海外作家現地取材シリーズ⑥
スタニスワフ・レム
THE WORLD OF STANIALAW LEM
世界のSFの九十九パーセントはわたしの好みに合わないな
S・レムVS. 深見 弾
ワルシャワから二百五十キロ、レムの住むクラクフはチェコとの国境近くの町だ。折り悪しく歯痛に苦しんでいた彼は、すべての客を断わっていたが、「地球の裏側から来てくれた友人は特別だ」と言って、私を大いに感激させた
昨年十月にポーランドを訪れたのは、翻訳者会議に出席するためだったが、クラクフまで足を伸ばした目的はただひとつ、レムに会うためだ。ワルシャワですら一目置くというこの古都が、外国人にうってつけの観光地だということは百も承知していた。だが、ここまで来てもまだレムに会うアポイントメントがとれていないんでは、気も漫(そぞ)ろで観光気分など起こるわけがない。といって、ホテルでいらいらしていてもどうにかなるものでもない。それでは、と古本屋めぐりをすることにした。幸い、このポーランドの京都は、人口二十万程度の小さな町だというし、聞けば、ヴィスワ川の北岸の丘の上にあるヴァヴェル城から北へ前方後円墳ふうに、グリーンベルトで囲まれた中心部に、クラクフの古本屋は全部あるという。その五軒の古本屋を二日がかりでめぐり歩くことにした。どの本屋も、恐らく、そこで扱っている大半の古書と同じくらい、いや、それよりもっと古い、古色蒼然たる建物の中にあった。五九年に出た『エデン』の初版や、ロボット・テーマの作品をすべて収録した『キベリアーダ』が手に入ったのもこの町でだった。結果的には、それが観光代わりにもなり、お仕着せの名所旧跡めぐりに終わらずにすんだ。レムが学んだヤゲェウォ大学の学生食堂で、蕎麦(そば)料理が食えたのも、若者の溜まり場だというコーヒーショップで立ち飲みできたのも、すごいヌード絵もまじった野外美術展に出くわしたのも、本屋めぐりをやったおかげだった、と思っている。だが肝心のレムにはまだ会えるかどうか決まっていない。一昨日ベルリンから戻ったばかりで、しかもひどい歯痛で頬に包帯をして寝込んでいるというのが、八日の朝、電話に出た奥さんの話。容体待ち。明日もう一度電話しろということだった。
九日早朝、今日もカッカッという馬のひづめの音で目が覚めた。ホテルの前を馬が荷車を曳いて通っていくのだ。約束の九時に電話を入れる。人に会える程度まで痛みが鎮まっていてくれればいいが、と念じながら。電話に出たレムは、まだ右頬のはれが引かず人に会いたくないのだが、遠くからはるばるやって来たことだ、短時間なら会おうと言ってくれた。三時から三十分だけ。
ホテルから車で十五分ほど南へ、国道七号線を走った郊外にかれの住まいはある。幹線道路から少し入った丘陵地帯の一角に、一戸建ての住宅が、細い道をはさんで両側に並んでいた。どれも同じ形をした家だ。土地の人間はこのあたりを高級住宅地だと言うが、近くの野っぱらには、牛がのんびりと草を食ベているような田舎だ。なだらかな丘が重なり合うように続き、農家が点在するはるか彼方には、チェコスロバキヤとの国境になっているタトラ山脈が、かすんで望める。家のことだけ言うなら、高級とはこの国の規準でだろうが、ウサギ小屋に住む日本人の目には、せいぜい程度のいい分譲建売り住宅地ぐらいにしか映らない。だが、環境は抜群だ。レムの家に目立つところがあるとすれば、庭のすみに真っ赤な<ポルスキ・フィアット・スポーツ>があるぐらいのことだ。表札は出ていない。番地だけで探しあてたのだ。そういえば電話帳にも名前が載っていなかった。有名人ともなれば、いずこの国も同じような悩みがあるらしい。それにしても、これがあの大作家、レムの家かと目を疑ったほど質素な家だった。
約束の時間に木戸のベルを押す。奥さんが現われ家の中へ通され、玄関口まで出迎えてくれたレムに、そのまま二階の書斎へ案内された。意外なほど狭い部屋だ。東側に窓。三面の壁は天井までぎっしり本が並んでいる。かなり大きな、雑然とタイプや本が載っている机。ほかには小さな簡易ベッドと来客用だろうか、椅子がひとつ。あとはほとんど空間がない。南側の壁に並んでいる本は、ほとんどがかれの作品だ。圧倒的に翻訳が多い。レムはそこから一冊の本を抜き取り、このカバー・イラストは実にいい、この作品の雰囲気を見事に出していると言う。なんとそれは、拙訳の『捜査』だった。かれは金森達氏の絵を誉めていたのだ。
