「蛍石のパズル」大野典宏

連作 ミネラル・イメージ

蛍石のパズル

大野典宏

――人が抱える悩みは、いつの時代でも他人との関係が九割を占めている。
                       洪陶鋳「根菜譚」

 本日のカウンセリングは、私が引き受けて話を聞き出すことになった案件だ。警察が絡む話で他の先生が持て余すと、最後は私という流れが定着してしまったようだ。厄介な話だし、ひたすら傾聴して分析するカウンセリングの流れとは違うので異様に疲れるのだが、仕事だからしっかりとこなさなければならない。私の専門はカウンセリングであって取り調べではないのに。
 今回のクライアントは天然石彫刻のアーティストとして世界的に有名な人物である。彼の発表する作品は、ガラスや金属のような型に入れて作る工芸品とは違い、一品ずつ原石から切削して作り上げるので相当な手間がかかるのだが、とにかく細密に、しかも丹念に削り出すことで多彩な形を生み出している。
 中でも有名なのは、断面の各辺が一センチしかない細長いオニキスから削り出した精密な路面電車だろう。ロシアのロマノフ王朝が毎年宝飾職人に作らせていたイースターエッグを思い出させるような技術と芸術性に満ちた作品ばかりなのだ。後世、そのインペリアルイースターエッグのような扱いがされるかもしれない。
 もちろん、事前に他の先生が聞き出した彼の経歴は頭の中に入っているし、モバイル端末からすぐに参照できるようにしてある。だが、どうしてもわからない点があるし、聞き出さないとクライアントの経歴が汚されることになる。こんな案件が得意だろうと勝手に期待されて私にまかされた。
 ここから先は、メモの代わりに録音したデータから、AIで書き起こしたものに基づいている。もちろん、守秘義務に関わるので元の録音はすぐに消してある。

■カウンセリング 一回目

 まず、私から聞きたい点を切り出してみることにした。
「率直にお尋ねします。なぜ、あなたは自分に向けられる意見を憎んで脅迫までしてしまったのですか?」
「それは憎いからです」
「なぜ憎いんですか?」
「言い直せば嫌いだからです」
「その理由を話そうとしないのはなぜなんですか。他の先生が何度となく聞いても答えないので担当が私に変わったんです。それがわからないと診断の糸口も見つかりませんから」
「自分の過去が憎いからです」
「そこまでは聞いています。なぜ憎いんですか。その原因がわからないから みんな困っているんです」
「この国が憎いし、この国に存在する同調圧力が嫌いなんです」
「それも聞いています。今は検察が脅迫で立件できないかと探っているようなので忠告しますが、これで原因がわからなければ厄介な話になりかねません」
 これは本当のことだった。警察の調査が入っているのも本人は十分に知っているだろう。事態が切迫していることを伝えてみることにした。
「もともと、国籍はこの国だけど、あなたは海外生活が長かった。帰国したのは最近ですよね。元の国に戻るのも一つの手段ですよ。そこであなたは石材彫刻家になったわけだし」
「それはダメです。絶対に戻りたくはありません。あんな独裁国になんて……」
 脅かしが効いたのかもしれない。彼が住んでいたのは、徹底した独裁と全体主義で知られる国だ。国民生活はすべての面で制約があるし、制限もされている。それが嫌なので、この国に戻ってきたのだ。
「そうだとしたら、この国と、元の国のどちらも選べなくなってしまいますね。いっそのこと、その他の国で暮らすのはどうですか?」
「いや、言葉の問題があるので。私は二カ国語しか話せません。たしかに、行って半年くらい経てば少しは困らなくもなるでしょう。でも、今の保守化しつつある世界情勢だと……」
「作品は世界的に有名ですよね。半年間くらい十分に暮らすだけの余裕はあるんじゃないかと思います」
「確かにそうですけど、他の国に行ってもたぶん国ごとに嫌な状態が見えてくるでしょう。だったら、この国で我慢したほうが良いと思うし」
「その結果が嫌悪とか憎悪の感情なんですか。それでは、どの国に行っても同じことを繰り返します。それをどうお考えですか?」
 長い沈黙の後、絞り出すように言った。
「それでは、次の機会があったら未発表の作品をお見せします。それが答です」

