「コンビニ」白川小六

 誰でも知ってるコンビニチェーンだ。よっぽどの田舎を除けば、日本中どこにでもある。トリコロールに配色されたロゴマークを看板に掲げ、交差点の角に建ち、店よりも大きな駐車場がある。「必勝ダブルカツ丼」とか「激ウマ常夏カレー」とかの新メニューの幟(のぼり)に混じって、色褪せた「アルバイト募集」がいつもはためいている。
 大学に入って新しい環境にも大分慣れ、そろそろ生活費の足しにバイトを始めようと、履歴書を持って僕が訪れたのも、そんなコンビニだった。もし嫌になって辞めてしまっても気まずくならないよう、通学ルートから少しはずれた店舗を選んだ。
「えーと、大学一年の新田君か。……うん、就職活動が始まると辞めちゃう子が多くてさ。土日に入ってもらえると助かるよ」
 小柄でキビキビした店長は、たいした面接もせず僕を採用してくれた。慢性的に人手不足らしかった。
「しばらくは園村君と同じシフトにするからね。君と同じ学校の一年先輩だ。彼女に仕事を教わるといい」
 高校時代はバイト禁止で、それまでアルバイト経験がなかった僕は、ぎこちなく仕事を始めた。すぐにレジやお弁当の温めなんかの接客が業務全体のほんの一部でしかなく、フロアやトイレの掃除、ゴミの分別、コーヒーマシンの操作、商品の入れ替えや補充……と、やることが山ほどあるのがわかった。園村先輩は口数の少ない真面目な人で、どの仕事も何度でも丁寧に教えてくれた。覚えることが多いとは言え、受験に比べれば高が知れている。ひと月も経つ頃には、大抵のことがなんとか一人でこなせるようになった。

