PW座談会「SF大賞エントリーに向けて

 【対談の経緯】日本SF作家クラブは、2013年より日本SF大賞の選考に際し、広く一般から候補作のエントリーを受け付けることとしております。これは日本SF大賞設立当時、『「日本SF大賞」を設定するにあたって(昭和55年6月・小松左京/筒井康隆)』の中で表明された「候補作品は、SFに関心の深い編集者、ジャーナリスト、ファン、読者の意見も参考にしつつ、」というビジョンをより的確に反映しようとするものです。
 この度、第41回の日本SF大賞のエントリーの開始に当たり、エントリーにおいてお願いしたいこと、エントリーに際しての注意点、エントリーから大賞選出までの流れ等について、日本SF大賞の運営委員会においてエントリーの判定を担当している渡邊利道さん、長谷敏司さんをお迎えして、エントリーに関するメール対応を担当している伊野隆之を交えて座談会を行いました。
 なお、本座談会は、7月24日から8月1日にかけ、テキストベースで実施したものです。

伊野:今回はSF Prologue Waveでの座談会にご参加頂き、編集部のメンバーの一人としてお礼を申し上げます。もっとも、ぼくも運営委員会のメンバーとしてエントリーに疑義が生じた場合等でエントリー者への連絡を担当させて頂いていたので、今回は、エントリー判定チームの一員として話に参加させて頂きます。
 さて、「第41回日本SF大賞エントリーの開始に当たって」と言うことですが、今年も日本SF大賞のエントリーの開始が近づいてきています。まず、長谷さんは、選考委員の任期が終わって直ぐにエントリー判定の担当を振られたわけですが、前回のエントリーについてどんな印象をお持ちになったでしょうか?

長谷:よろしくお願いします。
 昨年度エントリーといえば、もっとも心に残っているのはTV アニメ『ケムリクサ』の推薦の多さと熱の入りようです。エントリー入力いただいたデータをサイトにアップロードしたのは大半が自分でしたが、推薦文もしっかりしていて内心応援していました。
 第35回の木村拓哉主演のTVドラマ『安堂ロイド』をエントリーいただいたときを思い起こさせる熱量でしたね。二作品どちらも普段日本SF大賞エントリーに参加されないかたによる推薦が多かったのが特徴だと思います。エントリーは、さまざまな人々に、面白かったSFを紹介いただくためのものなので、とてもありがたかったです。
 残念ながら最終選考ノミネートとはなりませんでしたが、どちらもエントリーをきっかけに第二次選考を担うSF作家クラブ会員に広く鑑賞されることになったと思います。特に『ケムリクサ』は、ウェブ配信でいつでも見ることができたので、エントリーで興味を持って見た会員が相当いたのではないでしょうか。

伊野:早速、『ケムリクサ』ですか。確かに、第40回のエントリーを語るとなると避けては通れませんね。『ケムリクサ』についてはエントリー受付開始の早い段階から多くのエントリーがなされ、一般の方から運営委員会にあてに「何とかしないとまずいんじゃないか?」というようなご心配のメールを頂いたことも覚えています。その時は、エントリーは人気投票ではないことや、その後の審査過程の説明をさせていただいたことを覚えています。
 確かに一覧で見ると組織票のように見えてしまうんですが、一方で、推薦文を見るとそれぞれ違った書かれ方がしているわけで、エントリー者の思いがそれぞれ違った形で表出されていたため、組織票には当たらないという判断でした。長谷さんが仰るように、エントリーされたことによって、普段映像作品はほぼスルーしてるぼくのような会員にも、これは見ておかないと、と言う気にさせるインパクトはあったと思います。

渡邊:よろしくお願いします。『ケムリクサ』は印象的でしたね。私もエントリーがきっかけで見ました。私はエントリーされてきた作品が規定通りかどうかを判定する担当で、SF大賞は作品だけに限らずイベントや事件、人物なども対象となるので意外と大変なのですが、同じ作品が多くエントリーされるのはその点とても楽なので歓迎でした(笑)。長谷さんのおっしゃる通り『ケムリクサ』は推薦コメントが充実していて、ネタバレについてどう対応するか、という議論になったのを覚えています。

伊野:SF大賞のエントリーは確か第34回からですが、ネタバレに対する注意喚起を明記しようというのは、今回が初めてだったように思います。毎回、少しずつですが進歩している感じですね。あと、他に印象に残ったエントリーや、エントリーの判定でのご苦労などありましたら。

