「藍を捌(さば)く」吉澤亮馬

「藍を捌(さば)く」

 ふと私の口からこぼれた言葉は、ある種告白に近かったのかもしれない。
「どうすれば、あなたのようなアーティストになれますか?」
 現代アーティストのユウさんはサインする手をぴたりと止めた。恥ずかしさで顔が真っ赤になる。イスに座っているユウさんはこちらを見上げた。
「す、すみません! いきなり変なことを」
「あなたは学生さん?」
「京理美大に通っている、鈴木かやのと申します」
「そうですか。将来的に人のいない個展を開くアーティストになりたい、と」
 しまった、と思った。別に皮肉を言いたかったわけではない。憧れの人を目の前にして、秘めておきたかった本心が勢いで口から出ただけなのだ。
「違うんです。そういうわけではなくて……」
「まあ、答えましょう。あなたの願いは叶いません。僕だけが僕になれるからです」
 ユウさんは再び手を動かし始め、サインの入った画集を私に向けて差しだした。
「今日の展示で気に入ったものはありましたか?」
「ずば抜けて『カラー・オブ・パルス』シリーズの新作が素敵でした!」
「それはどうも」
「私、あのシリーズが大好きで。たった一色の絵の具で、あんなにシンプルで奥行きのあるアートが描けるなんて。本当に、色が生きているみたい」
「……あなたにはそう見えますか」
「もちろんです」
「君、来週末は暇ですか?」
「え? 暇とは?」
「そろそろ画材の調達をしたかったのですが、一人ではどうにも手が重くて。アシスタントを探していたところです」
「わ、私なんかでよければ! 買い出しってことですね」
「いえ。藍を捌くのです」

     〇

 山を登り始めたばかりのユウさんは、後ろを歩く私が心配になるほど疲れていた。まだ十分も経っていない。私だって体力に自信がある方ではないけれど、それ以下だった。
「ユウさん、大丈夫ですか?」
「し、心配は不要です。時々はこうして、登っています、ので」
 息も絶え絶えだった。やはり創作ばかりで運動に時間を充てられないのだろう。
 こうして一緒に山を登っているが、ユウさんは謎多きアーティストである。SNSの使用は最低限で、いつもサングラスとマスクを着用しており素顔も不明だ。分かることと言えば、私より背が高いのに体の線が細いことと、素晴らしい作品を生み出すアーティストであることだけ。
 二時間も経たないうちに山頂までやってきた。今日はよく晴れており、はるか遠くまで見渡せた。眼下にある山々は赤や黄とまだらに色づき、秋の訪れを感じさせた。
「うわあ、素敵ですね」
 思わず呟いたものの、ユウさんからの返事がない。ユウさんは山頂からの景色などそっちのけで、その場に座りこみ息を整えていた。
「……では、始めましょうか」
 ユウさんは大きなリュックサックの中から双眼鏡を二つ取り出した。一つを私へ手渡し、もう一つは自分の手に持った。
「この辺りはよく藍が出てくるので」
「それってどういう形をしているんですか?」
「強いて言えば鳥に近いですかね」
 私は双眼鏡を使って辺りを見渡した。登山客の姿がちらほら見えるものの、鳥っぽいものはない。
 しばらく探し続けたが見当たらず、私は双眼鏡を置いた。この山頂からの景色は肉眼で見るのが一番気持ち良かった。
 そうやってぼんやりしているうちに、見つけた。藍色が視界にすっと入ってきた。
「ユウさん、あれが藍ですか?」
 私の指差した先は山の中腹だった。紅葉で染まった木々の隙間に、おかしな藍色がある。青空が森を侵食しているかのようだった。
「それです。お見事です」
 ユウさんは素早く支度を整えて山を下り始めた。その先は登山ルートではなく、道のない山の中だ。
「あれはなんなんですか?」
「僕にもよくわかりません。ただ、あれは空の色素らしいのです」
「はあ」
「僕の『カラー・オブ・パルス』はあれがないと描けません」
 道のない険しい傾斜を下りていき、やがてあの藍色までたどり着いた。
 木の上に藍色が被さっている。そのシルエットはユウさんが言っていたように、大きな鳥に見えた。風に揺られてかその色は揺れて動いていた。
 これをどうするのだろう、と思っているとユウさんがリュックから棒のようなものを取り出した。先端が丸く膨れている。
「それは?」
「ネットランチャーです」
 次の瞬間、ネットが発射されると藍色を包んだ。ユウさんがネットを引っ張ると、藍色は抵抗する素振りもなく、地面にどすんと落ちた。
 奇妙な光景だった。落ち葉の上に空が広がっている。これは生物ではない。ただ無機物でもない。鳥の形に似た藍色の何かが動いているのがなんだか不気味だった。
「さあ、これを」
 次にユウさんから手渡されたものは、刃物だった。
「今から捌きます。最初は私が。次の藍から、あなたにやってもらいます」

