「よし、A-11023番。検査は終了だ」
反体制活動で捕まった俺は、政府の矯正施設へ送られた。しかし今まで過酷な生活にも耐えてきた俺だ。矯正施設でどんな拷問を受けようが、簡単には転向するものか。すでに覚悟は出来ている。
「ふん、いい面構えだな。A-11023番。屈してなるものかというものかという決意が感じられて、矯正しがいがあるというものだ」
身体検査を終えた俺に看守長はそう言った。
「当然だ。そもそも普段の生活からして監視と強制労働のディストピアだ。今更なにがあっても屈する事は無い。俺を生きて従わせる方法はない。気に入らなければ殺せ!」
猿ぐつわなどはされていない。拘束されているが自由に話せるので、俺は思わずそう反抗した。
「ははは! 威勢の良い奴だ!」
俺の答えに看守長は大笑(たいしょう)して続けた。
「だがな、A-11023番。お前も知っているとおり、この矯正施設では誰も死者は出ていないんだ。それでいて収容者のほとんどは、反体制思想を放棄して出所している。これがどういう事か分かるか?」
「洗脳か?」
「そんな面倒な事はしない。しかし思いっきり効果的な方法だ。なぁに、すぐに分かる。お前も一週間としないうちに、泣いてここから出してくれと懇願するようになるさ」
俺は答えの代わりに看守長に唾を吐きかけたが、それは間にある透明なプレートに阻まれた。
「連れて行け」
看守長の命令に、後ろに控えていた看守二人が縛られた俺を引き立てた。
これから本格的に矯正施設へ放り込まれる。覚悟は出来ているものの、看守長の言う通り、反体制組織側ではこの矯正施設で収容者が死んだという情報は掴んでいない。そればかりかこの矯正施設に入れられた人間は出所後、ほぼ全員が反体制運動から抜けている。
矯正施設から出所後、反体制運動への関わり合い方は人それぞれだが、多かれ少なかれ体制のやり方に従順になっているのは確かなのだ。積極的に体制を支持するようになった者もいれば、体制側に組みしないが反体制運動からも距離を置くようになった者もいる。いずれにせよすでに我々の同志たり得なくなっているのは事実だ。
そして矯正施設の中で何があったのか、今ひとつ詳(つまび)らかではないのだ。
洗脳、拷問、買収……。色々な噂があるがどれもこれも憶測の域を出るものではない。
まぁいいさ。俺がこの目で何が起きているのか確かめてやる。
俺は看守に連行されながらそう考えていた。
俺はまず独房に監禁された。独房はベッドとは名ばかりの薄汚れた台と便所があるだけだ。椅子すらない。特に何かやれと命じられていない。ただ無為に時間を過ごすだけで、これもある種の拷問だろう。
部屋の中に便所があるにも拘わらず、用を足す時には看守を呼んで許可を得なければならない。
水は定期的に小さなボトルが提供される。この水が無味無臭。要するに純水だ。再生水をそのまま使っているのだろう。都市では無味無臭の再生水そのままでは飲みにくいというので、ミネラルやガスが添加されているのだが、それすらもないという事か。
俺は常温で無味無臭の水を無理矢理飲み干した。まだそれほど喉は渇いていなかったが、いつまた飲めるのか分からない。飲める時に飲んでおいた方が良いのは当然だ。
窓から差し込む日の光がなくなり、天井に付いている弱いLEDライトの灯りだけになった頃だから、もう夜なのだろう。
看守がやってきた。
「A-11023番。出ろ。食事の時間だ」
やれやれ、ようやく飯の時間だ。ここへ入れられてほぼ一日。捕まる直前から考えると二日近く水しか飲んでいない。
どうせ、ろくな食事ではないだろうが、今なら何でも食えそうな気がする。
食事は食堂で摂る。俺は看守に連れられて食堂へ向かった。食堂にいた囚人は十人程度だ。席は当然、決められている。俺は無言で席に着いた。
当然、私語は禁止だ。対面にはしなびた感じの高齢の囚人が無表情で座っていた。
こんなジジイでも、ここの環境に耐えられるのか。案外、大した事は無いな。ちょっと気が緩んだのは確かだ。
