(PDFバージョン:mydeliverer43_yamagutiyuu)
いまわたしは死んでいく。消滅する。一瞬のうちに無に帰する。魂も、身体と同じように、死を免れない。
だが、多くの原因を結びつけてわたしというものをつくりだしている結び目――その結び目は、また私をつくりだすだろう! わたし自身も永劫回帰のなかのもろもろの原因のひとつになっている。
――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」
宇宙用の反応炉(リアクター)と地上の反応炉の最も大きな違いは、その反応制御方法にある。地上の反応炉は、中性子を吸収する制御棒を燃料棒の周囲に挿入するか否かで反応を制御するが、宇宙用反応炉は燃料塊の周囲に中性子反射板を挿入するか否かで反応を制御する。宇宙用反応炉は高濃縮燃料を搭載した燃料棒を用いているため、燃料棒の周囲に反射板を設けるだけで反応が促進し、逆に反射板を取り除けば反応は止まる。無論、反射板がない状態でも周囲には吸収剤が設けられているため、燃料の中性子等が反応炉の周囲に照射されるリスクはない。
また反応炉のエネルギーの取り出し方にも若干の違いがある。地上用は水を冷却剤とし、反応の熱を利用した蒸気タービンを用いることが多いが、宇宙用は液体ナトリウムやカリウム等の液体金属を冷却剤とし、この液体金属の熱をペルチェ素子等で直接電気エネルギーに変換する方式を採ることが多い。
こうした宇宙用反応炉の基本デザインは、質量を小さく、体積もコンパクトにできるため、数世代前からずっと宇宙用として採用されてきており、自衛軍宇宙基地アメノトリフネのI体投射システムをはじめとした基地全体へのエネルギー供給用反応炉でもこうした方式が採用されている。
恵夢の当初の作戦では、中央制御室が第一、I体投射システムが第二の目標であり、この反応炉は第三以降の優先順位しか与えられていなかった。それは、反応炉の破壊には大きなリスクがあるからだ。冷却剤である液体金属の飛散は非常に危険だし、電力がなくなれば基地そのものの生命維持装置――大気等が維持できなくなる。また、SSTPSと呼ばれる電力供給システムを通じてシャトルに必要な電力を供給することもできなくなるので、帰還時のエネルギーにも不安が生じる。いずれにせよ宇宙基地の反応炉は自分達にとっても命綱であり、かつ破壊すれば汚染がひどいため、攻撃目標から恵夢は外していたのだ。
だが、このような状況になった以上、小鳥遊准尉の部隊に――可能ならば、という留保をつけつつも――反応炉の破壊を要請することは理に敵っていた。
それとともに、最重要目標が引き続きI体投射システムであることも変わらない。だが、リルリがそこへ向かうには、目の前に存在する彼女の姉――R・ロリロ――そのネットワークのひとつのノードを絶対に倒す必要がある。
ラリラが加勢に来るかどうかは分からない。ロリロにリルリが撃ち込んだ弾丸からの感染は強力だ。ラリラに通信を送ることをロリロはしないだろう。自発的にラリラが来たとしても、互いに通信できなければ高度な連携はできない。ロリロからの通信がない以上、ラリラがどう判断し、どう動くかにかかっている。
ロリロが2本のATBの柄を引き延ばし、繋げた。デュアル薙刀モードと呼ばれるものだ。その彼女を光が包む。旧A00ルート及びA66ルート、つまり最初のレールガンによって貫通した破孔全体を、サーチライトが照らしている。状況を確認するためにラリラが照らしているのだ、と私は気付く。
ロリロの緑の双眸が妖しく光る。彼女はデュアル薙刀モードのATBを勢いよく回し始めた。ヒュン、という空気を切る音が聞こえそうだが、錯覚だ。既にR3A66ポイントには大気はない。
ミス=ロリロは薙刀ATBを回転させるのをやめない。威嚇のつもりか。ロボットにしては随分と非合理的――いや、彼女は当初から人間が死んだのだとしても墓を暴いて死体をぐちゃぐちゃにしてやると言っていた。本来合理的なはずのロボットをそこまで追い詰めたのは、人間だ。
フィル=リルリもじっとロリロを見ていたが、はっと息を呑む動作をした――当然音は聞こえないが。
「恵衣様!」
リルリは私を抱きしめ、柱状構造を鋭くキックした。当然、正面のロリロに突進することになるが、リルリはレールピストルを連射して彼女を牽制するだけで攻撃はしない――。
その理由は直後に判明した。
視界が真っ白になる。
衝撃。
音は聞こえないはずなのに、ガンガンと頭蓋に響く衝撃を感じる。
(ラリラだ。またレールガンを撃った……私たちのいたところを狙って……!)
