「Utopiaへの通信」川島侑希

Oxygen Color

「あのひと、間違った情報を売りつけてきたんじゃないよね」
 重いリュックを下げたまま、息を切らしてしゃがみ込む。そこはかつて道だったのだろうと辛うじて思える草むらだ。風が草を大きくうねらせ、さざ波を楽しんでいる。〈ジェン〉は鬱陶しそうに顔にかかる前髪を払いのけた。〈情報街〉で得た情報によれば、この先もしばらく同じ景色が続いているらしい。ずっと代わり映えのしないこの草原を歩いて来たのに、まだ遠くに見えるあのなだらかな丘を越えなければならないのが、彼女をより絶望させた。時々、これから〈ジェン〉が進む方角へ、流星が夜空を滑ってゆく。上着のポケットから地図を取り出して眺める。
「ほんとにこんな所にあるかなぁ」
 心が折れそうになるのをぐっと堪えて、〈ジェン〉の指がしわくちゃになった地図を辿る。明日の夜には〈広野の管制塔〉へ到着する予定になっていた。
 〈ジェン〉は好奇心旺盛な芸術家の少女だ。写真や絵画、時には彫刻を創作して売り、何とか生計を立てている。アトリエに籠るか、創作のモチーフを探しに各地を放浪する生活をしている〈ジェン〉は、長旅には慣れていた。しかし、この果てしない草原をひたすらに歩く道のりは、今まで経験した旅の中で最も過酷なものに感じられた。整備されておらず、長く人間が足を踏み入れていないとすぐにわかる道を、すでに四日間歩き続けている。
 彼女は今、かつて短い時間を共に過ごした友達のセイラの船にメッセージを送るために、管制塔を目指している。人間の世界にやって来た〈妖精〉のセイラ。彼女は、驚くべき行動力で小型の星間探査船スリツアンを都から盗み出し、一人で目的地である何もない〈月〉へと行ってしまったのだ。〈ジェン〉はセイラを知る前からずっと〈妖精〉について調べている。セイラの存在を〈情報街〉で教えられた時も、初めて都で会えた時も、強い興味が湧き出し、絶対に友達になってみせよう、と強く思っていた。しかし、それが叶ったと実感できた数日後にはセイラはもうこの星におらず、はぐれ者同士にいつしか芽生えた友情は、心から信じられる程強固なものとはならなかった。
 歩き続けてぼんやりした頭でセイラとの思い出を振り返る。眠気は絶えず押し寄せてくるが、今は眠らずに歩き続けていたかった。出会った頃に抱いていたような〈妖精〉に対するただの興味ではなく、ひとりの友達として、セイラの身を案じているのだ。
「この管制塔に行けばセイラにメッセージが送れるかもしれないなんて、信じられないな。楽しみだけど。そもそもどうしてこんな辺鄙な所からじゃないとだめなんだろう」
 そう呟きながらまた歩みを進める。セイラがいなくなって傷心していた〈ジェン〉に、こっそりと〈広野の管制塔〉の情報を与えたのは、〈情報街〉の統率者〈バックノーム〉だ。他の誰にもこの塔の存在を教えない、という条件があった。

 翌朝まで歩き続けて、へとへとになりながら丘を登りきる。すると、少し先の草原、朝霧の中に、円筒状で灰色の建物が確認できた。こんな滑走路も格納庫もない場所にポツンと管制塔だけがあるのは不思議な風景だ。飛行機の類もない。〈バックノーム〉が言っていた、何処にも届けられなかった、届かなかった通信の行きつく場所という言葉。現実の世界から隔てられているような雰囲気が、その言葉によく馴染む。だが、どちらかといえば電波塔なのではないだろうか。〈ジェン〉は、時々塔の様子を見に来るという管理者が居る事を期待しながら、到着の喜びを胸に丘を下ってゆく。
 管制塔に近づくと、ぼろぼろ、というよりは、ガラクタや廃材をつぎはぎして建物が作られているのに気づいた。造りはしっかりしているが少々いびつで、〈ジェン〉は少し不安になった。おまけに、今にも折れてしまいそうな古ぼけた看板が立っている。そこには、所々塗料がかすれてはいるものの、力強い字で詩のような言葉が書かれていた。

