「パラサイト惑星 第四部」スタンリイ・G・ワインボウム(大和田始・訳)

        第4部
        
 パトリシアは正しかった。トランスキンの保護膜なしでドーポットの断片に接触すれば、死んでしまう。言うまでもなく、火炎弾銃の爆風は二人の身体にその細片を降り注がせるだろう。ハムは彼女の手首を掴むと、峡谷の奥へと逃げて、銃撃しても危険のない有利な地点に立とうとした。すると、3メートル後ろにドーポットが、唯一進める方向――食糧に向かってまっしぐらに押し寄せてきた。
 二人はなんとかかわした。すると、南西に伸びていた峡谷が突然、鋭く南に曲がった。永久に変わること無く東にある太陽の光は遮られ、彼らは永遠の影の穴に入った。地面に植物はなく、岩はむき出しだった。そして、この地点に達すると、ドーポットは進むのを止めた。生命体としての構造をもたず、意思もなく、行く手に食糧がなければ動くこともできない。それは金星のような生命が繁茂する気候にしか宿ることのできない怪物であり、いつ果てるともなく食べつづけることでしか生きられないのだ。
 二人は影の中で足を止めた。
 「さてどうするか?」ハムは呟いた。
 ドーポットの塊に有効な銃撃を加えることは角度が悪くて不可能だった。爆風が破壊できるのは、弾の届く箇所だけだろう。
 パトリシアは跳びあがって、崖に張りついているねじくれた木をつかんだ。生えた場所が高く、かすかに太陽の光を受けていたのだ。彼女が脈打つ塊にその木を投げつけると、ドーポット全体が半メートルほど前にせりだした。
 「おびき出すのよ」と彼女は提案した。
 二人は試みた。無益な試みだった。植物はまばらで、少なすぎた。
 「ドーポットはどうなるのだろう?」ハムは尋ねた。
 「〈集熱地帯〉の砂漠の端に取りのこされたのを見たことがある」と若い女は答えた。「長いあいだ身を震わせていたけれど、結局は細胞同士が攻撃しあって、自分で自分を食べてしまった」彼女は身震いした。「あれは――ぞっとしたわ!」
 「時間はどのくらい?」
 「40時間から、50時間くらいかしら」
 「そんなに長くは待てない」ハムは唸った。彼はパックの中に手を突っこんで、トランスキンを取り出した。
 「何をするつもり?」
 「これを着て、至近距離からあの塊を向こうに吹き飛ばそう」彼は火炎弾銃に指をかけた。「これが最後の銃身だ」陰鬱な声だったが、すぐに、希望をにじませて言った。「だが君の銃身もある」
 「わたしの銃の薬室は、この前、10時間か12時間前に使った時に割れてしまった。でも銃身はたくさんある」
 「上々だ!」ハムは言った。
 彼は慎重に、脈打つ白い壁とも言うべき怪物ににじり寄っていった。できるだけ広い角度をカバーするように腕を突き出し、引金をひくと、銃撃の火炎と轟音がとどろき、渓谷を抜けた。怪物の切れ端があたりに飛び散り、何トンもの汚物が燃えたので、本体の厚みはわずか1メートルに減じていた。
 「銃身は持ちこたえた!」彼は誇らしげに叫んだ。これで再充填の時間が大幅に省ける。
 5分後、また拳銃は壊れた。怪異な塊の膨張は止まり、厚みはわずか50センチになっていたが、銃身は粉々に砕け散ってしまった。
 「きみの銃身を使わねばならないようだ」と彼は言った。
 パトリシアは銃身を一つ取り出した。それを手にして、それに目をやって、彼は愕然とした。彼女のエンフィールド製の武器の銃身は、彼のアメリカ製の拳銃には小さすぎた!
 彼はうめき声をあげた。「とことん愚か者だ!」吐き出すように言った。
 「愚か者ですって!」彼女はかっとなった。「あなたたちヤンキーが銃身に迫撃砲を使うからでしょ?」
 「自分にいらだっているんだ。こういうことは予想してしかるべきだった」彼は肩をすくめた。「さて、我々には選択の余地がある。ここでドーポットが自分を食べ尽くすのを待つか、この窮地を抜け出す他の方法を見つけだすかだ。そして私の勘では、この峡谷は行き止まりだ」
 そうかも知れない、とパトリシアは認めた。狭い裂け目が出来たのは、太古の大規模な隆起の結果、山が真っ二つに割れたからだ。水の浸食でえぐられたのではなかったので、裂け目は、測りしれない断崖絶壁のままで不意に終わってしまう可能性も十分にあったが、またどこかで、その鋭い崖を越えられるようになるかもしれなかった。
 「ともかく無駄にする時間はある」と彼女は結論づけた。「まずは試してみましょう。それに――」彼女はドーポットの臭いをかいで不快になり、可憐な鼻にしわを寄せた。
       
