評論にとって引用とは何か――『上林俊樹詩文集 聖なる不在・昏い夢と少女』(岡和田晃編・SFユースティティア刊)
宮野由梨香
本書はⅠ~Ⅲに分けられている。Ⅰは上林自身の詩と文章、Ⅱは吉本隆明論、Ⅲは上林俊樹の友人たちによる献詩や交遊録等と編者・岡和田晃の解説である。また、巻末には「上林俊樹著作リスト」が付されている。
純粋なる「詩作品」に分類できるのは冒頭に収録されている「聖なる不在」のみであるし、全152ページのうち100ページ分をⅡが占めていることを考えると、『吉本隆明論』といったタイトルでないことを、一見不思議に思う。
その疑問は、その吉本隆明論を読むことによって氷解する。
岡和田晃はこれを「世間に多数存在する吉本隆明論のなかでも、きわめて異色」なものと位置づけている。それは、その論が「批評であると同時に、一冊の自律した散文詩集としても読めるもの」だからだという。
確かに、これ自体が「自律した散文詩」のような作品である。ところどころに吉本隆明の詩句の引用があるが、上林俊樹の文章の中に置かれることによって、より、その詩句らしさと輝きを増している。評論に引用はつきものだが、作品を切り刻むように分析するのではなく、むしろ作品のエッセンスを煮詰めたような形で取り出している引用なのだ。評論における引用のあり方に対するひとつの解答であると思う。
言うまでもなく、作品とは全体でひとつの有機体である、そこから一部分を取り出して示す「引用」は、まかり間違うと作品を殺してしまうことになりかねない。
上林俊樹は二〇歳の時、吉本の詩をはじめて読んだという。それは、安保闘争がらみの弾圧による不当逮捕から釈放された日の深夜のことだった。「世界のただなかで生きようというわたしの意志と、詩の言葉は強く響き合った。」と述べる上林にとって、評論を書くという行為は、詩句とともにもう一度生き直すことを意味したのだろう。
上林俊樹の作品がISBNコードつきで商業出版されるのは、本書が初めてである。忘却の彼方へと去り行くことを惜しんだ岡和田晃の活動によって、本書『上林俊樹詩文集 聖なる不在・昏い夢と少女』の出版は果たされた。
「聖なる不在」とは、自らの存在を抹消し切るところに立ち現れてくる聖性という逆説であろう。編集者の役割に似ているかもしれない。上林俊樹も、長く編集者として仕事をした人だった。
編集の岡和田晃は評論家であるが、『掠れた曙光』(幻視社)で茨城文学賞を詩部門で受賞している詩人でもある。彼は「正当に評価されてしかるべき」と自らが判断した作品の復刻を図り続けてきた。向井豊昭を二冊、山野浩一を二冊、蔵原大を一冊、鳩沢佐美夫を一冊、そして本書は七冊目の成果となる。既に彼にとっては「日常的な仕事」であるらしい。
卓越した眼力と精力的な活動が、作品をこうして延命させていく。
『更級日記』を高く評価して写本を作り世に広めたのは、藤原定家である。彼がプロデュースしなければ、身内からも忘れ去られ、散逸していたであろう。宮澤賢治の「雨ニモ負ケズ」は、作者の死の翌年に発見された手帳に記されていたメモ書きである。熱心な読者と、それに応える編集者がいなかったら、日の目を見ることもなかっただろう。
作品に、まず命を与えるのは作者だが、生まれた作品に時の流れを越えて行く力を持たせるのは編集者や読者だ。そして、たいていの場合、最初の読者とは作者であり、二番目の読者とは編集者である。
作品の延命を願った読者が自ら編集者となったのが、この本のケースである。
プリントオンデマンドと電子書籍を併用する版元「SFユースティティア」から刊行された。Amazonを窓口とする注文で、容易に手にとることが可能である。
多くの読者を獲得し、さらに命ながらえていくことを願ってやまない。