「ブルガーコフ私論。「巨匠とマルガリータ」を語るための序論――イカロスの神話を超えて(第二回)。木蓮更紗(SF愛好家)/監修:大野典宏」

●逆手に取られたイカロス(犬の心臓)


(一)犬から人への人為進化
 「犬の心臓」は動物実験によって生み出された半獣半人を扱ったSF作品である。
 メアリー・シェリー「フランケンシュタイン」と同じように技術を過信した結果、実験は失敗し、たいへんな目に遭うという同じテーマを扱っている。「フランケンシュタイン」には別題としてプロメテウス神話が挙げられているが、イカロス神話としても要素も確実に入っているという視点から語っていることに注意してほしい。火をもたらすことによって人の発展を求めて罰せられたプロメテウス、技術の発展を夢見て失敗したイカロス。よく似ているが根本的には別の題材として扱ったほうが適切なのだ明らかだ。
 獣を人に変える題材としては他にウェルズ「モロー博士の島」が挙げられる。ここで補足しておかなければならないが、ブルガーコフはH・G・ウェルズのファンであり、大きな影響を受けていることは常に指摘されている。だが、決して模倣はしておらず、同じテーマをより深く追求している。「後出しじゃんけん」の感はあるのだが、表現の進歩とはそういうものだ。決してブルガーコフが責められるものではない。
 本書は野良犬の一人称から始まる。この時点ですでに尋常ではない。野良犬だということで人々に虐待され、常に飢え、モスクワの寒さをしのぎならもそれを耐え忍びながら生きている様子が描かれる。この犬は少し卑屈な部分はあるものの、社会の中で何とか生きようと必死なのだ。この野良犬は餌を求めるために人に媚を売り、虐待されても耐え忍び、愚痴は言いつつも決して人間を嫌っているわけではない善良な性格なのだ。人に蹴られ、熱湯を浴びせられて火傷を負いながらも合成肉のソーセージをねだり、人懐っこく付いていく……そんな犬なのである。
 さて、その犬は医師のフィリップ・フィリッポヴィッチに拾われることから話が始まる。医師が追求するテーマは「若返り」である。若返りというとトンデモない技術だと思われるかもしれない。だが、本作が執筆された一九二五年には、現在でも使われている若返りの素として使われるホルモンが発見されていた。
 ホルモンの存在はイギリスの生理学者バイリスとスターリングによって一九〇二年に発見された。それまで体内での情報伝達手段として神経が知られていたが、神経の他に体内で内分泌される化学物質によって早くはないが確実に情報を伝達する物質――つまりホルモンが発見されているのである。
 その中でも有名なステロイドホルモン、つまり男性ホルモン(テストステロン)、女性ホルモン(エストロゲン:卵胞ホルモンとプロゲストロン:黄体ホルモン)は更年期症状の改善に使われているし、エストロゲンは経皮摂取による肌具合の改善などでも使われている。性ホルモンは脳下垂体から放出されたホルモンの作用に寄って主に精巣または卵巣に働きかけてテストステロンまたはエストロゲンの分泌を促す。
 このように成長などにホルモンが重要な関わりをもっていることがわかりかけていた頃、ホルモンを使ったアイデアをブルガーコフは採用したのである。実のところ、ブルガーコフは作家になるまでは医師だったのでこのような最新の知識を持っていたのだ。
 さて、フィリップ・フィリッポヴィッチは、拾ってきた犬にシァリクと名前を付ける。余談になるのだが、このシャリクというのはロシアではありふれた犬の名前なのだが、この翻訳にあたっては多少の混乱がある。もともとロシア語でシャリク(Шарик)には球という意味がある。日本語でこのような文脈で名前を付けるとしたら犬ならコロ、猫ならタマくらいの意味になる。したがって新潮社から出版されている翻訳では「コロ」になっている。私見だが、これは訳しすぎのような気がしている。河出書房新社から出ている翻訳ではそのまま「シャリク」になっているので、ここではシャリクのまま続ける。
 さて、フィリップ・フィリッポヴィッチはホルモンの役割を生体で実験するため、シャリクに人間の脳下垂体と精嚢を犬に外科移植を行う。
 そして、ここからがSFになるのだが、なんとシャリクは人間化し始めるのである。徐々に思考が人間のようになり、最後には二足歩行を始め、人の言葉を話すようになってきてしまう。
 つまりフィリップ・フィリッポヴィッチは期せずして犬の人間化を行ったことになるのだ!
 徐々に感情が犬のまま人のようになり続けるシャリクは、人のようになりつつも犬のまま勝手放題を始める。フィリップ・フィリッポヴィッチは困惑しながらも実験結果のシャリクと同居することになってしまう。人に近づくにつれて徐々に要求が大きくなるシャリク、戸惑いながらもシャリクと付き合い続ける周りの人々。
 そしてついにシャリクは自らを人だと言い始める。
 個別の名前が必要だということで、シャリクが名乗る名前が前半の衝撃になっている。
 曰く、「ポリグラフ・ポリグラフォヴィッチ・シャリコフ」。
 ここで言うポリグラフ(Полиграф)には多様な意味があり、シャーリクの名前が示す本質については議論が分かれている。名前の考察については次次回で考察する。
 話を戻すと、この一言にはシャリクが「自意識」を持ち、「自分という存在」を認識したことを示している点で特に重要である。つまり、「我思う、ゆえに我あり」という自分という存在の認識である。これは、人間独特の行為であり、他の動物は意識すらしないとされていた万物の霊長となる根拠とした自己認識をシャリクが始めたという意味であり、現代的な言葉で言うなら、シンギュラリティに達したことを意味しているのである。
 人工知能研究ではその存在を確認しようが無い自我の発生を百年も前に犬が行ってしまうという驚異的なアイデアを示しているのだ。実はこのような顛末は非常に罰当たりなことだとわかるだろうか?
 根拠としては、世界中で最も幅広く信仰されている一神教への反逆でもある。「旧約聖書 創世記」には、次のようにある。
一・二五 神は、地の獣を種類ごとに、家畜を種類ごとに、地面を這うすべてのものを種類ごとに造られた。神はそれを良しと見られた。
一・二六 神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」
一・二七 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。
 これが「人こそが最も偉大である」とされる根拠の一部にもなっている。シャーリクの誕生。これこそが明らかな一神教への反逆そのものと考えることができる。
 ここまでは本論で扱っている「イカロスの神話」は現れていない。むしろ逆でフィリップ・フィリポヴィッチは自分が確信した効果以上のことを成し遂げてしまったのである。
 次回は、後半でシャリクがたどる驚くべき生き方を紹介・考察していく。
(以下次回)

補足:
 なお、本稿において、ロシア語指導および事実関係は大野典宏氏の全面監修の元に行っている。
 そして、今回から堀内豪氏による新訳「犬の心臓」が掲載される。次回からは表記や引用などは新訳版に準じることにする。
 最後に文中の聖書に関しては「新改訳 二〇一七年版」からの引用であることをここに書き記しておく。