■カウンセリング 二回目
 着席するなり、彼は鞄の中から丁寧に梱包された物を静かに取り出した。
「これは試作で作ってみた簡単なものです。実作が完成したら作品名を『人間と人間』にするつもりです」
 驚いたのは、その作品が石から削り出された知恵の輪だったことだ。
「なぜこの作品名が『人間と人間』なんでしょうか。それがわかりませんね」
「あの……知恵の輪ってディスエンタングルメント・パズルと言うんです。要するに、もつれを解くパズルです。でも、これは、構造的に解けないように製作しました」
「え? 普通は知恵の輪って、部品ごとに作って組み立てるものだと思っていたんだけど、これはどうやって?」
「ああ、似たような形でありながら微妙に変えて解けないように削り出したんです。発表する際には、もっと複雑な形にする予定です」
「異様な話ですね。その心境に至るまでの事を話してくませんか。原因がわかれば情状酌量されるかもしれないし」
 これには引っかかってくれたらしい。
「もし、次があるのなら、文章にして持ってきます。それでよろしいですか?」
「わかりました。残さず書いてください。守秘義務があるので内容は漏らしません。あくまでも私の所見としてレポートを書く参考にするだけですから」
 後から思えば、彼は誰かに話を聞いてほしかったのかもしれないとすら思っている。私は似た事例をいくつも担当してきている。

■カウンセリング 三回目
 以下が手記の内容である。この部分は録音ではないので、そのまま書き写す。
 この文章を読み、私は納得したので事後の対応も含めてアドバイスをするに留めた。

   * *

 私は、完全な独裁・全体主義体制のもと、全てを管理された国で育ちました。父が商社勤務だったのでついて行かざるをえませんでした。預かってくれる親戚はいなかったし、一緒に暮らせるのは母親だけだったためです。
 その国は、いろいろな面で息苦しいと思われている≪この国≫よりも国家権力からの管理と行動の制限が厳しかったんです。幸い、外国人学校内にある『この国』の国民が集められるクラスだったので与えられる文房具類は≪この国≫の製品で、官給品ではありませんでした。
 それが何も興味を持てない国での生活で、私に遊びをもたらしてくれました。官給品の鉛筆は、≪この国≫で称しているHB相当の製品で統一されているのですが、私はHの番数が高い物を選びました。芯が固くて頑丈だからです。Bではもろくてすぐに折れるためでした。しかも、最も硬くて機械の製図にしか使われないような鉛筆なので、字が薄くて読みにくいと先生に文句を言われましたが、気にしませんでした。
 暇な時にコンパスの針で鉛筆の芯に模様を刻んでみたら、小さいながらも彫刻ができることに気が付いたからです。最初はレリーフのような物を削り出してみていたのですが、もっと細かい立体彫刻を作ってみたくなったのです。
 コンパスの針は硬くて太いので、裁縫箱にあった縫い針を使って根気よく刻み続けました。芯の部分だけをむき出しにして、鉛筆の芯で鎖を作ってみたのです。つなぎ目の隙間を削って連結した輪っかにするのはとても楽しくて、私の唯一の趣味であり、同時に生きがいにもなりました。まぁ、これは母親に見つかってしまって、せっかく満足していたのに壊されちゃいました。でも、これくらいで諦めることはありませんでした。それほどに面白かったんです。
 鉛筆の次は、まず柔らかい石膏から始めてみました。固い陶器で開いた本のような柔らかい物を再現する芸術家の作品を見て、鋳造や陶器では実現できない物を削り出してみようかと考えました。それが、≪あの国≫のコンテストで最初に賞をもらった、石膏を削り複雑な三次元ワイヤーアートを模した作品でした。
 そこから、お金をかけて歯科医用のドリルやエンドミル、ダイヤですら研磨できるタングステンを使ったヤスリを購入したので、もっと硬い鉱石も使えるようになったわけです。特に評価されたのはオニキスの彫刻ですが、本当に気に入っているのは蛍石なんです。モース硬度が4なので、比較的柔らかいんです。間違って下に落としたら簡単に割れるくらいです。人間の歯がだいたい6か7だと言われるので、モース硬度が7のオニキスはギリギリです。でも、完成品が壊れにくいので、出展する際には使うことが多くなります。それでも床に落とされたら細かい部分が欠けることもあるので厄介なんです。
 蛍石は性質が面白いのです。加熱すると発光してくだけるので、ホタルのようだとのことで名前が付いたのです。まるで私のようだと思っています。精神の内圧が高まると頭の中で何かが発光してくだけます。だから、私の頭の中で光って砕けた物を蛍石で作ってみました。
 解けないパズルを作った理由は、生まれた国に戻ってきて≪この国≫独特の常識がわかっていないと異物として扱われると実感したからです。≪あの国≫での生活が長かったから、「日本人ではなくなってしまった人」だと認識されるようになりました。
 極端な例を挙げてみます。≪あの国≫で行われる視力検査は識字の検査も兼ねているんです。勘繰りですが、不法入国者の排除を目的としているのかもしれません。だから、≪あの国≫の文字で視力検査が行われていました。でも、『この国』に戻ってきて、国際標準のランドルト環って言うらしいのですが、丸の一部が欠けた検査表を初めて見たんです。いや、≪この国≫で視力検査を受けているはずなのですが、その記憶はまるでありませんでした。
 私は、どう答えればよいのかがわからず、数学の授業で習った言い方でアンド(∩)、オア(∪)、サブセット(⊂)、スーパーセット(⊃)と答えました。そこで視力検査を担当した医師から「当たってはいますけど、こんな答え方をした人って初めてですよ」と馬鹿にしたような顔で呆れられました。明らかに検査を担当した人の思い込みによる説明不足でしたし、偏見でした。国際標準を使わない国だって存在しているのに、その点を考慮していないわけです。
 国際標準のSI単位系を無視して、未だにインチやポンド、華氏を使い続けている国が許されるのは大国だからでしょうか? 単位の変換では誤差が出るのに。
 だから、それは許しても、≪あの国≫で育ったから変わり者だって偏見の目で見られたり、郷に入っては郷に従えで、≪この国≫だけで通用しているやり方を強要したりする習慣とか同調圧力が本当に嫌になったのです。
 残念なことに、そこそこ名前が知られてしまっているので、SNSや右翼系イエロージャーナリズムの記者から何かと勝手に決めつけられたり、書かれたりすることがあります。「実はスパイじゃないのか?」とか、「日本国籍だけど思想的に≪あの国≫に染まっている外国人と変わらない」といった声には本当にうんざりしています。中には展示作品を壊してやるという書き込みまでされてしまいました。こんな話は、結局のところコップの中の嵐でしかないので不毛です。
 ≪この国≫って面白いですね。自称正義の味方が湧き出てくるんですよ。叩くのが正義だと思い込むと、遊び半分で叩き始めるんですよね。正義なんて誰が決めるわけでもないのに、正義が娯楽になるって凄く不思議です。正義であれば違法な暴力ですら歓迎される文化なんて、珍しいと思います。守るべきは法律の方が優先されるべきですよね。法って人を守るために作られているのに、正義は人を叩くために存在するって、概念がひっくり返りました。その面では元いた国よりも酷いと思っています。
 だいたい、私が帰国できなかったのは、≪この国≫で様々な価値観の分断による紛争が続いていて治安が悪かったからです。そんな国の人達に言われることではありません。たしかに、何の意味もないひどい悪口に対して感情的になり、「私は空手三段、合気道五段だ」とSNSに書いてしまいました。確かに段位は事実ですが、脅迫だったと認めざるをえません。
 パズルのように見えて決して解けない作品を考えたのは、普通だったら外したいと思うのに外れないという点に、人間関係を全部切ってしまいたいのに切らせてくれない状況を託したからです。
 さて、排他的な思考で他の人を勝手に中傷して貶めるのと、どちらが悪いのでしょうか。判断はおまかせします。