 トランスキンを着たまま、ハムは影に沈む薄闇の中を行く彼女を追った。通路は狭ばまり、やがてまた西にそれたが、壁はとても高く切り立っていて、東よりやや南にある太陽の光は、そこに差しこむことはなかった。そこは影の土地であり、黄昏地帯と暗黒の半球を分断する線状の嵐の領域に似ていた。真の夜ではなく、正真正銘の昼でもなく、その中間の薄暗い状態にあった。
 前方を行くパトリシアの赤銅色の手足は、日焼けの色から青味がかった色に変わり、その話し声は対面する崖に反射して奇妙な響きをおびた。不気味な場所だ。地の裂け目。薄暗く不快な場所。
 「どうにも好きになれない」とハムは言った。「この峠はどんどん狭まり、闇が深くなっている。誰も知らないんだよ、〈永遠の山脈〉の暗黒の領域に何があるのかは」
 パトリシアは笑った。その声はこの世のものとは思えない響きだった。「どんな危険があるって言うの? とにかく、わたしたちにはまだ自動拳銃がある」
 「ここには上に登る道がない」ハムは不満を述べた。「引き返そう」
 パトリシアは彼に顔を向けた。「怖気づいたの、ヤンキー?」声をひそめて言った。「現地人の噂では、あの山は呪われているらしいわ」彼女はからかい気味に続けた。「父から聞かされたのは〈狂人峠〉で奇妙なものを見たという話。もし夜の側に生物がいるとしたら、それがちょっかいを出す場所は、ここ、黄昏地帯よね? 〈永遠の山脈〉のここでしょ?」
 彼女はハムを脅かしていた。彼女はまた笑った。その笑い声は、突然、おぞましい不協和音となってこだまし、上方の崖の両側から恐ろしいメドレーとなって降りそそいだ。
 彼女は青ざめた。今や怯えているのはパトリシアの方だった。二人が不安になって岩壁を見上げると、奇妙な影がちらちらと動いていた。
 「何――あれは何?」彼女はささやいた。そして「ハム! 今の見た?」
 ハムも見ていた。野生生物が細い帯状の空をよぎり、頭上はるかな崖から崖へと跳び移っていたのだ。そして再び、ホーホーという笑い声のような音が響き、切り立った壁の上では、蝿のように、おぼろげな形のものが移動した。
 「引き返しましょう!」彼女はあえぐように言った。「早く!」
 彼女が向きを変えると、黒い小さな物体が落ちてきて、目の前で鈍い音をたてて割れた。ハムはそれを見つめた。何やら未知の品種のポッド、胞子嚢[のう]だった。ぼんやりとした黒い雲のようなものがその上に漂い、突然二人は激しい呼吸困難におちいった。ハムはめまいがして頭がふらつくのを感じ、パトリシアもよろめいて彼に倒れかかった。
 「催眠麻薬だわ!」彼女は息を呑んだ。「戻りましょう!」
 しかし、さらに十数個の胞子嚢が近くではじけた。埃[ほこり]のような胞子が黒い渦を巻き、息をすることは苦行となった。二人は薬物におかされ、同時に窒息しつつあった。
 急に良い考えが浮かんだ。「マスクだ!」ハムは息を止めて、トランスキンを顔に引きあげた。
 〈集熱地帯〉の黴[かび]を締め出すフィルターが、胞子の浮かぶ空気を同じように清浄にした。頭がすっきりとした。しかし、パトリシアの面頬[めんぼう]はどこにあるか分からず、パックを手で探った。突然、彼女は膝をつき、身体を揺らした。
 「私のパック」かぼそい声で彼女は言った。「あなたが取りだして、あなたの――あなたの――」彼女は咳[せき]の発作におそわれた。
 彼はわずかに張り出した岩の下に彼女を引きこみ、荷物の中からトランスキンを抜き取った。「早くつけろ!」と彼はどなった。
 多数の莢[さや]がはじけていた。
 岩壁のはるか上方を音もなく飛びわたる影があった。ハムはその飛ぶ様子を目で追い、自動拳銃で狙いをつけて撃った。鋭くしゃがれた叫びがあがり、それに続いて不協和音の大合唱がおこると、人間くらいの大きさのものが舞い落ちてきて、3メートルと離れていないところに激突した。
 それは身の毛のよだつ怪異なものだった。ハムは驚いてその生物を見た。現地人には似ておらず、目が3つあり、手が2本で、足は4本だった。その手は〈集熱地帯人〉と同じく2本指だが、ペンチ型ではなく、白くて爪が生えていた。
 そしてその顔! 他の生物の平べったく無表情な顔ではなく、斜めに歪んで、悪意に満ちた、くすんだ顔をしていて、目は現地人の二倍の大きさだった。死んではいなかった。憎々しげににらみつけ、石を掴むと、か細い悪意をこめて彼に投げつけた。そして息絶えた。
 もちろんハムはそれが何なのか知らない。実はそれはトリオプス・ノクティヴィヴァンス――〈闇世界の三ツ目の住人〉として知られている。少しばかり知性があるものの醜悪[しゅうあく]で、これまでのところ、夜の側で知られている唯一の生物であり、〈永遠の山脈〉の太陽の当たらない側に時たま出没する獰猛[どうもう]な生き残りの種族だった。おそらく既知の惑星の中で最も凶悪で、決して近寄るべきではなく、虐殺に悦びを見出している生物だ。
 銃声が響くと、莢の雨は止み、その後に笑い声の大合唱が起こった。ハムはその休止期間を利用して、パトリシアのトランスキンを顔を覆うようにに引きあげた。彼女は半分しか装着していない状態で崩折れていたのだ。
 その時、鋭い音が響き、石が跳ね返り、彼の腕に当たった。多数の石が周りに飛び交い、銃弾のような速さで音をたててかすめる。黒い影が空を背景に大きく跳躍する姿がちらちらと見え、その激しい笑い声はあざけるように響いた。彼は空にうかぶその影の一つを撃った。また苦痛の叫びが響いたが、生き物は落ちてこなかった。
 石が降り注いできた。どれも小さく、小石と言ってよかったが、速さが尋常ではなく、シュッと音をたてて飛び、彼のトランスキンは貫かれ、皮膚が裂けた。振り返ってパトリシアの顔を見たが、彼女は背中を石のミサイルにやられて、かすかにうめいていた。彼は自分の身体を盾にして彼女を守った。
     
