「終わる、終わる」庄司卓

 先天性の遺伝子疾患で長年通院している。もっともこれといった不調がある訳でもない。医者が言うには、遺伝子には機能のよく分かっていない部分があり、俺はそこに異常があるそうだ。今のところ身体に異変が無くても、将来どうなるか分からない。だから経過観察しておこうという訳だ。
 一ヶ月に一度、市内の大型病院に通い簡単な問診。そして一年に一度、大学病院で精密検査を続けていたが、異常はまったくなかった。
 しかし市内の大型病院が診療を取りやめ、代わりに通っていた隣町の病院も閉院してしまった。おかげでここ数年は毎月電車を乗り継いで大学病院に通っている。
 一ヶ月に一度の診察は毎回簡単な問診だけで終わるのが通例だ。今日もそうだったが、その後が違った。いつもなら来月の予約をするのだが、医者は何も言わないのだ。やむなく俺から切り出した。
「あの、先生。来月の診察ですが……」
 医者は少し驚いた顔をした。
「なに、君。来月も来るつもりなの?」
 俺は当惑した。毎月来るように言っていたのはそっちじゃないか。
「この病院、今月一杯で終わりなんだよ。だから来月の診察も無い」
 随分、急だな。第一、今日は月末。つまり今日で終わりなのか。
「じゃあ俺は来月からどこで見て貰えば……」
「別に構わないだろう。どこか不具合がある訳でも無いし。どうせ今日で終わりだ」
 無責任な言い方にちょっと怒りを覚えたが、確かに身体には異常は無い。病院通いが苦痛になっていたのは事実だ。
「そうですか。有り難うございました」
 俺は立ち上がり頭を下げ、診察室を出た。来た時には気づかなかったが、改めて見回すと病院内には『閉院のお知らせ』がそこかしこに張ってある。まだ患者も多く居るし、ここが辞めると困る人もいるだろう。俺はそんな事を思いながら、支払を済ませて病院を出た。
 病院の支払も今月が最後となると気が楽だ。実は先日、勤め先の会社が急に今月一杯での解散を通告してきたのだ。つまり来月から無職だ。結構、ブラックな職場だったせいか、多くの社員は急な通告にも、むしろホッとしたような様子だった。しかし俺は上司に、来月からどうすればいいのかと食ってかかった。
 上司はそんな俺を不思議そうな顔で見て、何度も首を傾げるだけだった。
 状況は好転してないが、少なくとも病院代が浮いたのは良かった。

 それにしても不景気のせいか、最近、閉める店が多い。よく利用していた定食屋や居酒屋も今月一杯と聞いている。この前、大手ファストフードチェーンが廃業を発表したのにはさすがに驚いた。

 駅までの道すがら眺めてみても、どの店も閉店、廃業のお知らせが出ている。これはちょっと異常だぞ。
 駅に着いて電車に乗ろうとした時、その張り紙が目に入った。なんとこの鉄道も今月一杯で廃業するらしい。まだ利用客も多く居るはずだ。その中で廃業する意味が分からない。大体、鉄道は重要な交通インフラだ。簡単には廃業できないだろう。自宅にはテレビやPCもなく、スマホも仕事の確認でメッセージをやりとりするだけの俺は、長年、ニュースというものに接していなかった。だからどういう経緯で鉄道まで廃業するのかは分からないが、いつの間にか異常な状況になっていたのは確かだ。

 電車の中でスマホのニュースサイトを何年かぶりにチェックしてみて驚いた。
『首相、「閉国」の談話』
『国連事務総長、加盟国国民に冷静な対応を要請』
『各国首脳、「最期」にエールの交換』
 なんだ、なんだ。これは。まるで世界の終わりみたいじゃないか。首相は『長年続いたこの国が終わる事は残念ですが、平和裏に最期を迎えられたのは最後の首相としてこれ以上は無い喜びであります』などとコメントを発表している。
 そもそもこれを見たニュースサイトからして、トップには『長年のご利用有り難うございました』などとメッセージが出ているではないか。
 さらには『航空機、船舶は本日20時までに空港、港湾施設に到着』『各原発は安全に停止』『インフラは最後の瞬間まで維持』というニュースもあり、パニックの気配はみじんも感じない。
 改めて電車の中を見回しても、利用客におかしな所は見当たらない。サラリーマンは業績が上がらない、学生は成績が伸び悩んでいる事を気にしているようにしか見えず、子供を連れた親は成長を楽しみにしているとしか思えない。

 フェイクニュースサイトに引っかかったのか? しかし電車内の中吊りには『終末までもう少し! 準備はお済みですか?』『やり残した事は無いか! 終わる前にこれだけはやっておこう!』というキャッチコピーが目に入る。
 やはりここでも世界が終わるのは自明の理のようだ。
 どうなった? 何が起きている?

