「バスの窓の少女」海野久実

 ぼくはおじいさんの運転する車にのっていた
 おじいさんのとなりにすわっていた
 おじいさんは楽しそうに はなうたを歌いながらハンドルを握っている
 ぼくはそんなおじいさんの横顔を見たり
 窓の外を通りすぎる景色を見たりしながら車にゆられていた

 車のスピードが落ちたので 前を見ると赤信号で止まっているバスが見えた
 バスの後ろにゆっくりと車は近づいて行き 少し間を空けて止まった
 ぼくはバスの窓を見上げた
 そこにひとりの子供がすわっていたからだ
 女の子だった

 白に緑の草花のもようの服を着たその女の子は
 一番うしろの席に反対むきに座って外を見ていたみたいで
 ぼくの車が近づいたので女の子は窓に顔をくっつけるように見下ろした
 ぼくと女の子の目が合った
 そして それがなぜかとても自然なことのような気がした
 女の子とぼくが会うのがずっと前から決まっていたような感じだ
 ぼくたちはしばらく見つめあった
 そう 信号が青に変わるまでのほんの短い時間だった
 女の子はとても可愛かった
 ぼくは自分の顔があたたかくなっているのに気がついた

 バスが動き出してぼくたちははなれる
 ぼくののっている車も動き出して また少し近くなる
 そして今度はどんどんはなれて行く
 女の子はぼくに向かって笑顔で手をふっている
 ぼくの心は痛いぐらいにドキドキした
 それが何でなのかぼくにはわからなかった

 おじいさんの運転する車は次の信号で左に曲がった
 バスはそのまままっすぐに行ってしまった
 ぼくはとても大切なものをなくしてしまったような気がした
 まるで心の中が空っぽになったような気がした
 そしてぼくはあの女の子を いつかさがし出さないといけないと思っていた

「なに? それって夢の話なの?」
 と、夏海が聞いた。
「それがさー、よくわからないんだよな。夢で見ただけのような気もするし、実際に体験した事のような気もするし」
 僕はだいぶ薄くなったアイスコーヒーをストローでかき回しながら半ば上の空で答えた。
「でもさ。この日の僕のその辺の記憶はちゃんとしてるんだよな。そんな女の子を見たことがないのははっきりしてるんだ。でも記憶には残っている」
 夏海はそれほどこの話に興味がないらしく、マクドナルドの店の窓の外の景色を見ている。トレイの上には、バーガーのパンズがほんのちょっぴり残っていた。
 そうなのだ、僕がまだ十歳だったあの日、僕たちの家族は郊外の遊園地とサファリがある施設に出かけたのだ。たぶんその日、僕たちの車が国道でバスの後ろに止まった事もあったとは思う。でもどんなに思い出してもバスに乗っていた女の子と目が合ったなんて出来事はなかったはずなのだ。僕たちの車は国道から左に曲がって県道をしばらく走って目的の場所へ着いた。
 なかったはずの記憶だから夢なのかと思ったりするわけだ。女の子の顔のイメージがうすぼんやりとしているのも夢だからかもしれないと。でもまた夢にしては場面展開がちゃんとしていて、支離滅裂なところがない。だからそれはまた別の日の出来事だったのかもしれないし、と考えて行くと結局よく解らなくなってしまうのだ。
 人間の記憶なんてそれほど曖昧な物なんだと思う。と言うのは、その日、半日も楽しく過ごしたはずのレジャー施設での記憶が僕には殆どなかったからだ。

 その後、夏海と僕が結婚して二年目に翔太が生まれた。
 生まれた子供に翔太と名づけたのではなく、夏海のお腹の中にいる時にすでに彼は翔太だった。そんな気がした。
 翔太は七歳になるまではとても元気に育った。もう一人授かった三歳違いの翔太の妹には、奈菜(なな)と名づけ、一緒に仲良く大きくなって来た。これからもずっと幸せな生活が続くのを誰も疑っていなかった。
 しかし。
 夏海が体調を崩し、しばらく入退院を繰り返していた時期があり、たぶんそのために翔太の様子がおかしい事に早く気が付いてやれなかったのだと思う。
「パパ。お庭のモクレンの木が二本に見えるよ」
 窓から庭を見ていた翔太が面白そうに、そう言ったのだ。我が家のせまい庭に植えられたその木の名前を「モクレン」だと教えたばかりの日だった。その木は毎年春先に白い大きな花をつけた。その木が二本に見える?
「おい翔太。大丈夫か?お父さんの顔はどんなに見える?」
「うーん、なんか、重なって見えてる」
「どうしたの?」
 夏海が後ろに立っていた。その日は夏海が退院して来た日だったのだ。
 翌日翔太を病院へ連れて行くことを決めたが、その夜中に彼は夕食をみんなもどしてしまった。

