「甲府 お盆」飯野文彦

(PDFバージョン:koufuobonn_iinofumihiko
 太宰が甲府で生活していたことは、有名な事実であり、妻となった石原美智子は甲府の出身である。甲府を舞台にした作品も、いくつとなく書いている。
 もっとも有名なのは『富岳百景』だろうか。その最後の一文で、甲府の見合い先の家、石原家だったのだろうが、そこから見た富士を、
「酸漿に似てゐた」
 と締めくくっている。甲府で生まれ、高校を卒業するまで、甲府で暮らした私は、はじめて読んだとき、たぶん中学生だったと思うが、
「ほおずき、ときたか」
 と、一人悦に入り、部屋の窓から山々の向こうに見える富士を見た。とても酸漿には見えず、それもあって、勝手に太宰はすごいと興奮したものである。
『薄明』という短篇は、戦時中、甲府に移住したときのものだ。甲府の町も空襲に遭い、甲府盆地を見やる山奥の家から、炎上する甲府を見ている風景が描かれている。空襲で燃える甲府の町に太宰はいた。さらに『新樹の言葉』を読んでみると、甲府について、より細かい記述がある。
〈甲府の火事は、沼の底の大焚火だ。ぼんやり眺めているうちに、柳町、先夜の望富閣を思いだした。近い。たしかにあの辺だ。……舞鶴城跡の石の段々を、多少ぶるぶる震えながらのぼっていって、やっと石垣の上にたどりつき、見ると、すぐ真下に、火事が轟々凄惨の音をたてて燃えていた。噴火口を見下す心地である。〉
 恥ずかしながら『新樹の言葉』を読んだのは、つい先日だった。読んでいるうちに、この甲府の火事が、柳町の辺りであり、
〈けだものの咆哮の声が、間断なく聞こえる。……「すぐ裏に、公園の動物園があるのよ。」妹が教えてくれた〉
 という記述を読むと、火事の熱さとは逆に、全身の神経が氷の刃となった。

◇ ◇

 ノートパソコンに〈ひづけ〉と打ち込み変換すると、201×年8月13日と出た。旧暦の盆の入りである。
 じっとしていられなくなった。Tシャツにジーンズという姿のまま、財布の中身を確かめ、五千円札があったのを幸い、高円寺の安アパートを飛びだした。
 ふだんなら中央線の下りに乗って、高尾まで行き、そこから各駅停車に乗り換える。しかし、今日は、少しでもはやく甲府に着きたくて、新宿へ出て、発車寸前だった特急あずさに飛び乗った。お盆の帰省ラッシュのせいで、車内は混雑していた。指定席はもちろん、自由席もすべて埋まっており、通路も立ち乗りの客でいっぱいだ。仕方なくデッキの、扉のところに立った。
 ぼんやりと外の景色を眺めながら、甲府に戻るのはいつ以来か考えた。かんたんに記憶はたどれた。三年前の二月、母の三回忌に出て以来である。母の三年前に父が他界し、三つちがいのは母は、その三年後、年齢を合わせるように旅立った。
「お盆か」
 ぽつりつぶやくと、それが合図だったかのように、幼い日、母から聞いた言葉が脳裏に浮かんできた。あの日、母に連れられて太田町の動物園へ行った。やはりお盆休みだった。それもあって、動物園は人でごった返していた。
 まだまだ甲府に活気があった時代だ。動物園の入口には行列ができていて、動物園前の公園で順番待ちをしているとき、母がぽつり、口を開いた。

◇ ◇

 文ちゃんと同じ歳くらいだったかな。いや、戦争が終わって一年後のお盆だったから、お母ちゃんは十二歳だった。弟たちといっしょに、太田町公園まで遊びに来たんだと思う。でも気づいたら、ぼんやり、一人になっていて。
 ああ、皆、どこへ行ったんだろ。迷子になって、泣いてないかな。
 そんな風に思って、公園の奥へ行ったら、櫓が組まれ、大勢の人が盆踊りをしてた。ぐるり見回したけど、弟たちの姿はない。困ったなあ、とさらに奥へ行くと、動物園の近くの暗闇の向こうから、同じように太鼓の音が聞こえる。
 薄暗く、人けが途切れていたので、ちょっと怖かったけど、もしかして、と、そっちへ行ったみた。そうしたら、木々を抜けたその先に、やはり櫓が組んであって、人々が丸くなって踊っていた。
 何で二つもあるんだろう。こっちのほうは隣町かな。でもなんだか……。不思議な感じがした。薄暗くて、全体がぼうっと闇に溶けているみたいだった。かなりの人が居るみたいだけれど、暗くてよくわからない。太鼓の音も小さく、蒸し暑い夜だというのに、ぶるぶるっと身体が震え、二の腕に鳥肌が立った。
 この中に弟たちが混じっているのか。目を懲らしているうちに、気づいたことがあった。皆、裸でなにも着ていなかった。盆踊りを楽しんでいるというよりも、秘密の儀式に高じているみたいで、ますます鳥肌が広がるのがわかった。
 それでも、草履の裏が地面にくっついたように動けない。人々は裸で、ゆっくりと踊っている。年老いた者もいるが、まだ幼い子どもの姿もみえる。
 すると、その中のひとりの女の人が、こっちを見て、手招きしている。誰かと思うと、死んだ母親だった。母が死んだのは、それより四年あまり前だった。七人の子どもを産み、食糧難の時代で身体が参ってしまったのだろう。三十七の若さだった。死んだとき、兄弟みんなで泣いた。なんで死んじゃうんだよ、と弟たちといっしょに遺体にしがみついたものだ。
 お母ちゃんと叫び、そっちへ走ろうとしたとき、後ろから、お姉ちゃんと呼ぶ声がした。振りかえると弟たちだった。
「何してるの?」
 と訊かれ、
「ほら、あそこにお母ちゃんが」
 と前方を指さした。しかしそこは木々にさえぎられて、月明かりもささない暗闇が広がっているだけだったんだよ。