     〇

「そろそろ帰りましょうか。いい収穫でした」
「……これはなんなんですか」
「だから僕もわからないんです。たまたま見つけたものでね。空の色が滴るように、この山に落ちてくる。だからそれを取れば空から色素が抜けていく」
「使えば使うほど、空の色が消える?」
「その通り。実際、ネットで引きずり降ろした後はそこだけぽっかりと白くなっていたでしょう。色が抜けても雲と紛れてわからなくなる」
「そうでしたけど……でも、いいんですか? 勝手に使ってしまって」
「それは倫理観の話ですか?」
「空の色が無くなるんですよ。誰のものでもない」
「あなたは日々の営みの中、資源を消費する際に、その一つ一つに対して地球に許しを請うんですか? 殊勝な心がけですね」
「……」
「あるから、使うんです。それを咎められる人間は存在しません」
「空から青色が消えるのはあまりいい気分がしません」
「たった一人が藍を乱獲したところで、それほどの影響は出ないと思います」

     〇

 二週間後、『カラー・オブ・パルス』の新作が出来上がった、とユウさんから連絡があった。あなたの捌いた藍を使って描いたので観に来てほしい――その言葉を聞いて、私はユウさんのアトリエを訪れた。
 このシリーズは色のついたキャンバスに、全く同じ色を塗ったアート作品だ。使っている色は一色のみである。
 このアートとの出会いは、SNSでシェアされた画像だった。液晶画面で見るとただ一色があるだけで、何も面白みがない。けれど、それを投稿した顔の知らない人はこうコメントしていた。
『これは実物と対面することで価値を理解できる』
 このコメントはやけに私の心に残り、いつか実物を見たいと思うようになった。せっせとバイトをしてお金を貯めて、独りで東京まで行ったのは高校一年生の秋だった。
 そこで初めて価値観を揺さぶられた。
 その日に見ることができた『カラー・オブ・パルス』は茜色――夕焼け空だった。八十号サイズの大きなキャンバスの前に立った瞬間、私は絵に飲みこまれるかと錯覚した。色こそ一色だけれど、よく見れば沢山の筆跡が駆け巡り、画面を構成している。私ははっきりとタイトルの通り、色の鼓動を感じたのだ。
 この出会いがきっかけで、私は現代アートという世界を知った。自分の目で、本で、ネットで自分の知らない作品に触れていった。そうしていくうちに表現の熱に当てられてしまい、気づけば私は筆を取っていた。
 私だって表現したい、と心から叫んでいた。
 ユウさんの『カラー・オブ・パルス』は、私にとっての原点であり聖典でもあった。自分のアートと比べることさえおこがましかった。このシリーズを見さえすれば、自分をまだ平凡な表現者から、元の平凡な観客に戻してくれた。
 そんなはずだったのに。新作を前にして、私は何の感情も持てなかった。
 澄んだ藍色のキャンバス。その色を、私は見たことがある。
 私がこの手で捌いたのだから。思い出す。切り分けたのだ。自分の手で。藍に刃先が沈みこむ感覚が。手に残った不自然な生暖かさが消えない。藍はその身を震わせた。それでもユウさんに言われて続ける。刃先が躍る。止めたかったのに。藍が小さく細切れになっていく。それをバッグに入るだけ詰めこむ。そして見上げれば、同じ色の空が広がっている。
 爪と指の間に付着した藍色は、二週間が経っても完全には消えていなかった。
 何がアートだ。てっきり筆跡で生きた色を演出していたのかと思っていたが、実際はそうではなかった。世界からはみ出た色を捌き、それを塗っただけ。鼓動の正体は、世界の色。
 もう『カラー・オブ・パルス』から打ち震えるような感動は生まれなかった。目の前に広がる躍動感と迫力の裏側を、私も知って触れてしまったからこそ。
「新作はどうでしょう」
 ふと気づけばユウさんが近くにいた。声色が少し明るい。
「……なんだかよく分かりません」
「そうですか。実はですね、新作はもう買い手が見つかりましたよ」
「発表はまだなのでは?」
「出版社の知り合いがここに来ましてね。この#207を見たら即決でと。萎えますね」
 ユウさんはため息をついた。
「これより前の作品も見せたのですが、全く興味を示さなかったんですよ。新作のみ買いたいと」
「どうしてですかね」
「もしかするとあなたには藍を捌く才能があるのかも」
「そんな才能、どこで活きるっていうんですか」
「そこでどうでしょう。近いうちにまた藍を捌きたいのですが、同行してもらえませんか? 謝礼は弾みますので」
 私は藍が薄れかけている右手を、そっと差し出した。金欠の学生に迷いはなかった。

