「十進数の森」片理誠

 記。
 クォード・クルー一等税務官より、シュナス署長へ。
 正式な報告書は後日、あらためて提出いたしますが、まずは取り急ぎ、現状につきまして。
 結論から申し上げますと、ソーン・モル三等税務官の行方は、今もって杳として知れず、また、決定的と言えるほどの手がかりも未だつかめてはおりません。

 捜索の出だしは順調でした。というのも丁度、国家警察局によってバルヤ村への調査隊が結成されたところだったからです。小官はただ調査隊に同行すればよいだけで、これはまさしく僥倖(ぎょうこう)に恵まれたと言ってもよいことでした。
 ご存じのとおり、バルヤ村は小さな半島の突端にあり、そこへ行くためには二つの大きな山を越え、広大な針葉樹の森を抜けなくてはなりません。中でも厄介なのが森であることは言うまでもないことです。エモーニと呼ばれるあの森には、恐ろしいモンスター、人喰い猿がいるという話なのですから。
 都会暮らしの長い署長にはもしかするとピンとこないかもしれませんが、辺境にはまだまだ、我々人類にとっての厄介な敵対者が残っているものなのです。
 雪と氷に閉ざされた極寒の森の中で、身の丈が三メートルもある、毛むくじゃらの巨人に襲われたいなどと思う者はおりません。しかも人喰い猿の毛は季節に合わせて生え替わるため、今の時期は真っ白で、熟練の猟師ですら奴を見つけるのは難しいそうです。更には鼻が良く、何キロも先から獲物の臭いを嗅ぎつけてくるとか。
 辺境を巡るのが我々税務官の日常とは言え、あの恐ろしいモンスターは、とてもじゃありませんが小官一人の手には余ります。さて、どうしたものかと頭を抱えていたところでした。
 バルヤ村調査隊は、名目上はソーンの家族から提出された捜索願を受けて結成されたようですが、どうやら政府は以前からあの村に目をつけていたようです。そうでなければ国家警察が動くはずがありませんので。
 通常なら地方の、それもせいぜい巡査の一人でも派遣して、適当な書類をでっち上げさせれば、それで捜査は終わりになっていたはずです。しかし今回派遣された二人の刑事はどちらも中央からの人選であり、階級も警部と警部補でした。たかだか三等税務官の行方を捜査するにしては、仰々しすぎます。今、地方では反政府的な活動が盛んになりつつありますので、王国政府としてもピリピリしているのでしょう。
 歩兵一個小隊が調査隊に加わっている、という事実もまた、私の予想を裏付けるものであります。小隊長に率いられる十人の頼もしい戦士たち。その全員が剣を佩(は)き、弓矢か槍を装備しておりました。彼らの胸当てやヘルメットは、まるで磨き上げられた銀のようにピカピカに輝いておりました。しかし何よりも頼もしく素晴らしいのは、彼らが全部で十一人もいる、という事実であります。十一、という数字が大事なのです。
 と申しますのも、人喰い猿は十までしか数えられないからです。奴らは自分の指の数までしか認識できず、それ以上は「沢山」となるのです。
 署長はご存じないかもしれませんが、通常、人喰い猿の討伐には、歩兵なら三個小隊以上が必要になります。つまりは「三十三人以上の、高度に訓練された戦士たち」です。一匹の人喰い猿の戦力は、三十三人の戦士のそれとだいたい等しいのです。
 しかし、警戒するだけなら三十三人も要りません。十一人いれば十分です。三十三人も、十一人も、どちらも人喰い猿にとっては「沢山の人間」。あのモンスターは「沢山の人間」を自分から襲ったりはしません、負けてしまうかもしれませんので。哀れな獣です。奴らは十一を恐れるのです、本当に恐れるべきは三十三であるにも関わらず。
 人喰い猿はモンスターの中では比較的知能が高く、人語を理解しますが、我々の言葉が分かるからといって、我々と同等の知性があるわけではないのです。力は強くても所詮は畜生。大きな数字をも自在に扱うことのできる、私たち人類の敵ではありません。いずれ残らず駆逐されることになるでしょう。
 少し話が逸れてしまいました。とにかく、そのようなわけで調査隊には十一人の戦士と、二人の刑事、そして私の全部で十四人がおりました。これほどの人数を派遣すること自体が、今回のこの遠征が王国にとってどれほど重要なものであるかの証左。私も身の引き締まる思いであります。
 しかも、幸運は更に続きました。我々一行は運良く、バルヤ村に立ち寄る商船に乗ることができたのです。冬のこの時期、海は荒れていることが多く、海路をゆくのは諦めておりましたが、たまたま穏やかな天候に恵まれまして。
 私一人だけでしたら目の玉が飛び出るような運賃を請求されていたかもしれません。が、何しろ今回こちらには泣く子も黙る国家警察と陸軍がついておりますので、トラブルなどは一切なく、それどころか商人や船乗りたちからは下にも置かぬ歓待ぶりを受けまして、船での旅は実に結構なものでした。

