「シン・中継ステーション」飯野文彦

 小学校のとき、私はひとり校庭の隅にある木材を横たえた遊具に坐っていた。すぐ近くでボール遊びをしていたクラスメートたちが、ボールを逸らして、私の方に飛んできた。私はそれをキャッチした。するとクラスメートたちは「いいの、うまいじゃん」「いいのも入れてやろう」と言って、私を遊びに誘った。そこだけの記憶が残っている。なぜ私は一人で居たのか、なぜ最初からクラスメートたちは私を入れてくれなかったのか。
    ◇ ◇
 相生町のアパートの玄関の扉がノックされた。新聞の勧誘だろうと放っておいたが、しつこい。開けるとどこかで見た顔の男が立っている。満面の笑みを浮かべ、一升瓶を差し出した。銘酒だ。
「いっしょにやりませんか?」
 酒を見せられては、逆らえず、はて誰だともう一度考えたとき口から言葉が出た。
「K総理…」総理とは言っても、かなり前の話であるが。男は満面の笑みで頷いた。
「ぜひあなたと一献傾けたいと、やってきました」
    ◇ ◇
 昼食時、町中華へ足を向けた。上石田にある湯麺がうまいと評判の店で、別に湯麺が食べたかったわけではなく、すでに家で焼酎を飲み、孤独にいたたまれず、外に出たのだった。混乱する店内を尻目にウーロンハイと餃子で、さてどうするか考えて居たとき、はじめて奥の小座敷で、H市長が家族と食べているのが見えた。すでに酔っていた勢いもあって、気がついたら口を開いていた。
「市長、百年後、開府六百年を記念して、甲府万博を開くってほんとうですか?」
 H市長は怪訝な顔をした。別の客たちは笑った。
「六百年じゃなくて、来年が開府五百年だろうが」
 客のオヤジが言ったが無視した。H市長は黙っていたが、徐(おもむろ)にうつむく。
「昼間から飲み過ぎだよ。それを空けたら帰ってくれ」
 カウンターの中から出てきた店主が私に言い、H市長に苦笑した。H市長も苦笑して、家族が食べ終えるのを待って、出て行った。あっと声をかけようとしたが、止めた。店の隅からじっと私を見ている男がいた。見知らぬ男、否、K・Jだった。あそこに居るはずもなく結びつかなかったが、今ならわかる。
    ◇ ◇
 まだ彼が首相になるよりずっと前、平議員だった頃、私は彼と新宿のおでん屋のカウンターで隣り合わせた。ホラー映画や小説の話でなぜか意気投合し、なんと彼はタクシーで当時私が住んでいた阿佐ヶ谷のアパートまで来た。コンビニで割り勘で買った酒やつまみ(タクシー代も割り勘だった)を飲みながら私のふるさとを訊き、甲府だというと彼は言ったのだ。次は甲府で会いましょう、と。
    ◇ ◇
 K・Jを招き入れた。六畳の和室であぐらをかいて向かい合った。いったん立ち上がり、隣の三畳ほどの台所から、湯飲み茶碗を二つ持ってきた。あぐらをかいて坐り直すとK・J元というよりも旧首相は、待ってましたとばかりの笑顔で、一升瓶を持ち、二つの湯飲み茶碗に注いだ。しばらくは無言で飲んだ。何杯か開けたとき、K・Jが言った。
「この町で今、盛大なるイベントが行われているのはご存じですよね?」
「甲府万博ですね」
 そう、甲府開府六百年のお祝いの年である。イベントとして甲府の南口の一帯をぐるり木製のフェンスで囲んで、甲府万博を開催している。口うるさい連中からは、百年前の大阪万博の真似を今になってやってどうする。と言われている。時代が違いますよ、しかし温故知新って精神も大事だなどと訳がわからないが、押し切られたらしい。
「その中心がココだってことを、あなたは知ってるんですか?」
「はあ」
 曖昧に誤魔化し、湯飲み茶碗に注いだ銘酒を口に運ぶ。一方、K・Jはくいと酒を飲むと茶碗を畳に置き、大げさなゼスチャーで両手を広げながら熱弁を振るう。
「昭和レトロなんて言われるこの一角、否、ここは弁当で言うなら梅干し。つまり中心、へそなんですよ、へそ。それだけじゃない。七〇年の大阪万博で言うなら「太陽の塔」がここなんですよ」
「私は梅干しでへそで太陽の塔ですか?」
「その通り。リニアでどこからもあっという間に来られる甲府はまさに今、ピークなんですよ」
「金丸信のおかげですか」
「え、ああ、あの昭和の古狸……いえ失礼。今でも郷土の誇りですか」
「信ちゃん飴ってありましてね。知ってます?」
「いやあ、まあ、アメって降るあれですか?」
「甘くて舐める飴です。金太郎飴みたいにどこを切っても信ちゃんの顔が出てくる」
「そんなのがあったんですか。そうですか。しんちゃんアメですか?」
「そう、シンです」
「シン?」
「時代はシンなのです」
 金丸信とシンとのシンクロニシティ。思いつきからか、否、どこからか流れてくるように、私は口走っていた。
「シン・ゴジラです、シン・ウルトラマン。シン・仮面ライダー。それにシン……」