 状況は耐え難いものだった。谷の入口をドーポットが塞いでいるのに、駆け戻る危険を冒さなければならない。もしかすると、トランスキンに身を包んでいれば、ドーポットの中を掻き分けていけるかもしれない、とまで考えた。突拍子もない考えだということは分かっていた。糊状の塊に飲みこまれれば窒息してしまうだろう――だが彼はそれに立ち向かわねばならないのだ。若い女性を腕にかかえて峡谷を急ぎ駆け下った。
 歓声、きしり声、あざ笑うような声の合唱が周辺に響いた。石が身体中に当たる。そのうちの一つが頭をかすめ、彼はよろめきふらついて崖にぶつかった。しかし彼はひたすら走り続けた。その時、何が自分を突き動かしているかがわかった。それは彼が抱えている若い女性だった。彼はパトリシア・バーリンガムの命を救わなければならないのだった。
 ハムは曲がり角にたどり着いた。西の壁の遥か上方で、雲にさえぎられた太陽が赤く輝き、不気味な追跡者は影の側に跳んだ。彼らは日光を浴びることに耐えられないので、ハムにとっては多少の助けになった。東の壁にぴったり身を寄せて忍び足で進むと、充分ではないが姿を隠せたのだ。
 前方にはまた曲がり角があり、ドーポットが塞いでいた。近づくと、不意に彼は吐き気をもよおした。飛行生物の3体が一団となってその白い塊に群がり、腐敗物を食べて――本当に食べていた! 近づくと、こちらに向きなおり唸り声をあげたので、彼はそのうちの2体を撃ち、3体目が壁に向かって跳んだので、それも撃った。落下すると鈍い音をたてながらドーポットに飲みこまれた。
 彼はまた気分が悪くなった。ドーポットは飛行生物を避けるように引き下がり、その跡の巨大なドーナッツの穴のような空地には、飛行生物が残されていた。何物をも飲みつくす怪物でさえ、この生物を食べようとはしないのだ。[原註1]
 しかし、飛行生物の跳躍を見て、ハムは30センチ幅の岩棚に気づいた。もしかすると――そうだ、その切れ切れの足場を跳びわたって、ドーポットの先に回りこめるかもしれない。石が飛び交う中では希望は無いに等しいが、そうする他なかった。他に選択肢はないのだ。
 彼はパトリシアを左に移しかえて右腕を自由にした。自動拳銃に二つ目の弾倉をさしこみ、上方の見え隠れする影に向けて闇雲に発射した。しばらく小石の雨が止んだので、ひきつけを起こすような痛みを伴う難行だったが、そのすきに自分とパトリシアを岩棚の上に持ち上げた。
 石がまた近くで音をたてた。一歩一歩じりじりと平衡をとりながら進み、死にかけのドーポットのすぐ上を渡った。下には死、上にも死! 彼はじりじりと角を曲がった。上方では両側の壁が日光を浴びて輝き、二人は無事に窮地を脱した。
 ともかくハムは無事だった。パトリシアはもう死んでしまったかもしれない、と狂おしく考えながら、ドーポットが通過した跡の粘るものの上を足を滑らせながら進んだ。日に照らされた斜面に出ると、ハムは彼女の顔のマスクを剥ぎ取り、白くて大理石のように冷たい顔をのぞきこんだ。
     
