新作紹介「TH88」高槻真樹


 いつもシャープな目線を忘れない季刊アート誌、『トーキングヘッズ叢書』の88号の登場です。今回のテーマは「少女少年主義」。おや案外定番テーマなのでは、と思われる方もいらっしゃるでしょうか。幼き日々の思いを忘れることなく、自己表現の糧とするスタイル。しかし、寺山修司も宮沢賢治も登場しません。「少年」ではなく、「少女」が先に来ているのがポイントかも。そんなTHならではの苦みを抱えた、少女少年の志を忘れ(られ)ない世界。あなたものぞいてみませんか。
 石和義之「固有性としての少年少女期」では、戦後登場した荒地派という詩人グループと吉増剛造の活動をたどります。生き延びるために知的な成熟を強いられた戦時期の子供としての自分たちを出発点に置いた荒地派、「狂気」に肩入れする吉増、それぞれの子供時代が創作の原点となっていることが分かります。
 阿澄森羅による「運命天賦の才能-『天才』たちの光輝と蹉跌」は、比較的近年に照準を絞り、「若き天才」と讃えられた子供たちの、平坦ではないその後の人生をたどります。周囲のやっかみに耐えきれず心を病んだ天才ヴァイオリニスト・渡辺茂夫、本当に本人が描いたのか疑惑を残したまま姿を消した「四歳の天才画家」マーラ・オムステッド。六歳で『天才えりちゃん金魚を食べた』を書いた竹下龍之介や、十三歳で「このミス大賞」に入賞した水田美意子は大論争を巻き起こします。注目に反してその後の活躍は微妙。多くの「天才」たちが、大成できない理由はなぜなのか。ひょっとして、大人になってから「普通に」見出される方が、マシなのかも……
 井村君江「『フローラ』-天才少女画家に詩人が賛歌を捧げた異色の本」も、天才少女画家として名前を轟かせながらも、なぜかその後忘れ去られてしまった異色の画家を紹介しています。87歳まで長生きしたことが分かっているのに、後半生の活動は知られていません。問題は飽きっぽい大人たちの側にあるのかも。子供たちの受難は示唆に富んでいます。
 松本寛大が取り上げたのは、スウェーデンのアーティスト・シモン・ストーレンハーグのグラフィック・ノベル『ザ・ループ』(グラフィック社)です。超高度テクノロジーのガジェットたちが徘徊する、とあるスウェーデンの田舎町。原作本は、あえてまとまったストーリーを置かず、不穏な世界そのものを読者に感じさせようという仕掛けです。ここにあるのは物語の萌芽であり、刺激を受けた作り手によるTRPGや連作ドラマが派生していったのも当然のことでしょう。「わからない」ことをどう捉えるか。特にドラマ版では、子供たちの挫折という、あえて暗い方向に振った解釈が、興味をそそります。
 宮野由梨香「『紅楼夢』-失われた時空間の少女たち」は、賛辞としての少女漫画的見地から、中国文学の古典に光を当てます。個性的な美少女たちに囲まれた裕福な少年の物語は、一見願望充足的なものに見えますが、次第に書き手自身の「少年だった日々」をどうとらえるかという、メタ的な世界へ踏み込んでいきます。
 子供の心を保ったまま生きることを、純真さを忘れない、といった能天気な全能感だけで語れるはずがありません。手元に十分にカードを揃えないままに、世の中と対峙せざる得なくなっていく焦燥感もまた、この年代の特徴です。それを大人になった後のノスタルジーでご都合主義的に肯定してよいのか? 渡邊利道のデニス・クーパー『クローサー』や野坂昭如『火垂るの墓』評には、そうしたシリアスな批評精神が健在です。ここからさらに「性愛への期待」に分析を広げた、岡和田晃の高原英理編『少年愛文学選』評も、注目に値するでしょう。
 むろん子供たちといえど、時代の政治状況から無援であるのは不可能で、穂積宇理は、戦後日韓の激動に翻弄された『にあんちゃん』『ユンボギの日記』の背景を、丁寧に読み解いていきます。筆者自身、子供のころに『にあんちゃん』を、日本人少女が「貧困に負けず頑張った」記録のように誤読してしまったことを思い出しました。筆者の安本末子は在日コリアンの出身でしたが、当時それを糊塗するような改訂がなされてしまっていたのです。
 かくいう私は、マンガ・アニメの世界で発生しがちな「サザエさん時空」について書く「シャッフルされるコドモたち」を書いています。何年も歳をとらないキャラクターたちはどうして生まれてくるのでしょう。それは本当に願望充足の産物なのでしょうか。多様な形で時間に絡め捕られたキャラクターたちが集う、荒井チェリーの四コママンガ『むすんで、つないで。』(芳文社)を取り上げ、認知科学の助けも借りつつ、ちょっと違う視点を提案してみました。
 確かに、「子供の心を忘れない」と、自慢げに語る人はどこかいかがわしい。しかし、「忘れようとしても忘れられない」強烈な何かが、かつて通り過ぎてきたあの頃にあるのも確かです。あなたも腹をくくって、「あの頃」と対峙してみませんか。今回の特集は、格好の手がかりをいくつも与えてくれることでしょう。
 TH特選品レビューも充実しています。街のカフェで開かれた小さな演劇をルポした「黒猫クレマ・夏の茶話会『トレモロ』」と、毎夏大阪で開催されている(昨年は中止)アナログゲームイベント「TGFF2021」をルポした水波流など、ユニークなメディア評が目白押しです。
●書誌情報
TH No.88「少女少年主義?永遠の幼な心」
表紙・たま《Endangered flower》
A5判・並製・224頁・税別1389円
ISBN 978-4-88375-456-4
発行=アトリエサード/発売=書苑新社(しょえんしんしゃ)
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