◇ ◇

 母が正しくこう言ったかは、たしかではない。後になって、たぶんに頭の中で補足したのだろうが、大意にまちがいはない。
 さらにそれが呼び水になったか。炙り出しの文字が、熱を帯びると浮かび上がってくるように、べつの記憶がよみがえる。そう昔の記憶ではない。六年ほど前、すでに母が施設に入っていたときだ。
 入所してからほとんど寝たきりの状態で、起きていても、ぼんやりとしている時間がほとんどだった。あの日、施設を訪ねたのは、午後四時近い頃だった。
 おやつが終わり、消化を助けるため、三十分近く上半身を起こしておく。母はぼんやり、窓の外を見ていた。声をかけると、わずかに、こっちを見た。いつもはそれだけで、目を閉じるか、視線を逸らしてしまう。なのに、このときは、わずかに首を縦に振った。
「どう、具合は?」
 訊ねると、なおも私を見つめ、
「今晩、お父さんが来ると」
 と言った。
 父はそのとき、二年前に死んでいた。五月七日が命日で、この年の四月下旬に三回忌を済ませていた。母も車椅子に乗せて、参加させた。両手を合わせるのにも、姉が手を添えなければならず、焼香は私が代わりにやった。
「何を言ってるで」
 私は苦笑いした。と、虚ろだった目に、線香のようだったが、ぽっと光りが宿った。
「覚えてるけ」
「なにを?」
「むかし、話したら。戦後、太田町動物園の前で、迷子になって……」
 そこまで言って、母は目を閉じた。つづきを待ったが、かすかな寝息を立てた。

◇ ◇

 その晩、施設から実家に電話があった。実家を引き継いでいた姉一家は、夕食に出かけており、帰省していた私が一人で留守番をしていた。施設の人は挨拶もそこそこ、母が居なくなったと言った。
 悪い冗談かと思った。歩くどころか、一人で寝返りさえ打てない。まして居なくなれるはずがない。しかし施設の人は真剣に、くりかえす。
 とにかく自転車で、施設へ駆けつけた。母はベッドで寝ていた。
「ほんとうにいなかったんです。どこを探しても。それなのに、いつの間にか。……すみません。ばたばたしていて、かんちがいしたんだと……」
 施設の人は詫びた。
「いいんです、こちらこそ、お世話になりっぱなしで」
 詫び返し、施設を出た。時刻は午後八時になろうとしていた。

◇ ◇

 あのとき、母が何を言っているのか、わからなかった。しかし、今はわかる。先に書いた話のことを言っていたのだ。そして、あの晩、母が施設からどこへ行ったのか。暗闇の向こうから、ぼんやり、灯りが灯るように、ひとつの光景が浮かぶ。
 にぎやかな盆踊りの向こうの、闇の奥に、もう一つ櫓が組まれ、全裸で踊っている人々がいる。そこに母の姿も見える。となりにいるのは、若くて、きれいな女性。誰だろうと、思ったとき、仏間に飾ってある写真の女性と重なった。母の母、つまり会うことかなわなかった祖母である。
「すみません、降りるんですが」
 後ろから声をかけられた。電車の扉は開き、甲府と声が聞こえる。
「すみません。ぼんやりしてて」
 足早に、ホームに出た。かなりの人が、あずさを降り、人波に押されるように改札へ向かった。擂り鉢の底、すでに日は南アルプスの向こうに、姿を消しかけていたけれど、甲府盆地はじりじりと暑く、汗が噴き出し、いっしょに思考まで流れ出たらしい。
 ふと一息ついて、足を止めたとき、高台にいた。太宰が火事を見下ろしたと書いた、舞鶴城公園に立っている。夕焼けが、シャッター街と化してひさしい、甲府の中心街を照らしている。
 いけない、面会時間が終わってしまう。足早に舞鶴城跡を後にした。駅前に戻ると、運よく、施設のそばを通る乗り合いバスが止まっていて、飛び乗った。

