「国境なき時代のナショナリズム」服部伸六

「国境なき時代のナショナリズム」服部伸六

●服部伸六作品の再録にあたって
 詩人・評論家の服部伸六(1913〜98)作品の再録シリーズを、「SF Prologue Wave」上にて開始します! 服部氏は宮崎生まれ、絵の勉強をするために東京の画学校へ赴き、そこでシュルレアリスムに出逢い、そちらを本気で学ぶために慶應義塾大学へ入学、それから外務省に入って中東やアフリカ各地に赴任したという経歴の持ち主です。「三田文學」「新領土」「詩学」『宮崎詩集1961』等で活躍し、著書に『服部伸六詩集』(宝文館書店、1977)『カルタゴ 消えた商人の帝国』(社会思想社現代教養文庫、1987)、『アフリカ歴史人物風土記』(同、1993)等、訳書にアンドレ・ブルトン&ポール・エリュアール『処女懐胎』(思潮社、1963)、アミン・マアルーフ『レオ・アフリカヌスの生涯』(リブロポート、1989)等があります。
 実子の大和田始氏は、『ヴィリコニウム パステル都市の物語』(M・ジョン・ハリスン、アトリエサード、2021)等で著名な翻訳家で、SF Prologue Wave編集部員でもありますが、長らく服部伸六氏の顕彰活動を続けておいでです。詳しくは、「ナイトランド・クォータリー」Vol.25の大和田始インタビュー「静かなラディカリズムを翻訳や批評に活かして」(アトリエサード、2021)をご参照ください。ご快諾をいただきました大和田氏に厚く御礼申し上げます。
 再録の第1弾としては、ルワンダ「内戦」とそれにともなう虐殺に対する、日本語でのもっとも早い時期の応答のひとつ「国境なき時代のナショナリズム」をご紹介します。30年前の原稿ということで、そちらをふまえて読まれる必要がありましょうが、ポール・カガメと周辺諸国の関係、バックにある西欧の兵器産業、非戦のための国連の改組の必要性について等、重要な指摘も多くあります。(岡和田晃)

国境なき時代のナショナリズム 服部伸六

■テロの黄昏
 衛星放送で《フランス2》を見ていますと、このところ国際テロリストとして名高いカルロスの名が出っぱなしです。
 カルロスのことを、私は南米生まれの軽薄なヤクザ暴力団の親分だぐらいにと思い込んでいたのですが、こんどその履歴を知るに及んで、共産主義の息のかかった組織の首魁であることを知り驚いています。彼が筋金いりの共産主義者であるとは、とうてい思えませんが、活動の根拠がつねに共産圏にあったことは事実のようです。
 逮捕されてフランス当局に引き渡されたのはアフリカのスーダンでした。スーダンはイスラム原理主義者の祖国を任じている砂漠の国です。東西冷戦がなくなってからは、もめごと発生の本場の観があります。アルジェリアの過激派や、エジプトの国際犯罪人が逃げこむのもここであり、ここには閣の武器が公然と取引される闇市が栄えているということです。また、北アフリカの暴れん坊、リビアのカダフィとも組んで西欧キリスト教諸国から嫌われものになっています。
 そのスーダンは札付きのカルロスを保護しなければならないのに、なぜカルロスをフランスに引き渡したのか。フランスのパクスクワ内相が「裏取引はなかった」と公言しているにもかかわらず、私が得ている情報によると、相当の込み入った国際問題が浮かびあがってきます。
 スーダンは以前から武器売買に励んでいますが、その代金の支払いに困りフランス大銀行「クレヂ・リオネ」に融資を求めました。ところが銀行はその融資にOKを出したのです。これが裏取引の噂の出所なのです。現在、国営に近いクレヂ・リオネはカルロスの引き渡しを条件に融資を承知したのだとの噂が出たという訳ですが、十分ありうることだと思えます。というのは、フランス政府は従来から政府がらみの商取引など、こっそり行いながら、いっさい外部には秘密にして来ているからです。モロッコのベン・バルカ事件として有名な行方不明の左翼指導者のその後は迷宮入りのままです。
 それに加えて、現在の世界では、麻薬やエイズ、それに武器、それも小型軽量兵器にとってはとっくの昔から、国境はなきに均しいのです。世界中に出回っている軽量兵器のおびただしい数を調べたら、世界の裸の本当の姿が浮かび上がるに違いないと思います。世界の裏の、夜の姿ではないでしょうか。
 いま毎日のマスコミを賑ぎあわせているアフリカの中部の国ルワンダの内戦の真の原因は、スーダンからの武器輸入にあるといえます。スーダンの武器を買ったのは、ルワンダの北にあるウガンダなのですが、ウガンダ国軍の手に渡りはしたものの、その一部は、いま問題の「ルワンダ愛国戦線」(FPR)のゲリラ兵士たちへと流れていきました。それもその筈です。このゲリラは現ウガンダ政権のクーデターを助けて勝利に導いた功績があったからです。その恩を売りつけた、という訳です。
 ルワンダの首都キガリには今、勝利したこの愛国戦線が中央政権を作っていますが、その実力者ポール・カガメはウガンダで軍を指揮した軍人なのです。ウガンダは彼に借りがあるわけです。そのお返しに武器を渡したということでしょう。ルワンダ愛国戦線は六年前から組織を強化して、南への進出を策していましたが、今年の四月六日、ルワンダの大統領を乗せた飛行機が何者かが放ったロケット砲により砲撃され、大統領が殺されるという事件の発生を機に南方制圧に決起しました。それもこれも、スーダンから売りこまれた武器があったからのことです。カガメが語ったと伝えられる話によれば、「向こう一年間は戦闘を続けられるだけの兵器は持っている」ということですからルワンダでの勝利は確保されていると言っても間違いありません。
 というのは、これら武器に対して敵対するルワンダ国軍には、フランスが援助した兵器、南アフリカ(この四月に全人種投票で多人種国家を成立させたマンデラの国)が売りこんでいた武器をもって対抗はしたものの、愛国戦線の武器や士気には及びませんでした。
 現在ザイール領に難民となって国連事務総長を悩ませているのは、負けたフツ族の人たちです。勝った方のツチ族を主体とした愛国戦線の政府が今ルワンダの主人となっています。内戦の原因は、部族対立という古い社会問題を抱えるアフリカ人にあると考えられ勝ちですが、従来から武器をもって国際紛争の解決の手段と考えてきた西欧の戦争好きな国民国家にこそ責任があると私は考えてきましたが、ここへきてその正しさを噛みしめています。
 山刀やコン棒しか、武器らしいものをもたぬ農民に自動小銃や手投げ弾を売りつけた先進諸国といわれる国の軍事協力がなければ、二〇〇万ともいわれる大量殺人は起こりえなかったはずだからです。
 とはいえ、部族抗争を含めて、国際テロは黄昏に面していると、私は考えています。なぜなら、これは大変むずかしいことではありますが、人々は武器マフィアの取り締りの重大さに気づき始めているからです。
 このことは凄く困難な事です。というのは兵器産業は西欧先進国の重要な産業としての地位を失っておらず、政府の幹部としっかり結ぼれているからです。例を上げればフランスのダッソウという戦闘機をはじめ武器製造に企業の運命をかけている会社は国の政府の首根っ子を握っていると思われるからです。

