「選択」澤井繁男

 当時、右手の人差し指をまっすぐに伸ばすことがまだできた。しかし人工透析導入後、毎週(月・水・金クール、あるいは、火・木・土クールのいずれかを選択)三度、一回四時間の治療を受け、二〇年以上経ったいま、人差し指は杖つく老人のように弓形に彎曲(わんきょく)している。無理をして直立させようとすると、第一関節のところがカクンと折れ曲がる。左手で伸ばしてやると跳ね返ってくる。弾くように動くので「バネ指」というそうだ。末端部位のこうした苦しみは、呻吟(しんぎん)を生む。例えば靴ズレを想い浮かべてほしい。一歩進めるたびに、激痛が走る。
 透析開始から一〇年くらいの頃、往時の医学では延命はおよそ一〇年と相場が決まっていたので、私も覚悟を決めていたが、死の徴候などついぞ顕われない。肩すかしを食らったような感を抱いた。ならば道はひとつ。生き延びて、いや、透析機器によって生かされるのを選ぶのみだ。週三回の透析を欠かさず受ければ、他にこれといった病に罹らないなら生存し得る。私は岐路に常にたたずみ、絶えず死を意識しつつ生きてきた。生死の間に病が入り込まないよう工夫しさえすれば、これほど楽な暮らしはない。血液検査の結果を医師から聞き、生きてゆく。自分の思いのままにならぬもどかしさもあるが、慣れれば、生活にリズムがつき、透析の時間を息抜きくらいに考えればよい。
 私はみずからを病人だとはみなしていない。身体障がい者である。精神障がい者というひとたちもいることから、身体と精神が対語であることがわかる。身心脱落という道元禅師の言葉では、やはり身が心より先に存在する。からだの劣化はこころをもむしばむ。
 私はある学習塾で世界史の講師をして生計を立てている。二〇人程度の教室で、生徒は主に高校三年生だ。授業のとき見開きのテキストを左手にのせ、親指を添えて持ち、読み聞かせていると、透析のための血液の取り出し口である「シャント(正式名称 blood access)」の縫合部が一部の生徒からみえてしまっているらしい。一〇センチくらいの縦長の縫い目で、ワイシャツの袖からはみ出す位置にある。腕時計はシャントを圧迫しないように右手首にはめている。右利きの私は食事の際には腕時計をはずす。そうしなければ箸を持つ手で時計が踊る。
 前期の終わりの頃、塾の事務長からアパートに電話がかかってきた。あるご夫妻から息子の健康のことで先生にお話をおうかがいしたいと要望がありました。何度も断ったのですが、先生にしかわからない内容だといって、是非にと引き下がりません。具体的なご用件は何です? と問うと、それがとてもデリケートなことなので、会ってから申しあげたいと、というのです。そうですか、私はどうしたらよいですか。確かプライベートに会うのは規則違反でしたよね。その通りです。ですが健康面の相談となるとお断わりできないこともあって、そのお、困っているところです。塾生の親御さんですね。……いえ、それが塾生の小山君のお友だちのご両親なのです。小山君? 私は思い出そうとした。小山、小山……あっ、最前列に坐っている、あの細目の男子生徒。……私の左手首にときたま視線を向けているのに気づいてはいた。あの少年か。小山は私が透析者だと見抜いていたのか。
 事務長、わかりました。そのお話、お引き受けしまします。場所と日時を決めて再度おしらせください。日曜日ならいつでも結構です。ありがとうございます。それでは早速連絡を取って折り返しお電話を差し上げます。おまちしています。見当はついていた。これまでも似た相談があった。だがみな私とある一点で立ち位置が違った。いくら説いても理解してもらえなかった。相談者の焦点が障がい者に対する偏見にあり、障がい者をあくまで「負なる存在」とみていた。あなたたちの目の前にいる私は障がい者なのですが、と打ち明けると、いえ、先生には地位がおありになるからと逃げた。正直なところ私にはいわゆる社会的地位などない。一介の塾講師だ。それもほぼ無名に近い塾だ。夫婦と会うのは二週間後の日曜日に決まった。