   * *

■その後
 本人が事情を記した謝罪文を発表することで評価は正反対のものになった。おかしいのはどちらなのかが明らかになったからだ。相手が世界的に評価されている人物だけに、事件として世界的に知られてしまうことに恐れをなしてた告訴人が撤回し、それに応じて検察も起訴を取り下げた。しかし、未だに彼の主張に理解を示さず、一方的な決めつけで悪口を書く人もいる。こんな国だから仕方のないことだし、そのような人々を納得させることは永久にできないだろう。
 それから一年後、『人間と人間』と題された、複雑極まりないパズルのようであっても決して解けない作品が発表された。許諾の元、三次元スキャナで読み込んだデータが無料で公開された。パズル愛好家は、そのデータから各自が三次元プリンタで制作したものの果たしてこれをどうやって解くのかと議論になっている。彼の狙いは成功したのだ。
 彼が蛍石を選んだ意味もはっきりとした。希土類を含んだ蛍石を使い、紫外線灯を当てて展示されている。削り出された複雑極まりない、だが決して解けないパズルは、紫外線によってきれいな紫色の光を発する。照射時間になると大勢の見学者が来るという。
 作品の完成度と美しさから、作品名『人間と人間』が彼の新たな代表作になった。世界的な評価もオニキスの小型路面電車をはるかに超えた。だが、彼の制作意図に関してはいっさい語られていないし、意味に気がつく美術評論家も現れなかった。謎は謎のままで良いのだ。
 それにしても、またもや鉱石に関わる事例が出てきてしまった。これがなぜなのかはわからない。

(了)

作者注:念のために記しておきますが、冒頭の「根菜譚」は架空の書籍です。実在する「菜根譚」とは違います。