 しかし彼女は死んでいるのではなく、麻薬のせいで昏睡状態になっていただけだった。一時間後、彼女は意識を取り戻したが、弱っていて、ひどく怯えていた。それなのに、彼女が最初に口にした質問といえるものは、自分の荷物のことだった。
 「ここにある」ハムが言った。「それほど大事なものとは何なんだ? ノートか?」
 「ノート? 違う!」顔全体がかすかに赤らんだ。「ずっと――言おうとしていたのだけど――あなたのクシクティルよ」
 「えっ?」
 「そうよ。わたしは――もちろん捨てて黴のえさにしたんじゃないわ。そもそもあなたのものよ、ハム。イギリス商人たちも大勢、アメリカ領の〈集熱地帯〉に入りこんでいる。私はちょっとポーチに切りこみを入れて、中身はわたしの荷物の中に隠した。地面の黴はわたしが投げ捨てた木の枝――本当だと思わせるためにそうしたのよ」
 「でも――いったい――なぜ?」
 顔の赤みが増した。「あなたを懲らしめたかった」パトリシアが小声でいった。「とても――冷たくてよそよそしかったから」
 「ぼくが?」ハムは驚いた。「それはきみの方だろう!」
 「そうだったかもしれないわ、最初は。あなたがわたしの家に押し入ってきたからよ。でも――あなたがわたしを抱えて噴出する泥原を越えてくれた後は――違ったはずよ」
 ハムは言葉に詰まった。不意に彼は、パトリシアを腕の中に引き寄せた。「どちらが悪かったのか、言い争うのはやめよう。しかし、今すぐに一つ片付けるぞ。ぼく達はエロティアに行き、そこで結婚するんだ。すてきなアメリカの教会で。もしまだ教会が建っていなければ、教会がなければ、よきアメリカの判事の立会いで。〈狂人峠〉や〈永遠の山脈〉を越える話はもう無しだ。いいかな?」
 パトリシアは雲間から姿を見せる切り立った峰々に目をやって、身震いした。「いいわ!」従順に彼女は答えた。

               終

*原注1:当時は知られていなかったが、金星の夜の側の生物は昼の側の生物を食べて消化できるが、その逆は成り立たない。昼の側の生物が暗い側の生物を消化できないのは、代謝の際に生成されるアルコールが数多く存在し、すべて有毒だからである。