「体外母性」 吉澤亮馬

 目が覚めると、枕元で小魚がぴちぴちと跳ねていた。
 私の小指くらいの大きさで半透明の青色である。驚いて触ってみると濡れてはおらず、グミのような弾力があった。看護師さんに声をかけると、すぐに先生がやってきた。
「先生、こんなものが枕元に」
「これは……起きた時、枕元は濡れていましたか?」
「いえ。寝て起きたら枕元にありました。誰かのイタズラですかね」
 先生は枕元で跳ねていた小魚を触りながら私を見た。
「これはイタズラではありません。体外母性ですね」
「体外母性?」
「産後、ごく稀に母性が出すぎてしまうことがあるんです。すると不思議なことに固体化して生き物の形になるのですよ」
「はあ……」
「心配は無用です。病気ではありませんし、仮に赤ん坊が口にしても無害ですから。すぐに治まりますよ」
 次の日も起きると枕元で小魚、もとい体外母性が跳ねていた。しかも二匹である。自分から小魚が出てくるのはなんとも変な気分だった。それをただ捨てるのも気が引けたので、看護師さんに頼み水槽を用意してもらった。
「まさかお前からこんなものが出るとはなあ」
 旦那はそう言って水槽を眺めている。
「聞いたことある? 体外母性なんて」
「俺の兄貴の嫁さんも出てたはずだよ。たしか形は猫だったはず。一週間もしないうちに出なくなったよ」
 変な病気でなくてよかった。隣ですやすや眠る娘を見て心からそう思った。
 数日後、母子ともに異常がなかったので退院した。ただ体外母性は治まらず、帰宅してからも出続けた。
 なので家でも水槽を用意し水を張ってそこに入れた。体外母性は現れてから三日ほどで跡形もなく消えた。形は魚だけど生き物ではないのでこれといってすることはない。手のかからないペットを手に入れたようなもので、私にとってはありがたいことだった。
 というのも初めての子育ては怒涛だった。初めてのことや慣れないことばかりで、その中でも夜泣きが辛かった。おかまいなしに愚図られると満足に寝てられやしない。
 あくる夜、どれだけあやしても娘は泣き止まず途方に暮れていた。どうしたものかと家中をうろうろしていると、娘がぴたりと泣き止んだ。理由は分からなかったが、娘が寝た後に私もぐっすり眠れた。
 その次の日も娘は愚図ったのだが、また部屋をうろうろしていると娘が泣き止んだ。どうしてかと思ったのだが、娘はリビングにある水槽を見つめていた。その中では体外母性が泳いでいる。そういえば昨日もリビングで娘は静かになった。しばらくしてからまた泣き出したので、試しに体外母性を見せるとまたも泣き止んだ。
 そのことを夕飯時に旦那に話した。
「子供はやっぱり母性が好きなんだよ」
「そうなのかな」
「優しく包み込まれる安心感が嫌いな人間はいないよ。でも母性は目に見えないからね。目で見えた方が赤ん坊でもわかりやすいし、伝わりやすいのかもね」
「私もだいぶ助かっているんだよ」
「本当に不思議だよね。見ていると癒されるというか、温かくてほっとするというか」
 旦那と娘は泳ぐ体外母性を見つめている。私にはそれが小魚にしか見えず旦那のいう温もりや安心感はない。あれが自分自身の母性だからだろうか。
 すると小魚を見ているうちに頭の片隅にある記憶が蘇った。
「私、もしかすると幼い頃に体外母性を見たことあるかも。それも沢山」
「え? でも君の両親は……」
「名前も顔も知らないよ。でも、きっとどこかで見た気がするの」
 うっすらと残る記憶。たしか私が見たのはとても沢山の蝶々だった。あの青色の蝶々は眺めているだけでほっとして心が安らいだのを覚えている。
 けれど私は母親はおろか両親を知らない。生まれてからすぐ親戚に預けられたから体外母性を見たはずがないのだ。私の記憶違いかもしれないが寂しくなった。
 体外母性はそれから一年間出続けた。娘が不機嫌になったり泣き出したりしても、困った時は体外母性を見せればすべて治まった。これが私の育児にとってどれだけ手助けになってくれたかは言うまでもない。ただ、出続けるというのは気になったので、子供の予防接種の時に先生に尋ねた。
「先生、まだ体外母性が止まらないんです」
「こんなに長いとは珍しいですね。では体外母性の色はどうなりましたか?」
「色ですか?」
「ええ。体外母性は色が徐々に薄くなるのです。それが消える兆候ですよ」
 帰宅してから水槽を覗いた。すると体外母性の色がたしかに薄くなっている。いずれ消えると分かって安心した。