渡邊:エントリー数が多かった作品では、山本章一さんの『堕天作戦』もありますね。小学館のコミック配信サイトで連載中の作品で、完結までにどれだけ盛り上がるか楽しみです。あと、エントリー規定の話で言えば、『三体』がエントリーされたことから、海外(翻訳)作品をどうするのか、というのが改めて議論になったことが印象深かったです。運営委員会のスタッフも人の入れ替わりがあり、いろいろ記憶違いなどで問い合わせにうまく答えられず、もうちょっと慎重になるべきだったと反省しました。ただ毎回SF大賞はエントリー範囲が広すぎるんじゃないかと思わないではないです(笑)。

長谷:エントリーはずっと前からスマートフォン向けゲームの『イングレス』(ナイアンティック社:Niantic, Inc.)がエントリーに入っていたりしたので、海外作品が入っていることには違和感はありませんでした。
 ゲームはすでに日本のベンダーから発売された作品が海外スタジオで製作されているケースもあるわけで、海外製作であることは問題ないと考えていました。製作場所だけを判定基準とすると、日本で作られて販売が海外のみで日本発売がないソフトでも国内作品になるという、おかしなことになりますし。日本語で鑑賞できて国内で頒布されていることが基準になったほうが理屈は通ります。ゲーム以外の大きなタイトルだとブラッドレー・ボンド、
 フィリップ・ニンジャ・モーゼズ著になっている『ニンジャスレイヤー』は国外作品なの? みたいな例がありますし。
 エントリー範囲を広げておくのは、さまざまなジャンルの作品が受賞してきた歴史を継承していて、以前なら賞をとれていた作品がエントリーで排除されることがあってはならないという理由もあるので、大変だけれど続けたほうがよいとは思っています。「SF作品」の枠が広いことですが、これは立ち上げた日本SF作家クラブが草創期から小説家以外の「作家」や評論家が入っている団体だからかなと。
 日本SFは小説以外のジャンルの影響を強く受けている、というか『鉄腕アトム』や『ドラえもん』『ゴジラ』といった作品を評価できない枠組みで、日本SFを論じるのは難しいので、その流れを考えても「SF作品」が広くとられるのは、賞の歴史に合っていると思います。
 とはいえ、海外翻訳の扱いは難しいですね。

渡邊:個人的な意見としては、「作品」は翻訳も含めてジャンル問わずでよいと思うのですが、事件とか人物をエントリー範囲に含めてしまうのは「お祭り」としては面白いけど賞としてはどうなんだろうか、と思わないでもありませんね。まあ記録として残すという意味があるのでこれはこれでよいのかもしれません。
 翻訳がよいと思うのは、これからは先に翻訳が他言語で出て、「原文」が後から出るというケースも増えてくるんじゃないかと思うんですよね。オンラインも含めて作品発表の場がどんどん流動化している印象があります。

伊野:いろいろ思い出して来ました(笑)。対象期間との関係で残らなかった愛知トリエンナーレ関連のエントリーとか、オンラインの関係ではペンネームが二つあって著者に確認したものもありましたね。
 メール担当は今回が3回目だったのですが、随分、作文した記憶があります。

渡邊:今回は問い合わせ多かったですよね。
 そうそう、オンラインの作品は、複数のサイトに時期がバラバラで発表されたりしていて、どこが一番古いのかを探索するのに結構時間がかかるんですよね。またKindleなどの電子書籍には奥付がないケースもあったりして、なかなか確定しづらいのが難点です。

長谷:確かに事件と人物の取り扱いは、迷うところはありました。今はまだないですが、同じ事件を保守側からSFとして揶揄するエントリーと、リベラル側からSFとして揶揄するエントリーが、論争状態で乱れ飛ぶ可能性も今後を考えるとあります。19年度だと、愛知トリエンナーレ関係のエントリーが、さいわいそうはなりませんでしたが、ちょっとヒヤヒヤしていました。
 今年は、新型コロナ関係のエントリーをいただいたとき、悩むことになると思いますね。
 伊野さん、問い合わせ対応ではお疲れ様でした。結局何通書かれたんでしたっけ。

伊野:今、ざっと数えてみたら20通はこえてました。随分、テンプレができて来ているので、そんなに大変ではなかったですし、多くの方がこちらの指摘にちゃんと対応いただけたので、良かったです。内容的には期間外のものとか、エントリーの推薦文があらすじ紹介になっていたものが多かったような気がします。
 新型コロナ関連のエントリーはありそうですね。小松左京先生の復活の日とか、アンドロメダ病原体とか、40回のSF大賞受賞作である天冥の標とか、疫病を扱ったSF作品は多いですが、今回は疫病そのもので、しかも現在進行形の出来事ですから扱いが難しくなりそうです。そういえば、SF大賞のリモート贈賞式も新型コロナ関連でありましたね。

