「夢見るルビー(後編)」片理誠(画・片理誠)

 その塔がいつからそこにあるのか誰も知らない。僕らの王国が誕生する遙か以前からであることだけは確かだ。
 ザーラムの森の中には、分かっているだけでも数十もの先史時代の遺跡(古代都市や地下迷宮、巨大神殿、等々)が眠っているが、この〈睥睨(へいげい)の塔〉はその中でも最も目立つ遺跡の一つだ。
 何しろ広大な樹海から、まるで煙突のように、空に向かって突き出ているのだから。遠くからでもはっきりと見える。
 だがそれでいて調査が進んでいるかと言えば、さにあらず。大昔からこの塔を目指した者は数知れないが、彼らのほとんどは戻ってこられなかった。
 塔には一頭のドラゴンが住んでいて、かたくななまでに己の縄張りを主張したのだ。その竜は森にさえ近づかなければ何もしなかった。だが、ひとたびジャングルに足を踏み入れたら、容赦しなかったという。
 その竜はいつも塔の天辺にいて、侵入者に目を光らせていた。で、誰言うとなくその建造物は〈睥睨の塔〉と呼ばれることになった。
 ただし、それは今から四十年くらい以前の話。
 王様の命により編成された討伐隊によって、とうとうそのドラゴンは退治され(その首は今も王城の謁見の間に飾られている)、おかげで今ではザーラムの森の研究も随分色々と進んでいる。
 もちろん、〈睥睨の塔〉の調査もなされた。
 その結果、あまり面白いものではない、ということが判明した。
 全体の印象は無骨一点張り。暗くて陰鬱な雰囲気に満ちており、しかも人にとってはまるで実用的ではなく、利用価値はほとんどない。
 直径三十メートル、高さ百メートルほどの、馬鹿でかい円筒形の建築物で、中はがらんどうの空っぽ、部屋などもなく、それどころか上に登るための階段すらもない。一応、内部に何本かアーチ状の梁が渡されてはいるが、これは塔の強度を維持するためのものであろうと考えられている。あるいは止まり木のようなものだったのかもしれないが、いずれにせよ僕らにとってはどうでもいいことだ。使われているのも黒い玄武岩で、特に珍しいものではない。
 高度な建築技術が用いられていることだけは確かで、王国よりも古いというのに、未だにきちんと原形をとどめている。が、逆に言うと、それ以外には見るべきところがない。研究者にとっては実に面白味のない建物なのだ。
 冒険者にとってもここはまったく魅力のない場所だ。何しろ金にならない。宝箱が落ちているわけでもなく、妖精が伝説の武具を守護しているわけでもないわけなので。
 この塔は今では大烏どものねぐらになっている。烏にはキラキラと輝くものを好む性質があるので、奴らの巣からは金貨や指輪などが見つかることもある。が、そんなけち臭い報酬のために、あの恐ろしいジャングルを五日も歩く気には、誰だってなれないだろう。もっと美味しい発見や報酬が期待できる遺跡は、他に沢山ある。学者も冒険者も普通はそっちへ行く。ここには来ない。
 あの恐ろしい蛇との追いかけっこと、蟻どものランチになりかけたせいで、塔に到着したのは夕方になった。
 周囲はすでに薄暗く、そのまま内部に入っても大丈夫そうだったが、僕は一応、夜まで待った。
 烏と言っても翼を広げると五メートルにもなる奴だ。人間の子供をさらってゆくこともある。それが何十羽も頭上でけたたましく鳴き交わしているのだから、慎重にもなろうというものだ。群れで襲われでもしたら、たまったものではない。空から突然降ってくるあの頑丈なくちばしは、脅威以外の何ものでもない。実際、塔の周囲には大小様々な動物たちの骨がうずたかく堆積している。烏どもの餌食となった、哀れな奴らのなれの果てだ。