 強欲な眼差しは高潔な畏れを欠く
 楔を抱き、賢者の声を聞き入れず
 河の流れに逆らって行く
 銀朱の敷石を打ち砕いて行く

 大欲非道なる数多の世路を この地平線に縫いつけ
 必ずや、
 許された舟が 行き惑う木の芽風を
 自由へと導かん

 〈ジェン〉には言葉の意味がまるで理解できなかった。取り合えず振り向いて眺めた地平線は、太陽を送り出して満足そうにしている。
 シンプルな造りの扉の前に立つと、中から人の声のようなものが小さく聞こえた。それも、一人ではなく複数人の声だと思われる。〈ジェン〉は管理人が来る以外は基本無人のはずだと聞いていたのに、自分と同じような来客でもあるのか、と考えを巡らせながら、扉をゆっくり押し開けた。
 すると、複数人の声と思われていた音が一気に何倍にも増幅し、無数の話し声となって上の方から降ってくる。〈ジェン〉は驚いて見上げると、塔の中心が円い吹き抜けになっており、声は最上階から一階のこの開けた部屋まで降りてきているようだった。時々途切れたり音が悪かったりするのは、誰かがここで話しているのではなく、何かしらの通信の音声だからだろう。音声の雨に打たれながら、〈ジェン〉ははっとして、内容に耳をすませた。
「……つかると……ど、ぐわ……れた」
「はもう限界だ!至急…………」
「ハロー、ハロー、四号機、ヘラクリデス岬より」
「……お爺様に聞いてあげるってば。何で」
「ミンテル……区では、もうル……ベリーの収穫をしたよ……」
「……のにいつになる?」
「とう、し……て……いよ…………に……ない」
 これが――〈バックノーム〉の言っていた誰にも届かなかった通信内容たちなのだろうか。〈ジェン〉はあたりを見まわした。人気のない一階は、使われていなそうな機材置き場と、休憩できる小さなテーブルと椅子が一セット置いてあるだけの薄暗い部屋だ。ただひとつ、部屋の中心にある細い鉄の梯子が、〈ジェン〉を吹き抜けの頂上へと誘っている。〈ジェン〉は荷物を降ろし、何の迷いもなく、ひやりとする梯子を力強く掴み、昇っていった。

「〈バックノーム〉から聞いているが、こんなに早く着くとは思わなかったよ。そこまで思い入れのある相手なのか」
 いつの間にかぽつりぽつりとしか聞こえなくなった音声の間から、ぶっきらぼうな人間の声がした。吹き抜けの上は円形の管制室になっている。梯子を昇り切って声の出どころを見ると、ハンチング帽を深く被った大柄な男がこちらを向いて座っている。〈ジェン〉は自分はついていると、心から思った。この男は塔の管理者だ。
「大事な友達だったの。話が早くて助かるよ。私は〈ジェン〉。友達のセイラに、声を届けたいの」
「俺は〈ルーディ〉。今日分の作業が落ち着けば手を貸す」
 〈ジェン〉は聞きたいことは沢山あるけれど、大人しく作業を見守るべきなのだろうと察した。〈ルーディ〉の座る作業盤の無限のスイッチやランプや計測器を遠巻きに覗き込みながら、ガラス張りの室内を観察する。〈ジェン〉にとって機械類は全てがガラクタに見えるくらいによくわからないものだが、セイラは、機械を見るといつも目を輝かせていた。そんな思い出がふとよぎる。
