「Utopiaの影」伊野隆之

『……何で、あっさり殺しちまわない?』
 ぐったりとした三人目の警備員の体を、廊下の隅に横たえる。賊と見れば見境無く銃を撃つ奴らなど、さっさと頸動脈を切ってしまった方が簡単なのだが、返り血を浴びるし、あたり一面が血生臭くなる。〈バックノーム〉が言うには、妖精は血の臭いが苦手なのだそうだ。
 薄暗がりの中、その妖精から受け取った見取り図を確認する。昼間、順路に従って進めば、何の戸惑いもなくたどり着けるが、順路表示がなければ決してたどり着くことができない展示室に向かい、慎重に歩を進める。時間はまだ十分あるのだ。
『……本当のお宝だぜ、お宝。世界最大のダイヤモンドだ』
 推定価値は、それこそ小さな国の国家予算にも相当するだろうが、売りに出されることはあり得ない。唯一無二だが、唯一無二であるが故に、簡単に足が付く。売られるときは、いくつものダイヤに切り分けられ、磨き上げられた後だろう。唯一無二の価値は失われ、小分けされた欲望のかけらになり果てるのだ。
『……そんなこと、おまえが心配するこっちゃない!』
 思わずため息が出る。医者は、脳に小さな腫瘍があり、その腫瘍のせいで幻聴が聞こえるって言っていた。
『……幻聴でなんかあるもんか。俺はおまえで、おまえは俺……』
 小さな特別展示室の中央に、ジュピターダイヤモンドが鎮座していた。大人の拳ほどあるそれは、木星の薄っぺらな氷の輪の中を、何億年もの間、漂っていたという。宇宙の深淵からの光を宿した硬質な物体の存在感に、口うるさい俺の中の俺も、一瞬、言葉を失っていた。
『……さあ、さっさとそれをひっ掴んで、こんなところからおさらばしようぜ!』
 改めて聞こえた頭の中の声に促され、ジュピーターダイヤモンドを収めたクリスタルのケースに向けて俺は手をのばしかけた。
「くそっ」
 慌てて手を引っ込める。今は手を出すべき時ではない。
『……どうしたんだ。臆病風にでも吹かれたか?』
 赤外線センサーに、振動検知器、ケースに手を触れた途端、展示場全体に警報がけたたましく鳴り響き、外へとつながる全ての扉が閉じるだろう。巨大な展示場そのものが、俺を閉じこめる牢獄となり、希代の盗賊、影のジャックを閉じこめる檻になる。そんなことは、まっぴらだった。
 俺は、妖しい光を放つジュピターダイヤモンドを前に踵を返す。
 単に歩み去るのではなく、再びここに来るために。ずっしりと重い炭素質の固まりを、この俺の手で感じるために、俺はジュピターダイヤモンドに背を向けたのだ。
『……おい、この、臆病者が! つまらん言い訳をしてないで、さっさと盗んでトンズラだ!』
 せいぜい、あと一時間だ。今頃、〈銀ネズミ団〉の連中が、港の倉庫街で、それぞれ奇妙な衣装で着飾って、気勢を上げている頃だろう。あの連中にとって、今回の襲撃は単なる娯楽だ。普段はお堅い銀行員で通っているような奴らが、ちょっとした記念品を持ち帰り、昼間の仕事で溜まった憂さを晴らすだけのこと。
『……そんな連中の手伝いで小銭を稼いでるおまえがなさけないよ……』
 利用できるものは利用する。それがジャックだ。
バカな夢にとり憑かれた妖精の娘も同じ事。ジュピターダイヤモンドを手に入れるために、役に立って貰った。それだけだ。
『……それ、ホントか?』
 脳内の小さな腫瘍が作り出す幻聴を無視して、俺は展示会の中心と言っても良い、巨大なメインホールへと向かう。開閉式の天井を開き、〈銀ネズミ団〉を展示場に引き入れる。それが、彼らとの契約だった。

 * * *