 もう今日はこれ以上走りたくないし、あの悪臭ふんぷんたる骨山の中に加わりたいとも思わなかった。
 幸い烏は夜目がきかない。暗くさえなれば、こちらのものだ。
 眠る準備をするために周囲をくまなく警戒し続ける巨大な烏たちに見つからないよう、僕は木立の陰に慎重に隠れながら、ティエン夫人から聞いた情報を頭の中で何度も反芻(はんすう)した。

 ――夫の性格ですか? そうですね。彼は自分の中に流れる古い血と、その血がもたらす定めにとても自覚的でした。周囲からはきっと、尊大で、粗野だと思われていたでしょうね。頑固なところがあって、わたくしなどは「もうそんな時代ではないでしょうに」と何度も言ったのですけど、とうとう聞き入れてはもらえませんでした。
 でもその一方で無邪気なところもあって、よく高いところに上って、歌ったり、踊ったりしていました。他にも詩作をしたり、戯曲を書いたり、でも一番好きなのは読書でしたね。何かに夢中になっている時、自分の魂はあらゆる制約から解放されるのだと、よく言っていました。
 思想家だった? そうね。でも、夢想家という言葉の方が彼にはしっくりくるんじゃないかしら。
 様々な因習に雁字搦めになりながら、それでも彼はずっと自由に憧れていました。全ての鎖から解き放たれる日を、いつも夢見ていましたわ。

 夜。月が雲に隠れたのを確認してから、僕は(そこら中に散乱している骨を踏んづけないように気をつけながら)塔へと素早く駆け寄った。巨大な入り口に扉などはない。中へ入る。
 見上げると小さな星空と、それをランダムに横切る何本もの黒いラインが見えた。
 ふと、もしあの梁に竜がいたら、と思った。
 もしそうなら、僕などはとっくに、ズタズタに引き裂かれていただろう。彼はこの辺り一帯の王だ。強者として、最後まで君臨し続けた。どれほどの大群が来ても、彼は逃げなかった。
 竜は古い種族だ。かつては世界全体を支配していたという話もある。きっとここの主も、さぞ気高くて立派だったのだろう。
 彼はここに一人で住んでいたのだろうか? たぶん、そうだ。単身赴任のようなものだったのかもしれない。ここは実際には孤独の塔だった。恐らく彼らにとってここは彼らの国、あるいは世界、の最果てで、この塔は僕らにとっての、そうだな、例えば灯台とか、国境警備のための砦のようなものだったのかもしれない。今ではすっかりうち捨てられて、ただの廃墟と化しているが。
 階段はないが、塔の内部はあちこちが出っ張ったり引っ込んだりしているので、身の軽い者ならよじ登るのはそう難しくはない。頑丈で立派だが、近くで見るとこの建物、荒々しいというか、かなり粗雑な造りであるように見える。
 ただし、石と石とは、まるで溶接したかのようにぴったりとくっついている。いったいどんな技術が使われたのか、皆目見当もつかない。
 冒険者としては、やはりここは上に向かいたいところだ。目の前によじ登るべき壁があるのに、それに背を向けるというのは、精神衛生的にはあまりよろしくない。普段の習慣に反する行為である。結局、冒険者と呼ばれるような人間の多くは、高いところが大好きなのだ。
 だが、今日は岩登りをしに来たわけではない。僕の目的は宝石探しだ。烏どもの巣の中にも宝石はあるかもしれないし、もしかしたらそれは赤くさえあるかもしれない。だが、手足は生えていないだろう。生きていない宝石に用はない。
 月が雲間から姿を現す。月光が開けっ放しの入り口や、壁に空いたいくつかの穴(明かり取りというよりは、風通しをよくするためのもののようだ)から射し込んできた。
 それでもまだまだ暗かったが、目を凝らせば何とか物の見分けがつく程度にはなった。