 九月の風がなめらかに、残暑を霧散させるように吹いている晴れた日だった。こうした日にかぎって、重苦しい、きっと承諾などしてくれはしない相談事を押しつけられる予感がする。夫妻は約束の喫茶「あおい」で待っていた。私はわざと遅れて出向いた。午後二時過ぎに着くと、すみません遅れてしまって、と形ばかり謝って席についた。夫妻は立ち上がって頭をふかぶかと下げ、お忙しいところ恐縮です、とお決まりの挨拶をした。いえ、私でお役に立てるのなら、と私はあくまで低姿勢で臨んだ。こうしないと相手の本音を聞き出せないからだ。夫の方がコーヒーでよいですか、というので、私は紅茶を、と遮った。こうしたささやかな点にこちらの意思を示すことが肝要だ。大げさにいえば、主張は譲らないということの伏線だ。夫は名刺を示してから、コーヒーと紅茶を注文した。申しわけないですが、私は名刺を持ちません。いいえ、結構です。市原塾の柳田先生のご高名はうかがっております。もちろん出まかせである。大手の某予備校の……講師ならある程度の知名度もあろうが、小さな町の塾など取るに足らない。だがここでへりくだってはならない。悠然と構えているに限る。
 大橋隆至(たかし)とある名刺には、さる大手ゼネコンの経理部長の肩書があった。名刺を覗いている私を、眺めている妻が誇らしげにみているようすがはっきり伝わってくる。そういうものだろう。妻の矜持が夫の社会的地位に拠るというのはよくあることだ。名刺などいたずらに刷らなくてよかった。事務長から申し出があったが、即座に断った。小さな塾の講師といった肩書などない方がよい。
 お茶が運ばれてきた。ウエイトレスがテーブルの上にコップを置いて立ち去ると、大橋氏が実は、息子のことなのですが、と語り始めた。憂いを含んだ口調で短調の趣きがある。そうですか、それは何といっていいいかと、調子を合わせると、意外なことをいった。じつはたいへん失礼なことなのですが、当初、先生が杖をついていらっしゃる、とばかり思っていまして、杖の方が入り口に現われたら、と妻と話をしていたところでした。……? あのう小山君と大橋君のご関係は? 家がたまたま隣同士でして……。それで? それで先生のおからだのことを小山君のお母さまから耳にしたのです。私が杖をついて授業をしているとでも? いえご授業のことは全く。ではご想像? 申し訳ありません、思い込みでした。いやそれは偏見というものです。あまりいい気分じゃないですね。済みません。手前勝手な推察でした。その杖の人間に相談したかったと。はい。藁をもつかむ気持ちで。ならば小山君に直接お聞きになったのではなくそのお母さんから。はい。小山君とご子息とは? 隣同士ですが、あまり親しくはありません。又聞きですね。はい、申しわけありません。私は嘆息した。こうやってまで近づいてくる人物がいるのだな、と改めて面妖に思う。
 それでご用件は? はい息子が尿毒症に罹り……医師から選択を迫られているのです。いま入院中ですか? ずっとベッドの上で、安静状態です。そうでしょうね。腎臓はモノいわぬ臓器ですから、悪化し出すと留まるところを知らない。せめて痛みくらいは発してくれてもいいのですがねえ。はい、発見がおそかったみたいです。それで選択って何です? お医者さまによると、透析導入の指標となる血清クレアチニンいう値が8を超えた時点で、あるいは8に近づいてきたら、人工透析の導入になるらしいのです。いまクレアチニンの数値は? 7.6とか。まだ大丈夫ではないですか。ええ、そうなのですが、早晩、導入かと。さあそこはわかりませんよ。内科的治療で何とか保(も)つかもしれませんからね。医学の進歩は日進月歩です。腎臓リハビリテイションというものもあるそうですよ。……しかしながら私は知っていた。腎機能の悪化が薬の効果など追い越して、加速度的に8を超えてしまうということを。