「今日から収穫作業にも加わってだって。信用されるの早いね」
 ある土曜日の早朝シフト。出勤するなり、先輩にそう言われた。
「収穫? 何ですか、それ」
「来ればわかるよ。ただしこれから見ることは店の外では秘密ね」
 先輩は飲み物用のウォークイン保冷庫や事務室があるバックヤードに僕を招き入れると、薄暗い商品倉庫のさらに奥へと向かった。品出し前の在庫品がぎっしりと並んだ棚の陰に「private」と札の付いたドアがある。
「この奥って、店長が住んでるんですよね?」
 店長夫妻がそのドアを出入りするのを何度か見たことがある。
「そうだけど、それだけじゃなくって……」
 先輩はドアを開け、手探りでパチンと灯りをつけた。
「トンネル?」
 ドアの向こうには鍾乳洞のような白い通路が続いていた。狭いけれど、かがまずに立って歩ける高さはある。カーブしつつ緩やかに下っていて先が見えない。微かに、ひんやりした土っぽい匂いがする。
「そこの台車持ってきて」
 言われるままに空のコンテナボックスを積んだ台車を押して先輩の後に続く。トンネルは弾力のあるチューブのようなものの集合で出来ていて、表面が少しふわふわと毛羽立っている。毛の生えたゴムホースを百本くらい束ねて筒状にしたらこんな感じだろう。ただし、ゴムホースだったら少なくとも数十メートル間隔で現れるだろう「継ぎ目」が、まったく見当たらない。
「ここを曲がると店長の家」と、先輩が教えてくれた分岐点を過ぎると、その先は一本道が数百メートルは続いていた。傾斜は緩いが、ずっと下りだからもう相当地下深くに来ているはずだ。トンネルが音を吸収するらしく、足音も台車のキャスターの音もほとんど聞こえず、耳がおかしくなったのではと不安になり始めた頃、先を歩いていた先輩が唐突に振り向いた。
「フキやスギナって地下茎で繋がってるでしょ? あれと同じ」
「え? なんのことですか?」
「だから、ええと、この店って言うか、コンビニチェーン全体がそうなの。店舗の部分が花――フキで言えばフキノトウにあたるわけ」
 わけがわからず何と答えていいか考えあぐねている僕に構わず、先輩はさらに通路を下って、ついに現れたドアの前で立ち止まった。
「ここが収穫場」
 ドアの先は広い地下空間で、天井から無数のヒゲ根のようなものが垂れ下がり、その間を何本かの空中通路が貫いている。数カ所に吊るされた照明には細部を照らすほどの光量はなく、足元の暗がりがどれほど深いのか見当もつかない。
 表情ひとつ変えずに中央の太い通路を進む先輩の後を、僕も恐る恐るついていく。通路もやはり毛の生えた白いゴムホース状のものが絡み合ってできている。まるで吊り橋だが、見た目よりずっと安定していて、手すりのようにつかまれる部分もあった。
「この根っこの先のジャガイモみたいな実の中を確かめて、製造日が今日のやつを収穫するの」
 通路の中程で僕が追いつくのを待っていた先輩は、レジの操作を教えてくれるときと同じ口調でそう言った。確かに、あちこちのヒゲ根の先に、丸いものがついている。よく見るとイモというより繭に似ていて、表面がレース状で透けている。
「あ、これ!」
 手近な一つの中身を見て思わず声を上げると、先輩がうんうんと頷いた。中にあるのは、よく見慣れた三角のパッケージ――そう、たまごサンドだった。先輩は持ってきた道具箱から懐中電灯とハサミを取り出し、ラグビーボール大の実を照らした。
「ほら、日付が今日の午前四時になってるでしょ? こういうのを探して、実ごと切り取って皮を剥がしてね。皮は通路の下に捨てちゃって」
 先輩の指が器用に動いてたまごサンドを収穫し、コンテナボックスにそっと置く。僕も懐中電灯を持って他の実を照らしてみる。中身はすじこおにぎりだが、製造日が明日の日付になっている。
「それはまだ未熟なやつ。外側もちょっと小さいでしょ」
 なるほどと次はもう少し大きな実を覗くと、今度は製造日が今日の午前五時のレタスサンドが入っていた。見様見真似で根から切り離し、外皮を手でむしり取る。実の内側でサンドイッチを包んでいるのは、スカスカのヘチマたわしに似た透明な繊維で、簡単に剥ける。
「中身を潰さないように優しくね。ラップフィルムまで剥がさないように気をつけて。うまいうまい」
 皮をあらかたむしって通路の下に投げ捨てた後、ラップフィルムの数カ所に繋がっている繊維をプチプチッと取り除くと、何の変哲もないレタスサンドが出来上がった。
「商品がここで採れるんなら、毎日来るあのトラックは何のためなんですか?」
 ネギ味噌おにぎりの皮を剥きながら僕は尋ねた。僕が一つ収穫する間に先輩は三つも四つも捌いてしまう。この中央通路の周りはおにぎり・手巻き・サンドイッチなどの小物ファストフード類がなる場所で、大型のお弁当類はもう一つ下の通路で採るのだそうだ。
「ああ、ここで収穫できるのはプライベートブランド品だけで、外部メーカー品はあのトラックで普通に卸売業者とかを経由して来るの。雑誌とかタバコとかもね」
 さらに先輩は、この地下通路は全国の店舗に繋がっていると教えてくれた。ただあまりに広大かつ入り組んでいて、行方不明者が出たとか、秘密をバラそうとした店員やどこかの店のパワハラ店長が奥深くに埋められているとか、えらく物騒な噂もあるらしい。
「新田君ちは十日町だっけ? そのくらい近所ならちゃんと行けるよ。前にここで働いてた人たちが近くの店舗までのルートは開拓してて、分岐点に案内板をつけてくれたから。雨の日なんかはすごく便利。ただ時々急に店舗が無くなったり、新しいのが出来たりして、その度に繋がり方も若干変わるけど」
「……植物なんですかね?」
「うーん、多分。ただ、一般的な植物とは随分違うし、きのこに近い菌類の進化形かもしれないとか、宇宙生物じゃないかとか、まあ色々言われてる。世間に知られたらまずいので表立って研究もできないし、本部でもよくわかってないらしいよ」
「なんでこんな、人間にとって便利な生態になっちゃったのかな?」
「生存戦略上のメリットがあるからかな。便利じゃなきゃ、店舗の花を咲かせた途端に雑草として刈られておしまいで、全国に広がるなんてとても無理だし、普通の植物の花が蜂を集めて受粉するのと同じく……」
「コンビニは人間を集めて受粉してる?」
「そうそう、入り口二箇所のマットがおしべとめしべだって」
 一日に聞くびっくりネタとしてはもう十分すぎた。シフトの終了時には雨が降っていたので、先輩の勧めに従って地下茎を通って帰った。収穫場を通り抜けると通路はまた狭くなって続き、案内板の示す通りに五、六百メートルも進むと、難なく僕のアパートに一番近い十日町店に着いた。「六日町店の者です」と自分のバイト先を言うと、十日町店のスタッフは当たり前のようにちょっと会釈して僕を通してくれた。