配膳ロボットが囚人の間を回ってくる。ここに来てから初めての食事だ。都市の食事とはちょっと違うが、いい匂いもしてきた。
そして俺の番が来た。俺は配膳ロボットから食事が入ったトレーを受け取った。次の瞬間、俺は我が目を疑った。
「なんだ、これは!?」
私語は禁止されているにも拘わらず、思わずそう声に出してしまった。
そこには異様なものが乗っていたのだ。
辛うじて見慣れているのは、緑色をした何かの植物の葉だけ。
まず黄土色をしたごつごつした塊。油に塗れててらてらしている。見た目はどこかの工場から出て来たばかりのスラグにも思える。湯気が立っている事もその印象を増す。
そして緑色をしたまるでカビの塊のような物体。表面は何か小さな構造が集まったようで、集合物恐怖症の人間が見たら卒倒しそうだ。
さらに何か淡黄色をした粉っぽいものを固めた代物。この上にも緑色をしたカビのようなものが見える。所々に生々しいピンク色をした砕片も混じっている。
とどめが昆虫の卵のような生白い粒々の塊だ。それが手のひら一杯程度に盛られている。都市のスラム街で何度も見た。一見すると綺麗な白い粒から、グロテスクな虫が這い出てくるのだ。それが人間や動物の死体を這い回る光景を俺は何度も見てきた。
吐き気を催す光景だ。
「なんだ、これは。なんだ、これ!!」
俺は無意識のうちにそう繰り返していた。
「A-11023番、私語は厳禁だ!!」
看守からそう注意される。しかし気が動転している俺は思わず反論した。
「なんだよ、これは!? 食い物なのか! こんな物を食えっていうのかよ!!」
周囲の囚人たちは大半が無表情に俺の反論を聞き流していたが、何人かは笑いを堪(こら)えているようだ。どうやら俺の反論がおかしくて堪(たま)らないらしい。しかし俺は必死だ。
「この黄土色の堅そうな物は一体なんだよ!! こんなスラグの塊みたいな物が食べものなのかよ!」
「食べ物だ」
看守もまた無表情だ。
「チキンを揚げたものだ。ようするにフライドチキンだ」
「フライドチキン!? これが?」
トレーに顔を近づけて匂いを嗅いでみる。確かに匂いはフライドチキンだ。しかしこれはフライドチキンでは無い。俺の知っているフライドチキンは、いや食べ物は大抵……。
「食べ物なんて普通はみんなペーストだろう」
俺は思わずそうつぶやいた。そうだ。俺が都市内で食べていたものは、すべてペースト状もしくはジェル状だった。固形物なんて見た覚えが無い。
「なんだこの葉っぱは! これも食い物なのか!? いくら反体制派の囚人とはいえ、こんな代物を食事に出すなんて、完全に虐待だ!!」
そうだ。黄土色の物体の横には、植物の葉が何枚も重ねられていた。単に彩りの為で無い事は量からも明らかだ。それに矯正施設の食事に彩りなど無縁なくらい俺にも分かる。
ただの葉っぱを食えと言っているとしか思えない。
「それはキャベツだ。いや、レタスだったかな。どちらにせよ野菜だ。食える植物には違いない。お前も食った事はあるだろう?」
「これが? キャベツ? レタスだって!? ただの葉っぱじゃないか! レタスは緑色のペーストだ! キャベツも! ブロッコリーも!」
「隣にあるのがブロッコリーだ」
看守が指さして言うのは、あの緑色をしたカビの塊のような物体だ。
「塩ゆでしてある。そのまま食えるはずだ」
「食えるか! こんな気味の悪い代物!」
そうだ。俺が都市内で食べていた野菜はみな緑色のペーストだった。こんな不気味な物体じゃ無い!
俺はトレーを押しのけた。
「ほお、マッシュポテトとライスも食えないというのか」
マッシュポテト? ライス? 形状からはさっぱり分からないが、匂いで判断するしかない。淡黄色の粉っぽいものがマッシュポテトで、昆虫の卵を盛ったものがライスなのか?
いや、こんな不気味な代物が、マッシュポテトやライスであるはずがない! マッシュポテトやライスに限らず、食品は清潔そうな容器に入ったペーストかジェルであるべきなんだ!