 先生の場合はどうでしたか。私はベッド生活の経験がないのです。えっ? 体調がおかしくなってM病院の内科を受診したら、血液と尿検査をされて、その結果がすぐに出た。これが医院(クリニック)だと検査会社に調査を依頼するのですが、病院だったので検査室が整備されていて、時を置かずにデータが出たのです。医師に不養生を叱られ、最後は苦笑いをせざるを得ませんでした。こういうときには仕方ないみたいです。私の方がびっくりしてしまって、ほんとうに、自分でも呆れてしまったクレアチニンがとうに8を超えていた。そういえば下痢、ふくらはぎのつり、夜中の頻尿、食欲不振、変てこないびき……と異様な日々が半月前から始まっていました。各部位のレントゲン写真を撮られた結果、視神経は盲目寸前にまでぶれ、ハンバーグくらいに膨らんだ心臓が心膜に溜まった水分のなかで浮いているのでした。医師の説明を聞きながらなんというか、命が縮む思いでした。というより実際そうでした。だからすぐに透析室へ、それも車椅子で運ばれ、即日透析でした。医師に訊ねたものです、このままだったらいつまで生きていられますか、そしてどのようにして息絶えますか、と。医師は今回の治療で助かるから言いますが、と前置きをして、あと一ヶ月半の命で、断末魔の苦しみと喘ぎのうちに息が止まるでしょう、と目を据えて答えたものでした。文字通り真実を認識する自然科学者の視線でした。そして、あなたの腎臓は二%しか機能していません。これが二〇%なら、まだ透析に入らずに済んだのですが、と残念そうに言われました。こうまで宣告されては、もうお手上げでしたね。有無をいわせずですよ。選択の余地などまったくなかった。左腕の動脈への直接穿刺でしたね。普通はシャントをつくってから導入なのですがね。急を要したのでしょう。この点、異例だった。三時間の透析でした。終了後、頬に張りがもどっていました。水分と毒素が抜かれたのです。ただ左腕は内出血で熟れた林檎がつぶれたみたいでした。透析の何たるかも知らなかった私が、前の日までのうのうと自転車に乗っていたのですから、いくら二六歳といっても無謀なことでした。透析前の血圧は二二〇―~一三〇でしたから、いまから思えば、脳出血に遭ってもおかしくない。この手の話をこれまで多くのひとたちに語ってきた私の口吻はなめらかだった。大橋夫婦の目線は宙をさまよっていた。
 そういうわけで入院経験は私にはないのです。一回目の透析後に、体調が通院透析可能になるくらいに良くなるまで、病棟で三ヶ月間入院することになりました。ですから透析して後の入院です。三ヶ月後、視神経も治り、心膜から水も引き、血圧も安定してやっと退院の許可が下りました。ご参考にはならないかと。はあ……。ですが、身体障がい者扱いですよね。そうです。それが? 就職時に不利にはたらきませんか。その通りです。勤務時間が制限されますから。でも会社によりますが、従業員の二パーセントは障がい者を雇う義務があり、端からがっかりしてはダメです。ご本人の気持ちしだいでしょうね。親としては健康体であってほしいと。それをおっしゃるのなら健常者です。障がい者の反対は健常者で、双方ともに健康なひとと病気のひとがいます。病気のひとは社会的責任を逃れてベッドで病と闘い、治癒を目標とする。健康な障がい者は社会復帰を目指す責務があります。この機微を押さえておくことが大切です。……だから私は健康な身体障がい者です。それに旅行のとき運賃は半額だし、バスは無料、国立系の美術館や博物館も無料ですよ。それは知りませんでしたが、先生はお強い方だからそのようにきっぱりとご自身の位置づけをされる。でも実際に病んでいて、じき透析導入といわれている息子の身になれば、そうした区分けにあてはまらないし、そのような勇気もわかない。生き死にの問題ですし、将来がかかっている。
 この手の親からは以前にも似たような相談を受けたことがある。みななんとかして障がい者のレッテルをはられるのを避けようとして懸命だ。でも無責任な言い方だが、なるようにしかならない。この種のひとたちの考えの根底には、「人間は生きている」という思い込みがあって、「生かされている」という思念は芽吹いていない。
 人間はそれほどつよい生き物ではなく、お互いに支え合っているものです。強がる気持ちをいったん消して、受容者になる必要があります。受容の対象には「快」と「苦」がありますが、もちろんこの場合は「苦」のほうです。「苦」を受け容れる際にはそれなりの精神力と勇気と活力が要ります。受苦者(ペイシェント=患者)の懐の深さを示すことが大切です。そしてこの「受苦」を「個性」だ、とみなせばよいという意見もありますが、私は反対です。個性など天性のものと生活のなかで育まれるものも多く、生後に負った障がいは個性ではない。個性という言葉、便利でキレイすぎる。ていのよいマヤカシです。手垢のついた言葉ほど真の意味を失ってゆくものですから。