■工業革命と国民国家
 工業革命と国民国家日本の維新革命は欧米の文明社会ヘ追いつくために近代工業への参入を急いだのですが、そのとき多くの翻訳語を準備しなければなりませんでした。工業革命を産業革命と訳してしまいました。目くじらを立てるほどの誤訳ではありませんが、やはり正しく「工業革命」とすべしと、私は考えます。農業はたしかに産業ではありますが、工業ではありません。国民意識をひとつに纏めたのは工業であって農業ではありません。
 もし日本が農業国家の域にとどまっていたとしたら、日清戦争も日露戦争もなかっただろうし、台湾や朝鮮を植民地とすることもなかったでしょう。
 「国民国家日本」というものが誕生するには工業が欠かせませんでした。国民国家と戦争は切り離すことができません。
 というのは、ナポレオンの超国家主義戦争をはじめとして戦争に明け暮れた国はだいたい似た国柄を備えていたからです。同一人種、同一言語という点で、そんなに違いはなかったからです。その際、生まれた国家はよく戦争をしました。領土の取り入れをめぐって、または植民地の領有をめぐっての争いでした。工業革命によって大量生産が可能になったので、製品の売り先をめぐって絶えず争いごとが絶えなかったからです。イギリスの例を見れば明らかです。アメリカ黒人の安い労働力で作りあげられた綿布を世界中に売りこむため、世界中に基地を広げたこの国は各地で戦争を余儀なくされましたが、その結果大英帝国を築き上げ、国民国家の模範となりました。
 しかし、それも今世紀になってから衰退に向かいました。その後はご存じのとおりです。それぞれの国は国家意識の強化を必要としましたが、しかし、それには落とし穴がありました。戦争という悪です。もっとも典型的なのは仏独聞のそれで三回も大きな戦争がありました。
 こんなことでは困るというので地域統合への試みがなされるようになったのは、第二次世界大戦後のことです。この反省からようやくのことで、一九九九年ごろにはヨーロッパ同盟が完成することになりそうです。ヨーロッパに限って国境が撤廃されることになるという明るい見通しが生まれたのです。進歩と言えるでしょう。国境がなくなれば、すべては話し合いで解決されることになるはずです。こまごました争いは絶えることになり、素晴らしい世の中になったのですが、しかしこれは、地域の間に限られていますから全世界という訳には参りません。世界にはまだ沢山の人間の住む地域が広がっています。第三世界と呼ばれていた地域、そこではまだ殺し合いは絶えません。ひょっとすると、これは代理戦争と呼べるものかも知れません。先進工業国では武力による問題の解決はなくなったとしても、長い間に育ててきた軍事産業から生じた廃棄物はまだ大量に残っています。ロシアの核兵器やその付属物の処分をめぐって、さまざまな不安の種が残っています。プルトニウムがロシアからお隣のドイツに闇で売られていたというニュースには開いた口が塞がりません。製造にかかわった職員がその取引にかかわっていたというのですから。通常兵器、それも軽量の殺人兵器に至っては、どこでどうなっているのか誰にも分からないでしょう。長びくボスニアの殺し合い、旧ソ連の植民地にほかならなかった僻地の新興独立国間のもめごと、それにアフリカの内戦を加えれば、二十一世紀が抱える不安定な未来図は見えてきます。
 ついでに、地球上の人間の営みも想像がついてきます。進んだ地域と遅れた地域との差異<色>、やがては縮小されるものと考えられますが、そのときの大問題は、おそらく人口問題でしょう。一方で自由貿易のブロックがあるのに、他方では戦いに明け暮れる地域があるという構図は、いますぐ解消とは行かないでしょうが、そのうち解消に向かうことは歴史の教えるところです。
 私は先日、来日したウガンダ大統領ムセベニさんの準備した宴会に呼ばれたとき、大統領の演説を聞いて、わが意を得たりと感じました。彼が言うには、ウガンダを含む、あの地域は言語が共通なので、やがては国境はなくなるだろうとの楽観的な見通しを述べましたが、旧植民地宗主国の余計な介入がなければうまく行くのだということです。余計な介入とは武器の売りこみもその一つです。国境廃止の決め手になるのは。
 国家の介入を廃する地域ごとの協力ができれば平和は可能となります。たとえば今、新潟とロシア東岸を結ぶ経済協力です。新しい展望ですが、国境の撤廃は中央政府でなく民間のイニシアティブで実現するものと私は信じています。それに日本でも始まっている地方分権他、その促進に貢献するでしょう。

