日本SFの黎明期。SFは一般向けSFと子ども向けSFの両輪で爆走していた。
子ども向けのSFのことを「少年SF」または「ジュヴナイルSF」「ジュニアSF」などという。
今ではこのような名称を使うことはほぼない。ライトノベルに吸収されたと言っていい。
しかし、日本SFの黎明期、SFは一般向けのSFと子ども向けのSFの両輪で爆走していた。
この連載は、その子ども向けSFの歴史を紐解くのが目的だ。
とはいえ、単純に事象を時系列で並べるつもりはなくて、SF叢書だったり、作品だったり、作家だったり、事件だったりとさまざまな角度で、さらに気の向くままに「少年SFの時代」を俯瞰することにする。
1959年(昭和34年)、〈SFマガジン〉(早川書房)の創刊によって幕を開けた日本SFの黎明期。SFを広く知らしめるためは、一般に対してだけでなく、子どもたちにもSFを知ってもらう必要があった。なぜならそこには、SFに慣れ親しんだ子どもたちは、やがて大人になれば、そのままSFの読者になってくれるとの読みがあったからだ。
とよく言われているが、それも理由のひとつであって、一般向けのSFを書くだけでは生活できない作家に仕事の場を提供する意味合いもあった。また、SFは売れるかもしれないと考えた人たちによってSFが量産されることとなったとも言える。
さまざまな大人の事情があったとしても、子どもたちはSFに驚き、興奮したことは紛れもない事実だ。そして子ども向けのSFがあったことは、当時、未成熟な僕たちにとってとても幸せなことだった。
僕たちは茜さす図書館の片隅で、SFの豊かなイマジネーションに触れることで遥か未来に夢を描くことを覚え、未知なる世界に立ち向かう勇気を知ったからだ。万物をつかさどる科学に基づく探求心、遠い宇宙への希望を培った。SFは絵空ごとと片付けられる単なる空想ではなく、僕たちにとってまぎれもなく現実だった。
その頃はまだ新人作家であった眉村卓や光瀬龍らが、僕たちのために本気になってSFを創造してくれた。その革新的なSF文学は児童文学界に強烈な旋風を巻き起こしもした。
しかし、眉村卓は言う。「《ジュニアSF》については、これまで、まとまった分析や資料はないようです。SF史の中でも扱われることはほとんどありません。これからもずっとこのままなのか、それともいつかは変わるのか……」(光瀬龍『作戦NACL』角川文庫/眉村卓「解説 光瀬さんと、あのころのこと」)
この連載が「いつかは変わる」切っ掛けになればと、万感の想いを込めて「少年SFの時代」を始めたいと思う。