 僕はかがんで地面を丹念に調べる。ナイフで少し掘ると、すぐに硬い石が出てきた。
 やはりこの塔の内部、元々は玄武岩の床で覆われていたのだ。長い年月の結果、土や埃のようなものがその上に分厚く降り積もった。この辺り一面を覆う“土や埃のようなもの”が元は何だったのかは考えたくない。
 地面の多くの部分にコケやキノコが生えていた。うっすらと光っているものもある。
 探していたものはその周囲ですぐに見つかった。小さな足跡だ。鳥ではなく、獣のものであることが、その形状からはっきりと分かる。
 それをたどる。
 獣の痕跡は、壁に空いた小さな穴の奥へと吸い込まれていった。
 へぇ、と僕。
 調べてみる。それは偶然空いたわけではなく、この塔に最初から備わっていたもののようだった。つまり――
「換気用の穴、か」
 にらんだとおりだ。僕はほくそ笑む。
 穴は下に向かって続いている。
 過去の調査隊は皆、ここの地上から上の部分にのみ着目していた。が、実はこの塔、どうやら地下にも構造があるらしい。新発見だ。
 どこかから下に降りられるはず。
 周囲を見渡す。
 薄暗くてよく見えない。松明を使えると良かったのだが、それではさすがに頭上の烏どもが目を覚ましてしまう。
 しかたがないので壁を手探りで探す。それはドライフラワーのようになった枯れ草や蔦(つた)、ねばねばした蜘蛛の糸や、得体の知れない繊維質に覆われていて、正直、やってて吐き気がした。探検にはこの手の不愉快がつき物とはいえ、気持ち悪いったらない。見るからに不潔だし、臭いも最悪で、あぁ病気になってしまいそう。おええぇぇぇッ!
 そのまま手探りしつつ壁沿いに進んでゆくと、一箇所、ぐらぐらしているところがあった。一見しただけでは分からないが、触ると分かる。この岩だけ固定されていない。動くぞ。
 端を押すと、きしみながらも片側が奥へと移動する。ドアになっている。地下へと続く階段が現れた。

 背後で扉が、ズズズという重苦しい音を立てながら元の位置へと戻っていく。魔法が働いている兆候は感じられなかったので、単純なからくりの応用だろう。恐らく、重りと歯車が関係している。
 中は真っ暗だ。
 背負っていたリュックから慌ててロウソクを取り出し、明かりを灯す。扉が完全に閉まってしまう前に、どうにか間に合った。
 一応、小さな火をおこしたり、周囲を照らす程度の呪文なら使えるのだが、本職の魔法使いではない僕にとってはその程度のことでも結構集中力を消耗してしまう。道具で代替できるなら、その方がいい。
 弱々しいロウソクの明かりを掲げながら、ゆっくりと階段を下りる。
 かなり狭い。大人の肩幅ほどだ。左右は地上と同様の真っ黒な岩で、天井もあまり高いとは言えない。中々の圧迫感だった。
 ただ、細工は地上部分よりも丁寧だ。階段も壁も、滑らかに仕上げられている。相変わらず装飾性はないが。
 数十段ほど降りると、真っ直ぐに伸びる通路に出た。五メートルほど先の突き当たりに窪みがある。そのすぐ上の部分に文字が彫られていた。
 僕はロウソクをかざす。
「これは……」
 彫られているのは竜語だ。それも近代のもの。解読は簡単だった。

 ――石より生まれ、黒き旗を掲げる、激しく翻り、世は白く覆われる――

 ふむ、と僕は考え込む。
 これは謎かけだ。あるいはヒントだ。
 とはいえ、答は単純明快だ。この程度の問いに足踏みしているようでは冒険者は、少なくとも頭脳系の冒険者は、務まらない。
 石より生まれるのは火だ。その石なら丁度ついさっき、僕も使った。つまりは火打ち石のこと。黒い旗というのは、黒煙のことだ。それが風にあおられ、やがて大地は白い灰に覆われる、とそう書かれてあるわけだ。