渡邊:リモート贈賞式は誰かエントリーしてきそう(笑)

長谷:リモート贈賞式は、行われた当時と、エントリー時で新型コロナに関する空気感が変わる可能性もあって怖いですね。コロナ関係のことが評価できるようになるのは、コロナ禍が一段落した後かもしれません。
 推薦文があらすじ紹介になっていた問題は、改めて注意喚起したほうがよさそうですね。
 エントリーには「なぜこの作品が今年度最高の日本SFだと推せるのか」がいただきたいのです。あらすじではなく作品を推す意見がほしいのは、今年のSFを紹介するというより今年〝最高〟のSFを紹介していただきたいからですね。あらすじだけだと、あまたある今年のSFの中で、その作品がとりわけよい理由がわからないんですね。
 淡々とスタッフの意見を書いてますけれど、対談としてだいじょうぶなのでしょうか? 空気感がわからない。おそろしい(笑)。

渡邊:まあ次回エントリーの参考にしてもらえたら、ということなので大丈夫かと……。
 ツィッターとかを見ていると、エントリーや推薦コメントってクラブ会員以外にも結構作品選択の参考にしてもらえているみたいなので、どんどん腕を振るって欲しいですね。

伊野:毎回多くの方にエントリーして頂いて、その結果がエントリー一覧として作家クラブのサイトに載るわけですが、その次が会員投票の結果、最終選考に進む作品の発表になるので、エントリーを受け取る僕たちの側がどんなことを考えてエントリーを見ているのか、エントリーされた方々に伝わらないのかな、と思ったわけです。そういう意味で、エントリーを最初に見ている僕たちの肉声がFANBOXを通じて少しでも伝われば良いかなぁ、と言うのがこの座談会企画でして……。その意味では「淡々とスタッフの意見を書いている」のが良いんじゃないかと(笑)。
 実は、こんな事を考えた理由の一つがやはり『ケムリクサ』でして、「あれだけ票を集めた『ケムリクサ』が最終選考に残らないSF大賞は終わってる」と言うような批判を受けたことで、一つ一つのエントリーをちゃんと見ている我々の立場は何なんだ、と。さらに言えば、エントリーを見て、作品を見て、その上で投票している会員がいる、というところが伝わっていないのがかなり残念でした。
 大賞へのステップで言えば、「エントリーは人気投票じゃありませんから」と言うことでバッサリ言ってしまえるんですが、そもそもエントリーなんていう手間のかかるプロセスを、どういう思いでわざわざ労力を掛けてやっているのかと言うのをテキストにしておくというのは意味があると思ってます。

長谷:ここはエントリーの趣旨がうまく伝わっていなかったところですね。
 第一次エントリーは「推薦者の推薦を、SF大賞が直接評価基準とするものではない」ということは、誤解があるのでしたら説明しておきたいですね。
 エントリーの大きな目的は、「よい作品をとりこぼしがないように拾う」ことと「その作品がどう素晴らしいかのガイドを得る」ことだと思っています。
 大賞の評価の基準は、「一次エントリーを集めた数」ではなく、「選考委員の見識」です。そのために、このかたならばと見込んで選考委員を毎回お願いしているわけです。選考委員は、おのれの見識を問われて、発言のリスクをおかしながら行う、かなりハードなボランティアだと思います。見識を基準として賞を出すことには責任が発生するためです。
 執念深いと引かれてしまうかもしれませんが、作家ってわりと「賞に落選したときにどの選考委員が何を言ったのか」を、覚えてるのです。すくなくとも自分はそうでした。実際、大賞贈賞式で最終選考委員の前に落選した作家さんが来られて、「どこがダメだったんですか」と尋ねられる可能性もあるのです。そのとききちんと発言できないとたいへんなことになりますから、必死で考えるわけです。この作品を自分はどう読んでどう評価したのかとか、そういうことです。だいたい12月に最終選考作が発表になってから、翌2月の大賞選考まで、2か月ほど悩みます。自分が選考委員をお引き受けしたときはそうでした。大賞選考が終わってようやく安眠できるというくらいプレッシャーにさらされるのですが、そうした真剣に作品と向き合った過程があることが、賞の信用につながっているのだと思います。
 ジャンルに対して思い入れや責任や強い愛があったり、なんらかの義理があったりでないと、なかなか引き受けられないと思います。
 二次選考の会員選考も、クラブの会員たちが、どの作品が今年最高のSF作品だったろうかと考えながら投票しています。会員選考は無記名投票ですが、みなさんまじめに投票してくださっていると思います。
 エントリー数が第二次以降の選考基準にならないことは、選考をさせていただく側から考えたら、わかりやすい話ではあります。大賞贈賞式で選考委員が落選した作家さんや関係者から「どこがダメだったんですか」と尋ねられた場合を考えてみましょう。普通にありえるシチュエーションです。このとき「一次エントリーで一番支持を集めた作品が他にあったから落選になりました」なんて返したら、選考委員の信用は地に落ちるわけです。見識を求められて依頼された選考委員が、最終選考ノミネートを許可してくださった作家と関係者を裏切る仕事をしたわけですから。賞の価値も損なわれることになるでしょう。最終選考作は、発表する前に著者さんに賞にノミネートさせていただいてよいか確認をとってます。ですが、一次エントリーでの支持数が受賞基準になっていたら、落選するとわかっている賞へのノミネートなんて断られてしまいますよね。賞の形式自体がもう保てなくなります。
 と、ここまで推薦数が賞に直結しないはなしをしてきました。ですが、間接的には、同じ作品をたくさんのかたにエントリーいただくことに意味はあります。
 実際、『ケムリクサ』は、これは記事にしてよいかわかりませんが、本当に最終選考にあと一歩のところまで会員投票でも支持を伸ばしましたしね。
 熱の入った推薦文の力は、鑑賞者を増やすことでも、よい第一印象を与えることでも、かなり強かったのだと思います。