 ある時点までしか親も他の身内も、本人に寄り添えない。私のような者を探して「相談」という仮の姿で、自分たちの置かれた現実から目をそむけようとする。その方々の待ち望んでいる回答はいつも同じです。だが所詮、クレアチニンの値の上昇で透析導入は免れない。ただべつの選択があるにはあります。緩和ケアを最大限に活かして「死」を受容することです。但し、これは保険の適用という観点からすれば、現行の法の下では末期の癌患者とエイズ患者にしか適用され得ない。オランダでは安楽死が認められていますが、日本人が当地でそれを利用できるかどうか、疑問です。透析中の者が透析を嫌がって逃走しても、二週間目を前にして苦しくなりもだえ苦しみ、死に切れず透析室にもどってくるといわれています。

 すっかり冷めきった紅茶をのみほした私は、それで当のお子様はどういうご了見ですか、と問うてみた。隆義(たかよし)ですか。隆義君というのですね。はい、大学一年生です。ここでようやく主役の登場だ。親の見解など、どうせわが子可愛さから、どの親も一緒だ。お父さまにお母さま、当事者をはずしてのご意見は禁物です。おおかたの親御さんがそうです。……で隆義君はどのようにお考えですか。隆義は医師からあまり知らされていないみたいで……。それはおかしい。医師は親御さんにしか……。そのようです。変な医者ですね。インフォームド・コンセントという、説明と納得というルールがあるはずですが。それはご当人とのことで、第三者の、この場合、ご両親は該当しません。あえていえば、規則違反だな、その医者は。でもほんとうですか。隆義君はもうご存じなのでは? 夫妻は下を向いた。コーヒーにも口をつけていない。唇を噛んでじっと何かに耐えている。
 あのう、隆義君は透析に同意したのではないですか。その意向を翻そうとあなたたちお二人が「相談」を、杖をついて現われるはずの私に持ちかけた。……違いますか。もうとっくに済んだ案件をほじくりかえして、隆義君の「選択」を踏みにじろうとしている。そのとおりです。母親がはじめて口を開いた。アルトの声だ。なんてことを。お子さん、それも大学生という、もうモノ心つく、大人といってよい大事な時期のご子息の意思に水をさそうとされている。信じられない。そういわれるが、これが親心というものです。親心? そうでしょうか。あなたたちのような親は子供が横領か何かで拘置されたら、保釈金をはやばやと支払うタイプだ。そして私は受験生を持つある親の心情と重ねて語った。学習不足で、いずれの大学も不合格の生徒の事例だった。私はこのまま、卒業後も校名もいえない四流私大に進学させるより、学生時代も定期試験があるのだから、それを乗り越えられるように、予備校で一浪して研鑽を積むほうを薦める、といった助言にその親(特に母親)が、入試期間の最後の最後まで奔走して、結局、どこかの専門学校に落ちついたらしい、という話をした。私はこの手の親をずいぶんとみてきた。
 アパートの斡旋をしてくれた不動産会社の社長が、毎年の夏、四年にわたって姪のためにと、夏休みのフランス語の宿題を持参し回答を依頼してきた。解くと相応の金銭をくれた。学年が進むにつれ、語学から文学作品となり、こちらも本気で取り組まなくてはならなかった。よい勉学になったが、姪子さんはいったいどういう思案だったのか。むしろ親や周囲の伯父叔母が余計な手助けをしたか。前期後期の定期試験などどうしたのであろう。ともあれ彼女はフランス語の理解を全く欠いたまま卒業したことになる。