 電車が駅に着くのを待って、俺は数少ない友人の一人に電話を掛けてみた。何から切り出していいのか分からない。まずは明日、暇かと聞いた。
「暇も何も無いだろう。明日には俺もお前も居ないんだぜ」
 衝撃的な答えだったが、友人はおかしいとは思っていないようだ。
「おい、待て。何が起きているんだ?」
「変な奴だな。別に何もおかしな事は起きてないだろう。いつもと同じ、そして今日ですべてが終わるんだ」
「すべてが終わるってどういう事だよ!?」
 俺は思わず声を荒らげた。
「……え?」
 回線の向こうで友人が首を傾げているのが分かった。彼にしてみれば当たり前の事、それがなぜ俺に理解できないのか。彼には心底分からないようだ。
「まぁ、いいや。どうせ今日までだ。長い付き合いだったな。有り難う」
 そう言って友人は電話を切ってしまった。

 家に帰る途中、ホームセンターのテレビコーナーへ寄ってみた。ホームセンターの入り口には例によって『廃業のお知らせ』。そしてテレビ番組はどれもこれも、歴史を振り返る系の番組ばかりだ。番組によっては人類史という壮大なものもあれば、テレビ局の歴史という卑近なものもある。お涙ちょうだいとばかりに盛り上げるキャスターもいれば、淡々と事実だけを述べていくキャスターもいる。
 ただ共通しているのは『今日ですべて終わる』そして『誰もがそれを受け入れて、疑問に思わない』という点だ。
 なんだ、これは? なにが起きている? 隕石でも降ってくるのか? 俺は店内という事も忘れて、チャンネルを何度も変えてみたが、詳しい説明をしている番組は無かった。

 自宅へ戻り、一度冷静になってからスマートフォンで各ニュースサイトをチェック。しかし結果は変わらない。世界は今日、終わる。そして誰もがパニックになる事無く、それを事実として受け入れているという事だ。

 俺は捨てアカウントを作って、SNSに『なんで世界が終わるのに、みんな冷静なの?』『どうして世界は終わるの?』と書き込んでみたが、皆、あおりやネタと思っているのか、まともな反応はなかった。

 どういう事だ? 異常な出来事を受け入れている皆の方が普通で、それを理解できない俺が異常なのか? しかしそんな状態でも腹は減る。俺は近所のコンビニに弁当を買いに行った。
 顔なじみの店長さんが久々に店に出て、お客さん一人一人に挨拶していた。ここでもパニックはない。ただ品揃えは少なくなっており、明らかに『今日でおしまい』という雰囲気を醸し出していた。
 俺は弁当を買い、温めて貰った。
「今日でおしまいなんですね」
 俺がそう言うと店長さんは、少し涙ぐみながら答えた。
「ええ、残念なんですけどねえ」
 俺はそんな店長さんには『なんで終わりなんですか』とは聞けなかった。

 弁当を食い終わり横になる。スマートフォンで見られるニュースは相も変わらず。一つ新たに分かった事といえば、世界が終わるのは零時ちょうどでは無いらしいとの事。日付が変わってしばらくして『終わる』のだが、正確な時刻は分からないらしい。

『終わりは愛する人と』と感動的に訴えるサイトもあれば、『火の元水回りには注意して』と世界が終わるのにそんな事を言っている場合かと苦笑せざる得ないサイトもある。

 一体なにが起きるんだろう。こんな状態では眠れないなと思いながら弁当を食ったせいか、うつらうつらしはじめ、やがて完全に寝入ってしまった。

 余りにも静かすぎて目が覚めた。うるさくて目が覚めるのはよく有るが、異様なまで静かでも目が覚めるのだとこの時になって初めて知った。窓から差し込む日の光で朝だと分かる。時計は午前7時すぎだ。たっぷり8時間くらいは寝てしまったようだ。

 なんだ世界は終わっていないじゃないか。そう思いながら窓を開けた。すぐに異様さが分かった。誰も歩いていないのだ。ここは学校も近くにある住宅街。いつもならこの時刻になると通学の子供や、朝の散歩をするお年寄り、そして道路の掃除をするご近所さんがいるはずなのに人っ子一人いない。
 そして何より静かだ。鳥のさえずりは聞こえるが、音と言えばそんなもの。まず自動車の音が聞こえない。エアコンの室外機の音も聞こえない。人の話し声もしないのだ。

 俺は外へ出てみた。周囲を見回す。やはり歩いている人の姿は無い。昨夜、弁当を買ったコンビニに行ってみるが、入り口は閉ざされ、利用客に感謝する手描きの張り紙があるだけだった。なかを覗き込むが誰一人いない。無論、商品も残っていなかった。
 交番へ行ってみる。ここも入り口は閉ざされていた。
 大声を出してみた。
「誰かいませんか!!」
 こんな町中でも大声を出せば反響するんだ。それが分かった以外の収穫は無かった。自宅に戻りスマートフォンをチェックした。起動はするがネットに接続は出来ない。そりゃそうだ。保守管理する人間がいないとどうにもならない。