渡邊:いや、本当に選考委員の先生がたは大変ですよね。私はちょうど長谷さんが選考委員をされていた37~39回のSF大賞の記録係をやっていたのですが、みなさんものすごく真剣に作品に向き合って選考されているわけですけども、はっきり言ってどういう結果になっても必ず不満が出るし、批判されるし、極端な時はそれで作家クラブをやめてしまう人とかも出てくる。受賞しなかった作品の書き手に限らず、「こんな作品が選ばれるようなクラブにはいられない」と言う人だっている。それくらい賞というのは大きな意味合いを持っているんですよね。
 エントリーで発見される作品というのは本当にあって、これは以前どこかで書きましたけども、私は実際第37回受賞作の『WOMBS』はエントリーされるまでそういう作品があることは知っていたけれども未読だったんですよね。それでこれはすごいなと思って投票して、まあ私の一票がどこまで結果を左右したわけありませんけども、そういう例は他にもあるんじゃないかと思います。

伊野:お二人とも最終選考に関わっていらっしゃってたんですね。確かに、会員投票も、自分の投票内容が広くオープンになるわけではないんですが、かなり悩みますから、最終選考のプレッシャーは相当の物だと思います。
『WOMBS』は確か『シン・ゴジラ』と同じ時で、どうせ『シン・ゴジラ』は良いところに行くだろうから、対抗できる小説を残したいと思って、いろいろ読んだ記憶があります。一般会員もエントリーから投票までの間は、ほぼ積ん読との戦いになるんですが、大変なんです(笑)。
 ですから、あの時は『WOMBS』はノーマークでしたが、後で読んでみて、やっぱり読む人は読んでいるなぁ、と感心した覚えがあります。
 作家クラブの会員も、それこそ何でもOKの人から、小説が強い人と、映像系が強い人といろいろおられて、メディアによって有利不利が出てしまう気もするんですが、エントリーという枠組みは、そう言ったバイアスを是正する意味でも良い枠組みだと思っています。
 まあ、映像作品はまだウェブ配信とかがあるから良いんですが、演劇とかはどうしようもなく……。それでもエントリーという形で記録に残ることは良いことなんじゃないでしょうか。

渡邊:まあSF大賞に限らないことですが、賞というのは運が大きく左右するものなので、エントリーひとつで流れが変わったりすることもあるし、愛と気合を込めて推薦して欲しいですね。新しいSFはここにあると世間に知らしめよう、くらいの勢いで。

伊野:確かに運の要素はありますよね。同じ時期に有力候補が重なるなんてのも運ですしね。あとは募集要項とFAQを読んで、熱い想いをぶつけて下さいということでしょうか(笑)。ともかく、エントリーされないと何も起きないのは確実ですから。
 最後に、長谷さんから何かありますか?

長谷:日本SF大賞は、範囲が小説だけではなく漫画やアニメ、評論、ゲーム、演劇や事件などとても広い賞です。
 この年最高のSFを選ぼうというわけですから、とりこぼさないよう、皆さん、エントリーでよい作品を教えてください。みんなが話題にしている最高でなくても、自分にとっての最高でOKです。そして、どこが素晴らしかったかという声を聞きたいためのエントリーでもあります。会員みんな敬意をもって読ませていただいていますので、熱のこもった推薦よろしくお願いします。

(完)