 透析の導入は命がかかっているから、医師と本人の判断が最優先だ。クレアチニンが8以下で透析を選択した患者にたいして、ある医師がこう「指導」していたのを記憶している。8以下だと身体障がい者の位置は3級で、治療費が1級の障がい者より高くつく。その患者は四時間透析だったが、その医師は1級になった方が将来的に金銭面で楽だから、半分の二時間に短縮して、1級を取得させようとした。この場合、他の検査データの値はどうなるのだろう。銭と命の駆け引きだ。私の隣のベッドにいたこの患者は、他院から移ってきたご高齢の女性で、いまだに医師を神様としてしかみていない「世代」だ。とても疑問だが、看護師や、医師より下位の職のひとたちは、互(たがい)に批判精神がなく、良し悪しはべつとして何事も医師の考え如何で決まる。隣のベッドの患者はいつのまにかいなくなった。透析曜日が替わったのかもしれない。「無事」に1級を取得したのかもしれない。
 透析医療を受け持つのは、その病院、クリニックの方針次第だ。かつては外科か内科かのいずれかに属していた。いまでは腎臓内科という分野があって、そこに透析医が属していることが多い。一旦ベッドに上がって穿刺(せんし)されると「機械掛け」の人間に置きかわる。変な表現だが、私の場合、からだの内と外とが皮一枚を残してひっくり返ったように感じる。からだが万華鏡のように目のまえにちらつく。
 私にとっての人工透析は、二つに大きく分かれる。「体外透析」と「体内透析」。普通は前者を透析というが、これはたとえると宇宙での惑星の運行に似ている。体内を血液がめぐり、常時二百ミリの血液が体外の人工腎臓(ダイアライザー)内で透析膜よって濾過され、体内に還ってくる。人工腎臓で余計な水分と毒素が除去される。ところが四時間の透析時間もあと一時間を残す頃、脚全体で「透析」が起こる。何とも不思議な現象で、想像の域を出ないが、脚の毛細血管と透析液との間で、人工腎臓を地でいくような「体内透析(濾過)」が生じる。ぴりぴりと真皮のもっと下の血管と、肉質の無数の細胞内の液とが入れ替わり立ち代わり出入りしてざわめき立つ。これはもう惑星の運行といった優雅なものではなく、下手をしたらつるかもしれない。その恐怖が先に立つ。ふくらはぎならまだ耐えられるが、足の甲の鈍痛は絶望的だ。カリウムやナトリウムなどの電解質の不均衡のせいで起こる。ふくらはぎの場合なら立ち上がれば痛みはある程度失せるが、なにせベッドに縛りつけられているから、ナースコールを押すしかない。ふくらはぎをもんではいけない。足の裏から力いっぱい押す。脚を伸ばすというわけだ。この「体内透析」とはもちろん私の造語である。この二重の透析を医療従事者がどれほど承知し、患者と共有できているかどうか。これまで「体内透析」をうったえてもわかってくれた医師、看護師、臨床工学士はいない。「体外透析」を宇宙との呼応だと共感してくれる医療従事者にも出会っていない。
 ここに当事者にしかわからない医療の関所のようなものが存在する。関所の向こう側にいる医療従事者には透析者になろうと思うものはひとりとしていまい。だが、知ったかぶりの顔つきで問診して検査データをもとに適当な答えを口にする、医療従事者の本音はどこにあるのかいちど訊いてみたい。検査データに依存し切って透析を薦めてくる者がたいていだが、数値がどれほどアテになるのか。なかにはデータの値に頼り切った医師もいて危うい。
 私はこれらのことを大橋夫妻に告げた。ご子息はお若い。これが仮に九〇歳の方の場合ならどうされますか? 透析に、あるいは何もしない選択を。私なら、そのままに、を選択しますね。静かに逝きたい。つまり「生活の質」の重視です。隆義君はこれからの人生ですから、是非、透析に賛成してあげてください。それでもなお異論がおありなら、主治医に内科的治療をできるかぎり行なってもらい、もうこれまでというところがきたところで、隆義君の「希望」を叶えてあげればよいのではないでしょうか、と最終的な回答を述べた。結局、透析になりますか……。はい。いのちを保つことを第一におかんがえください。……わかりました、とこの期に及んでも夫妻は不承不承頷いた。
 二人は最後まで得心のゆかぬ表情だった。息子の肩を持つ私の見解に諦めたようで、お礼に、といって封筒をよこして、喫茶店を立ち去った。隆義君の意向を尊重することを祈るばかりだ。私はその謝礼で、モンテ・ビアンコ製のリュックサックを買った。いまでも愛用している。
                            〈了〉

(協力:高槻真樹、伊野隆之、岡和田晃、忍澤勉)