 最後に二人で会ったのは、スリツアンの航行に必要だったメモリーユニットを手渡した日。数日後には、スリツアンが展示されている〈博覧会〉が盗賊団に襲撃されたニュースを見たので、その混乱に乗じてセイラは船を盗んだのだろうと予想していた。それからのセイラの事は全くわからない。
「ここに落ちてくるのは世界中でやり取りされている無数の通信の中で、何らかの理由で相手に届かなかった通信だ。発信はできたけど、受信ができなかったんだ。音声も、メールやデータのやり取りも、みんなどうしてかここに落ちてきやがる。仕組みは俺も知らねぇよ」
「届かなかったって、そういうことなんだ……。不思議なものだけど、わからないままでよく働けているね。〈ルーディ〉はこの通信たちをどうするのが仕事なの?」
 〈ジェン〉は置いてあったポットで勝手にコーヒーを淹れて飲んでいる。ポットの隣の艶やかなブルーベリーパイを羨まし気に見つめる。
「〈バックノーム〉に指示された内容をピックアップして送るだけだ。ここで受けるには時差もあるし、こんな末端の情報まで食い尽くすとは恐ろしい〈情報商人〉だぜ。俺が〈バックノーム〉に会ったのは行方知れずの妻の情報が欲しかったからだが、そっちの情報はからっきしだ。情報集めの対価として奴からこの仕事を斡旋されたのさ。全く良いようにこき使われてるよ」
 途切れた電話の切れ端、宇宙を旅する船の交信、電波マイクからの歌声。送受信のチャンネルがズレたり、お互いの通信機器に何らかの不具合が生じたりすると、行き場を失った電波がここに集まるのだという。そんなこと、できるものなのだろうか……。何万何億とありそうな膨大な量の通信をどうやって感知するのだろう。それに、その中から情報を探し出すなんて、人間一人が時々作業に来る程度で出来るようには思えない。〈ジェン〉は悶々としながらも、〈ルーディ〉の仕事を見ている。そろそろ彼の手が空きそうだった。
「もういいぞ。ここのマイクを使わせてやる。なぁ、〈バックノーム〉から聞いていると思うが、この塔から通信してみたところで何の意味もないってわかっているんだろ?」
「わかってるよ」
 〈ジェン〉はごちゃついたデスクの前に促され、通信に必要な受信先の情報が書かれたメモを〈ルーディ〉に手渡した。通信ランプはオンにならない。それで構わなかった。
「こちら、新緑の香る青い地球より、〈ジェン〉。セイラ、聞こえますか。もう月面には降りられたかな。元気にしているのかな。今、どこで何をしていますか。私はこの間、一緒に食べた都のタルト屋さんに行ったよ。セイラがとても美味しそうにしていたのを覚えてる。もし〈月〉のコロニーがまだ動いていたら届けられたかもね。いつか地球に帰って来ることがあれば一緒に行こう。元気に過ごしてね。以上、通信終わり」
 マイクを切ると、深い溜息が漏れる。〈ジェン〉はあっさりと通信を終えた。
「他愛もない話だな。そんなに短くていいのか?それに、てっきり相手は死んじまってるもんかと思ってた。こんな所に来るんだからな」
 自嘲するように〈ルーディ〉が言った。〈ジェン〉は悲し気に顔を伏せる。
「私、セイラは本当は死んじゃったんじゃないかって思ってるんだよ」

