「鳳仙花こわれた」海野久美

 私はごく幼い頃から、この世には触れてはいけない物があるのを理解していた。
 
 大人になってから記憶をたどっても、その多くが頼りなく、曖昧なものでしかない年齢があるだろう。しかし、中にはなぜか鮮明に覚えている出来事の記憶が誰にでもいくつかはあると思うのだ。私にもそんな出来事があった。
 あの、父が大事にしていた切子ガラスのワイングラスだ。それは、居間に置かれたコレクションケースの中に入っていて、一度も「食器」として食卓の上に並んだことはなかった。
 私はその朝、差し込む陽の光に照らされたワイングラスの輝きを見て、そのあまりの美しさに魅入られてしまったのだと思う。居間から窓越しに見える庭や、ドアの向こうの廊下に誰もいないのを確かめ、四方がガラス張りの背の高いコレクションケースのそばに椅子を運び、赤色のワイングラスを選んで取り出した。それは三色あり、緑と青と赤のどれもが本当に美しく輝いていた。
 落したわけではない。手に持って、椅子から降りた途端にポロリとそれは二つに分かれて、絨毯に上の部分が転がったのだ。あまりにもたやすく壊れたワイングラスの持ち手の部分を手にしたまま私は混乱してそこに立ち尽くしていた。
 その時、居間に母親が入って来るのを見て、私は大声を上げて泣き出してしまった。母親は意外にも私を叱る事もなく、やさしい言葉をかけてくれた。
「大丈夫よ、加奈子。たぶんこれ、ヒビが入っていたんだわね」
 それからしばらく私は父親を避けていた。
 なるべく父の部屋の前は通らなかったし、家族そろっての食事の時も父とは顔を合わさないように、ずっと俯(うつむ)いていたと思う。自分が父の大事なものを壊してしまったという負い目だったのだが、その事で父親から叱られたりしたことは一切なかった。それがかえって不安で、後ろめたかったのだ。
 大人になってから思い返すと、多分それは母親が言ったのが本当で、ワイングラスにはすでにヒビが入っていたのかもしれない。または父が自分で壊してしまい、接着剤で不完全に修理していただけなのかも知れない。父母は私がまだごく幼かったので、良心の呵責に苛まれていることに思い至らず、そこまで私に説明する必要を感じなかったと、そういうことだったのだろう。しかし、幼い私にはそれは重大な出来事だった。
 大げさに言ってしまえば、そのことが幼い心の負担になり、傷つき易く引っ込み思案な性格の子供時代を過ごすことになった一つの原因だったのかも知れなかった。

 私はおばあちゃん子だった。
 商売をしていた私の家は朝から夜遅くまで忙しく、母親も一緒に働いていた。祖母は母方の祖母で、家の台所周りを手伝うために同居していたのだが、私の面倒もよく見てくれていた。家には大きな裏庭があり、その庭の手入れも祖母の仕事だった。庭といってもただの空き地だったのだけれど、祖母の手によって、そこに様々な季節の花が植えられていて、また野菜を作ったりもしていた。草花の中には鳳仙花もあった。そう。その鳳仙花のことも、特に記憶に鮮明に刻まれている出来事の一つだった。
 ある夏の事。
 記憶の中ではとても日差しが強く、周りの植物が生き生きとして、何もかも輝いていた。祖母が畑の手入れをしている傍らで私は種を付けた鳳仙花を見つけた。その果実の形が珍しく、私はそれを指できゅっとつまんだ。「パン!」という、かなりの大きな音を立ててそれは壊れてはじけた。大人になってから何度か鳳仙花の果実を触り、はじけるのを見たが、殆んど音はしなかった。それは私の頭の中で聞こえた音だったのだ。
 私はその場で声を上げずに泣いていた。おそらく私はあのワイングラスの事を思い浮かべていたんだと思う。決して乱暴に扱ったわけでもないのに壊れてしまったワイングラスと鳳仙花の種子とを重ねていたのだと。
 祖母がわたしの様子に気がついて、やさしい言葉をかけてくれた。
「何を泣いてるんだい?」
「こわれたの」
 私は泣きじゃくりながら答える。
「鳳仙花かい? ああ、もう実も熟してるから、そりゃ触ったらはじけるよね。壊れたんじゃないよ」と、祖母は鳳仙花の果実を指差しながら続けた。
「ほら、この中に種があるんだよ。誰かが触ってくれたらはじけてさ、その勢いで種を遠くに飛ばすんだよ。加奈子が触ってくれてありがとうと言ってるよ」
 そう言われ、ひどく安心したのをはっきりと覚えている。
 その二つの出来事は正確には何歳だった頃の出来事かはわからない。でも、居間での出来事は春。鳳仙花のそれは夏の終わりごろだと思う。
 そして、もう少し大きくなった頃の、ある冬の日の出来事は、無理なく記憶に残っていた。そう。それは茶柱の思い出だった。
 
