「リプレイス」片理誠

 錆び付いた大型のボルトを四苦八苦しながらどうにかこうにか両手持ちのレンチで回してゆるめ、固定されていた配送ロボット用のレールや、巨大な金属フレームの棚を床から順番に剥がしてゆく。長年そこにあり続けたそれらは、固定具を外された程度ではびくともしない。フロアに施された塗料が、接着剤のようにくっつけているのだ。
 隙間にバールを噛ませ、全体重をそこにかけて無理矢理引っぺがす。大木のように倒れたそれを電動カッターで持ち運び可能な大きさに切断し、肩に担ぐ。
 よたよたした足取りで仕分け用の大型コンテナのところまで運び、中に放り込み、ふぅ、と一息。ここでの仕事は、ずっとこれの繰り返しだ。面白味のない単純作業。
 一応コンテナは鉄用、ステンレス用、アルミ用、その他用とあり、材質によって分けることになっているので、残骸を放り込む瞬間だけは多少頭を使うことになる。が、細かいことを言い出したら仕事にならないので、俺も皆も結構いい加減だ。適当に投げ入れている。
 サッカー場が丸ごと入りそうなこの巨大倉庫は二階建てで、まだ一階の片付けも終わっていない。この広大な空間を足の踏み場もないくらいに埋め尽くしている、あのガラクタどもの海を、これから全部撤去しなくてはならないのかと思うと泣けてくる。
 元々ここは運送用ロボットのために設計されており、つまり俺たち人間のための施設ではないため、歩きにくいったらないのだ。平らなところなどはほとんどなく、足下にあるのは尖っているか、窪んでいるか、傾いているか、不安定になっているかのどれかで、しかも下ばかりを見ていると、剥き出しになった金属パイプに頭をしこたま打ち付けることになる。そこら中からは用途不明のケーブル類が垂れ下がっており、まさしくここは海底に沈んだ廃墟のごとき様相だ。
 依頼主曰く、この古くなった大型倉庫を、最新の巨大データセンターに建て替えるのだそうだ。倉庫の解体自体は専門の、そしてもちろん無人の、チームが行う。俺たちが今しているのは、その際の邪魔になる諸々の設備の撤去だ。つまりは“重機ロボットどもの露払い”というわけだ。こんな作業こそロボットにやらせりゃいいのにと思うが、人間を使う方が安上がりなのだろう。傷んだロボットの修理には金がかかるが、人間の怪我なら放っておけば勝手に直る。
 あぁ、もしこの体が巨人だったらなぁ、と天井を仰ぎながら俺はため息を漏らす。もしそうだったなら、世界最大のハンマーで、こんなしけた建物、一瞬でぺしゃんこにしてやるのに。
 この倉庫で働いていた産業用ロボットたちはどうなったんだろう、などと考えていると辺りにチャイムが鳴り響き、周囲の照明が薄暗くなった。

 倉庫の一角だけが明るく照らされている。行くと、人数分のパッケージが用意されていた。
 あちこちから集まってきた、俺と同じ、どす黒く汚れた黄色い帽子と作業着姿の仲間たちが、それを銘々手に取ってゆく。俺も自分の分を取ると、床の上に適当に座った。壁に背中をあずける。
 開けてみればパッケージの中味は今日もまた、いつもと同じ。栄養ドリンクの入ったペットボトル、色も形も煉瓦そっくりのパン、不気味な緑色をしたクッキー、イチゴ味のジャムの入った小さな容器、一口分しかないメロン味のゼリー。
 はぁ、とため息をついてパンの包装紙を破る。ちっとも美味くない上に、こうも毎日同じものを食わされては、さすがにうんざりだ。だが、食えるだけでもまだマシと思うべきなのだろう。少なくとも餓死はせずにすむのだから。
 妙に青臭い味のする、ぱさぱさした食感のパンを食いちぎって租借していると、誰かの声がした。
「そういえば今朝、通知がきてたけど、ネズミの奴、僕たちの担当から外れるんだって」
 ナオキだ。床の上に置いたコンクリートブロックの上に腰掛けて、こっちを向きながらパンを食ってる。小柄で、小太り気味で、いつもどこかおどおどしている印象だが、それでいてよく話しかけてくるのは、きっと根が寂しがり屋だからなのだろう。