「食い物じゃねえだろう! こんな気味の悪い物!!」
俺はトレーを手荒に配膳ロボットへ戻した。
「なぁ、新入り……」
突然、俺の対面に座っていた高齢の囚人が声を掛けてきた。
「我慢して食ってみろ。なかなかうまいぞ。それに昔は自然にあるものばかり食っていたというのは、お前も知らないわけじゃないだろう」
「それはそうだが……。俺は野蛮人じゃねえ!」
俺の答えに高齢の囚人だけではなく、多くの囚人が侮蔑の笑みを浮かべ、中には俺に向かってかなり威圧的な視線を送る者も居た。どうやら俺が食事をぞんざいに扱ったのが気に入らないようだ。
「生憎と採れたままの方が手間は掛からないものでな。お前らにはそれで充分だ」
看守はそう前置きしてから説明した。
「お前たち囚人向けに安く仕上げようとすれば当然こうなる。都市居住者が食べていたペーストは、天然材料から加工してアレルゲンや有害な物質を抜いてある。さらに様々な安全基準に合致するよう、堅い部位、尖った部位を除いた結果ペースト状になったんだ」
「じゃあ安全性は保証しないと言う訳か」
「そうなるな。しかし即座に危険のある成分は含まれてはいない。それは保証する。俺たちも同じものを食うからな」
そう教育されているのか。看守は相変わらず無表情だ。
囚人たちは相変わらず俺を蔑(さげす)むような目で見ており、到底、同調者が出てくるような雰囲気では無い。孤立無援だ。
「くそ!」
俺は口汚く罵るとトレーを再度、配膳ロボットから受け取った。それを見て看守は命じた。
「よし。全員、食って良いぞ」
その一言で囚人たちは俺を除いて食事を始めた。俺もおそるおそる食事を始めた。まずスプーンでライスと称するものを掬い口に入れる。
なんだ、これ!? 口の中で粒がばらけて咀嚼できない。ペーストやジェルなら口に入れると唾液と混じり、後は飲み込むだけだが、この粒はどうしたらいいんだ? そのまま飲み込むとむせてしまいそうだ。
俺は慌てて水の入ったコップを取り、無理矢理ライスを流し込んだ。とても味など確かめてる余裕は無かった。
これは駄目だ。他に何か食えそうなものはないかと考えてフライドチキンをスプーンで掬おうとしたが、うまくいかない。フォークで試してみたが固くてフォークも完全に突き刺さらない。こんな固い物を食えというのか!
周囲を見ると皆、驚くべき方法でフライドチキンを食べていた。手づかみだ! 手でフライドチキンを直接掴んで口へ運んで、噛み千切っているのだ。
およそ文明人とは思えぬ食事方法だ。呆気にとられている俺に、先ほど声を掛けてくれた高齢の囚人が目配せをしてきた。食ってみろという意味だろう。
その囚人は口の周りを脂でべとべとにしている。これも正直、俺には怖気を催す光景だ。俺の顔もそうなるかと思うと、到底、そんな代物は食えない。しかし腹が減っているのも事実だ。俺はおそるおそるフライドチキンへ手を伸ばした。
案の定、固い! ごつごつしている! 到底、食い物とは思えない感触だ。このまま口に入れると口腔内を怪我しそうだ。
なんでみんな、こんな物を食べられるのだ? 俺は不可解に思いながらも、フライドチキンと称する物を噛み切れぬままでいた。
その時だ。思わぬ光景を目にした。対面に座るあの高齢の囚人はフライドチキンをかみ砕き飲み込んでいたが、口から何かを吐き出したのだ。
なんだあれは。フライドチキンの欠片がまとわりついた、人の指ほどの白く細長いもの。間違い無い。鶏のものは見た事がないが、犬や猫といったペット、そして人間のものは見た事がある。
「骨!?」
俺の言葉に高齢の囚人は驚いたようにこちらを見た。
「そりゃ骨だ。チキンだからな。骨付きチキンだ。高級品だよ」
「A-45012番、発言は許可していないぞ」
看守は対面の囚人に注意してから、俺の方へ向き直った。
「さっきも言った通り、高級品というよりは安上がりに仕上げる為だ。骨を取り除くのには手間が掛かるからな」
「いや、そういう話じゃ無い!!」
俺はパニックに陥りかけていた。
「鳥の死体だぞ! 死んだ鳥だぞ!! 分かっているのか!? 鶏の死体を食わせようとしていたんだ!!」
今まで様子を見ていた他の囚人たちは、俺のこの発言に堪えきれなくなったようだ。やにわにげらげらと笑い始めた。
「なにがおかしい! 鶏の死体なんて食えるか!!」
そんな俺に看守は一時、呆れたような嘆息を漏らした。
「A-11023番、お前が都市で食べていたペースト食品も原料は鶏肉だぞ」
「原料だろ? 加工されているじゃないか! それが、このフライドチキンは鶏の死体を油で揚げたものだ。骨だって入ってる!!」
「そりゃそうだ。鶏だからな。鶏には骨がある。動物だからな。人間だって同じだ」
「人間だって同じって……」
看守の言葉に俺の意思より先に内臓が反逆した。突然の吐き気に襲われ、俺はその場にうずくまってしまった。
俺は死体を食おうとしていた。鶏の死体を口に入れたんだ。死体を……!
