<登場人物紹介>
- 織笠静弦（おりかさ・しづる）：物理学を学ぶ大学院生。二年飛び級をして入学しているため二〇歳。ひょんなことから、平行世界からやってきた「機械奴隷」であるアリアの主人となり、平行世界と「機械奴隷」を巡る暗闘に巻き込まれていく。戦いを通じてアリアと主人と奴隷を超えた絆を結ぶ。
- アリア・セルヴァ・カウサリウス：ローマ帝国が滅びず発展し続けた平行世界からやってきた「機械奴隷」。アリウス氏族カウサリウス家の領地（宇宙コロニー）で製造されたためこの名となっている。余剰次元ブラックホール知性が本体だが、人間とのインターフェースとして通常時空に有機的な肉体を持つ。「弱い相互作用」を主体とした力を行使する。行使可能なエネルギー（＝質量）のレベルは微惑星クラス。「道化」の役割を与えられて製造されており、主人をからかうことも多い。
- 御津見絢（みつみ・けん）：織笠静弦の友人。言語学専攻。静弦に想いを寄せているようだが、研究に没頭していたい静弦にその気はない。おとなしい性格だが、客観的に静弦のことをよく見ている。いつしか静弦の戦いに巻き込まれていく。
- 結柵章吾（ゆうき・しょうご）：織笠静弦の大学の准教授。少壮で有能な物理学者。平行世界とそこからやってくる「機械奴隷」に対応する物理学者・政治家・軍による秘密の組織「マルチヴァース・ディフェンス・コミッティ（ＭＤＣ）」の一員。静弦にアリアを差し出すよう要求し、拒否すれば靜弦を排除することもいとわない非情な一面も見せる。かつて静弦と深い仲であったことがある。
- リヴィウス・セルヴス・ブロンテ：結柵に仕える「機械奴隷」。電磁相互作用を主体とした力を行使する。エネルギーは小惑星クラス。
- ヴァレリア・セルヴァ・フォルティス：結柵に仕えていたが、後に絢に仕える「機械奴隷」。強い相互作用を主体とした力を行使する。エネルギーは小惑星クラス。
- アレクサンドル（アレックス）・コロリョフ：結柵の研究仲間の教授。静弦が留学を目指す米国のＭＡＰＬ（数理物理研究所）という研究機関に属している。
- ユリア・セルヴァ・アグリッパ：主人不明の「機械奴隷」。重力相互作用を主体とした力を行使する。エネルギーは惑星クラス。
- 亜鞠戸量波（あまりと・かずは）：静弦の同級生。二二歳。「サーヴァント・ガール２」から登場。
- ルクレツィア・パウルス：バンクーバーのＡＩ学会で静弦らと出会った女性。台湾にあるスタートアップに勤務。
<「サーヴァント・ガール」のあらすじ>
岐阜県の「上丘（かみおか）鉱山」に所在するダークマター観測装置の当直をしていた大学院生の織笠静弦は、観測装置から人為的なものに見える奇妙な反応を受信した。それがダークマターを媒体としてメッセージを送信できる高度な文明の所産だとすれば、観測装置の変化を通じてこちらの反応を検知できるはずだと判断した彼女は「返信」を実行する。次の瞬間、目の前にアリアと名乗る少女が出現する。アリアは静弦が自分の主人になったと主張し、また、主人となった人間には原理的に反抗できないことも説明され、静弦は渋々アリアと主従の関係を結ぶ。
しかし、現代文明を遙かに超える力を持つ機械奴隷を静弦が保有したことは、新たな争いの火種となった。実は、アリアと同種の機械奴隷はアリアよりも前からこの宇宙に流れ着いており、それを管理する秘密組織が存在していた。観測装置の実務責任者である結柵章吾もそのメンバーであり、彼は静弦がアリアを得たことを察知、自らの「機械奴隷」であるヴァレリア、リヴィウスを使って攻撃を仕掛け、アリアを手放すよう要求する。静弦は、自分を必死に守るアリアの姿を見て、アリアを手放さないと決意、辛くも結柵との戦いに勝利する。
勝利後の会談で結柵にもアリアの保有を認められ、しばし穏やかな時が流れるが、静弦は自分が研究中の理論を、遙かに進んだ科学を知るアリアに否定されけんか別れする。その隙を突き、主人不明の「機械奴隷」ユリアに攻撃されるアリアと静弦。危機を察知した結柵がヴァレリアを、静弦の友人・御津見絢に仕えさせ、二人に救援に向かわせたこともあって、ユリアの撃退に成功する。戦いを通じ、静弦とアリアは主従を超えた絆を結ぶ。戦いの後、これ以上の攻撃を撃退する目的から、静弦とアリアは、絢・ヴァレリアとともに留学生寮に住むことになる。