     〇

 私は藍を捌いた。捌き続けた。
 三回目からはナイフを使うことから恐れが消えた。突き立てる怖さも、刃先が沈む感覚も慣れていった。
 五回目ともなると、藍をいかに無駄なく捌けるか意識するようになった。いかに最小限の力で効率よく作業できるかを考え、イメージ通り実現すると気分が良かった。
 十二回目を捌いていた時、藍が悲鳴を上げた気がした。
 十四回目の終わり際、集中力が切れて指先を切ってしまった。血の混じった藍は使えない、とユウさんは初めて怒った。
 この画材調達のバイトは儲かった。新社会人の月収を鼻で笑ってしまうほど。
 しかし、その代償として、ユウさんのアートでは心が動かなくなっていった。
 そして、自分が筆を取る気力さえも削げ落ちていった。
 夢や憧れを離れたところから眺めて、何も知らずに感動しているだけで幸せだったのだ。その裏にあった欲望と打算と傲慢さが見えずにいられたのだから。

     〇

 春に美大を卒業したが、アーティストにはなれなかった。就職もしなかった。
 私はユウさん専属の画材調達屋として生計を立てていた。ユウさんからオファーがあれば取りに行く。最近ではユウさんは同行せず、私単独で藍を捌くようになっていた。
 半年ほど前からユウさんの活躍が目覚ましい。もう若手としての注目のされ方ではなく、一アーティストとしての取り上げられ方だ。
 色々なメディアで紹介される時、代表作として銘打たれるものこそ『カラー・オブ・パルス』シリーズだった。
 私の藍を使うようになってから、明確に質が変わったと思う。単色であるのにより複雑な奥行きが感じられ、作品への没入感が凄まじさを帯び始めた。発表すれば数分後には売り手が決まり、それも目を疑うような値がついた。
 ユウさんは画材を高く買い取ってくれる。本格的に売れ始めてからさらに羽振りも良くなり、私は快適な生活を送れていた。
 けれど。この胸の奥にある渇きは、何なのだろう。