時間は三十分しかない。延ばせたにしたって十分がいいところだ。こっちはプロのインタービュアーじゃない。適当に記事を仕上げるような才覚も、度胸もないんだ。おまけにカメラマンも兼ねている。日本人だから、人並みにカメラは持っているが、この前、手にしたのはいつだったか記憶にないほど、カメラとは縁のない男だ(ここにご披露した写真は、そういうカメラ音痴が撮った代物。さぞや編集部で手を焼かれたこととお察しはするが、その責任は、すべてを承知のうえで任せた編集部にある)。これでは対談はモノになるまいと思ったが、厚顔無恥な経済大国の国民としては、なんとかしなくてはならない。ド素人とはいえ(だから、か)、あらかじめ質問することはメモしてあった。これに手紙で答えてさえくれたら、あとはなんとかなる、それにざっと目を通したレムは、快く承知してくれた。
レムの個人的事情もあり、二月の末にやっとその返事がとどいた。それが今回の対談だ。 そういうわけで、質問と答えのあいだに四カ月の時差がある。普通だったら、相手の発言からさらに話を深めたり、発展させるはずのところが、この変則対談ではそれができなかった。そこで、余計なことばを割り込ませたところがあるが、それは補足だと思ってお読みいただきたい。
[深見] ご存じのように、あなたの作品は現在日本で非常に注目されています。おそらくここ数年で、ほとんどの作品が紹介されるのではないでしょうか。もっとも、日本のSF界があなたの作品に最初に接したのは、一九六一年に『金星応答なし』が紹介されて以来のことですから、あなたのファンは多いんです。ことに『ソラリスの陽のもとに』の映画が日本で上映された一昨年からは、爆発的にあなたの人気はあがっています。ところで日本からの反響は、直接あなたのところへとどいていますか?
『批評というものはひどく辛辣で過酷だが心のこもったものだ』
THE WORLD OF STANISLAW LEM
今では、『マゼラン星雲』は芸術性の低い作品だと思っている
[レム] 残念ながら、日本で出たわたしの作品に対する読者の反応や批評はまったくわからない。なにしろ日本語ができないもんでね。
[深見] 聞くところによると『マゼラン星雲』と『火星から来た男』の二作だけは、どの出版社にも翻訳することを許可されなかったそうですが、なにか特別な意見でもあるんでしょうか。読者はあなたのすべての作品を読みたがっているんですが。
[レム] 『マゼラン星雲』は、今ではあれは芸術性の低い作品だと思っている。ま、なによりもその前に、あそこに描(か)いた未来像は理想化されすぎている。今のわたしの信念と合わないんだよ。だから、どこでだろうと翻訳は出してもらいたくないのだ(『マゼラン星雲』と『火星から来た男』については、レム文学を理解するためにぜひ日本で紹介したいと食いさがったがだめだった。レム研究家のために非営利的な出版もだめなのか念を押したところ、答えはまったく同じだった。本国でも再版されていないし、古書市場にも現われてないという。古書として出回っていないのは、再版される見込みがないことを知っていて、読者が手放さないのだろう)
[深見] 『火星から来た男』は?
[レム] あれは、まだ医学生だったころに書いた、わたしのSF処女作だ。間違いなく『マゼラン星雲』よりもっとできが悪いし、ポーランドでもたった一度きり、新間に連載しただけで本にはしたことがない。だから、あの<青年時代の息子>のことは忘れてしまってほしい。(一九四六年にカトヴィツェの新聞『新しい冒険の世界』に連載された。かれの言では、金のために書いたのであって、今から思えば若気のあやまちだったそうだ)
[深見] あなたは、どこかでたしか「ポーランドではわたしだけがSF作家だ」と発言されていたと思いますが、実際にはかなり多くの、わたしが知っているだけでも十五人以上の作家がSFを書いています。たとえば、フィアウコフスキ、ボルニ、フルシチェフスキ、ペテッキ、ザイデル、ポンクチンスキ、ヴィシニェフスキ=スネルグなど、まだまだ名前はあげられますが、かれらはどうなんですか、あなたの目に適(かな)う作家はいませんか?