<「サーヴァント・ガール２」これまでのあらすじ>
静弦は留学生寮で新しく友人となった女子学生、亜鞠戸量波の部屋で彼女と一夜をともにする。アリアは静弦の行動にショックを受け、姿を消してしまう。アリアを追い、静弦は絢、ヴァレリアとともにアリアの目撃報告があったカナダ・バンクーバーに向い、そこで偶然出会った量波とも合流して、現地で開催されたＡＩ学会に参加、アリアを見つけ出す。しかしアリアは、自らの存在をこの宇宙とは異なる余剰次元空間に逃避させる。静弦はヴァレリアとともにアリアを追うが、アリアは「自分は静弦様にはふさわしくない」と言い、姿を消す。静弦は絢の助言により心を決め、アリアの手がかりを求め、ＡＩ学会で出会い、アリアを見知っていると思われる女性、ルクレツィアの足取りを追って台湾に向かう。三人は、台湾で量波、そしてアリアとも出会う。しかしアリアは再び逃げてしまう。絢によって「セルヴァ・マキナの力を阻害し、アリアの失踪を手引きしていた犯人」と名指しされた量波とルクレツィアは、静弦・絢・ヴァレリアを巻き込んで瞬間移動を引き起こす。
第三章第二話（通算一〇話）「敵の理屈」
その瞬間、爽やかな風が静弦の髪をなぶった。
うっすらと目を開けると、うっそうとした森林の中の、開けた場所にいた。
「静弦さん、気をつけて。向こうのセルヴァ・マキナの力で、瞬間移動したらしい……。ここがどこかは分からないが……」
絢が静弦の肩を抱いて引き寄せ、ある一点をにらんでいる。静弦も思わずそちらに視線を向けた。
亜鞠戸量波、そしてルクレツィア・パウルスがそこにいた。
「……ここは陽明山の山頂付近の山林らしい。台北郊外だ。そこまで移動してはいない」
ヴァレリアが言う。
「……そして、つまりはお前がセルヴァ・マキナというわけか、ルクレツィア・パウルス」
量波の隣に立っていたルクレツィアが微笑んだ。
「そういうことになるかしらね、ヴァレリア」
波打つ金髪をかき上げながら、ルクレツィアは何でもないことのように、認めた。
（まさか……状況証拠からセルヴァ・マキナかもしれないとは思っていたけど……全く人間にしか見えなかった……）
静弦は思う。
バンクーバーの学会でアリアの扱いに抗議した彼女、台北一〇一のパフェで量波と話し込んでいた彼女。そして、先ほどまでバーで静弦の隣にいた彼女……。
言われるまで全く気づかなかった。
「――君たちは何のつもりで動いている？ アリアを静弦さんから引き離して。君たちが、結柵教授の言うＭＤＣの主流派に反対する派閥なのか？」
絢が問う。量波は細い腰に両手を置き、興味深そうに絢を、そして静弦を見た。
「ＭＤＣ主流派――彼等は『統制派』を名乗っている。インペリウム世界から来た技術を統制し、この世界への影響を極力制約したいと考えている。しかし、彼等の考えは甘いのではないかな？」
量波は淡々と語る。
「甘い……」
「そうだ。ＭＤＣは『他世界の影響から、この世界を防衛するための組織』だ。しかし、やっていることと言えばドミナの間の相互牽制と、インペリウム世界の技術の隠蔽だけだ。この世界を他世界の侵略から守ることは全く、考えていない。セルヴァ・マキナたちが言う、『インペリウム世界にこちらを攻めるつもりはない』という言葉を愚直に信じこんでいる……。しかしその考えは甘いと言わざるを得ない」
「何が言いたいんだ。インペリウム世界の状況からすれば、彼等が攻めてくることは考える必要はないじゃないか」
「そこが根本的な勘違いなんだよ。仮想敵はインペリウム世界だけじゃない。セルヴァ・マキナがこの世界だけにやってくるなんて誰が言ったんだ？ 他の好戦的な世界にも彼等は多く流れ着いているかもしれないじゃないか。その世界が、他の世界を侵略したいと思ったらどうする？」
「……インペリウム世界以外の世界……」
「常識的な対応というものを考えてみたまえ。例えば、地球温暖化だ。『地球が温暖化している』という事実を隠蔽することだけに気象学者たちが注力していたら、世界はどうなる？ 滅ぶしかないだろう。それと同じことだ。『他の世界が攻めてくるかもしれない』という可能性を知る学者たちが、その事実を隠蔽し、何ら対策を打たない。これがどのぐらい異常なことか、賢明な君らなら分かるはずだが」
