残業で遅くなって、駅からひとり暮らしのアパートに帰る途中、ふとあとをつけられているような気がした。振り向いても誰もいないのだけど、明らかに気配がする。ストーカー? 強盗?
どうしよう。あたりは街灯も少なく人通りがない。帰り道からは外れるけれど、コンビニがあったはず。
足をそちらに向けて走り出すと、明るい建物が見えてきた。駆け込むように店内に入るとお客は一人もいない。それどころか店員さんも見当たらない。
バックヤードにいるのだろうか。店員さんを呼ぶならとりあえず何か買わないと、とお茶のペットボトルを持って声をかけてみる。
「ハイ」と返事があって、奥から出てきた制服の姿を見て驚いた。顔がのっぺらぼうだった。
キャーッと叫んで飛び出し、走って逃げる。するとあとを追ってくる足音がする。さっきの気配のやつだろうか。
良いぐあいに交番を見つけて飛び込んだ。おまわりさんが、机に向かって顔を伏せて何か書いていた。ふと、このおまわりさんものっぺらぼうではないかと思った。そんな怪談があったよね。どきどきしていると、顔をあげたおまわりさんにはちゃんと目も鼻も口もついていた。
「どうしました」
「誰かにあとをつけられてコンビニに入ったら店員さんがのっぺらぼうだったんです。逃げ出したらまた追っかけられて……助けてください」
「まあ落ち着いて。コンビニの店員ってその人?」
おまわりさんの顔が私の後ろを見たようだったので振り向くと、制服を着た店員さんが立っていた。ちゃんと顔がついている。
「あっ。でもさっきはのっぺらぼうだったんです。それに追いかけられるようなことはしていないのに」
すると外国人みたいな店員さんは、困ったような顔をして私の手のあたりを指さした。つられて自分の手を見ると、さっき買おうとしたペットボトルを持っていた。
「あなた、お金を払った?」
おまわりさんが私と店員さんを交互に見た。店員さんは気の毒そうに首を横に振った。
「違うんです。怖かったものだから思わず飛び出してしまったんです。お金は払います」
ショルダーバッグから財布を出そうとすると、おまわりさんの声が厳しくなった。
「あなたが盗んだことは間違いないよね。お金を払えば済むのなら、警察いらないよね」
「いや、ですからちょっとした間違いで」
「犯罪者はたいていそう言うんだ。抵抗するなら逮捕するよ」
おまわりさんが拳銃を取り出した。目が据わっていた。銃を構えたまま椅子から立ち上がって、こちらに向かってくる。
やばい、と思った。このおまわりさんは狂っている。捕まったら何をされるかわからない。
私は振り向くと、立っていたコンビニの店員さんを突き飛ばし、交番の外に出た。
「待て」
おまわりさんが叫ぶより前に走り出す。
「とまれ、撃つぞ」
そんなふうに聞こえた気がしたが、かまわず走り続ける。複数の足音が追ってくる。ストーカーとコンビニの店員さんとおまわりさんだろうか。さらには数匹の犬の鳴き声がかぶさっている。怖い。
どこをどう走ったのか、なんとか路地裏の暗いところで足音から逃れることができた。犬の声もしなくなった。
ストーカー、のっぺらぼうの店員、狂ったおまわりさん、野犬……なんなの、これは。
ふと、スマホにメールが届いているのに気がついた。開いてみると、だいぶ前に配信で見たホラー映画の最後にモニター募集の案内が載っていて、それに応募したのが当選したという知らせだった。
すっかり忘れていたが、『恐怖体験』のモニターで、すでにサービスを提供したので、そのアンケートを求めているということが記されていた。怖かった順にランクをつけてくださいというもので、「ストーカー」「おばけ」「狂人」「追跡」となっていた。
そしてそのあとに、こんなふうに書かれていた。
『アンケートにお答えいただいたかたには、さらなる恐怖体験をすぐにお届けします』
もうこりごりよ、ほんとに怖かったんだからとつぶやきながら、私の指は思いとは裏腹に、アンケートの回答を打ち込んでいた。