[レム] きみが挙げた作家のなかで、読んだことがあるのは、フィアウコフスキとポンクチンスキのいくつかの作品だけだ。ほかの作家のは読んだことがない。言わせてもらえば、ポーランドSFはインテリジェンスと芸術性の点で弱すぎるんだよ。そう言ったからといって、ポーランドSFだけが特に劣っていると思っているわけじゃない。読者として言わせてもらえば、世界のSFの九十九パーセントは、わたしの好みに合わないよ。(マーレク・ポンクチンスキは十六歳で処女作を発表し、レム級の作家になるだろうと期待されている。レム以外のポーランド人からもよくこの名前は間かされた。最近、処女作も含めた作品集『昆虫惑星』が出て、評判になったという。残念ながらこれは手に入らなかった。コンラド・フィアウコフスキは、代表的作家の一人で、幸い今回会うことができた。新作『分裂人間』は、SF外からも注目され、一般文学雑誌や書評でも取りあげられている)
[深見] 他のところで、スラブ系の古典的代表作家としてチェコのチャペクを挙げられていましたが、お国のイェジイ・ジュワフスキも優れたSF三部作を書き残したと聞いていますが。
[レム] あれはたいした作品だ。まだ文学作品として今でも生命を保っている。時の流れにみごとに逆らうことができた『銀球で』がいちばん優れていると思う。なにしろ、あれが書かれてから九十年という歳月がたっているんだからね。あの作品が日本で出版されるようなことがあれば、言うことはないねえ。
(これは俗に<月三部作>と呼ばれているポーランド古典SFのことで、レムが絶賛している『銀球で』のほかに、『征服者』と『古い地球』がある。レムは、戦後最初の版と思われる『銀球で』の五七年版に序文を書いている。この版のイラストはすばらしい)
ストルガツキー兄弟の作品はほとんど全部読んでいる
[深見] ロシヤ語も堪能(たんのう)だと聞き及んでいますから、当然ソ連作家の作品もかなりお読みのことと思いますが、いかがですか?特に、『神様はつらい』以来、スペキュレイティブな作品が多くなっているストルガツキー兄弟についてご意見をうかがいたいのですが。
[レム] ストルガツキー兄弟の作品はほとんど全部読んでいる。最新作のひとつ前に発表した『路傍のピクニック』に、わたし個人としてはいちばん感銘を受けたし、ひどく考えさせられたよ。この作品でかれらが扱っているのは、<異生物>が地球を訪れるという古くからある<侵略>テーマだ。ところが、それが実に驚くほど斬新かつ独創的な方法で書かれているんだ。しかも、宇宙のどこかの文明とわれわれの文明が接触する可能性についてのわたしの見解と、異常なくらい似ている。あれは傑作だよ。かれらの『神様はつらい』も好きだが、印象が強烈だったのは、やはり『路傍のピクニック』のほうだ。(ストルガツキー兄弟はほぼ四年近い沈黙を破って、昨年九月から雑誌に『蟻塚の甲虫』を連載しはじめ、今も続いている。だからレムがここで最新作と言っているのは七七年に連載が終わった『世界が終わる十億年前』のことだろう。『路傍のピクニック』は、第一章の要約と第二章を『密猟者(ストーカー)』の訳題で『SFマガジン』に紹介したから読まれた方もあるはずだ。この作品はソ連の映画界の巨匠タルコフスキーの手で映画化されているが、どういうわけか今もって公開されていない。ストルガツキー兄弟はレムに匹敵する社会主義圏の作家として、もっと日本で注目されてよいと思う)
[深見] ご存じのように英米にはSF作家の組織があります。日本にも、かれらのとは少し性格がちがいますが、やはりSF作家クラブという組織があります。社会主義圏では、たしかソ連やハンガリーには作家同盟に所属するかたちでSF部会のようなものがあると聞いていますがポーランドではいかがですか?