 宇宙科学博覧会開催の噂を聞き、思い出したのが博覧会の目玉展示の一つ、ジュピターダイヤモンドのことだ。学術的価値はともかく、それ以上に、史上最大のダイヤモンドの経済的価値は大きい。影のジャックが狙う獲物として、これ以上の物はない。
 だが、問題は博覧会会場の〈ロブラフ〉だ。巨大かつ複雑、廊下は人知れず屈曲し、感覚を狂わせる。ひとたび順路を外れれば、元に戻ることは難しく、闇に紛れて忍び込んだものの、朝を迎えるまで出口を見つけられず捕まった盗賊は数知れない。
 必要なのは、会場の詳細な見取り図だ。だから、俺は、〈ロブラフ〉のある〈優なる都〉から、わざわざ情報商人たちが些細な情報を売買する〈情報街〉までやってきた。
 取引相手はただ一人。〈情報街〉一番の情報商人、〈バックノーム〉だ。
 列車を使い、川を渡り、街道は乗り合いの蒸気自動車に乗って〈情報街〉に着いたのは、街がにぎやかになる夕刻の少し前だ。
「お久しぶりね。今日は何の御用かしら?」
 酒場は、その実、酒場ではない。一見の客は相手にしない有力な情報商人、〈バックノーム〉の店だった。
「そんなに久しぶりじゃないさ。つい半年前に来てるぞ」
 盗賊は情報屋の上得意だ。十分な情報がなければ、完璧な盗みなどできない。
「あら、そうだったかしら?」
 店の隅のカウンターに陣取った俺に、〈バックノーム〉は曖昧な笑みを向ける。
『……ずいぶん物忘れが激しいじゃないか』
 頭の中で聞こえる声を無視し、俺はアルコール度数の高い酒を注文した。ここで酔っぱらうつもりはないが、酒場で女主人と話すのに、酒抜きでは絵にならない。
「ミダスの壷、エル・ルメールの宝冠、アメンホテップの柩の象嵌(ぞうがん)。おかげて全部良い値で売れたよ」
 もうすぐ日が落ちるというのに、店の中には客はいない。バーテンダーが一人、暇そうに〈新聞〉をめくっているだけで、盗み聞きを警戒する必要はなかった。
「たしか、警備体制と移送ルートの情報だったわね。お役に立ててよかったわ」
 素っ気なく言ったバックノームだった。
『……ちゃんと、覚えてるじゃねぇか』
 前回の情報の対価は情報だった。いくらくらいで売れる情報なのか分からないが、バックノームの要求は、中央委員会の速記録で、それはずいぶん前に送りつけてある。情報を売り、情報を買う。そうやって扱う情報を増やしてきたんだろう。
「今度は〈ロブラフ〉の見取り図が欲しい」
 情報屋相手に、下手な駆け引きはいらない。
「狙うのは宇宙科学博覧会かしら?」
 小首を傾げてみせるところがわざとらしい。
『……大当たりだ』
 と、幻聴が反応するのは、当然のように無視する。
「どうでも良いだろ」
 あえて教える理由はなかった。情報は只ではない。それがこの街のルールのはずだ。
「まあいいわ。残念ながら、ここには情報はない。でも、その情報がどこで手に入るかなら教えてやっても良い。もっとも、それも只じゃないわ」
 意味深な笑みにも、俺は一切、動じない。
「なら、それを教えてもらおうか」
 舌が痺れるようなグラスの酒を舐め、一口だけ飲むと、喉のあたりが熱くなった。
「条件があるわ」
 俺を見据える〈バックノーム〉の闇色の瞳を真っ直ぐに見返す。口を開こうとしたその時……。
『……勿体付けてんじゃねぇぞ!』
 思わずため息を付いてしまったのは、幻聴と同じ事を言おうとしていたからだ。
「……勿体付けてられても困る。お互い、ビジネスだろ?」
 気を取り直して、〈バックノーム〉に言った。
「ええ、そうね。〈ロブラフ〉の見取り図は、今は無いの。でも……」