 この文言の中には、四大元素の内の「火・風・土」が織り込まれている。唯一、抜けているのは「水」だ。水だけが、世界が燃え尽きてしまうのを防ぐことができる。
 僕は水筒を取り出し、その中身をとくとくとくと壁の窪みに注いだ。
 やがてどこかで小さな、カチリ、という音がして、壁の一部が横にスライドした。恐らく今回のからくりには、浮きも使われている。
 隠し扉の先にあったのは小さな部屋だった。玄関なのだろうか。その先にも小さな部屋が幾つもあった。どれも人間サイズだ。人の形態となった時のための場所なのだろう。凝った調度品などはなく、簡素な印象だ。木製の家具がいくつかあったが、高価なものには見えなかった。それ以外は全て石でできている。
 部屋から部屋へ。明かりを片手に移動する。やがてやや広い空間に出た。
 うわぁ、と僕。
 十メートル四方くらいの部屋の壁一面に本がずらりと並んでいる。正面だけではなく、左右の壁もだ。まるで図書館のようだった。
 部屋の中央には大きな木製のテーブルがいくつか置かれており、それらの上にも本の山がある。
 その山の一つの向こうに、鮮やかな赤い光があった。
 その小さな獣は異様に素早かった。あ、と思った時にはどこかに隠れてしまった。
「あ、あの」と本の山に向かって竜語で話しかける。「僕の言葉、分かりますか? たぶん、ひどい発音でしょうけど。何しろあなた方の言語は難しくて」
 反応はない。
「あなたの奥様に頼まれて、あなたを迎えに来たんです。嘘じゃありません。ほら、ここに証(あかし)が」
 夫人から預かったハンカチを取り出し、テーブルの上に置く。
 本の陰から宝石が現れた。鼻をひくひくとさせている。
 額の真っ赤な石があまりに印象的なせいで、獣のボディの方にまでは中々注意が回らなかったが、よく見ると愛らしい姿をしていた。耳がウサギのように大きいことさえ除けば、姿形はリスによく似ている。毛並みは白で、鼻や肉球はピンク色。瞳は青い。
 そっとハンカチに近づいて、くんくんと匂いを嗅いでいる。やがて嬉しそうに尻尾を立てると、「ピィ!」と鳴いた。
 そして部屋中を駆け回りだした。「ピィ! ピィ! ピィッ!」と鳴きながら、そこいら中を跳び回っている。その速いのなんの。まるでツバメだ。体重など存在しないかのように跳躍しまくっている。
 やがて僕の胸の中に飛び込んできた。勝手に上着の中に入り込んで、大きな尻尾をぱたぱたと振っている。ピィ!
 思わず笑ってしまった。
「さぁ、帰りましょう。皆さんがお待ちかねですよ」

 大学からの帰り道(複数の書類を提出しなくてはならなかったのだ)を歩いていると、横から声をかけられた。よぉ、先生!
 振り向けば見知った顔だ。冒険者仲間たち。男の方は元狩人。かなりの大柄だ。女の方は元剣士。腰のベルトから長剣を吊っている。二人ともよく日焼けしており、肌が浅黒い。
 やぁ、と僕。中折れ帽のひさしに手を当てて軽く会釈する。
「カーバンクルを捕まえたんだって?」
「ブッ!」
 びっくり仰天して、僕は思わずむせてしまった。
「な! どッ、ど、どこでそれを?」
 明日になれば町中が知ることになるでしょうね、と女性の方が悪戯っぽい口調で言った。
「ロロアちゃんが言ってたわ、うちの先生が生きた宝石を連れてきた、って」
「俺が聞いた話じゃ、ジョワン教授はそれをだしに未亡人を口説こうとしたが、けんもほろろに振られたって」
「クッ! あ、ああ、まったくッ! ……すまないが君たち、これで失礼するよ。早く帰って助手に、二、三、言って含めないといけないことがあるんだ!」