     〇

 五年後、山で藍を捌き終え、下山している途中のことだった。
 山道から外れたところで画を描いている女の子を見つけた。低い場所ではあったけれど軽装で、後姿からして若い。ちょっと危ないなと思いつつ、そのまま通り過ぎようとした時に、女の子の背中越しにキャンバスが見えた。
 写実的な水彩画だった。木々の隙間から見上げた空を描いている。筆のタッチが丁寧で何のストレスもなく見られた。
 ただ、その色合いは独特だ。実際の風景より青色と緑色がかなり濃く、昼間なのに夜空を描こうとしていた。存在しない風景の絵は、妙に引きつけられるものがあった。
 ぱっと女の子が振り返った。その目はきらきらと輝いている。私に気づくと彼女は体をびくりと震わせた。
「わっ、ビックリした」
「ごめんなさい。邪魔してしまって」
「いえ、こんなところで描いていれば目立ちますし」
「美大生さん?」
「まだ高校生です。来年、受験してみようと考えているところで」
 確かに顔に幼さが残っている。子どもが大人になる直前の、一時だけの顔つきだった。
「それだけ素敵な絵を描けるならきっといけるよ。私でもなれたんだから」
「お姉さんも絵を?」
「今はもう書いていないけどね」
 それから私たちは色々と話をした。この山についてや彼女自身のこと。けれど、そんな雑談の最中、私の視線は彼女のキャンバスに釘付けになっていた。
 この絵に私の藍を加えたら、化けるのではないか。
 自然を素直に捉える目、それを再現できる技術、青を軸にした世界観。今の段階でもクオリティは高いが、もっとその先に行ける。
「……もしよかったら、私の画材を買ってみない?」
「画材ですか。どんなものですか?」
「私が捌いた藍。まだ高校生だから、特別価格で」

     〇

 三年後、激昂したユウさんに呼び出されてアトリエに行った。通話やメッセージで話を終わらせることもできたが、それではドライ過ぎると思った。
 アトリエに入るなり、ユウさんは私に近づいて睨みつけた。
「詳しく説明を。何をどう考えたら、僕に藍を売らないと言いだすのか」
「立ち話も何ですから座って話をしましょう」
「それは僕の言葉だ」
 散らかったアトリエの隅にあるパイプ椅子に腰を下ろした。ユウさんの右足は貧乏ゆすりが止まらず、苛立ちを隠す素振りもなかった。
「僕に藍を売りなさい」
「嫌です。メッセージでも伝えましたが、二度とユウさんへ藍を売りません」
「報酬が足りない? 充分に出しているとは思っていますが、では報酬を倍にして手打ちといきませんか」
 私は首を横に振った。
「報酬が数倍になろうとも、私の意思は変わりません」
「新作が見たくないのですか?」
「ユウさんは自分で藍を調達できるじゃないですか」
 するとユウさんがテーブルを叩いた。
「そうじゃない! 僕はあの領域を知ってしまったんだぞ。今になって『カラー・オブ・パルス』を僕の藍で描く? そんなの誰が求める? 笑えないですね」
「まあ、私の藍は質がいいですから仕方がないですね」
「もう見られなくなるんですよ、傑作が」
 私は薄い笑みを浮かべた。
「それで構いません」
「……僕が教えた藍をどうしてあんな田舎娘に渡す?」
「あれ、知っていたんですか?」
「あんな異質なもの、見れば一発で分かる。十代の小娘に渡したところで、何に使えるというんです」
「でも彼女、入選して注目されていますけど」
「あの程度のアート、藍がなければ平凡だ。藍によって成り立っているにすぎない」
「ユウさんが人のことを言えますか?」
「はは、表現者になれなかった人間の僻(ひが)みですか」
 心の奥が少しだけ痛くなった。
「そうか、嫉妬しているから拒んでいるわけですね。いつだったかアーティストになりたいとか宣(のたまわ)っていましたけれど。どうですか、今のあなたは。過去に描いた未来の自分になれましたかね?」
「……」
「自分の生み出したもので認められるのは心地いいものですよ。それすら叶わないあなたは人生の負け犬です」
「話はそれで終わりですか? ではこれで」
 私は席を立った。ユウさんは私を睨んだまま動こうとしない。お手本のような喧嘩別れだな、とどこか他人事のように思えた。
「凡人が。生きた証を残せないまま、人生を浪費しろ」
「そうですね。でも藍は捌けますから」

