
あー、こっちこっち。
え? ううん全然待ってへん。今来たとこ。久しぶりやから迷うてしもて。えらい変わったね、このへん。なんか見たことないビルがにょきにょき建っててびっくりしたわ。それよかあたしの方こそ急にごめんね。忙しかったんちゃうん? 大丈夫? それやったらええけど。
ほんま久しぶりやねえ。いつ以来? レイコの結婚式? 違う違う、あん時はあたし行ってへんねん。カリンがおなかにおったから。そやから……十年? うわぁ、年とるはずやわ。それでもユリコ全然変わらへんねえ。バリキャリは違うわ。
あたし? あたしはまあ……その、いろいろあって今はちょっと地元(こっち)戻ってんねんな。うん、カリンも一緒。幼稚園は休ませてる。ダンナは家(むこう)にいる。ただいま絶賛別居中。いや、浮気とかそんな理由と違うよ。どうしたらええか分からへんで、頭冷やしてる感じ……。え、話聞いてくれるて? ええの? ありがと。うざなったら遠慮せんと止めてな。ちょっと変な話になるかもしれんから。
ケイスケ。うん、うちのダンナやけど。ユリコも一回か二回会うたことあるやんな。えー、あいつかっこいいかぁ? まあスポーツマン系ではあるわな。結婚してから弛(ゆる)んでしもてるけどな。オトコ三十過ぎたらしゃあない。それがさ、もともとよう食べる人なんは知っとったけどさ、なんか……何年か前から際限のうなってきてしもて。
最初にええーって思うたのはクリームサンドやねん。ほら、デパートの物産展なんかで売ってる北海道限定のクッキーな。時々お土産でもらうんやけど、あたしもケイスケもあれが好きで。あれってほら、十個入りやろ? 一日一個食べて五日間~とか楽しみにしてたん。ところがさ、二日目に箱開けたら一個しか残ってない。お酒使うてるからカリンやないし、まさかと思うてケイスケに聞いたら「うん、腹減っとったから」て。
そんなんある? 二人いるんやからまず自分は五個、とか普通思うやろ? いつでも手に入るもんやなし。それ言うて怒ったらうなずいてはいたな。むすっとしとったけど。
その時はそれですんで、よかってん。でもそれから。
家にある食べ物、片っ端から食べるようになったん。たとえばほら、ごはん作るやろ。大人の分テーブルに並べたあとカリンに食べさせてるやろ? やっと食べさせ終わってさあ自分のごはん、と思うて振り返ったらお皿の中なんも残ってへん。ケイスケが全部食べとってんねん。「あたしの分は?」て聞いたら「これ全部おれのやと思うた。腹減ってたから」て。
最初は、ちゃんと言うてへんかったあたしも悪かった思うたよ? だから次からは「これ二人分やからね」て念押すようにしてんけど。
あかん。
お皿空っぽになるまで食べてしまうねん。
何回注意しても、「ごめん。気ィつかへんかった」とか、アホなん? て思うよね?
この人ずっとこんなんやったっけ。て来し方を思い返してしもたわ。
そんな記憶ないねん。つきおうてた頃も、二人やった時も。そういえばカリンが生まれるまではおかずはめいめいのお皿に盛ってたな、洗い物減らそう思うて大皿にしたんが悪かったかな、と思うてまた分けるようにしたん。めんどくさかったけど、食べるもんなくなるよりはね。そしたらどうなった思う?
はいピンポーン。食べられました。あたしのお皿も空っぽ。
もう怒るより先に呆れたわ。
うんざりして「ケイスケ……」て声かけたら、今さら我に返ったみたいな顔で「ごめん」て。「ごめん、気ィつかへんかった」て。
ありえへんやろ?
まあ呆れとってもしゃあないから、いろいろ工夫はしてみてん。あたしとカリンだけ先に食べてまうとか。そうしたら今度は、家中あさって食べ物探すようになったん。ローリングストックで買い置いてる缶詰とかレトルトとか、お菓子とか。挙げ句の果てはカリンの赤ちゃんせんべいまで。赤ちゃんせんべいやで? 大の男が。父親が。
そうこうしてるうちにカリンが幼稚園へ上がったわな。初めての遠足で、カリンほんまに楽しみにしとってん。そやのにそのおやつを! 遠足に持って行くためにリュックに入れとったおやつを! 前の日の夜に食べてまうとか!
あれは修羅場やったわ。カリンは大泣きするし、あたしはブチ切れるし、そやのにケイスケはごめん、ごめんばっかり。なんでこんなことしたのか分からないって言うのよ。ただ腹が減って腹が減ってどうしようもなくて──て。
あたしは頭来て、それやったら死ぬまで食え! いうてな。
鶏肉十キロ買うてきて全部唐揚げにして、ごはん一升炊いて一緒に出したってん。米一粒たりとも残すな、て。まあ無茶苦茶したもんやわ。お金もかかったし。
でも総量はともかく、食べきれへんくらい出すていうやり方はネットで見つけてん。家族のごはんもみんな食べてまうダンナさん(結構いるんやね、びっくりしたわ)対策で、効果があったて書いてあった。けどなあ──ケイスケは……全部……食べきってん。十キロの唐揚げと一升のごはんを!
──それは怖いて?
もちろん、そんとき初めて怒りよりゾッとしたわ。
え? ああケイスケの体のこと? 心も?
分かってる。そんなに食べたら体にええわけないし、異常な食欲はもしかしたら脳がどうかなってるんちゃうかて、病院に連れてった。ケイスケがおとなしゅう来てくれたのは助かったな。さすがに十キロの唐揚げは本人も怖くなったんちゃう?