 走り出そうとした僕を二人が左右から羽交い締めにした。
「は、離せ! 今日という今日はあの脳天気娘をとっちめてやらねば!」
 まぁまぁまぁ、と二人になだめられる。
「一杯やろうぜ、先生。おごるからよ」
「情報交換は大事でしょ、お互い冒険者なわけだし」
 とまぁそんなわけで、僕は今、食堂を兼ねた居酒屋〈骨肉亭〉にいる。まだ昼間なので客はそれほど多くないが、二人は麦酒のジョッキをぐいぐいあおって、早くも上機嫌だった。
 話を聞くなり異口同音に「もったいない!」と彼らは吐き捨てた。
「ジャングルじゃ蛇はご馳走だぜ、先生! ありゃぁ輪切りにしてウエルダンにすると美味いんだ」
「あいつの皮や牙は高く売れるのよ? 三ヶ月は遊んで暮らせたのに」
「それを蟻にくれてやるたぁなぁ」
「ほんと」
 二人揃って「もったいない」。
 君たちがうらやましいよ、と僕。苦々しい気分で、葡萄酒のグラスをなめる。
 体力自慢のこの二人なら、確かに逃げる必要などないのだろう。大抵の敵なら返り討ちだ。やれやれ。世界は不公平だ。
「だいたい、水くさいわよねぇ」と元剣士が流し目で僕をにらむ。「一声かけてくれれば、喜んでお供したのに」
 そうそう、と大男も肯く。岩トカゲの串焼きをワイルドに食いちぎりながら。
「〈睥睨の塔〉ならそう遠くねぇ。片道五日ってとこだろう。クエストとしちゃ標準的だ」
 別に遠慮したわけじゃないよ、と僕は苦笑い。この二人とは過去に何回か行動を共にしたことがある。見た目はいかついが、どちらも気の良い仲間だ。
「秘密厳守が絶対の条件だったから、誰にも話せなかったんだ。万が一にも密猟者や闇商人どもの耳に入れるわけには、いかなかったからね」
 まぁねぇ、と二人。
「確かに、カーバンクルがいるなんて噂が立ったら、どんな手を使ってでも捕まえようとする奴らが雲霞(うんか)のごとく森に殺到しただろうな」
「富と幸運がもたらされる、って話だもんね」
「あんな愛くるしい生き物の額から宝石をえぐり出すなんて、悪魔の所行だよ。そんなこと絶対にさせるわけにはいかない!
 もしあの子があのハンカチに何の反応も示さなかったら、僕はそのまま帰るつもりでいたくらいなんだ。
 ま、試すまでもなかったけどね」
 ふと、彼と夫人との再会のシーンが思い出された。

 あの後、塔からの帰り道は順調そのものだった。あの子はやはり耳や鼻が良いらしく、前途の危険を素早く察知すると、小さく鳴いて僕に警告してくれたのだ。おかげでいかなる脅威にも出くわさずにすんだ。
 ドライフルーツを食べる時以外は(僕が持っていった食料の中では、それが彼の一番のお気に入りだった)ほとんど僕の革製の上着の中にいて、頭だけを外に出していた。一応、リュックの中には折りたたみ式のカゴもあったのだけど、結局、一度も使わずじまい。
 彼はとても賢くて、僕の言葉も分かるらしく、町についてからも上手く隠れてくれていた。おかげで誰にも見つからずにすんだ。事務所兼自宅に着いた後、留守番をしてくれていた助手にだけは見せた(見せるんじゃなかった!)。夫人に伝えてもらう必要があったので(ちなみに彼女は、カーバンクルのあまりの可愛さに、とろけそうになっていた)。
 ロロア君からの伝言を聞いたティエン夫人は、町の中心部にある最高級ホテルから郊外にある僕の家まで、供も連れずに、文字通りの意味で、飛んできた。
 応接室で無邪気な彼と遊んでいると(この頃には僕らはすっかり打ち解けて、仲良しになっていた)突然、雷が落ちたような轟音が辺りを震わせ、家のドアが真っ二つになって吹き飛んだのだ。