 盗賊団の〈博覧会〉襲撃の日、大きな爆発音が聞こえた。盗賊団の打ち上げた花火だと報じられたが、〈ジェン〉はスリツアンが古すぎて機体に限界がきて爆発したんじゃないかと、想像を巡らせていた。それに、そもそも〈月〉には生命を維持するだけの設備がもう揃っていないはずだ。
「もし仮にそうだったとしても、私だけは、セイラが〈月〉にいるのだと信じてあげたい。だから、セイラが月面で過ごしている証拠をここに刻みに来たんだよ」

 いつの間にか眠ってしまっていた。大きな窓から入って来る西日が〈ジェン〉の目蓋を刺激する。聞こえて来る心地よい雑音は、塔に入る時に聞こえた通信の音声たちだろう。小さい音量で再度流れている。〈ジェン〉はすでに、目的を果たしてしまった。どんなに待っても、ここにセイラの通信が入って来ることなどないはず。〈ジェン〉の寝ぼけた頭の中では少しずつ、帰路の算段が立てられ始めた。すると、音声の中に聞いた事のある声が聞こえた。
「……も雨。やっぱり私からあなたに会いに行くべきかしら――」
 これは、セイラを追う旅の途中で話を聞きに行った、人間と〈妖精〉のハーフの女性、〈セドナ〉の声に間違いない。あの街は確かに電波障害があった。音声が終る。〈ジェン〉は思わず飛び起きて〈ルーディ〉の横へ駆け寄った。わずかな期待が、様々な憶測を運んで来た。
「ねぇ、ここに来る通信って、どこかの地域とかに限定とかしているの?」
「さあな。俺は妻に関わりそうな通信しか聴いちゃいない。ピックアップも、関連するキーワードを入力して掠(かす)るものをコンピュータが集めるだけだからな。流してるのはただのBGMとしてだ」
 〈ジェン〉は〈ルーディ〉の記入した回収情報一覧表を眺め、聞こえた音声を思い返す。そこであることに気づき、思わず息を吞んだ。〈ルーディ〉の言っているこの管制塔の役割は、おそらく嘘だ。
 なぜならば、ここにやって来る通信は全て、〈妖精〉たちのやり取りだから。〈セドナ〉の声が届いたのも、〈バックノーム〉がわざわざこんな所まで〈ジェン〉を赴かせたのも、管制塔が人里離れた霧の中に建っているのも、理解できる。それに、セイラがやりおおせたように、〈妖精〉の為に作られた探査船スリツアンは、滑走路がなくても飛び立てる。だから、ここに滑走路がないのも当然なのだ。何より決定的だったのは、塔に来た時に聞き取れた通信。〈ミンテルハイ区〉は、〈妖精〉が住んでいるのではないかと、ささやかに噂されている霧に巻かれた島。〈妖精〉の研究書ではベリー類が穫れる地域だろうと予測されてはいたが、人間が確信をもって発せる情報ではない。人間と〈妖精〉の世界の壁は大きい。
 〈バックノーム〉は、全てのスリツアンが地球から〈月〉へ行ってしまって、もう使われなくなったこの管制塔を改造し、〈妖精〉の世界の情報収集に利用している。おそらく、〈妖精〉たちが使っている通信機器の類を細かく調べ上げ、傍受するシステムを巡らせている。あるいは、盗聴器でも仕掛けているのではないか。彼女ならやりかねないと、〈バックノーム〉を知る者は誰しも言うだろう。
「おい、仕事の邪魔をするな。あっちに行ってろ」
 〈ルーディ〉が一覧表を奪い取り、作業を再開する。彼自身は、この塔の真実に気づいていないのかもしれない。〈バックノーム〉は何故か、私たちに嘘を教えた。〈ジェン〉は、きっと〈バックノーム〉なりの策略があるのだろう、と考える。しかし、何にせよここが、よりセイラに近い場所なのだとわかったのだ。
「……私、あなたに頼みがある。」
 〈ルーディ〉は不思議そうに眉間に皺を寄せた。
「もし、私の友達から通信が来るようなことがあったら、教えてほしいの。それに関わりそうな情報もあると助かる。時々ここにいさせて」
 〈ジェン〉の心には微かな希望が生まれた。他でもない、〈妖精〉〈バックノーム〉の導きだ。彼女はセイラが死んだとは言わなかった。
「構わないが、俺は〈バックノーム〉から金と、妻の味だったブルーベリーパイを報酬として貰っているんだけどな。お前は何をくれるんだ?」
 咥えた煙草に火をつけ、〈ルーディ〉は〈ジェン〉に向き直る。
「良いこと教えてあげるよ。〈バックノーム〉はどんな情報だって必ず手に入れる凄腕の商人なんだよ。特に〈妖精〉の情報に関しては、この塔を利用して重点的に集めてる……。私たちがここに呼ばれたのは、それぞれの大事な人が〈妖精〉だから。ここにいれば、絶対に奥さんとセイラの情報を手に入れられるよ。それも一番に。これじゃ、ダメかな?」
 

 〈ジェン〉が初めて管制塔にやって来てから、二年ほどが経過した。一週間に一度〈妖精〉の管制塔を訪れるものの、セイラからと思わしき通信は見つかっていない。〈月〉に纏(まつ)わる通信は、最近のものはほとんど無く、時差でかなり古いものが時々届くだけだ。人間と〈妖精〉がひどく争っていた頃の記録が多かった。これほど大きな溝があったなんて、〈ジェン〉は知らなかった。
 管制塔にいると、セイラに聞けなかった〈妖精〉の世界のことを、わずかな情報を縫い合わせながらではあるものの、より明瞭に想像できる。しかし、〈ジェン〉には〈バックノーム〉と交わした約束が在るため、塔での出来事や情報は誰にも話せない。その代わりに、かつて自身が思い描いていた風景とは全く違った〈妖精〉の世界を、時々絵にしていた。

 〈ジェン〉はバイクから降り、慣れた様子でいつもの扉を開く。また〈ルーディ〉が最上階から音声通信の雨を降らせている時間だった。だが、今日はその中にひとしずく、鮮烈で美しかったあの友達の声がある。〈ジェン〉がそれを聞き逃すはずがない。

「……管制塔へ。こちらスリツアン七号機。セイラ。大気圏はとっくに抜けたけれど、現在進路が不安定で〈嵐の大洋〉へ……ふふ、変なの。もう使えない通信機なのに、スリツアンがやってみろなんて言うから」