 町の総合病院では判断が付かず、ある大学病院へ紹介された。そしてその病院で翔太は脳腫瘍と診断され、手術を受けることになった。
 翔太は充分な治療を受けたと思う。しかし手術の結果、病巣は取り除くのが不可能な位置にまで広がっていたのが分かった。手術の効果で、幾分病気の症状が出始めるまでの時間は稼げると言う事だったが、それでも余命は二年と言う宣告を受けた。
 僕たちがその事実を受け入れられないまま、その二年間は瞬く間に過ぎ、三年目に入った。初めの頃は毎日泣き暮らしていた夏海もいつか、強い母親の顔になっていた。

 翔太は何度も入退院を繰り返したが、十歳の誕生日を家で祝って数日後、病魔はその足取りを一歩進めたようだった。一人で立っていられなくなり、病院へ運ばれたのだ。
「これが最後の入院になるかもしれません」
 医者は穏やかに、なるべく優しい表現でそう言ったのだけど、その言葉は氷のように僕たちの胸に突き刺さった。

 そして今、翔太は意識を失い、ベッドの上で生死の狭間をさまよっていた。
 僕は仕事から帰ると家に寄らずに真っすぐこの病室へやって来る毎日が続いていた。夏海と学校帰りの奈菜もそこにいた。
 ベッドのそばの椅子に座ると、眠っている翔太の顔を見た。その表情が何かいつもと違っているような気がしたのだ。
 翔太は僕が座ると同時に目をうっすらと開けた。意識を失って十日目ぶりぐらいだった。
「おとう さん」
 と、翔太は弱々しい声で言った。
「ぼく、おとうさんがだいすきだよ」
 今度はしっかりした声でそう言った。口元には微笑みが浮かんでいた。
「病気になっちゃってごめんね」
 翔太がそう言った時、僕は涙をこらえ切れなくなっていた。夏海も僕のそばにしゃがんで泣きながら翔太の手を握った。
「ぼく、おとうさんみたいになりたかった」
 そう言うとそっと目を閉じた。
「おとうさんになりたかった」
 それが翔太の最後の言葉になった。
 それから翔太は再び眠り続けたが、翔太に付けられた心電図や血圧計の値は正常に近く、さっきよりむしろ活発になっていた。翔太の瞼の下で、眼球がくるくるとよく動いていた。
 翔太の手はまだまだ暖かかった。そしてその手から僕の方に伝わってくる物がその温かさだけではなかったのだ。
 翔太の手を強く握りしめるうちに、僕の頭の中で何かが変化を起こしていた。記憶だった。ぼくが十歳だったあの日。一家そろってレジャー施設に車で出かけたあの日の事が、鮮明に蘇ってきた。あのおぼろげだったバスの窓の少女の笑顔がはっきりと思い出された。そして、長い間ほとんど記憶になかったレジャー施設での出来事さえ克明によみがえって来たのだ。握った手を通して翔太から記憶が流れ込んで来るような気がした。
 その時僕は理解した。
 それは神様からの贈り物なのか、それとも翔太の精神力の起こした奇跡なんだろうか?
 翔太は今、十歳の頃の僕になっているんだと言う事がわかった。翔太の意識ははるかに時間を遡り、あの日の僕の心の中に入り込んでいるのだと。
「おとうさんになりたかった」
 そう翔太は強く願ったのだから。
 翔太にとっては大人の僕ではなく、今の翔太と同じ十歳の頃の僕になるのが一番自然だったのだ。

 ぼくはおじいさんの運転する車にのっていた
 おじいさんのとなりにすわっていた
 おじいさんは楽しそうに はなうたを歌いながらハンドルを握っている
 ぼくはそんなおじいさんの横顔を見たり
 窓の外を通りすぎる景色を見たりしながら車にゆられていた

 そう、あの日運転していた僕のお父さんは、翔太にとっておじいさんなのだ。記憶の中で、僕は(翔太は)、運転していたのはおじいさんだと思っていた。それをどうして不思議に思わなかったんだろう。なぜそれに今まで気がつかなかったんだろう。

 ぼくの車が近づいたので女の子は窓に顔をくっつけるように見下ろした
 ぼくと女の子の目が合った
 そして それがなぜかとても自然なことのような気がした
 女の子とぼくが会うのがずっと前から決まっていたような感じだ

 翔太はその時、バスに乗っていた少女と目が合った。そしてその少女に恋をしてしまったのだ。そして、そして、少女と自分とは運命で結ばれていると直感したのだ。
 僕の体に入った翔太の意識と僕の意識が交互に入れ替わりながら、記憶が混ざり合いながら、その日一日を過ごしたのに違いなかった。だから僕にも長い間、バスの少女の記憶が残っていたのだ。
 今までおぼろげだった少女の顔を今、はっきりと思い出した。そしてその少女が、幼い頃の夏海にそっくりだと言う事に気がついた。そうなのだ。もしかすると、僕と夏海を出会わせてくれたのは翔太だったのかもしれない。僕自身はあの日、夏海を見ていなかったのだから。
 僕は奈菜をひざに乗せ、夏海の肩を抱き、ベッドに横たわる翔太の手を握りながら、安らかなその横顔をずっと見ていた。楽しかったあの一日が翔太の中で終わるまで、翔太は生きている事だろう。
 もうしばらくは。

(海野久実氏は、江坂遊会員の推薦によりご参加頂きました:2020年11月7日)