 僕は衝撃波で座っていたソファごとひっくり返り、慌てて顔を上げると戸外に彼女が立っていた。白い水蒸気と青白い火花を全身にまとわせて。
 彼女は家の中に駆け込むなり「あなた!」と叫んだ。そして胸に飛び込んできたカーバンクルを抱きしめると、そのまま泣き崩れてしまった。やっと会えた、とつぶやきながら。
 ティエン夫人はサングラスをしていなかった。その縦長の瞳は、は虫類のそれを思わせた。

 竜人、ねぇ。と女冒険者がつぶやいた。
「噂で聞いたことはあったけど、まさか本当にいるとはね。
 もしかしてまだ他にもいるのかしら、正体がドラゴンの人間が。この町に。あたしらが気づいていないだけでさ」
 獲物を探すような目つきで店内を見回している。剣闘士だったこともある彼女は、強い対戦相手にいつも飢えている。
 どうだろう、と僕。香草のサラダをつまむ。
「たぶん、いないんじゃないかなと思うけど。向こうにとっては僕らも脅威なんだろうし。それに、外見はそっくりでも雰囲気が少し違うよ。何というか、ちょっと超然としている感じで。勘の鋭い人なら見破れるんじゃないかな。だからきっと彼らは、この町には長居しづらいと思う」
「果てなしの樹海の向こうにはドラゴンの国がある、なんて噂もあるが、あながち間違っちゃいねぇのかもな」
 とぶつぶつ言いながら、男がジョッキをあおる。狩人だった者としては、やはり森のことが気になるようだ。
 噂なんて当てにならないけどねー、と僕。肩をすくめる。
「少なくともあの子は僕に、あまり幸運を運んできてはくれなかったかな。
 何しろ扉は真っ二つだし、窓ガラスは全部粉々だし、玄関前には大きな穴が空くしで、あの後大変だったんだ。もう少しで大家さんに追い出されるところだった」
 アハハ、と二人が笑う。
「ま、修理費用は出してもらえたし、中々面白そうな石板も手に入ったから、いいんだけどね。当分の間は退屈せずにすみそうだよ」
 ムフフ、と微笑む。
「欲がねぇなぁ」「ホントよね」と二人は呆れ顔。
「その様子なら少しぐらい多めにふっかけても、分からなかったんじゃねぇか」
「ほとんど言い値みたいなもんなんだし、実際、危ない目にも遭ってるんだからさ」
 そんな真似はしたくないよ、と僕。
「別にお金儲けがしたくて冒険者になったわけじゃないし」
「じゃ教授は何のためにやってんだよ?」と大男が唇を尖らせる。
「もちろん、真実を知るためさ」
 ニッ、と笑う。
 真実ってどんな、とジョッキの酒を飲み干したもう一方が、身を乗り出してきた。
「今回、教授は真実を目にしたってぇの?」
 そりゃあ、と僕。
「見たよ、ちゃんと」
「何を? どんな?」
「うん――」
 子供のように泣きじゃくる夫人の姿がふと、思い出された。カーバンクルは盛んに彼女の頬をなめていた。慰めているような、少し謝っているような、それはそんな仕草だった。
「――本当の愛の姿を、かな」
 途端に二人が椅子の上で「だぁぁぁ!」と叫びながら大きく仰け反った。疲れ切った表情をしている。聞くんじゃなかった、という顔だ。何が彼らを冒険へと駆り立てているのかは知らないが、少なくともロマンではないらしい。
「ま、らしいっちゃぁ、らしいがな」「竜って案外、人を見る目があるにょかもね」などと二人で妙な納得のしかたをしている。
 ゆっくりと身を起こした。
「けど、〈睥睨の塔〉にカーバンクルがいるなんて、よく分かったな?」
「ホント! ぬわぁんで、そんなとこにいたのかしら? で、にゃぁんで教授には、しょれが分かったのよ?」
 まぁ、ね、と肯く。
「昔、聞いたことがあるんだ。カーバンクルは切り落とされた竜の首から生まれる、って」
「へ?」と二人。ポカン、と口を開けている。本当に?