     〇

 二十年後、私は深い森の中にいた。
 針葉樹の茂る森には道がなく、人工物は全く見えない。鳥のさえずりと枝葉のさざめく音が私を包んでいた。
 しばらく歩き続け、ようやくお目当てを見つけた。それは四つ足の動物のようで、遠くから見ていると鹿に見えた。
 あれは碧(みどり)だ。この世界からはみ出た色の一つ。
 私は碧までそっと近づいた。指で触れても碧は逃げない。私は碧を捌く。要領は藍と変わらず、何度も繰り返した作業であった。ものの数十分でその場を後にした。
 捌いた碧を持って森を抜けたのが昼過ぎ、会社に戻った頃には日が暮れていた。作業場に碧を置いてから無人の事務所に戻る。タブレットを確認すると、現代アーティストのめるくるさんからメッセージが届いていた。
『日本に戻ってきました。いつでもいいので通話したいです!』
 私がすぐにコールすると、めるくるさんと繋がった。
『かやのさん、お久しぶりです!』
「お久しぶりです。元気そうですね」
『あ、社長さんって呼んだ方がいいですか?』
「どちらでも気にしないよ」
 彼女の声はいつも明るい。それは出会った頃と変わっていなかった。
 山で出会った女子高生――めるくるさんとこうも長い付き合いになるなど、考えてもみなかった。彼女は世界的に注目されているアーティストであり、その作品は人種の壁を越えて愛されている。
 めるくるさんは世界のはみ出た色を巧みに使い分ける。私が捌いた三原色を混ぜ、無限の色を生み出すのだ。
『いきなりなんですけど、今、緋(あか)ってストックありますか?』
「めるくるさんが使えそうなのは切らしてるかな。前みたいにぱきっとした色味?」
『そうですね、夕暮れくらいだと優しすぎてしまって。燃え滾(たぎ)るような赤さがいいです』
「三週間もらえればいけると思いますよ」
「ぜひ! あ、ただ社長さんの緋でお願いしますね。他の人が取ってきたものだと、どうしても品質に差が出てしまって」
 その後、食事へ行く約束を取りつけてから通話を終えた。めるくるさんと食事をするのも、五年前に会社を興した頃ぶりだった。
 従業員十名ほどの小さな画材メーカーだ。私は社長業をしながら、時々は現場に出て色を捌いていた。特に昔馴染みで私を名指ししてくれる人も多い。従業員数名に色の捌き方はレクチャーしたものの、私の捌いた画材には及んでいないのが現状だった。
 社長業の傍らで、これからも私は色を捌き続けるだろう。
 世界の色を浪費し続けるのだ。
 ここ一年ほどで世界の色彩が薄れ始めてきた、と世界中で大騒ぎになっている。特に自然界にある色は顕著で、急激に世界が白みつつあった。
 どうやら世界の色はそれほど残っていないらしい。本来失っていけないものが、たまたま生物に模した形で顕在化した――そんな想像をしておきながらも、面倒くさくなって考えを放り投げた。考えたところでやることは変わらない。
 そこにあるから使うのだ。使い果たす最後の一滴まで。
 私はオフィスに飾ってある、一枚の絵画に目を向けた。藍色だけを塗ったキャンバス。それは『カラー・オブ・パルス』シリーズ最後の一作だった。
 十数年前、ユウさんは突如として業界から姿を消した。別にこのシリーズ以外でもそれなりの作品は発表していた。
 けれど、私が藍を提供しなくなってから、作品の発表数が激減してしまったのだ。一時は注目されていたが、筆を持たなければ話題には上がらなくなる。そうしている間に若手が台頭し、いつの間にか存在感は薄れていった。
 そしていなくなった。はした金のような値付けがされた、この作品を発表して。
 最後の一作はそれまでの作品と全く違う。筆跡に諦めや後悔がはっきりと滲んでいる。迷いや苦しみが直に伝わってくる。それなのに藍色があまりにも美しく、絶望の中にありながらも脈打っているように見えた。
 この作品を手に入れた時、鮮明に思い出した。私はユウさんの捌いた藍が何よりも好きであったのだと。当事者にならない距離で、見えるものが全ての世界と自分が向き合うことが幸せだったのだと。
 いつ見ても思う。やはり、私の藍よりもユウさんの藍がいい。
 もしも私の心を色になぞらえて、捌けばどんな色合いになるだろう。この白けていく世界の中で、私の心の内にある想いだけは、せめて色鮮やかであってほしいと強く願った。