 体外母性の色はかなりゆっくり薄くなっていった。青色から水色へ、そして透明に近づいていく。そう変化するまでに、娘は立てるようになって言葉を発するほどに成長した。また体外母性は徐々におかしな動きをし始めた。今までは熱帯魚と同じように泳いでいたのだけだったのだが、イルカのように水面を跳ねるようになったのだ。
 娘が生まれてから二年目の朝、寝起きの枕元を見ると体外母性が跳ねていた。その色はかなり薄くなっており、毛布の色が透けて見えていた。それを水槽へ移す。
「すっかり薄くなったな」
 朝ご飯を食べながら旦那が言った。水槽の中には一匹しか泳いでいない。
「あれ? ついさっきまで三匹いたはずなんだけど」
「いよいよ体外母性が消えるのか。思ったより時間がかかるんだね」
「そうだね。でもこうしていざ消えるとなると悲しいね。大変な時期に私を支えてくれたようなものなんだから」
 その日の昼下がり、私がぼんやり水槽を眺めていると最後の一匹が高く飛び跳ねた。午後の日差しに照らされた体外母性は、水面から離れて着水することなくそのまま消えた。それきり私から体外母性は出なくなった。
 もう小魚が出ないから水槽は不必要なものの、慣れとは怖いもので本物の熱帯魚を飼い始めた。けれど娘は普通の熱帯魚には何の関心も示さなかった。その代わりに窓から外を見てぼんやりしていることが増えた。
 さらに一年が過ぎた。
 学生時代に仲の良かった友人が出産した。おめでたい連絡だったので、後日、娘と共に彼女宅へお邪魔した。母子ともに健康らしくほっとした。
 ふと窓辺に鳥かごが置いてあるのを見つけた。中には青い小鳥が二羽もいる。
「あれ、ペットなんて飼っているの?」
「これはね、体外母性っていうの。私から出過ぎた母性が形になったんだよ。知ってた?」
「もちろん。私も出ていたからね」
 私が友人とお喋りしている間、娘は黙って鳥かごを見つめていた。その様子を見ていると娘が赤ん坊だった頃を思い出した。
 あまり長居しても良くないので、私たちはすぐに帰宅した。すると娘はぼんやりしたまま空を見上げて歩いている。
「どうしたの? 足元を見てちゃんと歩かないと転んじゃうよ」
「あのことりさん、きれいだった」
「うん。実はね、お母さんも魚を出していたんだよ。あなたも生まれてすぐの頃はずーっと見ていたんだけど、覚えてない?」
「なにいってるの? おかあさんのおさかなさんたち、まだでてるよ」
「え?」
「はこのなかじゃいやなんだ。おさかなはやっぱりそとがすき」
 娘は空から目を離さない。その真ん丸な瞳は何かを見つめている。私も空を仰いだがそこには快晴の青空があるだけだった。
「なにかいるの?」
「たくさんのとりさん。すごくたくさんいる」
「鳥が見えるの?」
 娘はゆっくり頷くと、すぐそばを流れる小川を指さした。
「おさかなはあっち。おかあさんのおさかなもおよいでる」
「まさか……」
 体外母性は出なくなったのではなくて、大人には見えなくなるだけ――娘の反応を見ているとそんな気がした。
 また同時に少し怖くなった。もしかして体外母性とは過剰に出た母性なのではなくて、母性が放出している状態を指すのではないか。とすればいずれ私の母性は枯渇するのだろうか。確かめようがないけれど、あり得る未来の気がしてならなかった。
 でも、それでもいいのかもしれない。
 いずれにせよ、この世界は母性で満ちている。様々な生き物の姿を借りて、ありとあらゆるところにいる。私の記憶は思い違いじゃなかった。青く美しい蝶々は、見ず知らずのどこかの誰かの母性だったのだ。
 私の母性が孤独や不安を抱えている子どもに届けばいい。あの頃と私と同じように、ほんの少しでも温かい気持ちになってもらえるのなら、例え出涸らしになろうと構わない。母性なんてあってもなくても、娘を愛し続けることだけは変わらないのだから。
 ふと娘が立ち止まりこちらに向かって手を伸ばした。
「おかあさん、だっこ」
 珍しいなと思い抱き上げる。いつの間にかすっかり重くなった。
「鳥さんとお魚さん、どっちが好き?」
「とりさん」
「そっかあ。もう鳥さんは見なくていいの?」
「うん。おかあさんがいい」
 そう言って娘は私の胸に顔をうずめた。

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