「綿毛のアン」川島怜子

 広場には、パントマイムを披露する者、似顔絵を描く者、曲を演奏する者などがいる。すみのほうに、小さなテーブルがあり、白髪頭の優しそうな老婆と、ノートを広げた孫ぐらいの少女が座っている。そのテーブルには、「あなたのグチ聞きます」と書かれた張り紙があった。
「すみません、お話を聞いてください」
 OL風のおしゃれな女性が話しかけてきた。
「さあ、そのイスに座って。なにか困っていることがあるのかしら?」
「ええ、そうなんです。うちの上司がスペイン語を趣味で習っているのですが、仕事中にスペイン語で話しかけてくるのです。本人は語学力があがっていっていることを感心してほしいのかもしれませんが、正直、こちらとしては戸惑います……」
 老婆が大きく頷く。隣に座っている少女はせっせとノートに書き留めていく。
「……喋ったらスッキリしました。ありがとうございます」
「お代金は気持ちだけ、その箱に入れてね」
 OLはお札を入れ、はればれとした表情で帰っていった。
「ちょっと聞いてください」
 入れ替わりに、疲れた顔の男性があらわれた。
「どうぞ、ここに座って。なにがあったのかしら?」
 男性は家族のグチを喋った。老婆は頷いたり、アドバイスを与えながら話を聞いた。少女はせっせとノートに書いていく。男性が募金箱にお金を入れて去ったあと、今度は三人組の女性が現れた。
今日もいつもと同じく盛況だ。相談者はとぎれることがなかった。
 夜中になった。もう広場に人気はない。
「さて、そろそろ行きましょうか」
 老婆の声に少女はノートを大事そうに抱えて、老婆のあとに続いた。
「小雪先輩は聞き上手ですね」
「年の功ってやつかしらね。それにしても、あんこ、ちゃんと書けた?」
「私が考えた、アンってあだ名で呼んでください! あんこって名前はイヤなんです」
「どっちでもいいじゃないの」
 小雪は興味がなさそうに呟いた。
「ノートを見せてちょうだい」
 小雪はノートを丁寧にめくり、指でさした。
「この人、念が強いわ。ストレスが溜まっているのね。この人は私が引き受けるわ。あとこの人も。それと、この人も、私が受けもつわ」
 さらにページをめくり、あんこに見せた。
「あなたは、こっちの人にしましょう。簡単だし、やりやすいわ」
あんこはふむふむと頷いた。
 小雪とあんこは人目につかない狭い路地に移動した。
 深夜なので人通りはまったくない。小雪はあたりを見回し、誰もいないのを確認すると、大きな白い猫になった。あんこも続けて、茶色の斑がある子猫の姿になった。
「さあ、あんこ、手順は覚えている?」
「アンです、小雪先輩。もちろん覚えてます。夢の中に入って、ストレスの原因になっている相手をこらしめるんですよね?」
「その通りよ」
 優しく言った小雪の尻尾の先は二つに割れている。あんこのしっぽは分かれていない。
 小雪はベテランの猫又で、あんこは猫又になることを夢見ている子猫であった。
 二つに分かれた尻尾を小雪がゆっくりとふると、あんこは、幽霊の姿に変身した。
「いってきます!」
 あんこは相談にきていたOLの上司の夢へと飛んだ。
「うーらーめーしーやー」
 死に装束のあんこの周りに火の玉が飛ぶ。
「わあっ! お、おばけ!」
「おい、あんた! あんたはスペイン語を習って得意げかもしれないけど、社内にスペイン語が喋れる人がもういるぞ!」
「なんだって!?」
「親の仕事の都合で、幼い頃、スペインで過ごしたので、スペイン語がペラペラな人がいるぞー。あんたの発音や間違ったスペイン語を聞いて、内心困ってるんだぞー」
「知らなかった……」
「このままだと、陰で笑い者になるぞー。いいかげん、口をつつしめー。でないと、呪うぞー。うーらーめーしーやー!」
「ご、ごめんなさい! もう得意気にスペイン語を披露したりしません!」
「分かればいいニャ」
「……ニャ? 猫の幽霊?」
「ごほん! 違う! 私はアン! 綿毛のアン!」
 そう言い残すと、あんこは夢から去った。
 路地では小雪が猫の姿で座っていた。
「小雪先輩! うまくいきましたよ!」
「あら、早いわね。私も今戻ってきたところよ」
 小雪が二股の尻尾をゆっくりとふった。あんこは子猫の姿に戻った。子猫特有のふわふわした毛並みは綿毛のようだと、よく褒められる。
「先輩は何軒回ったんですか?」
「三軒よ」
「すごいですね!」
 小雪はふふふと笑った。
「たいしたことないわ。それにしてもこんな短時間で戻ってくるなんて優秀な子ねえ。猫又になる日も近いわね。ご褒美にかつお節を買ってあげるわ」
「わーい!」
 喜びながら小雪のあとをついていくあんこのしっぽの先が割れ始めていた。