「墨刻――筆による世界創造」関 竜司

(PDFバージョン:bokkoku_sekiryuuji

 近年、甲骨文字を書く書家が増えている。書道展などに行っても必ずと言っていいほど甲骨文字を書くグループの作品が展示されている。原賢翏(はらけんりょう)が主宰する《墨刻》もそうした甲骨文字を愛する書家のグループだ。
2019年8月4日、筆者は岡山県倉敷市にある由加神社本宮で行われた《墨刻》のパフォーマンスに参加した。以前から優れた活動をしていると聞き、楽しみにしていたのだ。(同年にはスペインで展覧会が開かれ、その後電通本社でも展示(2019年10月~2020年3月)が行われた)
 太い筆が白い用紙に打ち込まれていく。力強く規矩のはっきりとした字が次々と生み出されていく。打ち込みの鋭さ、力強い字体。ただ荒々しいだけではないクオリティーの高い創造力豊かな文字が墨刻の魅力だ。
「これまでの流派にとらわれず、字の根源までさかのぼり、新たな字を自由に作りたい」グループを主宰する原賢翏は、そう語る。
 今日の甲骨文字ブームをけん引したのは何といっても白川静だろう。折口信夫の万葉論と中国古代文学(特に『詩経』)とを架橋することによって白川文字学は、甲骨文字の意味世界を解き明かした。それは『説文解字』の次元でとどまっていた漢字研究を一気に推し進めるブレイクスルーであったと同時に、私たちが漢字という文字に対してもっていた漠然としたイメージを一挙に総合化し体系化した一大革命だった。
 白川静の発見、特にサイ(「口」)の発見によって漢字はそれが本来もつ豊かな生命力だけでなく、漢字とともに生きる私たち日本人の生命をも取り戻した。言い換えれば日本人の意識の外に外在化されていた漢字の意味世界を脱構築し、意識の内に内在化させる遠大な計画を白川は一人でやり遂げた。漢字は日本の「国字」だと白川はいうが、それは逆で白川静によって初めて漢字は国字になったと筆者は考える。
《墨刻》の巨大な紙の上に力強く書かれていく甲骨文字の群れも、さながらパフォーマー自身が神となり文字と世界を創造していくようだ。白川文字学が本質的に「呪」の思想であるとするならば、墨刻のパフォーマンスもまた呪的な踊り、古代の霊魂との交歓なのだろう。とりわけ《墨刻》のパフォーマンスはその表現媒体が文字であるという点で、言い換えれば本来的な文字と人間とのあり方、神と人間とのあり方を垣間見させてくれる点で、単なるアートを超える知的で学際的な趣きがある。
「今日の私たちにとって筆は柔らかく文字を書くものになっている。しかし殷の時代において文字は金属に刻み込まれるものだった。筆は刀――墨は刻み込むもの」と原賢翏はいう。筆による世界創造。その点がやはり《墨刻》の特色なのだ。
 しかし《墨刻》は単なる古代の復活を目指しているわけではない。私たちが現代で生きている以上、書もまた現代人の心、それを生み出す作家の心に響くものでなければならない。《古代文字を題材として、古代の人々の「人間のエッセンス」に触れ、自分自身のエッセンスと交流》させる「墨刻の理念」はそのことはっきりと謳っている。そしてそのレベルに達することで初めて「発表された作品は独り歩きして遠く広く深く、人の間に浸透していくべき力を持つ」と原氏は言う。作品が個人を超えて独り歩きして広がるべきだという原氏の言葉は書や芸術だけでなく文学全般にも当てはまる発言ではなかろうか。
《墨刻》による文字通りの文字世界の創造が、今後どのように展開するか目が離せない。

(2019・8・4)

(原賢翏氏のパフォーマンス)

(原氏による解説)

(リンク)
 墨刻ホームページ

関竜司プロフィール


関竜司 参加作品
『しずおかの文化新書9
しずおかSF 異次元への扉
~SF作品に見る魅惑の静岡県~』