 結局、〈バックノーム〉との取引は、ちょっとした約束と、上がりの一割で手を打った。頭の中では幻聴の俺がまだ文句を言っているが、〈ロブラフ〉の中で迷いたくはなかったし、閉じこめられるのは以ての外だ。
 問題は、どこまで〈バックノーム〉を信じることができるかだった。〈情報街〉では嘘はつけないとはいえ、偏った情報には嘘と同じ効果がある。
『……ありえんだろ。ポンコツの宇宙船を盗み出しに来る妖精が、見取り図を書くってか?』
 ただ、それを言ったのは、〈情報街〉で一番信頼できる情報屋だ。〈バックノーム〉が言うなら、その妖精は実在するのだろうし、もうすぐ、情報を求めて〈情報街〉にやってくる。その妖精は、宇宙科学博覧会から、展示される古い宇宙探査船を盗み出すために、〈ロブラフ〉の詳細な見取り図を作ることになっていると言うのだ。
 その妖精の狙いはスリツアンという古い宇宙探査船だという。〈バックノーム〉は、妖精が宇宙船にたどり着くまでの間、危険な目に遭わないようにして欲しいと言ったのだ。
『……信じるのか、あの女の与太話を?』
 幻聴に答える必要はない。
 酒場を出た俺は、宿に戻ることにした。〈ロブラフ〉の見取り図が手に入らなければ、展示されるジュピーターダイヤモンドを盗み出すのが難しくなる。見取り図が手に入るなら、それで良いし、手には入らないなら、他の方法を考えればいい。それだけのことだ。
 通りに出た俺は、〈情報街〉の巨大な石の門の外に立つフード姿の小柄な旅人を見つける。まるで、この〈情報街〉が、危険な場所であるかのように、警戒心丸出しで門のこちら側をのぞき込んでいたかと思うと、意を決したように中に入ってきた。
『……何だぁ、あいつは?』
 情報を扱う店が建ち並ぶメインストリート、役にも立たない情報を売りつけようとする呼び込みで混み合う通りに、いかにも勝手が分からないといった様子で踏み込んでいく。
 情報を求めてやってきたのだろうに、どうやって探したらいいのか分からない。そんな様子だった。
『……あれでは、いいカモだな』
 人混みの人いきれに、暑そうにフードをばたつかせた。髪に半ば隠れているが、見間違えようがない、特徴的な耳が見えた。もしかすると、〈バックノーム〉が言っていた妖精なのか。
 俺は人混みを抜けた道の先で待ち伏せる。
「君、人間じゃありませんね?」
 そう声をかけた。返ってくるのは、当然ながら、猜疑心に満ちた凝視。
「何か御用ですか?」
 耳を見せろとでも言えばよかったのか。
「警戒は要らないよ」
 そんな、ありきたりの言葉を返した俺は、薄い肩を掴み、強引に路地裏に誘導した。〈バックノーム〉の話が本当で、この妖精に見取り図が書けるなら、このまま展示場に連れて行けばいい。
「いや、離してください! 私は人間です……」
 完全な嘘が発せられた。
「ちっ、しまった」
「たすけ……」
 その嘘を聞きつけた情報商人たちが集まって来ている。
「ここで意味のない嘘を言うとはな。さすが妖精だ。自分の面倒は自分で見るんだな」
 変に騒ぎを起こせば面倒なことになる。俺は、妖精を情報商人たちの方に押しやると、薄暗い横道に身を隠した。
『……下手を打ったなぁ』
 声をかける必要など無かった。だが俺は……。
『……興味を持ってしまった、ってところだな』
 嘘をついた妖精は、情報商人たちに誘導され、街の出口に向かっている。
「わかったわ。私は妖精。セイラという名は人間にもらったもの! ここに来たのはどうしても必要な情報があったから。私は……月(ルナ)に行きたいの」
 そんな声が聞こえた。