 そのすぐ隣で地べたに直接あぐらをかいているマチダが、満面の笑みを浮かべた。
「おお! そりゃ、ラッキー! やっとこっちにも運が向いてきたね!」
 陽気に親指を立てている。元々が童顔な奴なので、まさに天真爛漫といった感じの笑顔だ。
 俺たちから少し離れたところにしゃがんでいた男が「ケッ!」と吐き捨てた。
「せいせいすらぁ。あんなゲス野郎の顔なんて誰が見たいかってんだ!」
 腹立ち紛れに、近くにあったガラクタを蹴飛ばしている。騒々しいったらない。
 このシオヤという長身で痩せた男は、いつも何かにキレている印象だ。機嫌の良いところを見たことがない。
 抜き身のナイフのような奴だが、とは言え、さすがにもう慣れた。ナオキとマチダにしても、まったくシオヤを気にしている様子はない。二人で「でも、なんでなんだろう?」「さぁ」とニコニコしながら首を傾げ合っている。
 ちなみに“ネズミ”というのは、俺たちの上司、マネージャー役の男のことだ。本名は忘れた。ネズミのような貧相な顔立ちをしているので俺たちは皆、ネズミとかネズ公と呼んでいる。いつもぶかぶかのスーツに悪趣味な金縁眼鏡という出で立ちで、やたらと正社員であることをひけらかしては、誰彼構わず威張り散らすので、出会った全員から蛇蝎のごとく嫌われている。「死ぬ気で働け、愚図ども」という愉快な台詞が、奴の口癖だ。
 俺のすぐ隣に座っていた大柄な男が、ポケットから情報端末を引っ張り出しながら、おもむろに口を開いた。
「あいつ一昨日、車で人をはねたらしいぞ」
 えッ!
 全員が彼の方に振り返った。
 このムカイという筋肉質な大男は、このご時世でも、自前の端末を持っている。俺たちも持ってはいるが、これは派遣会社から支給された、会社との連絡のための専用端末で、奴のもののようにニュースサイトを覗いたりはできない。
 あの悪質なほど高額な通信料を、この男はいったいどうやって工面しているのだろう?
 端末の画面を見つめたまま、ムカイが続けた。
「酒に酔ったまま運転したらしい。昨日、ニュースになってる」
 他の三人が互いに顔を見つめ合った。
「飲酒運転てこと?」
「そいつぁシャレにならないね」
「最低な野郎だな!」
 俺も首を傾げる。
 なぜ自動運転モードにしなかったんだろう、という俺の疑問に、ムカイは「さぁ」と肩をすくめてみせた。
「ま、あいつにも、あいつなりのストレスがあったんだろう。“むしゃくしゃしていて、つい”と供述してるらしい」
 シオヤが床に唾を吐いた。
「ハッ! 結構なご身分だな! 俺たちのことをボロ雑巾みてぇに散々こき使っておきながら、自分はヤケ酒あおって、フルスロットルってか! 一生、ブタ箱にぶち込まれてりゃいいんだ、あんな奴!」
 一方、ナオキとマチダは完全な他人事モードだ。ハムスターのように口をもごもごさせながら談笑している。
「なるほど、それでなんだ。けど酒気帯び運転な上に人身事故じゃ、当分、刑務所からは出てこられないね。はねられた人は大丈夫だったのかな?」
「ていうかさ、会社もクビなんじゃないの? せっかく正社員だったのに、もったいな~い」
 まったくだね、あっはっは、と愉快そうに笑い合う。ネズミへの同情はゼロだ。ま、それは俺も同じだが。
 ムカイが端末の画面から顔を上げた。
「あー、はねたと言っても相手は人間じゃない。人型だ。アンドロイドだよ」
 ああ、というため息のような声があちこちから漏れた。
「だからそこまで重い罪にはならないはずだ。せいぜい懲役一年未満てとこだろう。本人も深く反省してるらしいから、執行猶予もつくんじゃないか。なら会社だって解雇ってことにはならないかもしれない。ま、部署は移動になるだろうが」
 ふと俺の脳裏を「はねた相手がアンドロイドでも、罪を問われるのだろうか?」という疑問がよぎった。
 それはシオヤも同じだったらしく、「器物損壊罪、てことか?」と怪訝(けげん)な顔をしている。