 翌日は、また早朝からバイトだった。
「おはようございます」と挨拶しながら、僕は店の自動ドアの内と外にあるマットに靴底を擦り付けて入った。昨日の十日町店のマットもしっかり踏んでおいたから、これで受粉できるはずだ。植物なら受粉すれば実や種ができる。コンビニなら商品が実るってことになる。
「そうだけど、それだけじゃないんだな」
 先輩に確かめると、ちょっと意外な答えが返ってきた。
「十日町店とうちの店は近所なので、受粉することはするけど、あまり実付きがよくないの。できるだけ遠くの店舗と交配するのがいいんだって」
「でも、遠くの店でも地下茎でつながった同じ株では?」
「その辺も普通の植物と違うのかもね。あ、でも、一番いいのは違うチェーンの花粉なんだよ。同じチェーン同士で受粉してなるのは、従来の商品だけど、他チェーンのを受粉すると、新商品がなる確率が上がるの」
 そうだったのか。続々と発売される新商品は他のコンビニチェーンとの交配で生まれていたのだ。どうりでどのチェーンでも似たような商品が出るわけだ。
「ちなみに、新商品を見つけた人は本部にそのことを報告するんだよ。本当かどうか知らないけど、全国で一番早い報告者には金一封が出るって噂。もし新田君が一番になったら、なにか美味しいもの奢ってね」
 先輩はそう言って悪戯っぽく笑った。

 二万近くの店舗があって、そこで働く人はさらにその十倍くらい。新商品がたくさん出ても、第一発見者になれる確率は宝くじなみだ。それでも僕は収穫のたびに期待を込めて、新しい商品を内包した実がないか丹念に見回った。だって先輩が笑うのをもう一度見たい。
 普段の買い物はなるべく他チェーンのコンビニに行くよう心がけた。もう夏が間近になっていて、毎週のように熱中症や夏バテ防止の新商品がどこかで発見され、本部から通達が来た。知らせを受けて二、三日もすると、うちの店の収穫場でも同じ商品が見つかる。その度に、そんなところにあったかと悔しい思いをした。
 でも、とうとうある日のこと、デザートとドリンクを収穫していた僕は、「塩チョコフラッペ」と「塩あずき最中アイス」の間に見慣れないラベルの未熟なペットボトルが入った実を見つけた。もしやと胸を躍らせて懐中電灯で照らすと、どうやら「塩水」と書いてある。
「どうしたの?」
 知らない間に声をあげていたらしく、別の通路にいた先輩が駆けて来た。
「あ、新商品じゃない! やった、すごい新田君」
「でも『塩水』って……」
「いいじゃん、ほら、ミネラル入りって書いてあるよ」と、先輩は「塩水」の上の細かい文字を指差した。「熱中症予防にスポーツドリンクだと糖分が多くて嫌だって人、たくさんいると思うな。早く報告しなきゃ」
 急かされて事務所に戻り、店長に教わりながら本部に報告を出す。
「商品名『塩水』500mlペットボトル入り飲料 定価九十八円 原材料――天然水、食塩
成分――塩化ナトリウム、塩化マグネシウム、塩化カリウム……」
 本部につながるパソコンに必要項目を入力し終えると、「ご報告ありがとうございます。あなたが第一報告者です」と受付完了のメッセージが表示された。
「やったな新田君。もう長いことこの商売をやってるが、うちの店で発見者が出るのは初めてだよ。これは売れるぞ。一見地味だが、塩おにぎりみたいなプレーンな商品は意外と人気が出るんだ」
 そんなわけない。だってただの塩水だ。ミネラル入りと言っても塩化マグネシウムや塩化カリウムは大抵の塩に元々含まれているのだから、つまりは適当な食塩を水に溶かせばいいだけで、料理なんか滅多にしない僕でも数秒で作れる。きっと先輩も店長も僕を気遣って大袈裟に褒めてくれてるだけだろうって、その時は思った。

 だけど、僕の予想に反して、夏の間中「塩水」は結構売れた。先輩の言う通り、世の中には糖質制限をしている人や、甘いのが苦手な人がかなりいて、「ダイエット中でも安心」とか、「しょっぱさを感じさせない塩加減が絶妙」などとネットで話題になったりもした。いくら売れたって僕個人に得があるわけじゃないけど、発見者としては嬉しいものだ。本部からは葉書サイズの表彰状と五百円分のQUOカードが送られてきた。
 たったの五百円じゃコンビニスイーツくらいしか奢れない。どうしようかと散々迷った末、次のバイト代が出たら先輩を食事に誘ってみようと僕は決めた。チェーン店だともしかして、コンビニ同様に食品を地下で収穫しているかもしれない。だから、個人が経営してて、できれば厨房の様子がよく見れるお店――人間が料理をしてるのを眺めながら食事ができるレストランに行きませんか? って。