『……聞いたか? 月だってよ。頭がおかしいぜ』
 頭の中で聞こえたその言葉に、俺は同意する。だが、情報商人たちの反応からすれば、少なくとも嘘ではないのだろう。
 セイラと名乗った妖精に興味を持った通行人たちが集まって来た。人混みの中から妖精を引きずり出すのは難しいだろうし、そもそも俺にとっては意味がない。
『……その通りだな』
 俺は足早にその場から遠ざかる。〈バックノーム〉の言葉が正しいなら、俺はセイラという妖精に、また会うことになっている。

 ジュピターダイヤモンドが展示される〈ロブラフ〉がある〈優なる都〉には、総延長が百キロを超える地下の下水道ネットワークがあった。
 地下を行く俺の足下を照らしているのは頼りない懐中電灯の明かりだけだ。
『……どうにかならんのか、この臭いは!』
 下水道を充たす腐った屍肉と黴、糞尿、そんな臭いに曝され続けている。文句を言いたいのは俺も同じだったが、言ったところで聞いているのは俺だけだ。そんな無駄なことをするよりは、早く、この地下道を抜けた方がいい。
 よりによって、こんなルートを使わずとも、いくらでも方法はあるはずだった。だが、彼らの溝鼠(どぶねずみ)の王は、溝鼠らしく、地下を好む。
『……確かに、ご満悦だったな』
 会見は上手く行った。取引は成され、〈銀ネズミ団〉の襲撃対象は〈レイル〉で開催される世界の大富豪と秘蔵の収蔵品展から、〈ロブラフ〉で開催される宇宙科学博覧会に変更にされた。
「そりゃあ、宇宙科学博覧会の方が受けるさ。しかも、奴らの自慢のヒンデンブルグの出番が作れるとなれば、いい宣伝になる」
 地下の下水道を歩いているのは俺一人だ。頭の中で聞こえる幻聴と話していたとしても、聞き咎められる心配はない。
 所詮、〈銀ネズミ団〉は、退屈した市民に娯楽を提供しているにすぎない。盗賊は盗賊でも、お遊びの盗賊だ。騒ぎを大きくすることに関心があっても、本当に重要な物には手を出さない。
『……つまり、立派なお宝よりは、ちょっとした記念品、がらくたがたくさん手に入る方がいい、ってことだ』
 〈銀ネズミ団〉は、騒ぎを起こし、盗みより騒ぎを楽しむ。俺はその手伝いをし、おこぼれに預かるという寸法だ。〈ロブラフ〉の襲撃を助け、そのどさくさにジュピターダイヤモンドを奪う。どうせ、警報が鳴るのを防げないなら、〈銀ネズミ団〉にうるさいくらいにたくさんの警報を鳴らしてもらった方がいい。
 下水道の先に、地上への出口になっているわずかな明かりが見えてきていた。とりあえず宿に戻り、服を着替えて、体を洗う。昨日、見かけたセイラという妖精を見張るにも、服に沁み着いた臭いはじゃまになる。
『……洗ったところで、そう簡単には臭いは落ちないぜ』
 心の底では〈バックノーム〉を信じきれていなかったのかも知れないと思う。それが、あの妖精の姿を見て、変わった。事実、あの妖精は、まだ宇宙科学博覧会が始まる前だというのに、熱心に〈ロブラフ〉を調べているようだった。
 自分では、さりげないつもりを装っているのだろう。だが、同じところを何度も往復し、人気のないところで立ち止まっては、何かをメモする様子は、熱心な学習者というよりも、見るからに泥棒の下調べだ。
『……まあ、素人だからな。使える見取り図ができてると良いが』
 その点について、俺はさほど心配していなかった。〈バックノーム〉の情報は、今までも正確だったし、素人なりに丁寧に調べているように見えた。関係者限りのエリアにも入り込んでいるようで、俺の見立てでは、かなり作業は進んでいる。ここ何日か、妙な小娘になつかれているようで、仕事が遅れないか心配だったが、逆に二人組の方が、目立たなくて良いかも知れない。