 しかし、どうやら私たちは持っていた幸運の全てを、往路で使い果たしてしまったようです。
 数日間、船に揺られてたどり着いてみれば、村はもぬけの殻。無人でした。ソーン三等税務官どころか、人っ子一人いやしません。とてつもない破壊活動が行われたのは一目瞭然で、何しろまともに建っている家は一軒もないといった有様だったのです。壁や屋根は無残に破られ、柱や梁はどれも真っ二つに折られ、その上に分厚い雪が降り積もっておりました。
 もし激烈な嵐が村を襲ったのだとしたら、これほどの残骸が散らばることもなく残っているはずはありません。これは間違いなく、何者かによって破壊された跡です。バルヤ村は消滅しました。どうやら王国の地図には若干の修正が必要になったようです。
 最初、我々は皆、眼前のあまりの惨状に言葉を失っておりました。が、すぐさま気を取り直し、村の探索を始めました。
 三日間に及ぶ調査活動(発掘作業、と呼ぶべきかもしれません)の結果はしかし、あまりはかばかしいものではありませんでした。とは言え、幾つか気になるものを発見することはできました。
 まず我々の目を引いたのは、港の近くにあった大きな家屋の残骸でした。最初はこれが村長の家なのかと思いましたが、地理院の地図によればそれはもっと先にあるはずなのです。刑事殿いわく「恐らく、網元の家だろう」とのことで、実際、その残骸の下からは大量の漁具が見つかっております。
 しかし我々が注目したのはそれらではなく、その家の庭の真ん中に突き立てられていた一本の細い棒なのです。ひどく汚れていて、最初はあまり気にしていなかったのですが、雪を払ってよく調べてみると、それはただの棒などではなく、鯨か何かを突くための大型の銛(もり)なのでした。凍り付いた血まみれの銛が、庭の中央に深々と突き刺さっていたのです。
 これがいったい何を意味するのか、小官にはさっぱり分かりませんでしたが、とにかく吉兆でないことだけは確かでした。我々は皆、固唾(かたず)を呑んだのであります。
 エーデ村長の家は地図のとおりの場所、村の中心部にありました。表札の表記からもそれは明らかであります。どうやら二階建てだったようで、一階は事務所になっていたようです。
 我々はこの場所から二冊の日記を発見しております(添付資料AとB)。
 更に村の外れにあった残骸の下からも、手記のようなものを見つけました(添付資料C)。
 以下はそれらの写しです(原本は警部殿がお持ちです)。
 我々がもっとも注目すべきは、最初に添付する、少女のものとおぼしき日記の中の記述でしょう。ソーンからの最後の手紙の中にあった「可憐で、利発な女の子」とは、恐らく彼女のことと思われます。日記によれば少女の方も彼に興味津々だったようです。
 まだ若いとは言え、王立大学を卒業した立派な国家公務員が、まだ年端もいかぬ、それもこんな地方の娘と駆け落ちするなどとは、普通の常識ではおよそ考えられないことです。が、このような辺境では時に信じられないことが往々にして起こるものなのです。
 二番目に添付する資料もまた注目に値するかと。二人の捜査官もここにあった記述には大いに気を引かれたようでした。発見された場所からしても、これはこの村の村長の日記と考えられます。どうやらこのバルヤは、村ぐるみで脱税をしていたようなのです。これは明らかな違法行為であり、厳しく断罪されるべき事案であることは論を待ちません。我々はいずれ真相を明らかにしなくてはならないでしょう。
 一方、最後の資料については、小官は判断を保留しております。記述の内容からすると、この村にあった酒場の女主人のメモのようなのですが、いささか文脈が乱れておりますし、肝心の内容も、空想やら不吉な予感やらといった根拠のない、ほとんど妄言のようなことばかり。理路整然としたものでないことは明白です。端的に言ってしまえば、これは吹雪か何かに脅えた女の、幻聴や幻覚、妄想についてであって、それ以上の何かであるとは思えません。
 真っ当な資料になるとは思えない荒唐無稽なしろものではありますが、何しろ他にこれといって目ぼしいものもなく、あるのは小山のような残骸の他には雪と氷ばかり。こんな辺鄙(へんぴ)な土地では、まともな読み書きができる者などそうそう期待できるものではありません。こんな幼稚なメモでも、あっただけまだマシだったと考えるべきでしょう。たとえどんなに支離滅裂な内容であったとしても、国税庁への報告書は少しでも分厚い方が良いでしょうから。