「おいおい、新入り。吐くなら外でやれよ。俺たちは飯を食っているんだ!」
食事を邪魔された周囲の囚人たちは俺を罵倒した。俺は何とか立ち上がり反論しようとしたが、身体が言うことを効かなかった。
次の瞬間、俺は嘔吐した。そうは言っても腹にはほとんど何も入っていない。吐き戻せるのは胃液だけだ。
「けっ、やっちまったぜ」
「これだから新入りは……!」
「それにしても今日のやつ、ヤワだぜ。一日持たずギブアップとはな!」
囚人たちの嘲りに、俺はこの矯正施設のシステムを悟った。
食べ物だ。ここの矯正手段は拷問でも洗脳でもない。食べ物なのだ。人間は食べなければ生きていけない。そこで、食べられるが、日頃、食べ慣れていない物を出して、精神的に追いこむのだ。
中には順応する囚人もいるだろう。そんな囚人たちも結果的にシステムに組み込まれ、今起きているように俺のような新入りを追いこむ立場に回るのだろう。意識しての行動か、無意識なのかはどうでも良い。いずれにせよ人間は食事を邪魔されれば怒る。そこまでシステムに組み込んだのだ。
「まったく初日から床を汚すとは先が思いやられる。A-11023番は奧で休ませる。今日の当番、床を掃除しておけ!」
看守は他の囚人にそう命じると、仲間と協力して俺を食堂から運び出した。
結局、俺はものの数日で根を上げた。初日以降も食事に出てくるものは、同じような食べ物だった。白身魚のフライ、ポークチョップ、海老のフリッター。いずれも動物の死体をそのまま焼くか揚げるかしたもの。加工されたペースト状の食品しか口にした事の無い俺には受け入れられるものではなかった。
しかし他に食べ物は無い。水だけでは命をつなぐのが精一杯だ。
俺が心身共に参ってきた頃合いを見計らい、矯正官が面談を要求した。俺はそこで呆気なく折れてしまった。俺は釈放の見返りに、反体制組織の構成やアジト、メンバーなどの情報を白状してしまったのだ。
「恥じ入る事は無いぞ。A-11023番。人間として当然のことだ。食わなければ生きていけない。食えるのに、食えるものがないというのは、食うものがまったくない時よりもつらいからな」
矯正官は表向き俺に同情的な、しかしその下には明らかな嘲りが感じられる笑みで、最後にそう言った。
釈放後、俺は軟禁状態に置かれた。体制側にしてみれば、まだ利用価値があると踏んでの事だろう。
監視はごく緩く、逃げだそうと思えば逃げられたが、同志を裏切った俺には、そうする気力も無かった。
時折、昔の同志から接触があり、矯正施設の情報を流すように請われたが、俺の話はまったく信用して貰えなかった。食事の為に同志を裏切った、裏切らざる得なかったと言っても、信じて貰えなかったのだ。
それはそうだろう。たかだか食べ物で同志を売る。しかも食べるものがなかった訳では無いのだ。食べられなかっただけなのだ。その苦しみを理解して貰えないのは分かる。
しかしかつての同志から理解されないのはつらい。そんな中で食べ慣れた食事だけが唯一の楽しみになっていた。
俺は今日も軟禁されているアパートで食事をする。食べるのは言うまでも無く、体制側から配給されたペースト状の食品だ。
骨はもちろん、衣の感触も無い、しかし噛まずとも咀嚼できるフライドチキン。ぼさぼさした食感も青臭さも感じないブロッコリー。殻や尻尾、頭も着いていない海老のフリッター。
いずれもスプーンですくえるペーストだ。俺は何の歯ごたえも無い食事を楽しみながら、何の不安もなく食事が出来る幸福を味わっていた。