量波は開き直ったように言葉を続ける。
「我々がのんきにセルヴァ・マキナの力を隠蔽して満足しているうちに、他の世界はセルヴァ・マキナの力を解明し、強力な軍事力として活用する方法を確立し、そして他の世界を侵略する準備を着々と整えているかもしれない。その可能性がないとどうして言える？ セルヴァ・マキナは全ての多世界の知的生命体をドミナと認識するんだ。セルヴァの力はこの世界だけの特権じゃない。私たちはこの秘密を全世界に公表し、行動を起こすべきなんだ。全人類の力を動員して、セルヴァ・マキナの技術と知識を学び、運用する方法を全力で開発しなければならない。しかし、統制派が主流派を占めているために、これができていないのが現実だ」
静弦は量波の言葉を反芻していた。その言葉は尤もに思えた。しかし――。
「じゃあ、じゃあ私を誘ったのは、初めからそのつもりで……？ だましたの……？」
量波は首を振る。
「私が結柵先生のような他のＭＤＣメンバーを誘うような女に見えるかい？ 彼は全く好みではないね。君が好みだったから、誘ったんだよ。ＭＤＣメンバーの中に私の好みに思える人がいなかったら、おそらく私は他の方法と選んだだろうね。つまり、君をパートナーにしたいというのは、純粋な私の思いだ。――ま、多少はイデオロギーが入っているがね。しかし、私という女の行動原理としては極めて純粋な部類に入るものだよ、君へのアプローチは」
そういって、ウィンクした。
「そう……そういうこと……」
静弦は身体の芯が冷めていくのを感じた。そして、ベルトのバックルにそっと指を置き、そして離す。
静弦の肩に絢の手が置かれる。
「静弦さん……できるだけ遠くへ逃げるんだ」
「逃げる……？」
「ルクレツィアがセルヴァ・マキナだとバレた以上、敵は僕らを無事に逃がす気は無いと考えるべきだ。街中ならどうとでもできたが……油断した。瞬間移動をしてくるとは」
「友達を置いて？ 嫌よ」
絢は微笑んだ。
「……ふ。友達……か。気持ちだけ受け取っておく。そして感情抜きに言えば、僕はヴァレリアとともに戦うという理由があるが、君はここにいても戦力にならない」
「それでもノーね。ルクレツィアは自分では瞬間移動ができる。しかし、彼女の能力の性質を考えればヴァレリアの瞬間移動は阻害される可能性が高い。一緒にいたほうが、きっと安全よ」
そして微笑んだ。緊張に顔をこわばらせつつ。
「だから、ここにいて護ってもらおうってこと。――それ以上のことをしたいとは、思ってるけど」
言って、ヴァレリアを見返す。
「勝てそう？ 絢と私を護りながら」
単刀直入に聞く。
「ルクレツィアがどこまでこちらの能力を無効化できるかに依存する。その仕組みにも」
「……仕組みも分からないってこと」
「少なくとも私は耳にしたことがない。バルクの超次元ブラックホールのエネルギーを以て通常時空の物理的相互作用に介入する我々の力は、どうやっても阻害不能のはずだ」
静弦は顎に手を当てた。
「まずはそこからね……」
（会話をしつつ、敵の出方と弱点を探っていくしかないわ……）
静弦はそう決意しつつ量波とルクレツィアを見る。
二人はおとなしく静弦らの会話が終わるのを待っていた。
静弦と目が合ったルクレツィアは、微笑む。
「……終わったのかしら、作戦会議は？」
「やけに礼儀正しいのね。淑女ぶってるつもりかしら」
静弦はつられて微笑するが、相手ほど余裕のある笑みを浮かべられた自信はない。
「私のドミナのカズハは、あなたたちを我々に同調させることが最上の策だと考えてるわ。敵として攻撃するのはそれに失敗したときだけよ」
「じゃあ、まだ説得するつもりでいるんだ？」
「温暖化の比喩で納得していないようなので」
「――そうね。あなたが礼を以て接するならば、私も相応の対応をしましょう」
言いつつ、本心ではルクレツィアの力の秘密を探るつもりだった。ことが物理学の問題ならば、ヴァレリアか自分が対応するしかない――絢には難しい。そして、ヴァレリアにはルクレツィアへの警戒に全演算力を使ってもらわねばならない。ルクレツィアの扱えるエネルギーすら、静弦は分からないのだから。
