新刊紹介『祇園「よし屋」の女医者』藤元登四郎

新作紹介『祇園よし屋の女医者』藤元登四郎

書名:『祇園よし屋の女医者』 
著者:藤元登四郎
帯:やまさき十三、岡和田晃
解説:岡和田晃
出版社:小学館
発売日:2021年1月4日 
版型:文庫版 
ISBN:978-4-409-406860-3 
定価:750円(税別)
 
 江戸時代の精神医療をテーマとした書き下ろし小説です。精神医学的なことは省略した部分が多いので、この場を借りて付け加えさせていただきます。

●江戸時代の精神医療と憑き物 
 江戸時代の代表的な漢方医は狐憑きに対してどう考えていたのでしょうか? 香月牛山(かつきぎゅうざん)(1656-1740)は邪祟病(じゃすいびょう)の概念を提唱しました。邪祟とは狐狸犬猫の類が婦人女子に防をなすことです。祟とは祟りのことで、神仏のとがめのことです。一方安藤昌益(1703-1762)は、狐狸が人をたぶらかすというのは間違いであるとしました。中神琴渓(1744-1833)は狐憑きをどう見ていたか答えを保留しています。また香川修庵(1683-1755)は、大部分は病気であるが百千中の一、二は狐憑きであると述べています(岡田靖雄『日本精神科医療史』(医学書院、2002)。
 このように当時、一流の漢方医の意見は狐憑きあるいは憑き物については意見が分かれていました。しかしこれは彼らが迷信にとらわれていたわけではなく、精神病の原因がわからなかったところに由来していると思われます。むしろ彼らの誠実さを示しているのではないでしょうか。実際、脳科学が進歩した現在でも、精神病の器質的原因については不明なままです。それに精神障害の人が精神科に来院するときでも、お祓いや祈祷を受けた人が多くいます。日本人の心の中には憑き物への恐れは依然として残っています。

●江戸時代の癲狂患者の処遇 
 19世紀初め頃までに大都市では精神病者に対する監護処置として入牢、檻入(かんにゅう)、溜預(ためあずけ)がありました。入牢とは家族や五人組などの入牢願いによって乱心者を牢獄に監禁することです。乱心者が罪を犯すのを避けるためで、一般にこの方法がとられたといました。
 檻入は自宅に作った「囲補理」に監置するものでした。これは本書で述べた座敷牢のことで、財力を必要とします。座敷牢に入れるには、家族や五人組が連署した檻入手形や医者による乱心に相違ないという確認書を提出して官の許可を受ける必要がありました。というのは財産争奪やお家騒動のために悪用される恐れがあったからです。
 また溜預は非人頭が管理しており、牢の中の乱心者の病状が悪化して、牢獄での監禁が難しくなったときに受け入れるところでした。江戸時代の後期には溜は、乱心者ばかりではなく行旅病人、浮浪者、軽罪者、出獄人も預けられていました。(橋本明『精神病者と私宅監置―近代精神医療史の基礎的研究』六花出版、2011)。

●江戸時代の患者の治療 
 明和二年(1765年)に癲狂の人が京都岩国村の大雲寺に参籠して滝に打たれたという記録があります。癲狂の人は本堂で行われる念仏に参加する、境内の井戸からくみ上げた香水を飲む、滝に打たれる灌水などの治療が行われました。文化二年の癲狂の治療法では、漢方薬の香附子や甘草、足裏の灸、桶伏せが記録されています。桶伏せとは桶を倒して、その中に乱心者を入れて三日ほど置きます。
 しかし病が治らなかったらそのままにします。桶には丸い穴が開いていてそこから食べもの入れました(岡田靖雄『日本精神科医療史』(医学書院、2002)。これらの治療法は憑き物を追い出すという基本的な考えに基づいていると考えられます。
 その一方で、室町時代末期の名医として名高い曲直瀬道三(1507-1594)は『敬迪集』で、狂気の治療に際して薬は効果がないので、「移情の法」で治すべきであると説いています。情を移す、すなわち思いやりの気持ちが重要であるということです。
 また安藤昌益は道理を説いてわからせるべきであると述べています。中神琴渓は看護の重要性を説いています。これらの医説は現代の精神療法に通じるものです。
 