[レム] ポーランドであろうとその他の国であろうと、SF作家だけでつくっている組織には入っていない。わたしはただ、ポーランドPENクラブと作家同盟に所属しているだけだ。一般的に言って、作家たちを組織している団体に加盟するのは、極めて実質的な意味があるからだというのがわたしの信条だ。つまり、そうした組織が、会員の職業上の問題で作家に役に立つからだ。だが、それだけのものにすぎんよ。アメリカにあるような、SFとかミステリーといったジャンル別の組織に入ってみても、創作上の刺激という点じゃわたしになんの益ももたらさないだろうな。だからポーランドSF作家協会にも関心がない。そんなわけで、気の毒だが、そのことについては、きみに話せるようなことはなにもないね。(ここではポーランドにSF作家の組織があるようにもとれるが、実際にはそれに類したものはない。ただし、非公認の会合のようなものがあるのかもしれないが)
[深見] 最近ユーゴスラビアやハンガリーではSFの専門誌が刊行されはじめ、かなり活発な動きが見えますが、ポーランドにはどうしてSF誌がないのですか?
[レム] 個人的な意見を言わせてもらえば、SFを専門に扱う雑誌が必要だとは思わない。それは、他のジャンルとまったく同様、SFも文学の一種だと思っているからだ。個別の文学ジャンルが、排他的な独自の雑誌を持たなきゃならないという、その理由がわたしにはわからないね。逆じゃないのかな。他の文学と並んで、SFの批評やそれをテーマにした論文が載るような質の高い総合文芸誌が存在するべきだと思う。狭く限定された個々のジャンルしか扱わないような雑誌は、文化全体の観点から見ると、あまりにも有害すぎるように思えるんだがね。狭いところに閉じこめられた創作活動にしか貢献しないからだ。
[深見] <レムが選ぶ世界のSF叢書>が出るという話を聞きましたが、どんな作家を選ばれましたか?それは完結しましたか?
[レム] ポーランドで出版する外国SFシリーズのために、フィリップ・K・ディック、フレッド・ポール、ストルガツキー兄弟、アーシュラ・K・ル・グインといった作家を選んだが、その後その出版が中断しているのはわたしのせいではない。わたしとしては、芸術性とインテリジェンスの点で特にすぐれた価値のある作家と作品を選んだつもりなんだがね。(レムはここで詳しい事情に触れていないが、二年ほど前、当局の圧力がかかり編集委員長の座を追われたという噂が伝わったことがある。かれが新聞・雑誌の類の編集長をしていたことはないはずだから、当時はよく意味が理解できなかったが、恐らくこの叢書の編集のことだったのだろう。レムの好みがあまりにも強烈に出すぎた企画に、文化官僚が恐れをなしたのではないだろうか?)
[深見] ところで話が変わりますが、SF映画についてのご意見をお聞かせください。前からあなたは小説と映画は本来別のもので、小説の映画化はするべきではないとおっしゃっていますね。最初から映画やテレビの台本として書かれるべきだともおっしゃっていたようにも記憶しています。そこで『ソラリスの陽のもとに』や、最近封切りになったと聞いている『審問』、その他一連のテレビ番組になったあなたの作品についてですが、出来栄えのことや、制作過程でのあなたのかかわりかたなど話していただけませんか?
『エイリアン』は観なかったが『スター・ウォーズ』は二度も観たよ
[レム] 今までのところ『タラントガ教授』がポーランドの外で、つまり東西両ドイツでだが、テレビ番組になっている。この二本は、かなり本質的な方法論上のところで解釈のちがいがあるらしい。残念ながら、どちらも自分では見ていないから、それについて云々(うんぬん)することはできないんだ。これはわたしが脚本を書いて、ポーランドテレビ局を通して渡したんだが、実は自分でもあまり気に入らなかったんだよ。しかし、今のところ気に入らなかった理由が、演出や演技がまずかったことや、ドラマという点でわたしのテキストがまずく、面白いテレビ番組として使い物にならなかったからなのか、そこまでは言えないがね。
[深見] 『ソラリス』や『捜査』、それに最新作の『審問』などの映画はどうなんですか?