〈添付資料A〉
《村長の屋敷跡の、子供部屋と思われる辺りから見つかったノート。エーデ氏の娘、イリス嬢のものと思われる。その一部を抜粋》

 今日はソーンさんから「ゼロ」を教えてもらった! 「何もない」が「ある」ということ。最初は難しくてよく分からなかったけど、「0」という空っぽの数字があることで、9に1を足すと10になることが分かった! 一の位にいられる数字は全部で十個で、それは0から9まで! 9よりも大きな数は一の位からは追い出されてしまうのよ。十の位も、百の位も、仕組みは全部同じ。それぞれの位の中にいられるのは0から9までなんだ! 1から9までじゃないんだ! 数字は全部で十個ある! 「何もない」という数字、それが「0」! 私はもう、十一よりも大きな数を数えることができる! 足し算だって、引き算だってできるわ! ソーンさんは本当に凄い! これからはソーン先生って呼ぶことにする!
 ソーン先生はもうすぐ都に帰ってしまう。私も一緒に行きたい。ママに言ったら、駄目ってしかられたけど、それでも行きたいんだ。私にはまだまだ知らないことが一杯ある。こんな田舎にいたら一生知らないままで人生が終わってしまう。都会に行って私も勉強がしたい。
 ソーン先生は背が高くてスマートだし、目元は涼しげで、口元はいつだって優しそう。目を吊り上げて怒鳴ってばかりいるこの村の大人たちとは全然違う。服だってお洒落だし。きっと都会には先生みたいな人が沢山いるんだわ。
 どうしたら先生と一緒に都に行けるだろう。ずっとそればかり考えてる。でもママですらあれでは、とてもパパには……。ああ。この嵐がずっと続いてくれたらいいのに。そしたら船が出せないから、先生はいつまでもこの村にいてくれるわ。