◇ ◇

 施設の入口わき、事務所の受付に顔見知りの職員がいた。
「ご無沙汰してます」
「こちらこそ」
 職員は笑顔を浮かべる。事務所が騒がしい。
「なにかあったんですか?」
「少し前に、下りのあずさが、甲府駅の手前で脱線して。かなりの犠牲者が……」
「お盆だっていうのに、たいへんですね」
「ええ。……で、今日は?」
「離れて暮らしているからといって、お盆くらいは顔を見せなくては」
「はあ?」
「部屋は同じですよね?」
「部屋って……」
「わかりますから」
 職員に頭を下げ、エレベーターへ向かった。母のいる部屋は四階にある。
 運よくエレベーターが止まっていた。
「ちょっと、飯野さん」
 呼び止める職員に、会釈したとき、扉が閉じた。母に会うのは久しぶりだ。わかるかな。いや、わからなくても、いいよ。
 母の部屋へ行くと、見知らぬ老女が、夕食を介助されていた。
「あなたは……」
 介助していたのは、見覚えのある女性だったので、ぺこりと頭を下げる。そうか、部屋が変わったんだな。一階にいた職員は、それを言おうとしたのか。それは悪いことをした。後で謝ろう。
「母は?」
「お母さんって……」
 介助の女性は口をつぐみ、視線を逸らす。わきにもう一つ、ベッドがある。そうだ、この部屋は二人部屋だった。入居者が増えて、相部屋になったらしい。もうひとつが母のベッド。しかしベッドは空だった。
「そうか、盆踊りに行ったんだ」
 それなら、急いで向かわなければ。
 急ぎ足で施設を出ると、運よく空車のタクシーが通った。
「太田町の遊亀公園まで、お願いします」
「もう動物園は、閉まっているでしょう」
「いえ、盆踊りに行くんです」
「盆踊り、やってるんですか?」
「ええ、母が先に行って、待ってるんです。母だけじゃない、みんな。きっと、みんなが。だからすみませんが、急いでください」
「わかりました。今日は盆休みで、市内の道は空いてますから」
「……」
「そうですか、盆踊りをやってるんですか。あそこは五月の〈正ノ木祭り〉が有名だけど、盆踊りもやっているとは知らなかった。まったく甲府も、めっきり寂れちまいましたが、せめて、そういう風習だけは残ってほしいもんですよね」
「……」
「着きましたよ。動物園の入口近くでいいんですね? お客さん? お客さ――」

◇ ◇

 すでに日はとっぷり暮れて、暑さはへばり付いているものの、闇が濃くなっていた。心細くなったが、歩を進めると、暗闇の向こうに、ぼんやりと明かりが見える。間に合った。人々が丸くなって踊っている。目を凝らして、母を探す。
「文ちゃん。文ちゃん」
 手招きしているのは母だった。
「遅くなっちゃって」
「ううん。来るって、わかってたから。どう、仕事は?」
「う、うん……」
 母の顔色が曇った。つらさに負けて、
「どうやら、今度こそ、傑作が書ける気がするんだ」
「どんなお話を書いているの?」
 小説など、何年も書いていない。大学時代の友人から、ライターの仕事をもらい、なんとか糊口をしのいできた。しかし、それももう……。
「甲府を舞台にした小説なんだ」
 気がついたら、口走っていた。母の瞳が輝いた。
「ふるさとのことを書いてるのね」
「そうさ。甲府の家で、トイレに立ったとき、窓から富士山が見えるんだ。それを見たぼくは、どう感じたと思う?」
「きれいとか、大きいとか……」
「それじゃ、平凡すぎて、話にならないよ」
「なにかしら?」
「酸漿さ」
「富士山が、ほおずき?」
「そう。甲府の町から見ると、富士山が酸漿に見えるんだ」
「楽しみね。はやく読みたいわ」
 母の顔がほころぶ。恥じらいを振りはらい、
「それより、いっしょに踊っていいかな?」
「もちろんよ。みんな、よろこぶわ」
 母は小走りに、踊りのほうへ向かった。人々に声をかける。振り向いた人々が、私を見て、笑顔を浮かべた。そろって、手招きしてくれる。はやる気持ちをおさえ、衣服を脱ぎ捨てる。
 うす暗かった一帯が、沼の底の大焚火と化した。お囃子がわりに、けだものの咆哮が聞こえる。

(了)

飯野文彦プロフィール


飯野文彦既刊
『飯野文彦劇場
 奈落の遊園地』