[レム] 自分でもよくできたと思っている作品を映画にしてくれた中では、『ごたまぜ』がいちばんいい。監督はアンジェイ・ワイダだった。しかも、この映画の台本は、とくに彼のために、わたしが自分で書いたものだ。マーレク・ピェストラークが監督した『捜査』、あれはそのつぎに気に入っている作品だ。それから『ソラリス』だが、あれは大いに不満を感じたね。今年、上映された『審問』は、これもピェストラークが撮ったんだがね、あまりいい出来とは言えないよ。技術的な点について言えば、かなり幼稚だし、おまけに、台本には反感を持った――むろんわたしが書いたんじゃない。この映画は実に幼稚で、物を考える大人の観客にわたしの作品の意図を伝えているとは言えないな、ま、せいぜいお子様向けといったところだ。しかし、これがポーランドで最初の長編SF映画だということはたしかだ。だが、この映画には特殊監督もスターも特殊技術陣もいないよ。(『審問』は『宇宙パイロット・ピルクス』の中の一話だ。ほかにも<ピルクスもの>では、第一話に当たる『テスト』がソ連で短編映画になっている。ピェストラークがポーランドでどんな位置にあるかは知らないが、かなりレムに入れ込んでいる。前作『捜査』――ただし、テレビドラマ――のときは自分でも批判があったと認めているが、レム自身は評価している。だが、今回の『審問』については、レムはかなり手厳しく言っている。監督は息子の電子工学者まで使って宇宙船のセットには凝りに凝ったと自賛しているが、レムのこのけなしようはどうだろう。レムに言わせるとお子様向けだと言っているこの映画も、監督が言うとこんなふうに変わる――「原作が持つ知的水準の高さと、ヒューマニスティックな哲学が、あらゆる種類の<宇宙戦争>とその類(たぐ)いの西側の映画の技術的手練手管を圧倒するものと確信している」。幸い、この原稿を書く直前に、『審問』を見ることができた。原作者が、原作の内容を伝えきれていないと言っているのだから、それについてはとやかく言えないが、その他の点では、かなりよくできた作品だと言える。映画としては、『ソラリス』より楽しめた。今秋あたり日本でも公開される可能性がある。レムはこの作品をポーランドで最初の長編SF映画だとしているが、実際にはポーランド・ソ連合作映画だ。『ごたまぜ』は、臓器移植により実体がわからなくなるサイボ―グを風刺した短編のドラマ化。SFマガジンで紹介した『おれは誰だ!?』がオリジナル。レムはよほどこの話が気に入っているとみえて、ワイダのために書いた脚本のほかに、『ミスター・ジョン、お前は生きているのか』と題したシナリオもある。『ごたまぜ』はイギリスと西独でも放映され、評判になったという)
[深見] ポーランドでも『スター・ウォーズ』が上映されたと聞いていますが、ご覧になりましたか?『エイリアン』はどうでした?
[レム] 『エイリアン』は観る気がしなかったが、『スター・ウォーズ』のほうは二度も観たよ。だが、あれを観ながら、すばらしく面白い独創的な映画が作れる、またとないチャンスが無駄にされたと思い、残念だったな。あれじゃ、あの映画は「スペース・ウェスタン」というか、「スペース・オペラ」というか、まあそういった類(たぐ)いの代物(しろもの)だからね。要するに、アメリカSFによくあるモチーフをふんだんにミックスした幼稚なおとぎ話の一種だ。あまりアメリカ人たちが自慢できるようなモチーフではなく、逆に、このジャンルによく見られる、低俗さ、幼稚さ、もっとも程度の低い好みに迎合する計算高さ、なにからなにまで嘘で固めた作りごとが、いっさいがっさい表われている。つまり、言うなれば、現在・過去・未来を通じて一度も、どこにも存在しない世界を見せているということだ。
[深見] ところで、小松左京の作品を映画化した『日本沈没』はご覧になりましたか?
[レム] 残念ながら、あれは見ていない。
[深見] では日本のSFはなにか読まれましたか?ポーランド語になった作品は、安部公房の『砂の女』と『完全映画』以外は、小松左京と星新一の短編が数点、雑誌に載った程度ですから、果たしてあなたの目にとまったかどうか……。(数編の短編とは、小松左京の「穴」、「いかものぐい」。現在、『日本沈没』が翻訳企画中と聞いている)
[レム] 申しわけないが、日本のSFはなにも読んだことがない。実を言うと、ポーランドのSFも外国のSFもあまり読まないことにしているのだ。そう、十年にもなるかな、SFを読むのをやめてしまった。とくに、アメリカSFはね。あれにはいいかげんうんざりしたし、失望させられもしたからね。もっとも、前に挙げたような例外的な作品もたまにはあるが。
[深見] 『泰平ヨンの航星日記』と『回想記』に自分でイラストを描いておられますが、SFアートについてご意見をお持ちですか?