 幼稚園を出て、小学校の低学年ぐらいまでは、私は祖母の寝起きする部屋に、日中(ひなか)はずっといたような気がする。
 祖母は火鉢型の石油ストーブに冬の間、ずっとやかんをかけていた。そのお湯を急須にそそぎ、よく緑茶を淹れては一人で飲んでいた。
「茶柱だ……」
 ある日、湯呑をのぞきこみながら祖母が独り言のように言った。
「なに?」
 私は畳の上に寝そべって絵を描いていたクレヨンの手を止めて立ち上がり、祖母の後ろに回った。
「ほら茶柱が立ってるだろ?」
 見ると、薄い緑色のお茶の中に一本だけお茶の茎がまっすぐに立って浮いていた。
「茶柱が立つといい事があるんだよ」と祖母は言った。
「どんないい事?」
「そうだねー。良く知らないけれど、お金でも拾うかもしれないね」と祖母は一人楽しそうに笑った。
「そういえば、新しい着物が手に入るとか言うね」
 それからの一時期、私は茶柱に興味を持っていた。
 
 郵便屋さんが一休みさせてくれと縁側に座ると、祖母が必ずお茶を淹れる。私は茶柱が立っていないかとその湯呑を覗き込む。茶柱は立っていなくても、もし立ったとしたらどんないい事があるのかと、私は郵便屋さんに聞いた。
「そうだなー、わしの田舎では、誰かうれしい来客があると言っていたような気がするな」

 近所のお寺の住職にも聞いた事がある。
「その時にならんと判らんが、何かいい事があるんだよ。ただ、茶柱が立っても誰にも言ってはいかんぞ。言うと効力がなくなるんだ」
 そう言いながら私の頭をくしゃくしゃっとなでた。
 
 近所に住む建具屋のおじさんが休憩中にお茶を飲んでいる仕事場に入って行き、これまた湯呑を覗き込む。
「茶柱か? どんないいこと? 無くしたものが見つかるとか聞いたことがあるな」
 そうやってしばらくの間はいろんな人に機会があるごとに茶柱の迷信について聞きまわっていたが、その後、実際に茶柱が立ったのを見た事は一度もなかったように思う。

 私が小学校六年生になった頃、急に祖母は体調を崩した。入退院を繰り返していたけれど、何度目かの入院が長引くことになってしまった。
 私はその齢になっても祖母にべったりだったので、毎日のように学校から帰ると病院に顔をのぞかせた。日に日に衰える祖母を見て悲しく思い、子供ながらに病気を良くする方法を考えていた。
 『お医者さんになっておばあちゃんを助ける? でも、今からじゃ間に合わないかもしれないし……』

 そんなある日の事、叔父夫婦が家に訪ねて来た。祖母の病室を見舞っての帰りだったようで、しばらくは、悪化するばかりの祖母の病状について両親と話をしていた。
 その時に、母親が叔母に淹れたお茶に茶柱が立ったのだ。
 久しく私は茶柱の事を忘れるともなく忘れていたのだが、その時の叔母の行動に興味をひかれた。
「あ、茶柱だ」と、小さくつぶやくと、叔母はそれを自分のふところにしまい込んだのだ。
「叔母さん。どうしてそんな事するの?」
 私は聞いた。
「あ、これ? 茶柱が立ったらそれをふところに入れておくと、いい事があると言うからね」
「どんないい事があるの?」
 私は何年ぶりかでその質問をしていた。
「え?」と、一瞬叔母は返答に困ったようだ。
「どんなって、何かいい事よ。あなた知ってる?」
 叔父の方に私の質問を振った。
「ああ? 俺のふるさとじゃ、欲しかったものが手に入ると言ってたかなあ。まあ、人によって、その土地によって色々さ」
 茶柱に興味を持って人に聞きまわっていた頃も、みんなが言う事はバラバラで、ほんとにそうだと思った。