■国連と世界政府
 ボスニアのような国を低開発国と呼んでは気の毒ですけれども、地域住民の安住の地を求める願いを、いまのようにがりがりの敵意だけでしか受け止められないというのは、情けないと言うよりほかありません。
 その原因は殺し合いで利益を得ている人たちがいると言う事です。武器の闇商人マフィアたちです。カネ儲けにつながるからです。
 ところが、その他にもいそうです。地球上に黒人などのような蛮人がふえることを困ると考える人たちの存在です。それは、いったい誰でしょう。ローマクラブのおじちゃんたちかもしれません。上等なアルコールで上機嫌になったあまり、台所の片隅に陣取った気心の知れた仲間うちで、一日に何万という人命が失われるのを手をたたいて喜んでいるとしたら、どうでしょう。
もちろん公式の場で口外できる話題ではありませんが、私には聞こえてくるんです。彼らのホンネが。《遅れた人種には死んでもらった方が助かる》のだというホンネが。私もあちこちの外交団のレセプションでそんな囁きを耳にした経験があります。無責任な放言といえば、それまでですが、アフリカ人が聞いたらどう反応するでしょうか。殺し合いを自粛する気になるものでしょうか。だがしかし、本当のところ、それを聞いても怒らずに、自制の上で産児制限に努力してもらいたいものです。このほどカイロで開かれている人口会議では、ほとんど問題にもなっていませんが、中国シナのように一人っ子政策を広めてもらわねばなりません。それと同時に、宗主国から押しつけられた国境が生んだ部族間の争いも止めてもらわねばなりません。人口抑制問題は別の方法で解決すべきなのです。教育の普及もそのひとつの選択でしょう。宗教問題も科学と理性の力で人口抑制に力を貸してもらいたいものです。
 いったい、どれほどの人口が、この地球上で受容可能か決めるのは難しいでしょうが、紀元二〇五〇年ごろには一〇〇億を超える見通しにはどう応えたらいいのでしょうか。多いのでしょうか、まだ余裕があるというのでしょうか。分かりません。

■国連の役割の重大さ
 東西冷戦の終結は国連に大きな荷物を預けることになりました。世界新秩序の策定という任務です。ソ連なきあとの世界で、たった一つの大国となったアメリカは、その役割を引き受けるのをためらっているように見えます。世界中に軍隊を派遣することは大変な負担でしょう。代わりに誰かにやってもらうとしても、誰もやろうというドン・キホーテのような馬鹿げた国はなさそうです。ドイツと日本が狙われていますが、そんな役割はまっぴらで、引き受けぬほうが賢いのです。ここは国連を大きく改組して、国連中心主義を達成すべきでしょう。そんな国連の改組役になるのであれば。それこそ、戦争をあくまでなくしたいという日本の役割のはずです。その意味でなら国連安保常任理事国への日本の昇格は大賛成です。(詩人・評論家)
(注)この所論は94年秋に書かれたもの——編集部

文明論講座〈第五号〉 平成7(1995)年10月1日発行
発行者 社会人大学文明論講座

[註:晩年の父は言葉遣いが多少ろれっていますが、論旨が誤読されることもなさそうなので、そのまま収録しております。大和田始]