[レム] あれはいたずら気を起こして描いたんだよ、チャンスがあったんでね。いずれにしても、わたしはプロの画家でもイラストレーターでもないよ。すばらしいイラストが入ったSFがあることは原則として認めるが、しかし、そんな本にはあまりお目にかからないね。要するにいちばん肝心なことは、作品そのものの質だよ。イラストが悪いからといって、優れた作品が駄目になることはないし、いくらイラストがよくったって、もともと出来の悪い作品は、それでよくなるってものじゃない。
[深見] 今から十年前、一九七〇年に、われわれはあなたを国際SFシンポジウムに招待したんですが、来ていただけませんでした。なにか事情があったのですか? また将来そうした機会があったとき、ぜひお呼びしたいと思いますが、おいでいただけますか?
[レム] 原則としてそうした催しに顔を出したことは一度もないし、これからも、SF作家の会議に出るつもりはないね。SF作家は、学術文献を研究し、現代世界で起こっていることに関心を持ち、未来学についての文献を読み――ただし、極めて批判的態度で、と条件がつくがね――それに、言うまでもないことだが、非SF作家の、つまり、普通の作家たちが書いたいい作品を読むべきだと思っているからだ。おそらくわたしは、SF作家たちが集まる会議や集会に出ても、自分の創作活動にはなんの利益にもならないと思っているからかもしれないな。
[深見] 一週間に三十通から三十五通のファンレターが来ると聞きましたが、その中には日本からの手紙もありますか?
[レム] 残念だが、日本の読者からはまだ一度も手紙をもらったことがないよ。(返事が来るかどうかは保証の限りではないが、まだ一通も日本からはファンレターを受け取ったことがないというから、送ってみてはいかが?かれにとって、日本は特別の国らしいから――だからわたしも会えたのだが――案外返事が来るかもしれない)
[深見] あなたとアメリカSF作家協会とのあいだでトラブルがあったことは日本でも知られています。あなたを擁護するにしろ、非難するにしろ、情報はアメリカからしか入って来ません。いったい何があったのですか?そして、それはどう解決しましたか?
[レム] 経緯はこういうことだ。数年前のことだが、アメリカSF作家協会(SFWA)から、わたしを名誉会員にしてやると言ってきたことがある。断われば、アメリカ人の面子(メンツ)を潰すことになるかもしれないと思って、それは受けることにした。その後二年ほどしてから、西ドイツの『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトング』紙にSFについて記事を書く機会があり、そこでアメリカSFのことを批判的に書いたことがある。そのわたしの小論の要約が英語になってアメリカで発表されたのが、事の始まりなんだよ。英語で要約した人間が、テキストを改竄(かいざん)したもんだから、わたしの単なる批判的意見が、アメリカを侮辱しているような内容に変わってしまった。アメリカで翻訳して出すときにやったその改竄を、ダルコ・スーヴィン教授がドイツ語の原文と付き合わせて詳しく調べ、かれが編集に関係している『サイエンス・フィクション・スタディーズ(SFS)』にそのことを発表したのだ。その間、わたしは聾桟敷(つんぼさじき)に置かれていた。あとで聞かされて分かったんだが、SFWAの幹部連中は、そのでっち上げた要約そのものをわたしが書いたものだと見なし、自分たちが侮辱されたと思い込んだんだな、SFWAの名誉会員の資格をわたしから取り上げてしまったというわけだ。だが、口実は、わたしに名誉会員の資格をあたえる際に、合意をとりつけなくてはならん正規の手続きが踏んでなかったということでだ。だが、わたしがその件について公(おおやけ)に発言しないうちに、アーシュラ・K・ル・グインがまず最初にわたしを擁護する行動を起こし、『SFS』に発表したのが「レム事件」だ。その後、この件に関して多くのアメリカの作家たちが、その雑誌に意見を載せたが、結局、この件は沙汰(さた)やみになってしまったよ。要するに、その件が起こる前にしろあとにしろ、わたしにとってはSFWAの会員資格のことなどどうでもいいことだったし、アメリカ人がわたしに対してとった態度についていま考えられることは、あまりたいしたことじゃないよ。今さら事改(あらた)めて、なにか言うほど価値があることではないな。(一昨年あたりかなり何度も、この「レム事件」はSFマガジンで紹介された。結局、高度なSF論争にまで発展しなかったし、ここでも言っているように当のレムがこの件では発言しなかった。どうやらレムが言っているのが真相らしい。だとすれば、この勝負はレムを引っぱり込んでSF文学論でやり合うところまで持っていけなかったアメリカ側の負けと見た。アメリカ側は、最後のほうでは版権にからむ金銭問題まで持ち出していたように思う)