 おいおい、とムカイ。
「いつの時代の話をしてる? もうとっくに超高度AIには準人権が認められてるんだぞ。もし壊してしまったら、たとえそれがついうっかりだったとしても、人間を怪我させてしまったのと法的にはそれほど変わらないんだ。
 あ、ちなみにはねられたアンドロイドはフレームはぐちゃぐちゃだったそうだが、電脳ユニットは無事だったらしい」
 ナオキが「……そりゃ、良かった」と応えたが、あまり心がこもっている風ではなかった。誰にどう同情すればいいのかが分からず、少し困っている様子だ。
 シオヤが再び唾を吐いた。
「ヘッ! 最近、増えたよなぁ、あの動いて喋るマネキンどももよぉ」
「この国も人口がどんどん減ってるからね」
「そういえば今、市場では中古の医療用全身義体がだぶついてるって話、聞いたことがあるよ」
「いくらサイボーグになったところで、寿命がなくなるわけじゃねぇからな。脳みそだって歳は取るんだ」
「で、ボディだけが残されるってわけだね」
 その余った空っぽの全身義体に、電脳を乗せて人間らしく振る舞わせているのか、と俺が問うと、ムカイがうなずいた。
「そうだ。昔はぎこちなくしか動けない、まさに機械仕掛けのエキストラ、モーターを内蔵しただけのマネキンて感じだった。だが今じゃ俺たちよりも滑らかに動く。一流のダンサー並の身体能力を持ってるんだ」
「そんなに?」
「何しろ、以前の“なんちゃってボディ”とはわけが違う。医療用の全身義体は良いパーツを使ってるからな。あれ一体で銀座にビルが建つって話だ」
 なんてこった。俺はかぶりを振る。
 俺たちが住んでいるような地区ではあまり見ないが、都心の方に行くと美男美女ばかりが大勢で町を闊歩していたりする。あれらはもちろん、普通の人間なんかじゃない。それは分かっていたのだが……。
 俺はてっきり全身義体のサイボーグなのかと思っていた。だが今では、あのほとんどは人型をしたロボット、アンドロイドなのかもしれないのだ。両者は見かけ上はまったく同じなのだから、外見からでは分からない。
 ムカイの言う、昔の“機械仕掛けのエキストラ”なら何度も見たことがある。あれもアンドロイドではあるんだろうが、いかにも出来損ないな感じで、ロボットというよりも下手くそが動かしている操り人形という感じだった。喋ることもできるが、簡単な挨拶を交わす程度が精一杯。とてもじゃないが会話を楽しめるような相手ではなかった。
 だがあれらは今ではもう、俺たちを凌駕するほどの性能を備えているのか。なぜかは分からないが、ちょっと寒気がする。
 しかし、ナオキとマチダには関係ないようだった。
「ネズミ、大変だね。そんなのを弁償しなくちゃならないなんて」
「一生かかるかもね」
 と呑気に笑っている。時々、この二人の脳天気さをうらやましく思うことがある。
 シオヤもおどけた様子で、お手上げのポーズをした。
「ま、俺たちには関係ねぇな。酒も、車も、サイボーグの体も。全部、雲の上さ。金持ちどもの世界の話だ」
 俺はムカイの方を向いた。
「そんな高価なものが町中を歩いてるのか?」
「中古なら、そこまで高くはないのかもな」
「それにしたって」
「まぁ、俺たちが考えている以上に金持ちが多かったってことなんだろう、かつては。さすがにもう残っちゃいないだろうが。
 今じゃ大金持ちは全部、超高度AIだ。人間の思考速度じゃ、どうやったって連中には敵わない」
 やれやれ。俺は両肩が重くなる。
「じゃぁその内、そいつらが新品の義体を買う日がくるかもな」
「ああ。間違いなくくるよ。それを可能にする法案が、いずれきっと可決される。今はまだ中古のボディが余っているが、いずれはそれも足りなくなる。大富豪AIどもは続々と増え続けているんだからな」
 不意に痩せた長身の男が立ち上がった。
「ったく! なんでこんなことになっちまったんだ! 政治屋どもはどいつもこいつも、AIの権利ばかり気にしやがって! もう生身の人間のことなんて、どうでもいいみてぇじゃねぇか!」