〈添付資料B〉
《村長の屋敷跡の、執務室と思われる辺りから見つかったノート。エーデ村長のものと思われる。その一部を抜粋》

 何ということだ。私はずっとこの日を恐れていた。村に死神がやって来る、この日のことを。そいつの名はソーン・モル。国税庁から派遣されてきた税務官。王立大学を卒業したばかりの若造で、血色の悪い、背高のっぽの青二才。桟橋の上であいつは北風に逆らうどころか、吹き飛ばされそうになっていた。いっそのこと、そうなってくれてたら良かったのに。
 私がこの村に派遣されてから既に十数年。無論、税務官はこの間にも何度もここにやって来た。だがそいつらはいつも、常に、例外なく、年寄りばかりだった! もはや出世の望みなどはなく、定年後の年金暮らしのみに希望を見いだし、今にも倒れそうなのにどうにかこうにか踏ん張っている。そんな連中だ。こんな辺鄙な村にエリートが派遣されてくるはずはないのだから、それも当然だった。
 そんな奴らをあしらうのは、赤児の手をひねるよりも簡単なことだ。盛大に料理を振る舞い、酒を飲ませ、そっと金貨の数枚も握らせれば、それであいつらは皆、上機嫌のまま都に帰ってゆく。
 だがソーンは違った。奴は酒には一切、手をつけなかったし、こちらがそれとなく帰還を促しても、自分の仕事を完了するまでは帰れないと、穏やかだが断固とした口調で言い切った。退く気がないのは明らかだった。なんて迷惑な奴!
 それどころか、あいつは、天候が落ち着いたら戸別訪問をするとまで言い出しおった! もちろんこの村の人口を調査するための! 何ということだ! 奴にはその調査のための権限が与えられているので、正当な理由がない限り、私にはそれを止める権利はない。あぁ、だがしかし。くそったれめ!
 しかもさすが大学出だけあって、頭が良い。奴は村の子供たちを手なずけ始めた。あの子らに嘘を強要することなど不可能だ。
 ソーンは既に気づいている、この村の人口が、帳簿よりもずっと多いことに。戸別訪問は最終的な証拠固めのためのものであって、言わば止(とど)めの一撃であるにすぎない。
 この村には三十人しかいないことになっている。国にもそう届けている。実際、昼間は本当に三十人しかいない。だが夕方になれば漁に出ていた男ども二十人が、海から戻ってくる。三十足す二十は五十だ。このバルヤ村の本当の人口は、三十ではなく、五十なのだ。
 だが、三十人しかいないことになっている今でさえ、この村の暮らしはかつかつだ。
 この辺りには海より他には岩と石と苔くらいしかない。少し行けば森があるが、あそこには恐ろしい人喰い猿がいるという話だし、どのみち行ったところで手に入るのはせいぜいがキノコくらいなもの。ここにいるのは、日々の漁で得た魚やエビ、貝などを売って細々と生活しているにすぎない、貧しい人たちだ。今以上の重税には、とてもではないが耐えられない。
 隣国との領土交渉が不調に終わり、王国政府が焦っていることは私もよく知っている。もうすぐ始められるであろう戦争のために、今から戦費を調達しておかなくてはならない国家の財政事情についても、理解しているつもりだ。
 しかし、何をどう言われたところで、ないものはないのだ。これ以上奪われたら、彼らは皆、餓死してしまう。
 だが、無論、黙って大人しく殺されるような村人たちではない。もしそうなったら、真っ先に焼き討ちに遭うのは、この家だ。私はどうなってもいいとしても、妻や娘はどうなる? 誰が彼女らを守るのだ?
 ああ、駄目だ。そのような悲劇を、断じて受け入れるわけにはいかない。
 気は重いが、やはり網元と話をしなくてはならないようだ。お互いのための、大人の話を。私はこの決意を一生後悔することだろう。だが他に道がない以上、ここを進むしかない。

〈添付資料C〉
《村の外れの、大きめの屋敷跡(食器類等が多く見つかっていることから、どうやら食堂、あるいは酒場だったことが類推される)から見つかった紙片。以下はその全文》

