「大野典宏訳『泰平ヨン』を擁護する」高槻真樹

後期レム問題 大野典宏訳『泰平ヨン』を擁護する  高槻真樹
 ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムほど、理論的な意味でSFを極めた人はいないだろう。アメリカ発のハードSFが教条主義的なテンプレートに陥っていく中にあって、物語という形式で科学を語る意味を考え続け、『惑星ソラリス』『完全な真空』など、ある意味でSFの終着点と言ってもいい表現を導き出してしまった。模倣を一切寄せ付けない孤高の地位まで上り詰め、最後は「小説の形でできることはやり尽くした」と、小説すら捨ててしまう。SF以外のジャンルでもそこまで極め尽くした作家など皆無だろう。
 レムの主だった長編小説としては、泰平ヨンシリーズの最終話『地球の平和』を含めほぼ訳し尽くされており、レムの紹介はひととおり終了したムードが漂いつつある。国書刊行会「スタニスワフ・レム コレクション」は2期が進行中。なんと幻の『マゼラン雲』すら訳されてしてしまった。
 いや、本当にそうだろうか。私たちはレムのことをきちんと理解できているだろうか。何よりも理論的著作の『技術大全』および『SFと未来学』が放置されているのはあまりにも痛い。もっとも、どちらも難解で大部の著とされ、チャレンジする翻訳家と奇特な出版社が現れるまでには、まだ少し時間がかかりそうだ。
 だが、両著作を踏まえて翻訳版刊行済みの旧著を見直す、という可能性は残されている。一見地味な作業に見えるのだが、そこから思いがけない発見を引き出してしまったのが翻訳家の大野典宏である。完全な新訳ではなく、旧訳の見直しによる微修正として告知されたから、旧本を持っている多くのファンは「じゃあいらないな」と注意を払うことがなかった。だが実際に両版を突き合わせてみると、あまりにも大幅な変更に驚く。別バージョンどころか、まったくの新見解に基づく訳し直しに近い。
 『宇宙飛行士ピルクスの冒険』は、深見弾の旧訳版でも埋没していた。一見、ひどく地味でアナクロな宇宙飛行士小説に見える。アメリカなら1950年代ぐらいのノリだ。だが大野は、ここに『技術大全』でレムが提唱したサイバネティック理論を持ち込み、技術が人間の思考方法を変えていく可能性について書いた小説であると指摘。訳文の見直しを行った。そうして見返してみると、なるほどパソコンもない時代に「バグ取り」作業が書かれているなど、驚異的な先見性が浮かび上がってきた。残念ながら大野の提唱はほとんど注目を集めず、改訂版もまた埋没してしまったが、今後のレム理解において必読の内容が隠されている。ぜひ一読をお勧めしたい。
 大野はさらに同様の形で『泰平ヨンの航星日記』の見直しも行った。こちらはかなりの反響を呼んだ。残念ながら悪い意味でだが。批判の大半は「泰平ヨンが自分のことを『吾輩』と呼ばないなんてありえない」といった表層的なものだ。
 『ピルクス』と違って『泰平ヨン』は、レムの代表作でユーモアたっぷりの宇宙版ほら男爵として親しまれてきた歴史があった。だから、ファンのショックはわからないでもない。だが、この後『未来学会議』『現場検証』と続く泰平ヨンシリーズは、次第に『完全な真空』に近いメタフィクション的な領域に踏み込んでいく。レムはこの第一作も続巻に合わせてメタフィクション的な方向に微修正している。ならば当然、メタ版『航星日記』も日本版の読者に届けるべきだろう。
 恥ずかしながら09年の改訂版刊行時には重要性に気付かず放置していた。その後国書刊行会「スタニスワフ・レム コレクション」久々の新刊として15年に刊行された『短編ベスト10』で、慌てた。「第十三回の旅」および「第二十一回の旅」を久しぶりに読み「泰平ヨンってこんなに難解だったか?」と衝撃を受けたのである。読み味は『現場検証』にほぼ等しい。
 いま、手元には三冊の『航星日記』がある。まずはハヤカワSFシリーズの袋一平訳版(67)。これは確かに、日本のファンが期待する通りの「宇宙版ほら男爵」だろう。この段階でも、かなり技術理論的知識は過剰に詰め込まれている。袋一平訳は、時にややこしい表現をばっさりカットする大胆なものだが、それでもなお、決して読みやすいとまでは言えない。それなりに歯ごたえのあるものだ。それだけに、「第二十六回の、そして最後の旅」のかなり軽いオチは、完全に浮き上がっている。後にレムが削除してしまったのも無理はないが、泰平ヨン理解のためには格好の補助線ではあるだろう。
 続いて深見弾訳によるハヤカワ文庫SF版(80)。これは、文体にわざわざホラ男爵っぽい装飾が施された大胆な訳文で、今となっては議論の余地がありそうだ。つまり泰平ヨンが「吾輩」と名乗っているのはこの版だけなのである。しかしこの訳文の親しみやすさは功を奏し、もっとも普及したバージョンとなった。
 そして大野訳による今回の新版(09)。ポーランド語からの直接訳である「短編ベスト10」収録の「第十三回の旅」「第二十一回の旅」と比較してみれば、原文に非常に忠実な訳文であるらしいことが推察できる。ただし『短編ベスト10』版は、泰平ヨンをなんの断りもないままイヨン・ティーヘとしており、かなり問題がある。これが泰平ヨンのことだと認知できる日本人読者はほとんどいないはずだ。私も今回訳文を突き合わせて初めて気が付いたぐらいである。
 過去の作品に手を入れる、といっても、レムの場合は、安部公房のように、まったく結末を書き換えてしまうような、大胆な改変はしない。細かな表現を整えて序文や注釈を添え、それらが持つ意味を微妙に変化させる。そうして、もともとそこに眠っていた可能性に読者の気づきを促す。ある意味でレムの行為は、作品を分かりやすくすることによって、より難解なテーマを作品内から取り出す、という驚くべきなものだった。まさに前代未聞のリライトである。これぞ「レム学」の神髄であろう。
(初出:シミルボン「高槻真樹」ページ2017年2月17日号)