 下水道からの出口は、路地にあるマンホールだ。あたりを伺いながら網状になった鋳鉄の蓋を押し上げ、地上に出る。さりげない振りをして歩き始めた俺に、すれ違った通行人が顔をしかめる。
『……臭うんだとよ』
 蔑むような視線、非難するような囁き。だが、小綺麗な街の地下には大量の汚水が流れている。誰もが、それを見ない振りをしていても、下水道はそこにあり、溝鼠はそこを住処にしている。
 ふと気づくと、俺は声を上げて笑っていた。
『……ついに気が触れたか?』
 幻聴には言われたくないが、俺自身にも何で笑っているのか分からない。ただ、道を行き交うこの都市の住人は、見ることを許された物しか見ていない。それが妙に可笑しかったのだ。

 月は死の世界だ。呼吸に必要な酸素はなく、生存に必要な資源は限られ、小さすぎる重力は骨をすかすかにする。無数の隕石によって砕かれた細かなムーンダストは始末に悪く、気づかれないうちに肺を侵す。そんな月に行ったところで、何があるわけでもないだろうに、あのセイラという妖精は、〈ロブラフ〉から宇宙探査船を盗み出し、月に行こうとしているのだと〈バックノーム〉は言ったのだ。
 俺は、そんな話はこれっぽっちも信じない。宇宙探査船それ自体に特別な価値があるのか、それとも宇宙探査船を使った別の計画があるのか、月に行ったところで、得られる物は何もない。
 だが、セイラは本気で月に行くつもりのようだ。つまり、お人好しの妖精は、誰かに利用されているという事になる。
『……〈バックノーム〉だな。何を考えているのか』
 所詮、俺には関係ない。俺は、ジェンという小娘とともに〈ロブラフ〉を調べて回るセイラを付かず離れずで監視していた。
 そんなある日、セイラが閉館間際の〈ロブラフ〉に一人で入って行った。俺はあわててその後を追う。セイラはスリツアンのある宇宙探査船の展示エリアに向かうと、人が少なくなるのを見計らって火星探査車の下に身を隠した。
『……盗み出す宇宙探査船の下見ってところか』
 展示されている宇宙船が、実際に動かせるのか、状態の確認が必要なのは当然だ。宇宙船の下見に来るくらいなら、見取り図は完成しているのだろう。
『……だったら天井を開けるしかないのは分かってるだろうな』
 照明が落ち、非常灯の明かりだけになったところで、セイラが動いた。展示された星間探査船の一つに近づくと、コクピットに乗り込む。
『……あれがスリツアンか?』
 コクピットの中で、何か操作をしているように見えた。可能性は低いだろうが、このまま、天井に向けて飛び立たれたらまずい。俺は、その機体に向けて、ゆっくりと近づく。
「おまえの狙いは、そのボロ船か?」
 俺の声に、コクピットのセイラが動きを止めた。
「あなたは誰?」
 明かりをつけていないから、警備員ではないことくらいは分かるだろう。俺は、コクピットの中のセイラに向けて、改めて声をかけた。
「俺はジャック、影のジャックだ。それにしても、ずいぶんとしつこく下見をしてたよな。見取り図も作っていたんだろ。こそこそしていたつもりだろうが、このジャック様にはお見通しだ」
「何をしてるの?」
 そんな言葉が返ってくる。
「こっちも下調べさ。今回は〈銀ネズミ団〉の手伝いだが、この展示場のややこしい構造に手こずっていてね。どうだ、ちょっとした取引をしないか?」
「どういうこと?」
 警戒しながらスリツアンから降りてくる。
