「動物ファンタジーのススメ①」思緒雄二

動物ファンタジーのススメ① 思緒雄二

 物語をすすめる主要なキャラクターたちを動物に設定し、世界もその動物たちから見たもののよう描く――
 そのような文学におけるメリットとは、なんでしょうか。

 ひとつにそれは、よけいな尾ヒレがはぶかれ、本質だけがのこりやすいことにあるとおもいます。物語のうしろにチラッチラッと見えかくれする作者や時代といったもの、それらが薄れやすいなどといった類。
難しく言えば「テーマの普遍性が浮き出しやすい効果がある」ということでしょう。

 さて、そうした作品を紹介していく前に、めんどくさい定義をしておかねばなりません・・・

 タイトルを〝動物ファンタジー〟としたのは、それがイソップ物語に代表される寓話のよう教訓を教え諭すことを第一義として創作されたものではないこと、まして児童文学における動物物語で言われることがままある自然主義の押し売りと翻っての人間批判などをテーマとして書かれていない作品たちを区別しておきたかったからです。
 動物ものに限らず、ふつう物語とは作者に表現したいものがなければできません。
仮に書きたくないのに勝手にできた作品があったとして、それでも、そこに作者の潜在意識なり時代精神なり、なにかしらの色というものはついてしまうもの。そういった点では、たとえ動物ファンタジーであっても、教訓やら自然尊重、人間や文明批判といった色があらわれることも避けられないでしょう。
 ですが、重要なのは「それが最大のテーマではない」ということです。
動物たちの視点、パラダイムよりなる(人間の視座からとは違う)風景、見え方の異なる世界が、ちゃんと設定され描かれていること。異なる風景を描く主体としての動物であり、人が何かをアピールする手段としてすえられた動物ではないこと。
 これを強調するために〝動物ファンタジー〟という区別を、ここでわざわざ用いました。

『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』という名高い動物ファンタジーをご存じでしょか。

 ウサギたちを主人公にし、ウサギ視点による冒険ファンタジーですが、そこには精緻なリアリズムへの追求が共存しています。
 動物たちが言葉を話すといった時点で現実とはかけ離れているわけですが、その行動原則にあるのはウサギの本来の習性そのまま。また背景には、ウサギの世界で言い伝えられてきた神話というか伝承があり、専門の言葉まで用意されています。
 ファンタジーを創る以上、独自の言語や神話など、現実以上にリアリズムを補強する設定が必要になる――
 そう、『指輪物語』で知られるトールキンの強調したキーワード〝準創造〟が、おこなわれているのです。

 アニメ版もありますが、初見なら絶対に原作の小説版をおススメします。

(以下、若干のネタバレあり)



 生存をかけた戦いにおいて流される血、散っていくいのち、そういう一つ一つにある物語を感じたければ、目を奪われる――言いかえれば目先の刺激的な――映像より、文章の方がむしろ深みをもって受けとめられることがあるので。
 体が大きく力も強いために威張っていたウサギのピグウィックは、しかし最後の戦いにおいて、自分の死体が狭い通路の大きな障害となることに気がつきます。そして、それに気がついてる敵は、甘言を弄し、命を救うどころか自分たちの群れで幹部として厚遇することを約束、穴から出そうとします。ですが、血だらけになりながらもピグウィックは一歩も引きません。後ろの巣穴からは、子ウサギを怖がらせないよう、ウサギ神話を語って聞かす母ウサギの声が聞こえてきます。彼は自身の死体をもって、リーダーウサギが帰還するまでの時間をかせぐ決断をします。そして、この時の緊迫した状況が、後ろからもれ聞こえてくるウサギ神話の象徴的エピソードとオーバーラップし、まるで童謡(わざうた)のよう予言詩的性質、神話性をもつのです。
 非常に優れた構成力だと、うならざるを得ませんでした。
 率直に言って(それはそれで、他の追随を許さないスゴイ)力技でもっていくトールキンには描けないタイプの、極めて凝った表現です。
〝現実では表現できないリアリティを描く表現手段としてのファンタジー〟が成功している素晴らしいシーンと申せましょう。

②へ続く

(初出:シミルボン「思緒雄二」ページ2016年1月9日号)