 ああ、神様。どうか私をお助けくださいまし。私はもしかすると嘘をついてしまったのかもしれません。ですが、どうして言えましょう。あんなに嘆き悲しんでらっしゃる奥様に向かって、「お嬢様は狂ってしまわれたのです」などと。
 娘がいなくなってしまったと、つい先ほど、ここにもあの方がお見えになったのでございます。誰か姿を見ませんでしたかと。どうやら村中に聞いて回っているようでした。普段はあれほど身だしなみに気を使っているあの方が、部屋着のままで、ひどく取り乱されて、その痛々しさときたら! 今にも泣き崩れて、そのまま砕け散ってしまいそうなほどでございました。
 私は「まったく心当たりがない」と申し上げるだけで精一杯。ですが、実を申せば一つだけ、心に引っかかることがあったのでございます。
 昨日の夜、店を閉めて翌日の料理の仕込みに取りかかったその時、私は女の泣き叫ぶ声を聞いたのです。それはもう、深い海の底から聞こえてくるような、恐ろしい、しゃがれた声で、まるで千年以上も生きている老婆のそれのようでした。
 私は急いでドアを開け、吹雪の向こうに向かって叫びました。「そこにいるのは誰だい」と。
 風はこう応えました。「こんな村は滅べばいい!」と。
 馬鹿なことを言うんじゃない、私は負けじと闇に向かって吠えました。「さぁこっちに来るんだ! こっちで、温かいスープを飲むんだよ! そうすりゃあんたも、少しは正気を取り戻すだろうさ!」
 しかし駄目でした。声は風の向こうで意味不明なことをわめいていました。「何もない、がある。あいつにそれを教えてやる」と。そして、どこかへと去っていったのでございます。
 あの恐ろしい叫び声がお嬢様のものであったとは、今でも信じられません。私の知っているお嬢様は普段、鈴を転がすような愛くるしい声をされてましたから。でも店の扉を開け放った時、私は一瞬、風の中で翻(ひるがえ)る赤い何かを見たような気がするのでございます。あれは、お嬢様が普段よく着ていた外套の裾だったのではないかと、今ではそう思えてならねぇのです。この村であんな真っ赤な服を着るのは、あの子の他におりゃぁしませんので。
 しかも神様、それだけではないのです。その数日前にも、私は嫌なことを耳にしているのでございます。
 あの日、店の隅で数人の男どもが、むっつりと黙り込んだまま、座っておりました。まるで誰かの葬式のようでした。普段なら二、三発殴られたぐらいではけっして黙ろうとしない、あの陽気なお喋りどもが。とは言え、ここのところはずっとしけ続きで、まともな漁ができておりませんでしたので、男どもの機嫌が良くないのも、まぁ、そう不思議なことだとは思わなかったのでございます。
 それでも何となく気になったので、私はそれとなく聞き耳を立てておりました。男どもは実際には完全に黙っていたわけではなく、とても小さな声で、ぼそぼそと何かを呟き合っていました。
「だから親方の言いつけどおり、沖に捨ててくりゃ良かったんだ。そうすりゃ何の問題もなかったってのによぅ」
「馬鹿言うな。あんな嵐の日に船なんか出してみろ。港から出た途端、こっちまで波に飲み込まれちまわぁ」
「そもそも、お前らがもっと深く埋めてれば」
「それこそ無理な注文てぇもんだ。この辺りはどこだろうと、ちょっと掘りゃあ、すぐ岩にぶち当たんだぞ。ツルハシでもなけりゃ、あれ以上深くなんか掘れるもんかよ」
 これを聞いて私はすぐにピンときました。またアザラシの死骸が打ち上げられたのか、と。何年か前にも同じことがあって、あれは夏になるととんでもない悪臭を放つのです。誰かが片付けなくてはなりませんが、とにかく臭いし、汚いし、不吉だし、その上銅貨一枚の得にもならないことですので誰もやりたがりません。なるほど、そんな嫌な仕事を押しつけられたんじゃ機嫌だって悪くもなるか、と私は納得し、彼らを元気づけようと努めて明るく話しかけたのでございます。
「なぁに? またアザラシ? それともウミガメか何か?」
 男どもの中の一人が「あぁ、まぁな」と曖昧に返事をしました。低い、唸るような声で。
「でも、もう終わったんでしょ? 少しは元気を出しなよ」
 それが、そうもいかねぇのさ女将、と彼ら。
「せっかく苦労して埋めたもんを、野犬どもがほじくり返して、そこら中に食い散らかしやがった。明日、外が明るくなったら、残りも拾って集めねぇと。まったく、とんだ大仕事だ!」
 だから俺は嫌だって言ったんだ、今さらそんなこと言ったってしかたがねぇだろ、とその後もしばらく言い争いを続けた後、中の一人がぼそっと漏らしたのです、「とにかく、子供たちの目にだけは触れねぇようにしねぇとよ」と。
 私は思わず「アザラシの死骸ぐらいで大騒ぎする子なんて、この村にはいないわよ!」と笑ってしまいました。
 けれどあいつらは、彼らは誰も笑っていませんでした。皆、むっつりと黙りこくったままだったのでございます。私にはこのことが、何かとてつもなく不吉なことのように、今となっては思えるのです。
 あれは何かの前触れだったのではないでしょうか。そして昨夜のあの狂った女の絶叫。果たして、あれは?
 私は今、子供の頃に祖母から聞いた不吉な妖精の伝説を思い出しております。その妖精は老婆の姿をしており、その叫び声を聞いた者には死が訪れるのだとか。
 何か、とても嫌な予感がするのでございます。
 ああ神様、どうかわたくしどもをお守りくださいまし。

