
『ドン・キホーテ』再入門 その3 樺山三英
セルバンテスとその時代
少し余談が長くなったので、作者セルバンテスの生涯と当時の時代背景に話を移しましょう。セルバンテス(1547年~1616年)が生きた時代は、スベイン絶対王政で最も勢いのあったフェリペ2世(1527年~1598年)の統治時代と重なっています。この間には2つの大きな戦争がありました。ひとつはレパントの海戦(1571年)――ギリシア沖で戦われた、対オスマントルコの大戦です。セルバンテスはこの戦争に参加して負傷、以後左手の自由を失いましいた。が、これも戦場での名誉の負傷と、誇りに思っていたようです。もうひとつはアルマダの海戦(1588年)――この戦争では、スペインの無敵艦隊がイギリスに敗れてしまいます。セルバンテスはこの時にはもう、現役の兵士ではありませんでした。が、艦隊の食料調達係をしていたため、敗戦により失職の憂き目を見ることになります。その後も、徴税吏になったり投獄されたりと波瀾万丈の人生を送りました。『ドン・キホーテ』はこの投獄の際、獄中で着想を得たものと言われていますが、真偽のほどは定かではありません。作品との関わりで言うと、スペイン艦隊に所属していた時期、拠点となったイタリアでしばらく生活していたことが重要視されています。ここで受けたルネサンス思想の影響が、その後の執筆を方向づけたと考えられるからです。もうひとつ、レパントの海戦後に海賊に攫われ、アルジェリアで幽閉生活をしていたことも重要な事実です。当時の虜囚体験は『ドン・キホーテ』の作中にも多く取り込まれています。前篇にはよく、相互に無関係な短い挿話が、入れ子式に放り込まれていますが、これはアルジェリアから帰還後に書いた戯曲を、そのまま取り込んだものだものではないかと言われています。
セルバンテスの生涯を見ていると、どうもスペイン帝国の隆盛と同期しているような印象が否めません。若い頃は栄誉ある兵士として活躍。しかし後半生は失職そして投獄と、あまりいいことがなかった。スペインもまた同様で、絶頂からゆるやかな衰退へと、坂道を降っていく時期でした。フェリペ2世はカトリック信仰を中心とする厳しい排外政策を実施、求心力を得る一方で、国内の反乱分子には手を焼いていました。国内ではすでにレコンキスタ完遂後、1492年にはユダヤ人追放令が出されていました。また1609年にはモーロ人(イスラム教徒)の国外追放令も出ることになります。対外的にもカトリック勢力の盟主として、戦争を繰り返していた時期です。しかし硬直化した国家は徐々に消耗し衰退していく。アルマダの敗戦は、その機運を決定的にするものでした。さらにセルバンテスの死のすぐ後、1618年には30年戦争が始まっている。長い戦役の末にスペインは敗れ、支配下にあったネーデルランド諸州(オランダ)の独立を許します。これを機に、スペインはヨーロッパの覇者の座を失い、その地位をイギリスやオランダに譲り渡すことになる。先ほど少し触れた『ドン・キホーテ』の風車のくだり、これはスペイン(=騎士)がオランダ(=風車)に敗れる姿を予言したものだと言われることがあります。ややこじつけめいた解釈ですが、頷ける部分もあります。古い秩序を体現する騎士が、新しい時代の秩序に馴染めず、みなの嘲笑と打擲を浴び退場していく。その様子は、たしかにスペイン帝国の落日を思わせるものです。新しく勃興してきた市民階層が担い手となり、「近代」そして「資本主義経済」が始まろうとしている時代でした。
ベストセラーの誕生
『ドン・キホーテ』が世に出たのは、まさにこうした時代の転換期でした。前篇が1605年、後篇が1615年の出版。先に少し触れたように、セルバンテスは若い頃から戯曲や小説を書き発表していました。が、世間の耳目を集めるようなことはなかった。しかしこの時代錯誤の騎士の物語は、たちまち大きな反響を呼び、ベストセラーになり版を重ねました。移ろいゆく時代の趨勢を、反映していたからかもしれません。前篇だけでも年内で6版、12000部が刷られたそうです。当時としては破格の数字でした。17世紀半ばまでには英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、オランダ語など各国語にも翻訳され、ヨーロッパ全土に知れ渡っていたそうです。一説にはシェイクスピアも読んでいたのではないか、との憶測もありますが証拠はありません。しかしそれだけ広範囲の人々に読まれていたことは、たしかな事実です。
では当時、『ドン・キホーテ』はどのように読まれていたのでしょうか? 笑い転げている男を見た国王が「あの男は頭がおかしいのか、それとも『ドン・キホーテ』を読んだのか。どちらかだ」と言ったという逸話があります。つまり読者は本作を、なにより笑うべき滑稽譚として読んでいたようです。おそらくは騎士道物語の約束事に則った、滑稽なパロディとして楽しんでいたのではないでしょうか。しかし作者であるセルバンテスの物言いは少し微妙です。彼は本作を「騎士道物語を批判するために書いた」と記しています。人々がこのような迷妄に惑わされることがないよう、注意喚起のために書いたのだと。これはどうも不思議な宣言です。なぜなら、騎士道物語は当時すでにもう、ブームと呼ばれるような時期を過ぎていたからです。むしろ廃れ、終わりつつあるジャンルだった。そんなものに真面目に警戒する必要があったのかどうかは疑問です。じっさい、多くの読者は『ドン・キホーテ』を滑稽譚として読んでいた。騎士道物語への熱狂が少しでも残されていれば、こんな反応は返ってこなかったでしょう。なので作者自身の弁はひとまず棚上げにして、その後の受容を追ってみましょう。作者の死後しばらくすると、今度は逆の現象が起こってきます。本作が暗黙の前提としていた、騎士道物語のコードそのものが通用しなくなってくるのです。笑いのツボがわかりにくくなり、作品のどこをどう読んだらいいのか、読者の側にも迷いが出てくる。これは、今日の読者である我々にしても同じことですね。じっさい、諸々の枠組みを取っ払って読むと、『ドン・キホーテ』は喜劇なのか悲劇なのか、よくわからないところがあります。時代を間違えた騎士の姿は、笑うべきものであると同時に哀れを誘う、寂しいものにも見えてきます。そしてこの解釈の揺れは、時代を追うごとにその振幅を広げていくことになるのです。