「〈銀ネズミ団〉とは、この天井を開ける契約になっていてね。見取り図をもらえたら、〈銀ネズミ団〉と渡りをつけてやろう。やつらと一緒なら、どさくさに紛れてそのボロ船も盗みやすい。俺が天井を開けてやるから、一石二鳥だぜ」
 取引に乗ってくればそれで良い。そうでなければ見取り図を奪うだけのこと。妖精を殺したことはないが、殺せない理由もない。〈バックノーム〉には悪いが、不可抗力だ。
「嘘よ。〈銀ネズミ団〉が狙っているのは来週から三十五番会場〈レイル〉で開催される世界の大富豪と秘蔵の収蔵品展のはずよ」
 セイラの言葉に、俺は少々驚かされる。よく調べたものだが、それはもはや古い情報でしかない。
「陽動だよ、陽動。あっちに警備が集中した方が、仕事がやりやすい。それに、あいつらが好きなのは金属のガラクタで、お高くとまった美術品なんかじゃないのさ」
 少し考えれば、そんなに悪い提案ではないのがわかるだろう。
「それじゃあ、私は盗賊の仲間入りをするのね」
 なぜか安心したような様子で、セイラが言った。
「奴らは誰だって大歓迎だ。お祭り好きの愉快な奴らだよ」
 俺の言葉に嘘はない。
「でも、どうして私はあなたを信用できるか分かるのかしら?」
 そう言ってセイラは首を傾げる。
「それは、そうするしか目的を達成する手段がないからさ」
 実際、見取り図を作ったことで、宇宙探査機を盗み出すのは簡単ではないと分かったろう。通路は複雑で入り組み、しかも、狭い。
「そうね。私にはあなたを信用するしかないのかも知れない」
 セイラは、まるで俺を瀬踏みするかのように見つめてきた。
「俺のことは信じてもらっていい」
 何の根拠もない言葉だった。
「そうね、あなたを信じてみるのがいいのかも」
 吹っ切れたかのように、そう言った。
『……あまちゃんのお人好しだな。いつか裏切られるぞ』
 気の毒ではあるが、世間はそんなものだ。俺自身は裏切るつもりもないが、いつかは信用した誰かに手ひどく裏切られる。それは誰のせいでもなく、自分のせいなのだ。
 お人好しの妖精を心配してやる必要はない。

 何日か過ぎ、準備は最終段階になっていた。セイラには〈銀ネズミ団〉の連絡方法を伝え、セイラからは完成した〈ロブラフ〉の見取り図を受け取った。ややこしい構造は見事に二次元に写し取られていたが、監視カメラや警備員の配置が書き込まれていないのは、盗賊としての経験不足で、俺は丸二日かけて、必要な情報を見取り図に書き足した。
 〈銀ネズミ団〉は、彼らの飛行船、ヒンデンブルグの準備に余念がない。大事故を起こした飛行船と同じ名前を付けるセンスは理解しがたいが、彼らなりのユーモアなのだろう。
 決行の日、ラジオの匿名メッセージのコーナー〈南雲の語り部〉で、襲撃を伝えるメッセージが読み上げられたのを確認した俺は、閉館間際の〈ロブラフ〉に入った。
『……さあ、いよいよだ。まずは、警備員の始末だな』
 〈ロブラフ〉の中でもジュピーターダイヤモンドがある展示室は警備が厳重で、〈銀ネズミ団〉を引き入れる前に警備員を排除しておきたかった。下手に抵抗されると、せっかくの機会が無駄になってしまいかねない。俺は、この日のために準備した麻酔銃を確認し、特別展示室のあるエリアに向かった。
 まずは一人目。監視カメラの死角で眠らせ、警備員が取り落とした懐中電灯を拾ってから、ぐったりした体を物陰に隠す。
 薄暗い廊下の角で二人目を眠らせる。こんな時に〈ロブラフ〉の複雑な構造が役に立つ。監視カメラの死角が多いのだ。
『……まだるっこしいな』
