「お出かけ」白川小六

 天天堂の豆大福が生物認定を受けたというので、休日のお散歩がてら、娘を連れて見に行った。
 お菓子やらパンやらが急に生き物になる現象は、最近頻発しているらしく、ニュースサイトでそれらの「新生物」を目にすることも度々あったが、自宅近くのお店でというのは初めてだ。
 老舗に相応しい堂々とした店構えの、紺地に白で大きく「天」の文字を染め抜いた暖簾をくぐると、いつもは静かな店内が大勢のお客さんで賑わっている。
 豆大福はアクリルのケースに入れられて、店の中央に展示されていた。「祝・生物認定」と毛筆で書いたPOPがケースを乗せた台に貼られ、額入りの認定証も添えられている。
「ママ、これ生きてるの?」
 背伸びをしてケースの中をまじまじと覗いた娘が、疑わしげな声を出す。無理もない、豆大福達はどれもふっくらと丸っこくて、粉を吹く白い餅のすぐ下に豆が点々と透け、そのまた下に餡の仄暗い色がうっすらと見える――つまりどう見ても豆大福そのものなのだ。
「さっきまで結構動いてたんですが、みんな寝ちゃったみたいです」
 若い店員さんが笑って説明してくれた。
「『餌やりタイム』にいらっしゃると、食べてるとこが見れますよ」
 POPのすみに午前と午後一回ずつのタイムスケジュールが書いてある。残念ながら今日の午後の部はもう終わってしまったようだ。
「餌って何を食べるんですか?」と聞いてみる。
「ドッグフードです。あと粉末の青菜をちょっと」
「え、餅米と小豆とかじゃないんですか?」
「はい、それだと共食いみたいになっちゃいますから」
 なるほど、牛が牧草でなく、牛肉を食べるようなものか。
「抱っこしてみる?」
 店員さんが娘の方にかがんでそう言った。娘はちょっと尻込みして私にしがみつきながら、「噛まない?」と聞く。
「大丈夫ですよ、歯がないから」
 店員さんは娘の両手に使い捨ての薄い手袋をはめさせ、ケースの中から一匹を取り出して乗せてくれた。
「かわいい、あったかい」
 娘の小さな手の上に丸く収まった豆大福は、よく見るとかすかに呼吸して動いているのがわかる。甘い匂いがする。
「家で飼いたい。ママ、飼ってもいい?」
「残念だけど、まだ、お家では無理なの。認定されたばかりで、個体数も少ないし、生態もよくわかっていないので、このお店と研究機関以外では飼っちゃいけないことになってるんです」
 私がダメと言う前に店員さんが断ってくれた。
「そっか……」
 娘が肩を落とす。
「仕方ないよ。それにこんなの家にいたら、ママ食べたくなっちゃって困るし。さ、お姉さんに返してなんか別のお菓子を買って帰ろう」
 渋々頷いた娘の手からケースに戻された豆大福は、急に硬いところに下ろされて驚いたようで、尺取り虫のように動き出した。
「わ、動いた!」
 触発されたのか、他の数匹も一斉にもぞもぞし始める。
「なんか、ウミウシみたい」と、思わず見惚れている私の手を「ママ、もう行こう」と娘が引っ張る。豆大福の動きが予想と違って怖気付いたらしい。
「はいはい、わかったわかった」
 店員さんにお礼を言い、生きていない普通の商品が並ぶショーケースの中でも一番生き物っぽくない月餅を買って店を出た。本当はもっと涼しげなお菓子が欲しかったのだが、わらび餅も水饅頭も今にも動き出しそうで買う気が失せたのだ。

「電車乗ってく?」
 自宅までは歩いても、地下鉄に一駅だけ乗っても、所要時間は大体同じ十数分だ。五月最後の土曜日。爽やかというにはちょっと暑いくらいの陽気で、行きは良い運動になったけれど、別に帰りまで頑張らなくてもいいだろう。
「ん」
 娘は少し眠そうだ。平日なら保育園で昼寝をしている時間なのだ。
 手近な入り口から階段を下りると、地下鉄駅の構内はほぼひと気がなく、ひんやりしている。ホームで電車を待つ間、自販機で買ったオレンジジュースをベンチに座って飲む。
「まもなく二番線に電車がまいります。危ないですから黄色い線の……」
「電車来たね」と、立ち上がりかけた時、録音された女性の声を慌てた様子の男性の声が遮った。
「二番線に到着予定の車両が生物化したとの情報がただいま入りました。各駅に停まらず走行を続けている模様です。危ないですから、できるだけ線路から離れて次の電車をお待ちください……」
 アナウンスが終わる前にワッと空気圧が変わり、轟音と共に赤い電車が滑り込んできた。生物化した電車がどのように危険なのかわからず、逃げた方がいいかもと思っても、ベンチに座ったまま娘を抱き寄せて耳を塞いでやることしかできなかった。通常ではありえない速度で通過する電車の窓の中に、乗客の怯えた顔が見えた気がしたが、すべてあっというまに走り去ってしまった。

「やっぱり、歩こっか?」
 シンとなったホームで尋ねると、娘はコクンと頷く。
 改札を出て階段を上り、日差しの中を私たちは手を繋いで歩き始めた。