 以上。

    * * * * *

 記。
 クォード・クルー一等税務官より、シュナス署長へ。
 風が強くなってきている、嵐が近い、と商人どもが騒いでおり、調査隊は今後の方針を早急に決めなくてはならなくなりました。
 あと数日で海が荒れ始めるかもしれず、彼らとしてはその前に街へ戻るべく出港したいとのことなのです。当てにしていた魚の干物やら燻製(くんせい)やらがここではもう永久に手に入らないことが分かって、彼らは皆、少なからず落胆しております。村の調査はまだ始まったばかりとも言えますが、それに付き合う義理は商人たちにはありませんので、もう帰りたいというのは偽りのない彼らの本音でしょう。
 帰りもできれば船旅で、と思っておりましたが、そのようなわけで、そういうわけにはいかなくなりました。
 会議(と言っても、船の船倉で行った四人による立ち話にすぎませんが)のあらましを、議事録として以下に記しておきます。

「村で起こったことは明白です」と若い方の刑事がまず最初に口を開きました。「あの徹底した破壊ぶり。あれは一人や二人でできることではありません。襲撃者の規模は少なく見積もっても数十人。まず間違いなく海賊どもです」
 この日記によれば、と彼は粗末な棚の上に置かれた村長の日記を指さしました。
「このバルヤ村は、村ぐるみで不正な蓄財行為に手を染めていたようです。その噂を海賊どもに聞きつけらたのでしょう。まったく、小金など貯め込むから余計な災いを呼び寄せてしまうんだ。最初から大人しく国庫に納めておけばいいものを。
 まぁとにかく、相手はプロの強盗団ですからね、一旦目をつけられてしまえば、こんな小さな村ではひとたまりもない。網元だけは、辛うじて一矢を報いたようですが」
 それが、あの銛ですか、と小官。
「そうです。必死に抵抗したのでしょう。まぁそのくらいの気概がなければ、漁師たちを束ねることなどできはしないでしょうがね。しかし、たった一人では多勢に無勢。結果は見えてますよ。他の村人たちは皆、手も無く倒されて海にでも放り込まれたか、あるいは奴隷として連れ去られたか。ま、恐らくはそんなところでしょう」
 この時、それまで黙って聞いていた小隊長殿が、黒々とした立派な口ひげをひねりながら「それは、どうですかな」と小さいが、はっきりした口調で彼に向かって言いました。
「どう、とは?」
 その若い捜査官は少々気分を害したように見えました。
「ただ今の刑事殿の見立てには、本職はいささか懐疑的であると申し上げます。その理由は二点です。
 まず第一は、村が焼かれていない、という事実。海賊どもは家を一軒一軒、丁寧に壊したりはしません。奪えるだけ奪ったら、奴らは村ごと焼き払ってゆくのです。あちこちにこれ見よがしに生首をさらしておく、などというのも連中がよくやる手ですな。その方が訪れた者により深い恐怖を植え付けることができますので。
 そして第二の理由ですが、それは港です。船が一隻も壊されていない。これはあり得ないことです。海賊は必ず船を使えないようにしてゆきます。追っ手がかかって、自分たちの港を見つけられてしまったら終わりですので。居場所がバレる、それは奴らがもっとも恐れることです。連中がどれほどいようとも、王国海軍の前では物の数ではありません」
 なるほど、と小官が肯くと、今度は年長の方の刑事が口を開きました。
「ただ今の大尉殿のご意見は、至極ごもっともかと存じます。しかしながら先ほど彼が言った“村ぐるみでの不正蓄財”という指摘は、この上もなく重要なものです」
 警部殿の見立てを是非、伺いたいですな、と小隊長殿。
「単純な推理ですよ。これは村人どもによる、自作自演ですな」
 何ですって、とこの場にいた彼以外の全員が目を剥きました。もちろん、小官もです。
 その刑事は愉快そうに笑っておりました。が、すぐに真顔に戻りました。