 特別展示室のエリアに入り、ちょうど監視カメラの視野に入るように立っている三人目の警備員を、床に転がした懐中電灯で誘い出し、麻酔銃で眠らせた。
 薄暗い中で、現在位置を確認する。
 特別展示室は、すぐ近くのはずだった。

 * * *

 特別展示室のジュピターダイアモンドを確認した俺は、急いでメインホールに戻る。天井の開閉を操作する機械室は、ホールの壁面にせり出しており、小型の専用エレベーターが付いていた。
 約束の時間が迫っていた。そろそろ〈ロブラフ〉の上空に〈銀ネズミ団〉の飛行船、ヒンデンブルグがやってくる。
『……少しぐらい待たせたって、構いやしない』
 機械室に入り、屋根を開閉する制御盤のスイッチを入れる。天井を開閉する機能しかないため、操作は至って簡単だ。
 予定の時刻。突然、遠くで警報機が鳴り始める。これもまた〈銀ネズミ団〉の陽動だ。飛行船とは別のグループが、〈ロブラフ〉の七つあるゲートの全てから侵入を試みているはずだった。
「じゃあ、お祭りの始まりだ」
 制御盤のレバーを操作すると、メインホールの天井を構成する十六枚の鉄のプレートがゆっくりと動き、天井の中心に正十六角形の穴が開く。だが、その動きは、途中で止まり、完全に開ききることはない。
『……こんなものだろうな』
 完全に天井を開くつもりはなかった。〈銀ネズミ団〉には少々もたついてもらった方がいい。その間に、俺は、やるべき事をする。
 機械室を出ようとした俺は、メインホールの天井を見上げる。
 最初に飛び込んできたのは、きらめく羽根を広げた妖精のセイラだ。
『……急げ、グダグダやってる暇はないぞ』
 つい、天井の穴から降りてくるセイラの羽根の輝きに見入ってしまっていた。俺は、気を取り直して機械室に備え付けのバールを手に取り、メインホールへと降りた。
『……今度こそ、お宝を手にするぞ!』
 そんなことは、言われるまでもない。特別展示室に飛び込んだ俺は、バールの一振りで展示ケースを叩き割る。鋭い警報音が鳴ったが、すでに〈ロブラフ〉の中では思い思いの格好をした〈銀ネズミ団〉の連中が展示品を漁っており、全体にけたたましい警報音が響きわたっていた。
 ジュピターダイアモンドを手にした俺は、急いでメインホールへと戻る。
 そろそろ潮時だった。〈ロブラフ〉の外では警官隊が集結している頃だろう。突入してくるのは時間の問題だった。盗賊ゲームを楽しんでいるだけの〈銀ネズミ団〉は、警官隊に太刀打ちできない。
 エレベーターで機械室に登った俺は、制御盤を操作する。金属が擦れ、歯車の回る音が響き、展示室のドーム状の屋根に開いた穴が、さらに大きく広がった。
 夜空だ。そこに見えるヒンデンブルグの巨大なシルエット。俺は、機械室のマイクをオンにする。
「さあ、かっぱらえるものはみんなかっぱらっちまえ。今日はジャックがついてる! 良い日だぜ。取り残されないように乗れ! さあ、夜の街を遊覧飛行だ」
 ヒンデンブルグから何本もの縄梯子がするすると降りてくると、〈銀ネズミ団〉の奴らが縄梯子を伝って次々と飛行船へと登っていく。全員が、何かしらの戦利品を持っていた。
 俺は、セイラが狙っていた宇宙探査船を見る。妖精は、コクピットで、何かを必死に操作している様子が見えた。
 メインホールに降りると、残っている〈銀ネズミ団〉は、もう、何人もいなかった。
『……頭のおかしい妖精なんか放っておけ』
 縄ばしごが次々とヒンデンブルグに引き上げられる。逃げるなら、今より無い。だが……。
「スリツアン、早く私のために目を覚まして。もうすぐ警官隊が突入してくる。あなたに目を覚ましてもらわないと」