 そしてとうとうその日が来てしまったのは初冬の頃だった。病院の祖母が危篤に陥ったのだ。親戚の人たちがかわるがわる病室に顔を出し、そのまま病室に残る人や、用事があるので、また出直すと言う人などあわただしく出入りする中、私はずっと祖母のベッドのそばにいた。
 意識がなくなり、それでもしっかりとした息をしている祖母がもうすぐ死ぬと言うのはとても信じられなかった。ただ普通に眠っているようにしか見えなかった。
 そんな病室で、母がみんなにお茶を淹れた。
「加奈子も飲む?」と、言って湯呑を渡された。
 これまであまり緑茶は淹れてもらった事がなかった。子供が飲んだら眠れなくなるという理由からだったが、そしたら私はそろそろ大人と認めてもらえたのかと、ちょっと嬉しくもあった。
 暖房の効きが悪い寒々とした病室の中で、私の手の中の湯呑はとても温かかった。しばらくその温かさを感じた後、飲もうと思って口元に近づけ、目をやると、そこには茶柱が立っていた。透明なやさしい緑色のお茶の中に一本だけ茶柱があり、それは奇跡のように立っていて、お茶の表面近くに浮いていた。
 それを私はお茶と共に口に含み、お茶を飲み込んで、口の中に残った茶柱を指でつまんでそっと見た。
 祖母がこんな状態の今、どんないい事があるんだろうかと思った。そして、ふところに茶柱を入れておくと話した叔母の事を思い出したのだ。
 人々が出入りをするうちに、偶然病室に私以外に誰もいなくなった。祖母と二人っきりだった。その時、私は迷う事なく茶柱を祖母のふところに忍ばせた。祖母に何かいい事が起きる。それを願って。何でも良かった。何かいい事が起きるとすれば、そのいい事に遭遇するためには、祖母は生きている必要がある。いい事が祖母のために起きるなら死んでしまう事は出来ない。病気が治る、その事がいい事そのものなのかも知れない。そういう理屈で、私は茶柱を祖母の懐へ入れたのだと思う。
 私は、祖母がこん睡状態から目を覚まし、みんなを驚かせている場面を想像して待ち続けた。

 祖母は亡くなった。
 それから、事はあわただしく目まぐるしく、私を置いてどんどん進んで行った。
 病院から家に運ばれた祖母。座敷の布団に寝かされた祖母の遺体。たくさんの近所の人々が出入りして、お葬式の準備が進んで行った。
 私は祖母の部屋にいたり、仏間の祖母の枕元にいたりして、大人たちのする事をずっと見ていた。効き目のなかった茶柱の事などはすでに忘れてしまっていた。

「はい、白布買ってきたよ」と、近所の女の人が入って来た。
 その大きく真白な布を広げると、二人で、はさみを使わずに手で引き裂き始めた。
「何をしてるの?」と私は聞いた。ひどく胸騒ぎがしていた。
「こうやってね、死に装束を作る時はね、はさみで切らずに手で裂いて作るんだよ。ここら辺の風習だね」
「死に装束って?」
「加奈子ちゃんのおばあちゃんがこれから天国に行くので、その旅のための着物だよ」
 私の見ている前で、どんどんそれは形になって行った。真っ白な新しい着物。頭陀袋や三角布。
 『やめて!それを作っちゃ駄目だよ!』そう叫び出しそうな自分がいた。おばあちゃんの言葉が何度も、頭の中で聞こえた。
「新しい着物が手に入るとか言うね」
「新しい着物が手に入るとか言うね」
「欲しかったものが手に入ると言ってたかなあ」と、頭の中で叔父の声が重なって聞こえた。
 『そうじゃない。おばあちゃんはそんな新しい着物なんか、欲しかったんじゃない』そう私は思いながら、心の中で叫びながら、一言も声には出せなかった。
 
 この世には触れてはいけない物がある。
 幼いころからずっと思い続けていた事だった。それがなんとなくでも解っていた私は子供ながらに注意深く慎重に生きて来た。その事が引っ込み思案な性格と取られる原因になってもいたと思う。
 なのに、また触れてはいけない物に触れてしまったのだ。
 そんな私の心の中を誰も知る事もなくお葬式は終わり、何日かが過ぎた。嵐のように乱れていた私の気持ちは、その頃にはすっかり落ち着いていた。それは祖母の言葉を思い出したからだった。

  鳳仙花かい?
  ああ、もう実も熟してるから、そりゃ触ったらはじけるよね
  壊れたんじゃないよ
  ほら、この中に種があるんだよ
  誰かが触ってくれたらはじけてさ、その勢いで種を遠くに飛ばすんだよ
  加奈子が触ってくれてありがとうと言ってるよ
  
 あの時の夏の日差しの中で、庭の手入れをしていた祖母の笑顔を思い出していた。