「国家の奴隷であるべき平民どもが、国に奉仕することへの喜びを忘れ、あまつさえ、お上の目を盗んで私利私欲をむさぼっていたとなれば、事は重大。しかも村ぐるみなのですから、これはもはや国王陛下への反逆を疑われてもしかたありますまい」
 これにはさすがの小官も口を挟まずにはいられませんでした。
「ちょ、ちょっと待ってください。まだ何も具体的な証拠は見つかっていないのに、いきなり国家反逆罪を持ち出すのは、いくら何でも――」
 黙りなさい、と静かに彼。あからさまにこちらを見下している態度でした。
「今、このような事案が地方では頻発しつつあるのですよ。まったく嘆かわしい限りだ。陛下がお優しいのを良いことに、そこにつけ込まんとする輩が後を絶たない。王国には今、何よりも綱紀粛正が必要なのです! 一罰百戒! 必ずや全員、引っ捕らえて、厳しく断罪せねばなりません! 首謀者は残らず極刑に処し、他の者も一生、強制労働所にぶち込んでやるべきだ!」
 警部殿の勢いは、まるで頭から湯気が噴き出そうなくらいでした。
「なるほど」と口ひげをもてあそびながら(これは恐らく、考え事をする時の彼の癖なのでしょう)大尉殿。少し眠たそうな口調でした。「ですが、では、その、村人たちは今どこに?」
 なぁに、と刑事さん。
「船はどれも港にあるわけですから、行き先はおのずと知れております。森の中、ですよ。ほとぼりが冷めるまで、そこに隠れているつもりなんでしょう。
 このような村は常に海賊の襲撃を恐れており、日頃からどこかに避難場所を作っておくものなのです。言わば隠れ家ですな」
「それが森の中にある、と」
「左様」
 ですが、と小官。
「あの森には、海賊どもにも匹敵する、恐ろしい人喰い猿が」
「フ。まぁ確かに恐ろしくはあるのでしょうが、しかし、あの猿は十までしか数えられない。一方、村人は五十人。集団でいる限り、襲ってなどきませんよ。ハッ! 取るに足らぬ敵だ」
「村を破壊したのは、海賊の仕業に見せかけるためだった、ということですか?」
「そのとおり。が、所詮は素人。偽装が甘い。村を焼かず、船を壊さなかった。何より、この村長の日記を残してしまったのは致命的なミスでしたな」
「あ、あの銛はどうですか、あの血だらけの銛は。あれも偽装の一環だったと?」
「そうですとも」
「で、ですが、あの血は?」
「血? 銛に血がついていたからって、何も不思議なことなどありませんよ。おおかた、イルカでも突いたんでしょう」
「で、では、ソーンは、ソーン・モル三等税務官はどうなるんです? 彼は今、いったいどこにいるんですか?」
 その刑事は一瞬、怪訝(けげん)な顔で小首を傾げました。
「ソーン? ああ、そう言えばその人を捜しにきたんでしたっけ。ええ、そうですな、その三等税務官殿も、ことによると村長の娘と一緒に森の中にいるかもしれませんな。あるいは今頃は、どこかの土の下で冷たくなっているか。
 いずれにせよ、森に行けば何か分かるでしょう。なぁに、一人か二人ならともかく、五十人からの人間がそうそういつまでも大人しく隠れていることなどできませんよ。どうせすぐに見つかります」

 以上。

 会議はこれでお開きとなり、そのようなわけで我々はこれから森へ向かうことになりました。大変な仕事になりそうですが、まさか小官ごとき下っ端役人が国家警察に逆らうなど思いもよらぬことですので、しかたがありません。
 この手紙は商人に預けておきます。帰りの海もどうか穏やかでありますように。
 私は陸路で戻りますので、そちらへの帰着はもう少し先になるでしょうが、その折にはきっと、よりきちんとした報告ができるものと確信しております。
 では、エモーニの森へ行って参ります。なぁに、心配は要りません。あの人喰い猿は十までしか数えられませんので。