 言葉につまるとK・Jは「ああ、たしかに。うん、シンです」と私の機嫌を取った。
「双子の孫がまだ保育園だった頃、迎えに行く途中でしたが、庵野監督を甲府の中心で見かけたんですよ。ロケハンだったのか、スタッフらしき人々といっしょでした。よっぽど声をかけようかと思いました。『オネアミスの翼』『トップをねらえ!』でノベライズをやらせてもらいました飯野文彦です。今、地元の甲府に戻っていまして。よろしかったらすぐそこにある桜座は懇意にしてますから、ご案内しましょうか?」
 しかし頭に流れただけで、車を停めて、降りて、話しかけることもできず、やり過ごしたのだった。
「それが『シン』ですか」
「そうシンです」
「うん、たしかに。あなたはあらゆる意味で『シン』だ。あなたにふさわしい」
 K・Jの言葉はあながちヨイショだけとは思えない。銘酒の酔いが回ってきたせいもあるだろう。ふと私は思った。今回の甲府万博は、私の頭の中で行われているのではないか。
    ◇ ◇
 一九七〇年の大阪万博へは母の同級生と行った。全裸で股間をさらしてトランペットを吹いていた写真は誰だったのか。母の同級生が大阪に嫁いでいて、その家に泊まった。夜、万博会場を後にして、その家へ向かうバスの中で、酔っ払いのオヤジが酒臭い息を吐きかけながら大阪弁で子どもだった私に話しかけ、眠いのに、母たちも困惑しただろう。いっしょに行った子は一つ上で、その家の風呂にはまだ家庭では珍しかったシャワーがあり、お湯でなく水にしてかけられ、私は難儀した。その子は後年トランペットを吹き、N響をめざしたが、四十代の若さで病死したと、晩年の母から聞いた記憶がある。
    ◇ ◇
 開府五百年ならぬ六百年記念の甲府万博。そうか百年経ったのか。
 私は百年前SFPWに、長生きする謎のじじいの話を書いている。古いサイトが残っているネット社会の恩恵、今でも「隣の爺」のタイトルで検索すると読めるだろう。短い話だったので、なぜじじいが生きているのかは書かなかったが、そうか、あれは私だったか。私は生きているのだ、確かに。ここで、ただここはここだが、なぜここに今も。
    ◇ ◇
 記憶と時間は縦と横が交わって、ねじれて、不自然とも思えるようにつながる。唐突に脳裏でルカとタマがつながる。双子の孫が東京の小学校に入学するのと前後して娘は犬を飼った。生まれて三ヶ月というポメラニアンだった。ルカと名付けた雄で、娘も孫たちもかわいいかわいいとかわいがる。少しも可愛くなかった。両手を持って立たせると、昔の海外の写真で見た宇宙人みたいだった。
 ある日、ルカは落ちていたティッシュペーパーを口に入れた。娘が取り出そうとしても離さず、唸りながら娘の指を噛んだ。痛いと娘が叫び、血が噴き出した。頭を叩くと(実際には叩かず、威嚇だったようだが)ルカはますます唸って身を固くした。
 近くのテーブルでハイボールを飲みながら見ていた私の頭に、一つの光景が浮かんだ。昔、甲府の実家で飼っていた雄猫のタマのことだった。私が高校生だったとき、当時東京で就職し高円寺に住んでいた姉が、子猫を拾ってきてタマと名付け、甲府で育てることになった。まだ来たばかりの頃、食事の時間となり、キッチンテーブルに向かって坐ろうとしたとき、椅子の上に何かを感じ、あわてて腰をあげると、そこにタマが居た。だいじょうぶかなと見ていると、タマは部屋の隅まで歩き、何度か咳き込んだ。心配だったが事なきを得て、タマは生きた。それから少し大きくなったと言ってもまだまだ子猫の頃、遊びのつもりだろうがジャレついてきて、私を噛んだ。かなり強く噛まれ、痛くて、タマの頭を叩いた。するとタマは身体を斜めに硬直させ、じっと私を見ていたかと思うと、勢いをつけて、私に飛びかかり、噛みつく。痛くて振り払い、叩いた。するとますます身体を斜めに硬直させ、同じことをくりかえす。
 日記にも書いている。当時は大学ノートに日記を付けていた。何冊かの日記を探り当て、タマが来た辺り、私が高校三年の夏休みだったはずだ、と見てみるとあった。姉がタマを連れてきたのは一九七九年八月十三日、お盆で帰省したときだった。以後、先に書いた台所の椅子の一件は八月二十日、しばらくはかわいいかわいいの記述がつづき、それが起ったのは九月三十日だった。
〈タマはじゃれているつもりだろうが、飛びかかり、噛みつく。まじに痛い。反射的に頭を叩くとムキになって噛みついてくる。こんなことがつづくのか。これから毎日タマといるのが憂うつになってきた。〉
 ルカが来たのは二〇二五年の三月だ。実に四十六年も昔の出来事。ずっと忘れていたのに、ルカを見て思い出した。タマとの出来事は思い出さなかったけれど消えず、四十六年の間、ずっと私の中で眠っていたというのか。
    ◇ ◇
