「パパの思い出」粕谷知世

 わたくし、パパと申します。
 いえ、アイ・アム・ユア・ファーザーなどと衝撃の告白をするつもりではございません。日本ではジャガイモ、馬鈴薯と呼ばれるわたくし、スペイン語ではパタタ、それが英語に転じて、現在はポテトと呼ばれることが多いのですが、真の名はパパと申すのです。こうして、真の名を打ち明けさせていただいた以上、わたくしとあなたは親友も同然、どうか、ひととき、わたくしの話を聞いてください。
 わたくしの生まれは南米、アンデスの高地でございます。コロンブスの新大陸発見にともなって、ヨーロッパへと渡った、たくさんの植物、トマト、カボチャ、サツマイモにトウガラシ、トウモロコシ、それにタバコ、そうした仲間の一つです。
 人間様には「生きる」ことに様々な意味や意義がございましょうが、わたくしども植物にとって命の意味はただ一つ、「生めよ、増えよ、地に満ちよ」でございます。にもかかわらず、自分の足では歩いていけないものですから、生育地以外の土地へ運んでいただけるのは、わたくしどもにとって無類の歓び。ええ、今でも覚えていますとも。無造作に麻袋に詰め込まれ、ナオ船の船倉へ積み上げられました時のこと。ゆうらゆうらと波に揺られ、時には嵐に揉まれ、別の貨物とぶつかっては傷つきながら、一ヶ月の航海の後、異邦の地に無事、上陸できました時の、なんと嬉しかったこと。
 スペインを手始めに、ドイツ、オランダ、イギリス、そしてアイルランド。皆さん、痩せた土地、寒冷地でよく育つ、わたくしのことをそれはそれは気に入ってくださいまして、わたくしは移民に連れられて、ふたたび大西洋を渡り、アメリカでも増えることができました。日本には当時、ジャカルタを拠点としていたオランダ人によって運ばれまして、それで、日本語ではジャガタライモ、ジャガイモと呼ばれるようになりましたのです。天明の飢饉の折には、わたくしのおかげで飢えから救われたからと「お助け芋」などと名付けられまして、わたくし、鼻が高いのでございます。
 そうです、わたくしは大勢の方々を飢えから救って参りました。その自負があればこそ、わたくしは、わたくしのせいで起きた大災厄のことを忘れることができません。運命の歯車が一つずれていたなら、あれは起きずにすんだはずなのです。
 わたくしのやりきれない気持ちを理解していただくため、まずは、わたくしがアンデス山中だけで育てられていた時代に戻ることにいたしましょう。

 わたくしが人間に栽培されるようになったのは大変な昔のことです。幾つもの部族、首長国、王国が興亡するなか、野生種であったわたくしは、毒抜きされ、大型化されつつ、人間に食べられてきました。その間に、品種改良され、耕作道具も進歩して、わたくしはアンデス史上、最も巨大な国家、人口一千万を超え、百以上の民族集団を抱える国家の胃袋を養うほどになりました。日本の方にとっての稲のように、わたくしはインカ帝国の主食であったのです。 
 わたくしの植え付けは、雨季の始まる直前におこなわれます。
 朝早く、人々は階段畑へ出て作業を始めます。
 ただでさえ薄い高地の空気には、この時期、湿気がほとんど含まれておりません。そのため、日が差し込んできますと、色という色が沸き返ります。空は抜けるように青く、草の葉は緑に輝いて、それはまるで、目に映るものすべてに金粉が蒔かれたかのようです。 足下には勾配に合わせて曲線を描く畑が何百枚、何千枚と連なって、はるか下の谷まで続いています。谷底の川が小さな蛇のように見えていました。
 カシャ、カシャと豆類の鳴る音が聞こえているのは、マチャカ家のヤワルとその息子が畑へやってきたからです。ヤワルの持つ踏み鋤には、畑を耕す時に音が出て調子がとれるように、小さな豆が仕込んであります。ヤワルが鋤の先を地面へ差し込み、鋤の突起に足をかけて体重をのせると、カシャカシャという音とともに固い土がひっくりかえり、その穴へ、九歳になった息子のシンチが、前掛けに入っている、たくさんの種芋の一つを落とし込むのでした。
 父も息子もお喋りなたちではありません。同じく種芋の植え付けをする他の家族は広い階段畑のあちらこちらに散らばっていて、それこそ豆粒のようです。見渡す限り青い空と階段畑だけが広がる世界に、カシャカシャ、ざっくり、ぽとん、カシャカシャ、ざっくり、ぽとんと、幾度となく同じリズムが繰り返されました。
 日によっては、そのまま日没まで過ぎてしまうのですが、この日はどうした風の吹き回しか、シンチがヤワルに話しかけました。
「ねえ、父さん、パパのなかでは何がいちばん好き?」
「そうなあ、ねっちょりがうまいかな」
 もともとは毒があって、小指の先ほどの大きさだったわたくしは、インカ帝国の時代には、大きいの小さいの長いの、白いの紫の黄色いの、窪みの大きなもの、表面つるつる、それともごつごつ、食感も粘っこいのから、さらさらしたもの、粉っぽいもの、それはもう千差万別で、これが同じ芋なのかと驚くほどのバリエーションを誇るようになっていたのです。
「僕もねっちょりが好き。食べごたえがあってさ、汁に入ってると嬉しくなるよ。母さんもねっちょりが好きだって言ってた。だからさ、今年はいろんな種類の芋を植えないで、ねっちょりだけを植えてみない?」
 ヤワルは口元に、かすかな笑みを浮かべました。
「父さんもな、おまえくらいの時分、父さんの父さんに同じことを頼んだことがある」
「そしたら、父さんの父さんは何て?」
「父さんの父さんは、ふっと笑ってな。『わしも、おまえくらいの頃、父さんに同じことを頼んでみたことがあったな』と答えた。だから、父さんも、父さんの父さんに『父さんの父さんは何て言ったの』って訊いてみたんだ」
「そしたら?」
「父さんの父さんの父さんは、思い立ったら人に訊くより先に体が動く人で、父さんの父さんの父さんの父さんに質問もせず、鋤の先に自分が食べたい芋だけを埋め込んだそうだ。それがねっちょりだったかどうかは知らん。その年の雨季はことのほか雨の少ない年だった。父さんの父さんの父さんが食べたかった芋は、全部、立ち枯れてしまったそうだ。父さんの父さんの父さんの父さんは、親戚中に頭を下げて芋を分けてもらってから、父さんの父さんの父さんに言った。『これをよく覚えておくんだぞ』」
「どういうこと?」
「天空の神さんのご機嫌によっちゃあ、日照りの年も寒さの厳しい年もある。虫が大発生したり、病気が流行ったり、何が起こるか、そんなことは大地の神さんだけがご存じだ。けれど、いろんな種類のパパを植えておけば、雨に強いもの、虫を寄せつけないもの、幾つかは生き残ってくれる。そのために、父さんの父さんの父さんの父さんの、そのまた父さんのずっと前から、わしらは、いろんな種類のパパを育ててきたのさ」
 首都クスコ近くには円形農園もありました。そこでは高度ごとに、どんな植物の栽培が適しているのか実験されていました。わたくしも、そこで、どの種類をどのように育てるのがふさわしいのか、いろいろテストされたものです。
 一五三二年、インカ帝国はスペイン人征服者に滅ぼされました。そのために、わたくしが大西洋を渡った際、ヤワルたちの知恵は海を越えることがなかったのです。