で、ひととおり検査してもうてんけど――。
異常なして言われた。血圧も血糖値も脳も。
それに体重も。
信じられる? 家族の分まで食べ尽くすような食生活を何年も続けてて、標準体重て。
医者のお墨付きを貰ったからか、ケイスケはもっと食べるようになった。あたしは家に食べ物をできるだけ置かないようにしてたんやけど、カリンもいるし何もなしってわけにはいかへん。お金もめっちゃかかるし、作っても作っても片っ端から食べられるしで、あたしは滅入ってたん。よう寝られへん日が続いて、そんであの夜ね。
真夜中やった。二時頃かな。たまたま起きてきたら、キッチンがぼんやり明るいの。照明と違う、もっと低いところからの灯り。冷蔵庫だってすぐに分かった。ケイスケが夜中にたびたびなんか食べてるのは知ってたから、ああまたかと思ったけど、その時ふっと思い出した。冷蔵庫の中にはすぐに食べられるようなものはなにもなかったはず。何か作るんかな、食材使うんやったら知らせて、て言おうと思うてキッチンのぞいたん。そしたら――そしたらよ。
ケイスケが冷蔵庫の前に座り込んで食べてた。丸ままのキャベツやらまだ凍ってる生のお肉を、目を真っ赤にして、うーうー唸りながら、凍ったお肉で口を切って血まみれになりながら、口に押し込んでるん。
あたしは声も出せへんかった。
ケイスケが壊れてもうたから? それもあるけど、見たんよね。ケイスケの丸めた背中の上にうずくまってる――骨みたいな――ぼろぼろの――。
――ごめん、あたしも頭おかしいかも。
――幻覚よね。寝てへんから。
――餓鬼とか。
――笑うて。
*
こないだは変な話聞かせてしもてごめんな、ユリコ。元気してる?
まだ実家に厄介になってんねんけどな。カリンのためにもその方がええと思うて。で、あたしだけ家に通いで行ってる。
ユリコに言われたとおり、ケイスケんちの檀那寺のお坊さんに相談してん。実際に見たとは言わんかったけど。それで施餓鬼法要を、ちょっと熱心に続けてんねんけどな。
ケイスケは相変わらず。あんまり効果ないのかなあ。一回の法要で三千円では少ないんかも。でも食費はすごいし、懐に余裕がないんよね……。
ケイスケが元気――本人は悩んでるかも知らんけど――なのだけが救い……救いかなあ。いっそのこと……とか考えては、そんな自分に落ち込んでる。
まったく、ケイスケの奴どこでこんな変なもん拾うてきたんや!
*
久しぶり、ユリコ。
いろいろ相談にのってもうたのに、ってか一方的にあたしが愚痴ってただけやけど、返事の間あいてしもてごめんな。
あれ。あれな。なんか見慣れてきてしもたわ。
初めて見たときは震えが止まらへんくらい怖かってんけどな。ケイスケがあんなやったのもあって。
もう普通に家に食べ物置くことにしてん。生肉食べられたらかなわんもん。あれのせいでしばらくお医者かかったし。カリンのために食べ物は選ぼう思うてたけど、もうええわ。質より量! どうしたって懐は苦しいけど。
〝あれ〟がなんでケイスケに憑いてしもたんか知らんけど、どうせやったらあたしらみたいな庶民やのうてもっとお金持ちに憑いたらよかったのに。そしたら満足に食べられるのに。ああ、考えてたらなんかムカついてきたわあ。
*
またまたご無沙汰、ごめんねユリコ。
最近勤め始めてさあ。バタバタしとったんよね。うん、今はもう完全に家に戻ってるし、カリンも連れてきた。
〝あれ〟――は、いなくなっとったらよかってんけど、残念ながら、まだいる。
ケイスケも相変わらず、食べる。お金はやっぱりかかるんやけど、その分あたしのお給料が入るようになったから。正社員になれたしね。
毎日めっちゃ慌ただしいけど、なんとか生きてる。きっとユリコほど忙しくないと思うし。それになんて言っても、ええこともあってん。
前にさ、〝あれ〟にムカついてきたて言うたやろ? なんかの時にあたしがつい切れて怒鳴ってしもたことがあったん。「あんたが生前どんな苦労したかしらんけど、なんで縁もゆかりもないあんたをあたしらが養うてやらんならんのん。食べるんやったらその分働き!」てな。
ケイスケは自分に言われたんかと思うてびっくりしとったけど、あたしもびっくりした。まさかあたしの口から亡者相手にそんな言葉が出てくるとは。
で、な。
その次の日、どうなったと思う?
お皿がな。洗ってあってん。全部。ぴかぴかに。
洗濯物も仕上がってた。
次の日も、次の日も。
あたしの言ったことが通じてしもた――亡者に。
それからずっと、そんな感じ。あたしらが寝てる間にやってるのか、姿は見えへんねんけどな。調べてみたら西洋にはそういう妖精がいるんやてな。食べ物なんかのお礼置いとくと家の中のことやっといてくれる妖精が。
〝あれ〟、そういうものになっちゃったんやろうか。餓鬼やのに。
まあ家のことせんでええ分あたしもケイスケも働けるし、win-win――てことでええのかな。当分この共同生活でもええかなって、今は思うてる。〝あれ〟もいつか成仏するかもしらんけど、それくらい満足してくれたんなら、それはそれでええし。
最近は洗い物だけでなく掃除もうまくなってきたんやで。つぎは料理の本でも置いといてみよかしら。
〈了〉
