「4月新刊『きまぐれ未来寄席』(2024年4月30日第1刷Gakken刊)では書かなかった<あとがき>」江坂 遊

「4月新刊『きまぐれ未来寄席』(2024年4月30日第1刷Gakken刊)では書かなかった<あとがき>」江坂 遊

 「訪問に口あり、専門に口なし」と言ったりします。これは漢字の書き取りテストでよく間違えるのを防ぐために考えられたものやと思いますが、実によくできています。こちらが訪問しておいて黙っているのもおかしなものですし、専門家が何でもかでもペラペラしゃべっちゃうと専門家らしくありません。
 さて、これからこの本を書いた経緯についてゴチャゴチャと話そうと思うのですが、ペラペラとよくしゃべりますので、おそらく専門家やないんやなぁと思っていただいて結構でございます。

 わたしは1980年に「星新一ショートショートコンテスト‘80」で師匠のホシさんに見出していただき、そのとき「花火」のようにパッと夜空に花開きました。それからはひたすらその残像記憶を売りにしながら、ショートショートを専門に書き続けております。専門というのは口がないわけですので、ここではショートショート専業と言い換えておきますね。

 デビュー本の「仕掛け花火」の解説でホシさんは、「SFでもミステリでもなく、奇妙な味でもファンタジーでもない。なにか独自な世界を創ろうという意欲が、はっきり伝わってくる」と書いてくださいました。わたしはこれを「江坂さんがどんな世界を創ろうとしているのか、わしにはわからん」と言うように受け取りました。素直やないのです。が、たいていそう意地悪くとっておいた方が世の中、間違いがないようではございます。そう読んだおかげで、わたしは独自な世界を創ろうと考えたわけですから。

 わたしが書いたものは、SFやミステリや奇妙な味、それにファンタジーやと思っていたんですが、何か違うものをクリエイトしなさいという難しいミッションをいきなぐり、(いきなり殴りつけられたように)与えられました。これはえらいものを背負い込んだなと思いました。

 でもショートショートを書き続けていると、「枝雀さんが高座でやって、全然受けへんかったネタみたいやな」とか、「志ん朝師匠ならうまいこと演じてくれるんやないかと思うが惜しいな」などと言ってくれる方も出てまいりました。それで、ひょっとしたら「落語」に近いのかなぁと思うようになってきました。
 SFやミステリや奇妙な味、それにファンタジーでもないと言われていましたが、その中におやっ「落語」の2文字はありません。徐々にボンヤリとですが見えて来るようになりました。「ホシさんはあえてそれを外して精進せよと言われたのかも」と確信してまいったわけです。よし、ならば新しい「落語」を創造しようかとグイと渋茶を吞みました。
 藤子.F.不二雄先生はSFを「少しフシギナ物語」と言われたようですが、江坂はSFを「少しフザケタ物語」と解釈しようという企みを持ったのです。

 古くからの知人に林家竹丸師匠という(元NHK記者という経歴の)噺家さんがおられまして、作品を渡して、「どうでっか」と虚心坦懐に尋ねたことがございます。そうしたらこう言われまして「あぁさよか」と、扇子を煙管にして手拭いにポンと灰をおとしました。
 「落語いうのんはゴチャゴチャしたもんを入れ込まないとアカンのです」
 なるほど。ショートショートというのはアイデアストーリーで最小限の文学的表現で余計なものをそぎ落としたシュッとしたもんです。ゴチャゴチャを入れていたら短編や長編になってしまいます。原稿用紙十枚くらいという定義から外れてしまうわけです。これは相容れんもんなんやなぁとね。

 で、今般、版元さんからショートショートを新しい「落語」として本を作りましょうと言われまして、そんな経緯もあったので、最大限悩んでしまいました。これはチャンスかピンチか。
 けれど版元さんがひとつ助け船を出してくれました。「未来世界の落語」というのは新しいのではと言うのです。未来で演じられている「落語」を創ってみたらという提案でした。かねてより次の本は旧作と新作を半々くらいにしたものにしたいなと思っていましたから、まず新作をその視点で書き直してみようと改め始めました。ですが、これが思っていた以上に至難の業でした。もうストーリーぐっちゃぐちゃ。

 で、あるとき、「もうあかん、やっぱりでけへん」とふてくされてベッドで横になって寝返りを打ったら、マクラがベッドから落ちてハッとしました。この瞬間から、いわゆる「絶望逆上がり」というやつです。(うーん、それも言うなら「鉄棒逆上がり」やろう)なんのこっちゃ。
 未来で演じられているように演出するには、落語のマクラを付け足してみるとできるのではないかいなと。時代ものは元より、現代ものでも未来ものでも、みんな古典落語にしてしまえるのですからね。それを試みて何とかうまくいきました。150本ほどの作品にマクラをつけてみて、ようやく納得がいきましたので、今回その中から24本を選んで1冊にまとめた次第です。

 ショートショートのマクラは、アンソロジストが作品の前にちょっとつける力水(ちからみず)のようなものですが、それは落語の高座での演出とよく似ていました。だから、この本の帯に「これはあたかも未来世界の落語」と版元があおってくれたわけでございます。
 マクラだけではありません、ブックカバーや挿入イラストを光栄なことに人気漫画家のはしゃさんに担っていただき、落語が持っていてショートショートが持てないゴチャゴチャしたものを加えていただくこともできました。いや、この豪華なゴチャゴチャしたところが本当に素晴らしく、ようやく本1冊トータルで、「あたかも未来の落語」になったのではないかと思っています。

 ンなわけでございまして、
 「良い読者に口あり、辛辣な批評家に口なし」
 であればいいのになと、ひたすら願っている今日このごろです。