「なぜ、あなたが」
 ここに、と訊こうとしたが止めた。代わりに訊いた。
「なぜ甲府万博の中に、私を、というか、このアパートを取り込んだんですか」
「あなたは生きている。しかし住んでいるこの建物は、すでに一九八〇年代には、廃墟となっていました」
「しかし私が知合いの不動産屋に頼んで住み始めたのは、二十一世紀になってからです」
「そこなんです。なんで、あの時代、通常の人々、社会が許したというか、認めたと言いますか。ただ結論としては、それがこの甲府という町なんですよ」
「この甲府という町って……」
 なんの結論にもなっていない。私の思いを察したのか、K・Jは首相時代を彷彿させる強弁を振るう。
「確かに百年前、二〇二五年の大阪万博と重なりまして。それならいっそ盆地全体を囲ったら、あの特大版になる。しかし、いろんなことがあった。それをまとめ、収める手段はと熟考し議論を重ね、そしてその中心にするのは、あなたしかいない」
「私が未だに、この町で生きているから」
「この百年でがらりと世界は変わりました。百年前、見えなかった、見えるはずもない。まさか未来がこうなるとは。これからも。となると甲府で万博をやるとき、見えない未来、世界を鑑みたとき、中心にするのは、あなたしかいない」
「しかし甲府の一部を囲うっていいませんでしたっけ」
    ◇ ◇
 もっとポップに。「コカコーラを飲もうよ」
「ほんとの人生、ほんとの…生きてる…」
    ◇ ◇
 百年前の詩人、作家、表現者である寺山修司は「書を捨てよ、町へ出よう」と言った。
 私は寺山と会っている。週刊読売のバイトをしていて寺山が連載していた原稿を受け取りに、寺山が出演していたテレビ朝日のある六本木まで出向いた。トレードマークのトレンチコートを肩に羽織らせ、言葉はなかったがはにかんだような笑みを浮かべ、原稿の入った茶封筒を私に渡した。その原稿「墓場まで何マイル?」を近くの喫茶店で読んだ。結果として絶筆となった。寺山の絶筆原稿の第一読者は、この私だったのだ。あれを読んだから私は。私は。だから私はーー。
    ◇ ◇
 ちょっと考えさせてください。私は腰を上げた。あぐらをかくK・Jが目も口も破裂しそうにしながら、私を見上げる。
「な、なにを」
「飲みに出て。考えてきます」
「酒なら、ほら、持ってきたのがありますから」
「いえ、外に出て」
 止めるK・Jを振り切って、おんぼろアパートの玄関戸を開けた。
 懐かしい甲府の町並みが広がっている。南には霊峰富士がそびえ、盆地には人々が車が祭りの御輿が、甲州軍団出陣式が。しかし気が弾んだのは一瞬だった。すべてが中空に浮かんで見える。巨大な木製のリングに覆われながらである。それさえも見ているうちに、ぼんやりと薄れてくる。瞬きをくりかえし、眼前に広がる地平に目を移した。ただただ荒涼とした地がどこまでもどこまでも。
「ほんとうに百年が過ぎていたのか」
    ◇ ◇
 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
    ◇ ◇
A hundred miles,a hundred miles
A hundred miles,a hundred miles
You can hear the whistle blow a hundred miles
    ◇ ◇
 相生町のアパートの室内に戻った。すでにK・Jの姿はない。いっしょに飲んだはずの銘酒の瓶もなくなっていた。
「いや、ある。それにまた、誰かが来る。誰かが使者に選ばれ、そして」
 押し入れから焼酎のペットボトルを取り出して、六畳間に一人あぐらをかき、畳に置かれた湯飲み茶碗に、と、僅かだったが底に液体が残っている。口に運んでくいっと傾ける。とたんに涙がこぼれた。K・Jが持ってきた銘酒の味に他ならない。
「ここはシン・中継ステーション」
 ぽつりつぶやいた。私はここで甲府の町と人々と、過去と未来、あの世とこの世をつないできた。ずっと。そして今でも。
 焼酎を注いだ茶碗を手に、壁際の机に向かった。ノートパソコンを開く。だが稼働せず、暗いままのノートパソコンを閉じた。
    ◇ ◇
 人間になるとは死を受け入れることだ。我々に比べて人間の命は非常に短い。「シン・ウルトラマン」より
    ◇ ◇
「もう二度と元には戻れない。いろいろな事柄に、愛する者たちに、無数の夢に、別れを告げたのだ」
 引き出しから取り出した大学ノートを開き、鉛筆で書き出した。甲府万博の巨大なリングは私の頭の中にある。それらに走馬燈のように浮かぶ出来事で、空白のページを埋めていくのが、ここの管理人を任された私の仕事だと今さらながら気づいた。すべてにさようならを言うのは、それが終わってからだ。(了)