●岡和田晃氏の解説 
 本書の岡和田晃氏の解説「歴史小説と精神医学小説の融合というウクロニーの新境地」は、本書をスペキュレイティブ・フィクションとして読解しています。この解説は一見難解にみえますが本文と解説とは照応しあっています。
 解説の中で岡和田氏はウクロニーという言葉を使用しています。ここで一言付け加えておきます。ウクロニーはフランス語が起源ですが、英語圏では単純に歴史改変小説と訳されています。歴史小説あるいは時代小説では歴史的事実そのものは改変できません。登場人物は文化時代の歴史や風俗習慣の中で生活しています。つまり時代小説はその時代のディスクールに従って展開されます。
 医者の源斎は当時行われた潅水や桶入れなど、苦痛を与えて憑き物を追い出すような治療はしません。癲狂は憑き物が原因ではなく病気であり、「移情の法」を使って治療しようとします。月江を座敷牢の小雪のところに差し向けて、お互いの人間的な交流を通して治療しようと試みました。時代小説ではあるのですが、源斎は現代の精神医学的立場と共通する立場をとっています。つまり私は歴史を変えて現代の医学のディスクールを挿入したのです。源斎は現在にタイム・スリップしても、十分精神科医として通用するわけです。
 これを岡和田氏はL・スプレイグ・ディ・キャンプの『闇よ落ちるなかれ』(1939)(岡部宏之訳、グーテンベルク21、2016)を引用して、ウクロニーと表現しました。この古典SFでは、六世紀のローマにタイム・スリップした考古学者マーチィン・パッドウェイが現代の知識を人々に教え暗黒時代の到来を食いとめようとします。パッドウェイはローマ時代のディスクールの中で、現代のディスクールに基づいて行動します。つまり過去と現在のディスクールが交差しております。岡和田氏の指摘はまことに卓見です。
 しかし私の作品がSFとしてだけではなくて時代小説としても成立しているのは、その当時源斎と同様な治療をいた医者もいたかもしれないという可能性があるからです。あるいは精神療法は時代を越えて共通するところがあるのかもしれません。

●祇園の舞妓、月江 
 源斎を助ける月江は祇園育ちですが、そのように設定したのは理由があります。現在でも祇園は江戸時代がタイム・スリップしたような古風な風習が残っています。歌舞伎、能、伝統芸能などとともに封建的な独自の世界を構成しています。現在の祇園を観察すれば、江戸時代の花街の女たちの考え方も推定できるわけです。
 江戸時代には花街に働く女たちは抑圧された存在で、一般社会とは異なる外の世界に住んでいました。癲狂もまた抑圧され、外の世界に追いやられた存在でした。ともに外の世界に住む者同士として、癲狂の小雪と月江はお互いに通ずるところがありました。月江との交流を通じて小雪は癲狂から回復することになります。

●医者と患者との橋渡しをする支援者の必要性 
 岡和田氏は、「プロである医者と、そのクライアントである患者の関係をもって、すべてが完結するわけではない。両者を橋渡しし、医者が診られない間も患者と日常的なコミュニケーションをはかる、支援者の存在こそが必要不可欠なのだ」と喝破しています。またフーコーの『精神疾患と心理学』(1982)を引用して、月江は小雪の支援者となり、「現在という瞬間に閉じ込められている」存在の在り方を月江が救出すると述べています。このことこそ、私は小説として描きたかったことです。岡和田氏は作者の意図を明確に解説しています。
 江戸時代の精神病、狐憑きについて興味を持たれる方はどうぞお読みになってください。

お買い上げはこちらで。