魔女のお婆さんがスープカップをジャクリーヌに手渡しながらこう言った。
「ジャッキー、遅くなったら狂った犬が襲ってくるから、これを飲んだらおうちに帰りなさい」
ジャクリーヌはカップを手に包み込んだまま、円らな瞳を小さな星に変えた。
「美味しい!」
「それはどうも」
「お婆さん、犬のことは大丈夫よ。ミローはわたしにはとても優しいのよ」
お婆さんは眉を寄せ、空になったカップを受け取った。
「野犬のボスに名前をつけたとは驚いたね」
ジャクリーヌは髪の毛の端を指にくるりと巻いた。
「お月様が出ると、ミローはわたしの窓の下にやってきて、いつもクォーン、クーンといい声で歌ってくれるのよ。きっと、わたしに恋しちゃったんだと思う」
「へぇーっ、あの暴れ者がね、ジャクリーヌに思いを寄せている。それは面白い話だ」
ジャクリーヌは、小さく息を吐くと、魔女のお婆さんの眼を真正面にとらえた。
「お婆さん、願いを叶えてくれないかしら。ミローにキスをしたら、魔法でミローを王子様の姿にしてあげて、わたしのお婿さんにと思っているの」
お婆さんの顔がふかしパンのようにまぁるく膨らんだ。
「ふっ、ふぅ。いいわよ。村の者は誰ひとり相手にしてくれないお婆ちゃん家にいつも食べ物をもって遊びに来てくれるからね。ひとつくらい願いを叶えてあげたいと思っていたのよ。そのときが来たわね」
ジャクリーヌの頬が真っ赤になった。
「どうすれば夢は叶うのかしら」
お婆さんはお鍋に残ったスープをかき混ぜながら、張りのある声で言った。
「よし。一回目のキスをしたらひとつ願いが叶うようにしてあげよう」
「願い事を念じながらキスをすればいいのね」
「ええ、そうよ。その通り」
お婆さんは、ジャクリーヌの肩を自分の胸にぐっと引き寄せ、呪文を唱えながら強く背中を三度叩いた。
その次の満月の夜。ジャクリーヌは自分の部屋の窓を開けて、ミローが訪ねてくるのを今か今かと待っていた。けれど、なかなか現れる気配がない。『今夜は来ないのかも』と思うと、どんどん瞼が重くなってくる。それでついベッドに横になると、不覚にも眠ってしまった。
唇に何か触れている。ジャクリーヌが薄目を開けると、野犬のミローの顔が目の前にあった。フランスパンを半分に切った先の部分そっくりの鼻先がそこにあったから、驚いたの、何のって。
ジャクリーヌは反射的にプイと顔をそむけた。その拍子に机の上の鏡に映った自分の姿が見え、目の中で星が流れた。
映っていたのは、プードル犬に変身した自分の変わり果てた姿だったからだ。
「まぁ、どうしたの、わたし」
「僕のジャッキー。とっても可愛いよ。僕の願いが通じたようだ。ブラボー。僕のお嫁さんになってほしいという願いが今夜、やっと叶った」
ジャクリーヌは周囲を見渡して大きな声で叫んでみた。
「お婆さん、違うのよ。違うんだって。こういうんじゃないのよ」
が、自分の声は犬のワンワンという声になって聞こえてくる。
「ジャッキー。きみを幸せにするからね。さぁ、きみをわたしの第八番目の妻にしてあげよう」
たくさんの牝犬が窓から部屋の中になだれを打って入り込んで来た。
魔女のお婆さんが箒にまたがり、満月の前をきまり悪そうな顔をして横切っていく。