 ヨーロッパのなかでも、アイルランドはことのほか、わたくしを愛してくれた国でした。わたくしが来る前は主にオートミールを食べていたようですが、イギリス支配下で、麦にはかかる地代が、わたくしにはかからなかったので、貧しい人たちがよく育ててくれたのです。わたくしは粉にする必要がありませんし、煮てよし、焼いてよし、ゆでてもよし。いろいろな食べ方をすることができます。ビタミンを多く含み、タンパク質も豊富です。百年の間に彼らの食事はミルクとわたくしだけとなり、それでいて人口は三倍になりました。問題は、そんなにもわたくしを頼っていたのに、彼らが栽培していたのは収穫量の多い一品種だけだったことです。
 一八四五年、イモグサレ病はまず、イギリスで発生しました。病気はアイルランドへ移り、収穫量は半減。冬には栄養状態の悪くなった人々がチフスなどで大勢、亡くなりました。ヤワルであれば、病気の発生した畑は次の年には休耕させたでしょう。しかし、アイルランドの貧しい農夫たちに土地を休ませる余裕はありませんでした。翌一八四六年もふたたび、わたくしが植え付けられました。
 七月、わたくしはなだらかに起伏する畑で、薄紫の花をいっぱいに咲かせました。大勢の人たちが、わたくしに祈りのこもった視線を浴びせました。
 そこへ雨が降りました。毎日、毎日。
 わたくしは葉を丸めました。葉はしおれて垂れ下がり、葉の重みに耐えかねて茎が折れます。農夫たちは畑へやってきては手を合わせました。
 八月、畑全体が立ち枯れたわたくしで埋まりました。茎を引いてみた人々は地中で真っ黒になって腐っているわたくしを見ることになりました。
 それがアイルランド全土で起きたのです。
 長雨さなかの久しぶりの晴れ間に、農夫のダンは農具小屋から麻袋を持ち出しました。去年まで農具小屋の周りで虫をついばんでいた鶏たちはもういません。冬の間に売り飛ばし、残しておいた二羽も盗まれてしまったからです。
 ダンが麻袋からわたくしを掴んでテーブルに載せた時、ダンのおかみさんのメアリーは黙ってダンを見返しました。
「これを火にかけろ」
 ダンが言いました。喉に詰まるような、嗚咽をこらえているような言い方でした。
「聞こえないのか」
「だって」
 メアリーの声は耳を澄まさなければ聞き取れないほど小さなものでした。
「食べるものがあるの?」
 もっと小さな声がしました。九歳のジャックでした。ジャックは三日前から具合が悪くて寝床に横になったままでいました。
「あるぞ、たくさんある。みんなで食べよう」
 わたくしを入れたスープができたところで、ダンはジャックを支えて食卓につけました。
 三人で日々の糧を与えてくれる神へ感謝の祈りを捧げて、スープに匙を入れました。
「なんで、こんな少ししかイモが入ってないんだ」
「そんなこと言っても」
「ゆでろ。今日は腹いっぱい食べるんだ」
「どうして」
「俺に逆らうのか」
 ダンは大男ですが、気が優しくて、去年まではメアリーにこんな乱暴な物言いをする男ではありませんでした。 
「どうして、今、食べるの? 今、食べるなら、ルチアにも食べさせてやりたかったのに」
 ダンは片足で床を踏み鳴らしました。ジャックがびくりと肩を震わせました。
「少しでいいからって、わたし、あなたに頼みましたよね。わたしやジャックは我慢できる、でも、ルチアにだけは少し芋を食べさせましょうって、わたし、言いましたよね」
 三歳のルチアは、この冬、熱病で亡くなりました。病気にかかる前から、雑草ばかり食べていたので、死んだ時には骨と皮だけになっていました。
「あなたは言った。少しでも種芋に手をつけてしまったら、我慢がきかなくなる。種芋だけは食べたら駄目だって。それなのに、今、食べるんですか」
「どうせ、この芋だって病気にやられてる。植えたって、また腐っちまうなら、今、食ったほうがいい」
 ダンはメアリーの肩に手を回して、首筋にキスをしながら、ささやきました。
「俺たちにだって、最後の晩餐があってもいいだろう?」
 メアリーは、ある限りのわたくしを茹でました。テーブルに据えられて、湯気をたてている山盛りのわたくしに、ジャックは目を輝かせました。
「これ、みんな、食べていいの?」
「ああ」
「ほんとに、ほんとう?」
「いいんだ、腹いっぱい、お食べ」
 ジャックは笑顔で、熱々のわたくしを手にとりました。その指は老人のように細くて皺が寄っていました。わたくしの薄皮を少し剥き、一口、食べて、ジャックは「おいしいなあ」と小さく呟きました。「ルチアにも食べさせてやりたかったね、ね、お父さん」
「ほんとだな。だけど、今ごろルチアは天国で、もっといいものをたくさん食べてると思うぞ」
「そっか、それならいいけど」
 本当に嬉しそうにわたくしを食べてくれたジャックは、数日後に亡くなりました。そうして、たくさんの子供たちが亡くなった後には、その保護者である大人たちも息絶えたのです。
 こんなに哀しいことがあるでしょうか?
 三百年も昔にヤワルたちアンデスの人々が先祖代々守り伝えていた知恵さえ、わたくしと一緒に海を渡っていれば、わたくしのせいで百万人もの人々が飢餓で亡くなるなどという惨事は起きなかったはずなのです。
   
