「石の人形」小竹田夏

 王の使者がムソクの家を訪れたのは、都の大路を吹く風が肌寒くなった頃のことである。使者はアルパカの毛糸で織った正装をまとい、ノウゼンカズラが次の花をつけるまでに王への献上品を作れと言った。
 献上を断れば命がない。献上品が王のお気に召さなければ、これも命がない。今まで、様々な技を持つものたちが、様々な理由で斬られてきた。
 使者の話に、ムソクは細胞の一つ一つが震えるほど興奮した。ムソクは人形細工の若き職人である。ムソクの作る人形は、まったく生きているようだと世人は評する。ジャガーの人形は今にも襲いかかりそうなほど恐ろしく、猫の人形は一日中抱きしめていたいほど愛らしい。
 それがムソクには面白くない。これまで世に出した作品はみな、ムソクに言わせれば、ほんのお遊びだ。俺の実力はこんなものではない。王をも唸らせることができる。その自負は、ムソクが持つ唯一無二の目から来ていた。
 使者が去るとすぐに、ムソクは家の裏にある、煉瓦造りの狭い小屋に向かった。ムソクだけの作業部屋である。部屋の中には、試作の人形や、木や石や貝殻で出来た道具が乱雑に置いてある。ムソクは木箱から鶏卵大の玉を取り出し、左目の前にかざした。透明なその丸い玉を通して見ると、物が大きく見える。凸レンズである。当時はレンズはおろか、透明なガラスを作る技術もない。ムソクがその玉をどのように手に入れたかといえば、己が体からである。
 幼いムソクは這って回りながら、しょっちゅう物にぶつかった。目の前に身の丈を超える机が迫ろうが、怯まず進んでいく。おかしい。両親はムソクの様子に、もしや盲かと疑った。両親にとっては老いてようやく授かった子である。商いで成した財もあり、両親は都中の医術者の元を訪ね、都随一の名医に伝手を得た。名医は言う。
「この子の目の中には、大きな玉がある」
 水晶体が肥大し、球状となっている。よって物が拡大されて見えているのだと。
「どうなさる?」
 治癒する見込みは五分五分、目を取り替えるか、このままにするか。
 両親は前者を選んだ。流行り病が出た折に、死んだ幼子の目をムソクに移植する術が施された。このとき摘出したムソクの水晶体が、件の透明な玉になった。
 術後、ムソクの右目は拒絶反応で白濁してボロリと落ち、左目は無事に生着した。ムソクは空いた右眼窩に玉を入れ、義眼で蓋をした。時折、玉を取り出してみると、年月と共に大きさが増していた。
 玉が大きくなるにつれ、玉越しの世界は、いっそう大きく見える。試しに自分の手を見ると、なにやら毛と毛の間に、煉瓦のように四角い房が隙間なく並んでいる。表皮細胞である。この時代にはまだ細胞という概念はない。ムソクは細胞のことを角房と名付けた。
 ムソクは人形作りに、玉を活かした。ムソクの人形は、獣の屍が元になっている。屍の心臓に筒を刺し、血液を抜いた後、特殊な膠を注ぎ込む。獣の体は次第に固まり、石と同じ灰色のザラザラとした質感になる。屍が完全に石化する前に、ムソクは人形の表情をつけていく。遠く離れて人形全体を眺め、玉を使って毛一本一本の動きに神経を配る。常人の目には認識できない細部にも注力することで、人形には得も言われぬ気配が宿る。
 しかし、ムソクはやはり気に入らない。どれほど腐心しても、屍は変わらず死んだままだ。
 生きた角房を積み重ねれば、動く人形もできるのではないか?
 ふと、そんな野望ともいえる想いをムソクは抱いた。献上品の話が来る少し前のことである。
 ムソクは手始めに、獣の肉を山のキノコと一緒に混ぜた。キノコの酵素で、肉はドロドロになる。その泥状物を掬い、玉で観察して、張りのある丸い角房だけを拾い上げる。その角房の表面に膠を付けて、針で一つ一つ並べていく。針は、幾重にも棒を菱形に交差させた拡大縮小器の先に付いており、毛先よりも小さいものも扱える。
 一昼夜、角房を並べても、塊の大きさは小指の先ほどにしかならない。そのうち角房はしなびて崩れる。失敗だった。
 角房の張りを保とうと、ムソクは角房に水を吹きつけたり、酒をかけたりした。ダメだった。いっそ、獣の血を塗ってみた。思いもよらず、角房はみなぎる張りを見せた。しかし、血が固まって角房を並べる邪魔をする。ならばと、キヌアをすりつぶして血に混ぜた。凝血を免れ、角房は張りを保って親指の長さほどに積み上がり、そこで自重で潰れた。やはり失敗だった。
 それでもムソクは諦めなかった。獣の血に、草木、小動物、海産物と思いつく限りのものを混ぜ合わせた。鯨油と珊瑚の粉末を組み合わせたときのことである。翌日、ムソクには角房塊が前夜よりほんのわずかに大きくなっているように見えた。玉を通して見ると、角房と角房の間から、瑞々しい角房が顔を出している。ムソクは床を跳ね回り、喉が熱くなるほど叫んだ。
「成功だ!」
 期限まで残り三月を切っていた。
 王の間は千人が横たわることの出来る広さがあり、壁や天井は削った貝殻で絢爛たる装飾が施されていた。ムソクは王の前で、大路一本分の距離を置いて平伏している。傍らの木製の橇の上には、ムソクの丈の半分ほどの人形が座している。ムソクが己が姿を誇張させて角房を積み重ね、血を塗って成長させた人形だ。
 王が目で合図をし、近くの付き人が橇を王の手前まで押した。王は人形を見つめた。人形は顔だけが歪に大きく、顎が前面に張り出している。異形だった。人形は遠くを見つめるような目で、王を見つめ返した。
「この名は何と申す」
 王の声はよく通った。ムソクは顔を伏せたまま、不敵に口を歪ませた。面白い。新しい世界を作る、この人形にふさわしい名。ムソクはすぐに閃いた。「世界」を意味する言葉。
「ニンゲンでございます」
 顔を伏せたままのムソクに、王の顔は見えない。ほどなくムソクの傍らに橇が戻された。
「かの方を斬れっ」
 王の声がした。ムソクは呆然と顔を上げた。付き人がムソクに近寄って告げた。
「醜い、と王が仰せだ」
 有無を言わさず、剣が一閃した。
 ムソクは命だけは免れ、裸で島流しに処された。斬られたニンゲンは土葬が許されず、木箱に押し込められて大河に放たれた。箱は大海原に流れ出て、波に揺られて崩れた。ニンゲンはシマガツオやカジキに身をついばまれながら、かろうじて生きていた部分が海の養分を吸って成長した。
 ニンゲンは大きさを増しながら二つに千切れ、またさらに大きくなるのを繰り返して数を増やし、世界中の大陸や島に散った。ニンゲンのいくつかは小さな島に漂着した。その島はムソクが流された島だった。ムソクは浜でニンゲンを目にして、泣き崩れた。
 ムソクにはもう、新たにニンゲンを生み出す術はなかったが、島に流れ着いたニンゲンを我が子のように育て、魚や森で取れた実をたっぷり与えた。ニンゲンは数年でムソクの身の丈を超えて大きく育ち、ほどなく命が尽きた。ムソクは死んだニンゲンを、以前のように膠を使って石の人形にした。これに後世の人は名を付けた。モアイ。

(小竹田夏氏は、江坂遊会員の推薦によりご参加頂きました:2021年2月28日)