（あるいは、『阻害できるエネルギー』なのかしらね……？）
考えつつ、静弦は形の良い唇を開いて言葉を紡ぐ。
「納得していない理由は明らかよ。セルヴァ・マキナの力で文明を加速させ軍備を増強し……他世界に攻め込む……あなたはそう言ったわね？」
そこで、量波を見やる。
「しかし、攻め込む理由がどこにもないのよ。他世界からの侵攻に備えた予防的な攻撃？ だったら自分の世界で軍備を増強するだけでいい。偵察ぐらいは必要かもしれないけどね。資源？ そんなものはセルヴァ・マキナの力を使えばあっという間に解決できる。現在の文明が抱える問題は全て、セルヴァ・マキナの力を使うだけで解決できるのだから、他に侵攻して何かを収奪する合理的な必然性はどこにもない。寧ろ、ちょっかいを出したら同等の力を持つ文明を敵に回して際限のない報復合戦が始まるだけよ」
量波はやれやれ、といったふうに首を振った。
「今まさに君が、『攻撃する理由』を言ったじゃないか。『同等の力を持つ』文明同士だから際限のない報復合戦になる。インペリウム世界の科学技術は既に停滞した。これは事実だ。だが意志さえあれば更に発展させることは可能だ。自らの滅亡の可能性をできるだけ無くすため、自らの力を強化したのち、潜在的な敵を倒す。生存戦略としては合理的だと思うけれどね」
「……相手を一瞬で倒す力を備えてから侵攻すると」
「まるで太陽が近づいてきたイカロスを落とすように、一瞬でね」
やや文学的な比喩を用いて、量波はそう説明した。
「その開発競争は既に他の世界では始まっているかもしれない。我々だけが取り残されているだけかもしれない。その可能性を考えたことはあるかい？ 少なくともＭＤＣ主流派ののんきな連中は、さきほど君が言ったような楽観論に支配され、『この世界が混乱する可能性』などという、大したリスクでもないことを針小棒大に言い立てている……」
（……力による安全保障か……）
「今の国際政治の比喩で考えてはだめだよ。多世界にはまだ国連もないし、何の条約もないんだから。寧ろ、我々の置かれた状況とは、コロンブスがやってくる前のアメリカ大陸、あるいはヤンスゾーンが来る前のオーストラリア大陸に近い。相手は人間ではないかもしれないし、我々を一定の権利を持つ知的な存在とは認めないかもしれない。ミルフィーユ時空の理論を前提とするならばね」
（……筋は通っている……ようね）
静弦は唇を噛んだ。
「説得」に一定の効果を見いだしたのか、量波はにやりと微笑む。
「詭弁だね」
絢が言う。長い黒髪のときの印象が強かったせいか、その横顔は、かつらを脱いだ後もショートカットの少女のように見えてしまう。
「――他世界が侵攻してくる可能性、は架空の危機だが、『この世界が混乱する可能性』は現実のリスクだよ。技術にとって重要なのは、進歩と安全管理のバランスだ。そのバランスが崩れ、安全管理がおろそかになることが最も恐ろしい。今は人間に従属するセルヴァ・マキナによって管理されているこの力を、人間がよく知りもしないで開発しようとしたらどうなるか、考えてみるといい。あるいは、この力がＭＤＣなどの国際組織の管理から外れ、テロリストのグループによって保有されたら……？ 現在の国際秩序など、木っ端みじんになるだろう」
一陣の風が陽明山の開けた空き地を吹き抜けた。
「そう」
ルクレツィアは諦めたようにため息をつく。
「どうやら――説得はここまでのようね、カズハ？」
「ああ――そのようだ、ルクレツィア」
量波はルクレツィアの後ろから腕を回して彼女を包み込むように抱きしめる。ルクレツィアは量波を見上げるように振り向き、量波の豊かな胸にその手を這わせつつ目を閉じ、そして、量波に口づけをした。
瞬間、二人は光に包まれる。
（キス……距離の三乗に反比例して弱まっていく超空間リンクの距離をゼロにした……）
やや頬が赤くなるのを感じながら、静弦の頭脳は冷静に考えている。
（――同じだ。私とアリアが、あのユリアと戦ったときと……！）
「絢！気をつけて！ 攻撃が来る！」
静弦は叫んだ。