 座ったままのムカイが、じっとシオヤの顔を見つめた。
「元々は“孤独対策”の一環だったんだ。
 人間は群れで生きる動物だ。その人間にとって“孤独”というのは大いなるストレスなんだ。だが様々な価値観がせめぎ合う現代社会では、互いにぶつかり合ってしまうことも多い。分かり合うことができず、いがみ合ってしまうわけだ。それぞれの孤立は解消されるどころか、ますます深まってしまう。
 孤独というのは、世界中を席巻した新しい伝染病のようなものだった。人類には救世主が必要だったんだ」
「それがAI?」と俺。
「そうだ。人間とけっしてぶつかり合うことのない存在、人間を理解し、人間に永遠に寄り添ってくれる存在。そんなのAI以外には不可能だった。
 人口減少に頭を痛めている政治屋どもにとっても、AIは都合が良かった。何しろ量産できるからな。コストの問題はあるにせよ。
 彼らに一定の人権を与えて、国民ということにしてしまえば、人口はいくらでも簡単に調整することができるようになる。少子化問題なんて、なかったことにできる。あくまでも帳簿上での話だが」
 ナオキとマチダが無邪気に「なるほどねぇ」とうなずくと、シオヤが自分の帽子を床に叩きつけた。
 けたたましい怒声が、静まりかえった取り壊し予定の倉庫内に響き渡る。
「何が、なるほどね、だッ! 自分たちの恰好をよく見てみろ! 汚ぇツナギ着せられて、ロボットどものために倉庫の片付けさせられてるんだぞッ! これが人間様のやることかッ!」
 マチダが唇を尖らせた。
「しょうがないじゃん。もうこんな仕事しかないんだから」
「くそったれめッ!」
 地団駄を踏んでいる。
 人は分かり合えない、か。確かにな、と言い争うシオヤたちの姿を見て俺は思った。
「皮肉なもんだな。結果、今じゃ世界の主役はAIどもなわけなんだから」
「まぁ、な」とムカイ。
 良き友人であるはずだったものが、今では絶対の主人に取って代わりつつあるとは、まったく、当たり前すぎて少しも笑えない。いかにも現実って感じだ。
 政府にとっては、善良で有能な超高度AIたちの方が、俺のような反抗的で、出来損ないとまでは言わないにしても、さほど優れているとも思えないぐうたらな人間なんかより、ありがたい国民なのかもしれない。だが、では俺たちはこの先どうなる?
「優れたものが劣ったものを支配する、ってことか。これがあるべき世界の流れなのか」
 自らの構成要素を次々と優秀なものに置き換えてゆくことが、地球(ガイア)の意思なのだろうか?
 さぁな、と飲み干したペットボトルを握りつぶしながらムカイが自嘲気味に微笑んだ。
「そもそも超高度AIたちに支配という概念があるのかどうかすら、俺にはよく分からんよ。ただ、誰にとっても、こんなはずじゃなかったってことだけは確かだろうな」
 やや重い気分で食事の残りを片付けていると、不意にシオヤが俺たちの前に立ちはだかった。仁王立ちだ。
「よし! いいか、お前ら全員、次の選挙では絶対に投票に行け! 行って、反AI主義を掲げる政治家に一票を入れるんだ! 俺たちの正当な権利をAIどもから取り返すには、もうそうするしかねぇ!」
 たちまち「ええーッ!」という抗議の声が、彼の背後から上がった。
「たまの休みくらい、寝てたいっしょ」
「選挙なんて行ったって意味ないよ。どうせ何も変わらないんだし」
 シオヤが振り返る。
 再び怒声が轟いた。
「うるせぇッ! もう政治家を動かすくらいしなきゃ、どうにもなんねぇだろうが! 選挙にも行かねぇで部屋でごろごろしてるだけなら、アンドロイドどもと何も違わねぇんだぞッ!」
 この時、薄暗い倉庫の中にチャイムが鳴り響いた。照明が再び明るさを取り戻す。昼休みの終了だ。
 端末をポケットの中に戻しながら、ムカイが立ち上がる。
 馬鹿を言うな、と彼は吐き捨てた。
「アンドロイドたちは全員、ちゃんと選挙に行ってるぞ」