翻訳も恋愛も決め手になるのは心の通い合いだ
[深見] つぎにお尋ねしたいのは、わたし自身もあなたの作品を翻訳していますから関心があるのですが、ご自分の作品の翻訳についてどうお考えになっているか聞かせていただけませんか?英語やロシア語がよくおできになるとのことですから。もっとも、非常に多い翻訳の中には、日本語も含めどんな訳に仕上がっているか分からないものもあるとは思いますが……。
[レム] いま手元にある外国語に訳されたわたしの本は三百点ほどだ。翻訳された自分の作品が読める程度にマスターしている外国語はロシア語、フランス語、ウクライナ語、英語、そしてドイツ語だが、読んでみて確信したのは、ポーランド語と同系列の言語に訳す翻訳者は仕事が楽だということだ。つまり、ポーランド語から訳す場合、ロシア語やウクライナ語に訳すのは、たとえば英語にするよりはるかに楽だという意味だ。しかし、なんといってもいちばん肝心で決定的なことは、訳者の才能だよ。訳者と作者の心の通いとでも言うんだろうか、そういうもののほうが、言語的に近い関係にあることよりもっと重要なことだと思うね。聞くところによると、世界中のどこの訳者も、翻訳料が安すぎると言って嘆いているようだが、しかし、最高の翻訳料を支払った訳が、かならずしも最高の価値があるとはかぎらないからね。翻訳というものは純粋に職人仕事だから、出版社から持ちこまれたらどんな本だってこなすというような心掛けの翻訳者は、最も優れた翻訳者のための雛壇(ひなだん)に並ぶ栄誉は、まずものにできないだろう。翻訳というのは、少し恋愛に似たところがある。真実の愛というやつは、いくら金を積んでも買えるものではない。優れた翻訳も、銭金(ぜにかね)で見つけ出せるものじゃない。どちらの場合も決め手になるのは心の通い合いだからだよ。
[深見] SFとは直接関係がありませんが、日本についてどんな印象をお持ちですか?
[レム] 日本はまったく異常な国だよ。自分たちの歴史を急激に変えることができる。たいへんな能力を持った民族だからだ。こんな民族は、おそらく世界中どこを探してもいまい。たかだか百年かそこいらで封建制タイプの文明から科学技術文明までを一気に体験した国はほかにはどこにもない。いちばん興味があるのは、日本がこの間の戦争で連合国に敗れてから、いったいどうやって復活したかということだ。あの戦争を指導した日本の政治家たちにしてみれば、日本民族がすぐには立ち上がれないほど恐るべき、決定的な敗北だったはずだ。ところが、この民族は、現実には、驚嘆すべき速度で立ち直り、現代世界で最も経済的に強力な国家のひとつになってしまった。その点に関しては、日本こそ他の国が見習うべき模範となってしかるべき国だと思うよ。(これは多くのポーランド知識人の平均的意見ととっていいだろう。言い方こそちがえ、同様の感想を聞かされた。やっぱり日本民族は偉大なんだなあ!万歳!)
[深見] では最後に、ご家族のことを。
[レム] 妻のバルバラは、レントゲン技師だ。今年の春、満十二歳になる息子のトマシュは、学校に通っている。妻と結婚してすでに二十六年になるが、彼女は、常にわたしが書いた全作品の最初の読者だったし、手厳しい批評家でもあった。バルバラは作家としてのわたしにやたらに注文が多くてね。だが、そのことには特に感謝しているよ。批評というものがひどく辛辣(しんらつ)で、過酷であると同時に、心がこもったものだということをよく承知しているからだ。われわれが一緒になったころは、物質的な面では、たいへん質素だった、いや、ほとんど貧乏暮らしだったと言ったほうがいい。今では、わたしの仕事と本のために、この古い家では暮らせなくなってしまった。だから、いずれ近いうちに、同じこのクラクフ郊外の町に、大きな家を建てるつもりでいる。そこには息子のために映画スタジオも作る。なにしろ息子はSF映画を作ることにえらく興味を持っているもんでね。だが、なんといってもやっと十二歳になるところだ。将来、かれが本当にそれを職業に選ぶかどうかは、今はなんとも言えないが。