 俺は近所の家を一軒一軒回り、誰か居ないかとノックしてみた。しかしどこも返答は無い。警官もいないのだ。それに緊急事態、これくらい許されるだろうと、ドアを開けようとしてみたが、どこも開かなかった。
 ようやくある住宅で少し開いている窓を見つけた。念の為、声を掛けてから、窓から住宅へ入ってみた。中は綺麗に片付いていた。シンクにも洗い物は残っていない。寝室へ入って、ぎょっとした。この住宅の住人である家族が揃って眠っているように見えたからだ。親らしき若い男女が4、5歳の男の子とベッドに横たわっていたのだ。
 声をかけても反応は無い。近づいて分かった。この家族は死んでいるのだ。眠っているかのように目蓋を閉じているが、触ってみると冷たい。呼吸もしていない。
 家族は共にベッドにはいり、心安らかに最期の時を迎えたのだろう。

 俺はやりきれない思いで住宅の外へ出た。おそらく他の家でも、いや世界中で同じ事が起きているのだろう。しかしその中でなぜ俺だけが生きているんだ? 他にも生きている人間が居るのか? そもそも何が起きたんだ?

 思わず天を仰ぐ。その視界に妙な物が飛び込んで来た。幾何学的な、何とも言えない形状の物体。見た感じではジェット旅客機よりはるかにでかい。それがいくつも、音も無く空を飛んでいるのだ。
 生物では無い。すると……。UFO? 宇宙船? その一機が高度を下げて、町の中心部へ向かって行く。
 宇宙人なのか? 宇宙人が人類を滅ぼしたのか? でもどうやって……。いや、そんな事はどうでもいい。奴らの顔を拝んでおかないと、死んだ人間が浮かばれない! 俺は近くに放置されていたバイクにまたがり、宇宙船が降りた方へ向かった。

 駅前広場にそれは降下していた。しかし、完全に地上に降りているのではない。下半分が大きく開いて、地面へ接していた。そこから幾つか何かが降りて来た所だった。
 やっぱり宇宙人か? いや、違う。見た目は金属製。宇宙人のロボットか。こいつらが地球人を、地球の歴史を終わらせたのか! 思わず怒りがこみ上げてきた俺は、近くの店の入り口を封鎖してあった材木を手に取り、ロボットの方へ駆け寄った。こんな事で宇宙人のロボットが倒せる訳が無いとは分かっていた。しかし人類の最後の一人として、せめて一矢を報いたいという思いがあった。

「自己増殖型自立行動炭素基ロボットによるテラフォーミング。まずは成功だな」
 周囲を見回して司令官はそう言った。
「計画より二酸化炭素濃度が低いようですが……」
 そう言う執行官に司令官は苦言を呈した。
「それを決めるのは君じゃ無い。指導部だ。そして指導部は第三惑星のロボットに寄るテラフォーミングは成功したと結論づけたんだ」
「ロボットのプログラムに苦労した甲斐があったというものです。今までのテラフォーミング用ロボットは、いずれも予期せぬ行動を起こしていましたから。ある程度の冗長性を持たせたのが、成功の鍵だったのでしょう」
 技術官は自画自賛した。
「ところでそのロボットはどうなったのかね?」
 司令官の問いに技術官は答えた。
「はい、テラフォーミング完了を持って、自動的に機能停止するプログラムを仕込んでありましたから、すでに全個体、完全に機能は停止しているはず……」
 技術官がそう言いかけた時だ。突然、物陰から何かが、妙な声と共に彼らの方へ駆け寄ってきた。棒を持ち敵意を剥き出しにしている『それ』に、司令官たちは危険を感じ取ったが、技術官は冷静に機能停止プログラムを実行した。そしてその『ロボット』は糸の切れた人形のように倒れた。
「すいません。機能停止プログラムが動作していなかった個体のようです。おそらく稀なバグだと思いますが、念の為、惑星全体に機能停止プログラムを配布します」
「これがテラフォーミング用自己増殖型自立行動炭素基ロボットの個体か。ずいぶんとグロテスクだな」
『ロボット』へ不快そうな視線を送る執行官に技術官は答えた。
「機能を追求した形状です。私にはむしろ美しく思えますが」
 執行官は皮肉な感情を示す高周波を少々放っただけだった。司令官は地面に転がった『それ』を見て技術官に訊ねた。
「このスクラップはどうするつもりだ。テラフォーミング用ロボットは、機能停止直前で、惑星全土に七〇億体以上はいたと聞いている。スクラップの手間だけでも馬鹿にならないだろう」
「ああ、大丈夫です。予めスクラップ処理用のナノマシンも散布してありますから。遠からず完全に分解されるでしょう」