「竜は脳の中に宝石を隠し持っている、という噂があるんだ。
 彼らが死ぬと、彼らの脳の中の何かが結晶になって固まり、宝石になるんだってさ(※)」
「それが、カーバンクル?」
 そう、と肯く。
「それであの塔のことを思い出したんだ。あそこにいた竜のことは知ってるでしょ」
 ああ、と二人が肯く。
「もちろん。討伐隊の隊長は、今じゃ元帥様だぜ。夢みてぇな出世物語だ。あやかりてぇよなぁ」
「竜殺し(ドラゴンスレイヤー)だもんね。押しも押しゃれもしゅない、英雄だわ」
「必ずいるという保証はなかったけど、まずはあの塔から始めるべきだと思ったんだ。カーバンクルはひ弱な存在だろうからね。慣れ親しんだ場所からそう遠くには行かないんじゃないか、と予想したのさ。
 そこで、あの塔に関する資料を図書館で色々と調べてみたんだ。調査報告書はどれも通り一遍の、おざなりなものばかりだった。
 夫人から彼が書斎にこもるようなタイプだったと聞いていたから、もしかしたらあの辺りのどこかに隠し部屋のようなものがあるんじゃないか、って考えたんだよ」
「大した推理だぜ。それにしても、まさかあの塔に地下があったなんてなぁ」
「新発見だよね。ああ、書かなきゃならない論文が多すぎる」
「烏と同様、竜も財宝を集める習性がありゅって言うけろ」
「見当たらなかったなぁ。本なら沢山あったけど。まぁ、全てを調べられたわけじゃないからね。もしかしたら更に地下があったのかも。もっとも、今頃はもう、引き払っちゃってるかもしれないけど」
「なんれ、しょのドリャゴン夫人は直接、塔へ行かなかっちゃのかしゅらね?」
「一つは、目覚めたばかりでまだ体調が万全ではなかったから、だと思う。彼らは定期的に長い眠りにつくからね。
 それに辺境についても、あまり詳しそうな感じじゃなかったし。ま、それを言ったら荒事自体、全然好きそうには見えなかった。礼儀正しくて、知的な感じだったよ。
 もしかしたらお嬢様育ちだったのかもしれない。〈睥睨の塔〉についても、知らなかったんじゃないかな。……矢も盾もたまらず駆けつけてみたはいいものの、どうすれば良いのか分からなくて、途方に暮れている、って風だったよ」
「困っているお姫様を助ける、ナイトの役を買って出た、ってぇわけだな!」
 酔いが回って赤ら顔になった大男がガッハッハ、と笑う。
 僕はそっと自分のグラスに口をつけた。
「奇妙な仕事だったことは、確かだね」
「論文なんか放っちょいて、体験記をきゃけばいいのよ」と、ろれつがかなり怪しくなってきたもう一人もキャハハ、と声を上げた。「きっちょ、売れるわお!」
 ま、そのうちね、と僕。どうでもいいけど、よく飲むなー、この二人。次々にジョッキを空けてゆく。まるで底なしだ。
 ひっく、男の方がしゃっくりをした。据わった目で僕を見ている。
「なぁ」
 ん?
「結局、カーバンクルってぇのは、何だったんだろうな? ドラゴンの、残留思念みてぇなもんなのかね」
 うん、と僕はグラスの中の液体を見つめる。その鮮やかな赤は、あの子の額の宝石を思わせた。
「――僕は、夢だと思うよ」
「夢?」
 そう、と肯く。
「竜の見ていた夢が結晶になったもの。それがカーバンクルなんじゃないのかな。そんな気がするんだ」
 不意に夫人の声が脳内でこだました。

 ――それでも彼はずっと自由に憧れていました――

 あの子はきっと、今も夢の続きを見ている。
 思わず、頬が緩む。
「え?」「んぁ?」とすっかり出来上がって真っ赤な顔をした二人がこちらを見上げ、不思議そうな表情を浮かべた。
 僕は立ち上がり、グラスを高く掲げて「乾杯!」と高らかに叫ぶ。
 急にどうした? 乾杯って、にゃんについて? と首を傾げる二人に笑いかける。ククク!
「ひ、み、つ!」
 そして盃を飲み干した。

※……参考文献:『幻獣辞典』ホルヘ・ルイス・ボルヘス(著)/柳瀬尚紀(訳) 河出文庫