈夫 さ。ところで今日の 帰りは空いてるか? こないだ、いいところを見つけたんだよ、お前と俺とBで今夜一杯どうかなってな」
 Yが、 採用 されたばかりで笑顔 が似合 うBに気があるのは、前々 から 知っていた。
 彼から何度も、相談を持ちかけられていたのだ。
「わかったよ、早く終わったらな」 
 Yはそれを聞くと、Bを誘ってくると言って私の前から 消えてしまった。
 目の前には 仕事がたっぷりある。
 Yと飲みに行くにはさっさと片付けないといけない。
 仕事を始めると、私の頭の中からは朝の女のことは、すっかり消えてしまっていた。
 七月も後半に入り、外ではセミが暑さへ抗議するかのように鳴き続けていた。

 気づくと時計の針は19:55を指していた。
 どうやら仕事をしている間に眠ってしまったらしい。
 会社で、しかも今の時間まで居眠りしてしまうとは!
 周りを 見渡 すと、私以外 に数人の社 員が残っているだけで、ほとんど人がいなくなっていた。
 机には「また今度にしようぜ。Yより」とメモ書きが置いてある。
 今朝方に彼とした約束を思い出しつつ、Yには悪いことをしたなと反省した。
 目の前にはやり残した 仕事 が山積 みになっている。今日中は 無理でも、やれるところまではやろうと思い、再び取り組み始めた。
 それにしても、なぜ居眠 りをしてしまったのか。部長に気づかれていたら、厳しく 叱責されていただろう。普段 あまり 仕事 をしている間に眠ったりしないのだが、よほど疲れていたのだろうか …… 。もしかすると、さすがの部長も 連日の 残業 を知っていて、あえて見逃してくれたのかも知れない。

 今日の夕飯のことを考えながら、23:00まで頑張ったが、これ以上は無理だ。
 机の上を片付け始める。いつの間にか、誰もいなくなっていた。
 帰り支度をしている間、大学時代にあこがれていた女性のことが頭をよぎった。
 もう何年も前の話になる。
 講義でのグループ分けが同じで、話すきっかけとなった。
 小柄で誰とでも明るく喋る彼女の周りには、常に人だかりができていた。
 グループ内のリーダー格で、みんなに働きかけ、すばらしい作品を作る事が出来た。「この人は、特別だ」
 そんな印象が残っている。
 学内ではそれ以来、すれ違ったら挨拶するくらいで、それ以上には発展しなかった。
 ただ、私は強く彼女に惹かれており、何度も告白しようとした。
 が、恋人がいるこという噂があり、あと一歩の勇気が持てなかった。

 大学ではそれから、いろんな人と付き合ってはみたものの、常に虚しさが募った。
 彼女以外、ありえないと、一人で思いを募らせていった。
 ……そんな彼女と再会したのは、つい先日の同窓会だったが、少し様子 の変わ っていた彼女に声を掛けることもなかった。
 ただ、その直後に ,彼女の 方からメールがあった。
 大した 内容 のないメールにどう返事しようかと考えあ ぐねているうちに、時間が過ぎた。幹事 から、彼女の訃報 を聞いたのは、同窓会の一ヶ月。
 自殺 だったらしい。真夜 中に 家を出て、手入れの行き届 かない 雑木林 の中を何日も彷徨ってあげくに首を吊ったのだという。
 葬式に参列した私は、冷たくなった彼女を前に、立ち尽くすことしかできなかった。
帰り際、誰か私に、
「彼女、お前のことが好きだったんだよ」
 ぼそっと洩らした。
 知らなかった、彼女が私を想っていたことなんて。
 本当に知らなかったんだ。もし、知っていたら、いや、彼女のメールに反応さえしていれば。。。。

 何の前触れもなく、強い視線を感じた。
 家に帰るため会社から駅に向かい歩いてるところだった。
 時間も深夜0時に近かった。
 昼間はにぎわっているこの通りも、今はしんとしており物音一つしない。恐る恐る振り返ってみると、そこに女は立っていた。

 ビクッと反射的に飛びのく。
 ――今朝の女だった。真っ暗なのに、不思議と見分けがついた。
 白いワンピースが目立ったのだ。
 どこからともなく現れたその女には、亡くなった彼女の面影 がある。それも、大学時代の快活な彼女ではなく、同窓会の時に見た、疲れた様子の彼女だ。
 女との距離は十メートルくらいだろうか。
 長い髪の下からは鋭く見開かれた目が私を捉えていた。
 急に、氷を背中に流し込まれたような寒気が全身を襲う。
 すると女は、
 に た ぁ……
 と不気味に笑った。
 口は恐ろしいほど真っ赤である。
 次の瞬間、急に女が近づいてきた。
 やばい、やばい、やばい。
 全速力で走る。無我夢中で駆ける。
 しかし、駅までの道のりがいつも以上に長く、走れども走れども着かない。
 おかしい。明らかに変だ。
 いつもならもう駅に着くはずなのに。
 私の焦りとは反対に、女との距離はどんどん縮まっていく。
 五メートル、三メートル、二メートル、一メートル ……。  
 「もう、だめだ」そう思った瞬間 …… 。
 ――目が覚めた。
 額には今までかいたこともないような大量の汗。
 荒い息。耳に心臓があるんじゃないかと思うほど、大きな鼓動。
 先ほどのことを夢と理解するまでに、幾分か時間がかかった。
 嫌な夢である。しかし目の前の大量の書類を見て現実に戻された。
 時計を見ると針は19:55を指していた。
 どうやら仕事をしている間に眠ってしまったらしい。
 周りを 見渡 すと、私以外に数人の社員が残っているだけで、ほとんどの人が退社していた。
 机には、「また今度にしようぜ。Yより」とメモ書きがおいてある。
 どこかで見た光景である。
 今朝彼とした約束を思い出しつつ、Yには悪いことをしたなという思いに駆られた。
 残された書類は今日中には終わる気配がないが、やれるところまではやろうと思い再び取り組み始めた。 
 先ほどの夢を考えつつ、しばらく仕事に取り組んでいたが、急に思い出した。
 この残された書類といい、Yのメモ書きといい、先ほどの夢そっくりなのである。
 血の気が引いていった。
 そして顔を上げ周りを見渡すと、いつの間にか誰もいなくなっている。
 
 ふと強い視線を背後から感じた。
恐る恐る振り返るが、そこには誰もいない。
 嫌な予感しかない。夢での出来事を考えると、この場から動けずにいる私がいた。

★以下、プロフィール 
藍沢紫音(あいざわ・しのん)
2018年、共愛学園前橋国際大学卒業。