 俺は、必死にスリツアンを操作するセイラの横に飛び乗った。
「この期に及んで動かせないなんてことは無いよな」
「黙っててよ、今、忙しいんだから」
 俺と、セイラの二人だけなら、警官隊が突入してきても隠れていられるだろう。そんなことを考えたときだった。
『……このポンコツ、動きそうだ』
 コクピットの計器類が一斉に蘇り、機体が震えた。
「シートベルト!」
 一気の加速で、スリツアンは〈ロブラフ〉から飛び出した。
 上空には月が明るく光っていた。さすがに、そのまま月を目指す訳ではないようで、スリツアンは海に向けて飛ぶ。
「本当に月に行くつもりなのか?」
 つい、そんなことを尋ねていた。
「ええ、このスリツアンが一緒だもの」
 一切の疑問を拒否するように、真剣な眼差しで答える様子が痛々しい。
「月は死の世界だ。あんなところに行ったって、無駄に死ぬだけだぞ」
「ええ、そうかもね」
 あっさりと答えられてしまっては、俺にはもう言うべき事が思いつかない。
『……好きなようにさせるさ』
 スリツアンは、〈祝祭の入り江〉に降下した。俺は、六点留めのシートベルトをはずし、広大な砂浜に足を降ろす。
「よく、こんなボロ船が飛んだなぁ」
 見れば見るほど古くさく見える。スリツアンはそんな機体だった。
「飛ぶと思ってたんでしょ?」
 俺に続いて砂浜に降りたセイラが言った。緊張でこわばった体をほぐすように、両手を空に向けて大きくのばした。
「まあ、〈バックノーム〉の情報だからな」
「知ってるの?」
「強盗は情報屋の上得意だぞ。今回だって、どれだけ支払わされたか」
 そう言って俺は肩をすくめた。
「〈銀ネズミ団〉と違って、あなたは何も盗んでないじゃない」
 俺は、懐から今回の戦利品を取り出した。
「ジュピターダイアモンド。今回の展示品の中で、唯一のお宝だ。あんたの見取り図、役に立ったぜ」
 ずっしりと重い質感。経済的価値を考えれば、驚いても良さそうなものだが、目のまえの妖精は、そんなそぶりを僅かたりとも見せない。
「全部、〈バックノーム〉のお膳立てだったのね」
「ああ、確かに出し抜くのは難しいな」
 ジュピターダイアモンドは手に入った。それを思えば満足感を覚えても良さそうなのだが、どうしても引っかかる。俺は目的の物を手に入れたが、セイラはどうなのか。月に行くなどと言うバカな望みが叶うとは思えないし、そんな望みは叶ったとしても、結局、死ぬだけだ。
『……俺たちには関係ないことだ。頭のおかしい妖精は、放っておけばいい』
 頭の中で聞こえる言葉に、俺は反論できなかった。
「私たち、〈情報街〉で会ってないかしら?」
 その問いに、俺は答えない。セイラとスリツアンに背を向け、俺は街に向かってしっとりと湿った砂浜を歩き始める。
 〈優なる都〉に戻って〈銀ネズミ団〉から報酬を受け取り、ジュピターダイヤモンドを処分する。唯一無二の価値は失われ、小分けされた欲望のかけらになり果てるが、俺には知った事じゃない。
 世界はそんなものだからだ。

(完)

NOTE:黒幕は岡和田さんだ。いろいろと経緯があり、川嶋さんの「Utopia」の完成をサポートさせていただいた。作品のビジョンやシーンではなく、エピソードの関係性強化のために手を入れさせていただき、その際に、名前だけが出ていたジャックの出番を増やした。それで岡和田さんが「Utopia」のシェアワールドを提案されたとき、ジャックが主人公になるのは必然だった。なお、小粒になったが、ジャックのキャラクターは著名な先行作品に依っている。