 つらい過去を思い出したためか、わたしの手のなかで、パパはしなびて見えた。薄茶色の皮には張りがなく、二つの窪みから突き出た芽もうなだれているようだ。
「元気出しなさいよ」
 どうやって慰めたものだろう?
「わたしはあなたのこと、好きよ。カレーライスには欠かせないし、肉じゃがもおいしいし、それにほら、ポテトチップス。ダイエットしてたって、つい食べちゃう」
 パパは黙ったままだった。
 飢饉の記憶に悩むパパに、ダイエットの話なんかするべきじゃなかった。反省しながらも、わたしは真の名を明かしてくれたジャガイモを励ましたい一心で続けた。
「初めてフライドポテトを食べた時のことは今でも覚えてるよ。中学生になったばかりだったかな。マクドナルドなんて気の利いたもの、わたしの田舎のほうじゃ、まだ開店してなかったから、スーパーの一角で真似してつくられてたのを、なけなしのお小遣いで買ってみたの。真冬だったから、渡された油紙が温かくてね。覗いてみると、キツネ色のスティックが入ってた。口に入れたら、外側はかりっとしてるのに、中はほくほくで。あっという間になくなっちゃった。こんなおいしいもの、生まれて初めて食べたって思った。あなたのおかげで、幸せな気分になっている人、今この瞬間だって、世界中に何億人もいるはずだよ」
「慰めてくださって、どうも、ありがとうございます」
 パパの声は少し明るくなっていた。
「わたくしの芽や青い皮には毒がありますので、どうか、それだけは気をつけて、これからもおいしく召し上がってくださいね」
 それっきり、パパは語ることをやめた。
 注意を守って、わたしはパパの皮を剥き、ニンジンやタマネギと一緒に炒めて圧力鍋に入れた。
「わあ、今晩はカレーライスなんだ。今日はパパも家で食べるんだっけ?」
 帰宅した高校生の娘の顔は、ほころんでいた。
 これからは、彼女がパパと口にするたび、ジャガイモから聞いた哀しい話も思い出すことだろう。

 参考文献:「ジャガイモのきた道 文明・飢饉・戦争」山本紀夫(岩波新書)
      「ジャガイモの歴史」アンドルー・F・スミス(著)竹田円(訳)(原書房)
      「アイルランドモノ語り」栩木伸明(みすず書房)