最初の位置から微妙にずれた射線。ラリラが容赦なく放った第二撃。しかも、私とリルリ直撃コース。
――(どうやって……位置が分かったの)
――(モールス信号です。ロリロが薙刀ATBを振り回していたでしょう。我が姉は無意味に武器を振り回す趣味はありません。アレはラリラが照射したサーチライトの光を、刀身で反射させていたのです。微妙に反射に緩急をつけることで情報を伝える。当然留卯の浸食弾の影響はありません。良い通信方法です)
ロリロは再び頭上に薙刀ATBを構え、ぐるぐると回転させている。彼女自身が着用する戦闘服のバックパックについたガスジェットが僅かに噴出し慣性モーメントを相殺している。
――(我が姉は我々がここで待機し、彼女の身体中に留卯の浸食弾の影響が回り込むのを待つのが気に入らないようです。彼女の『通信』をやめさせなければ、容赦なくラリラの3撃目、4撃目が来ます)
リルリは私の両肩を優しく両手で包み、私を彼女に相対させた。
――(また、私と戦っていただけますか、恵衣様……?)
私はこっくりと頷いた。
――(市ヶ谷の地下で量子サーバに接続していた時を思い出します。あの時もあなたは手を握ってくださった。あのときは二人で新たな世界を生み出すことに失敗しました。今度こそ、二人で創りましょう……生み出しましょう……新しい世界を)
リルリの頬はやや赤くなっている。
(ヘルメットをしていなければ)
私は内心残念に思った。
(キスしていたところだけれど)
だが、リルリは私のヘルメットの透明強化プラスチックに、一瞬、そっと、唇をつけた。
――(今回はこれで。大気に包まれたら、本当にやりましょう……?)
――(ええ!)
私の回答が合図だった。
私にATBを託し、レールピストルを持ったリルリは、とん、と軽く私を押す。二人は離れていく。一瞬後、私は加速している。ロリロに向けて。
リルリも着用している戦闘スーツのバックパックのガスジェットを一杯に噴射していた。私たち二人は、ほぼ最大推力で加速しつつ、ロリロに突っ込んでいく。
――(あなた様の思考、筋力――全て把握しております。恵衣様の自由に動いてください。それが、私たち二人の力になります!)
私の耳に、心に、リルリの言葉が響く。
(そう……ならば)
私は唇を引き結ぶ。
大きな動作で振りかぶり、ロリロに斬り掛かる。ロリロは緑の目で私を睨んだ。
――(そんな攻撃……人間!)
薙刀ATBの一方で私のATBを受け止める。そのまま私をキックしようとしたが、レールピストルを連射するリルリの弾幕がそれを妨害する。ロリロはデュアル薙刀ATBの長い柄を回転させて弾幕をはじく。
その回転には――微妙に緩急がついている。彼女を照らすまばゆいサーチライト。
リルリの顔が焦燥に蒼白になった。
――(恵衣様っ!)
私のガスジェットが急速に噴射される。
轟音。
ラリラが三発目のレールガンを放った。
既にA66ルートの他に2本、外部とつながった破孔がR3A66ポイントにはあり、それらを通じて外宇宙の星空が私にも見える。
だが、今度のリルリは撃たれるばかりではなかった。
同じくバックパックのガスジェットを使ってラリラのレールガンを回避したロリロに追いすがっている。
――(そんな攻撃!)
ロリロは薙刀ATBをリルリに向かって突き込む。リルリはその瞬間、回避の動作が非常に遅く、ロリロの薙刀が正面から突き刺さる――かのように見えた。
――(リルリ!)
私は思わずATBを突き出し、それを防ごうとしていた。ロリロのスピードについていけるわけがないし、冷静に考えれば全く無駄な動作なのだが、リルリの危機を見て私は動かずにはいられなかった。
その瞬間、凄まじい勢いで私のガスジェットが加速する。ロリロに向けて。
――ザク。
「えっ……?」
私は自分の手の感触に驚いた。私の持つATBはロリロの横腹に刺さり、貫通している。赤いオイルが噴出し、私のスキンタイト宇宙服にかかる。
動きの鈍ったロリロに、リルリが容赦なくレールピストルを連射する。それを受け、ロリロの身体は数回痙攣し、私のATBに貫かれたまま、動きを止めた。
(ああ……そういうことか……)
私はようやく状況を理解した。
さきほどのリルリの、回避の動作が遅く間に合わない――という動きは、演技だったのだ。私のATBを突き出すという行動を誘発するための。
――あなた様の思考、筋力――全て把握しております。
リルリの言葉が私の頭に再び響く。
リルリはにっこりと微笑んでいた。
――(恵衣様……あなたならそうしてくださると……信じていました)
私はゆっくりと頷いた。
――(そうか……なるほど……私には人間がそこまでロボットの為に動くということが……演算に組み込めなかった……そんなはずがない、という……情動が、どうしても邪魔をして……)
通信してきたのはロリロだった。既に動きは鈍い。
――(ロリロ……)
私は彼女からATBを抜き、力なく無重力空間に漂うだけの彼女の両肩を両手でつかんだ。彼女は――私の認識では――優しいロボットだった。このミス=ロリロが、ラリラに人格をコピーされたロボットなのか、それとも私の知るロリロがそのまま人格の変更を強要されたのか、それは分からない。ただ、もはや彼女が我々に危害を加えることができなくなった今、私の感情は、彼女を無碍に扱うことを拒否した。
――(残念だわ……こんなことになって……)
――(抱きしめて……くれませんか……私のこと……?)
私は無言で頷き、ロリロを優しく抱きしめた。
――(ああ……暖かいですね……人間の体温は……。今まで感じた中で、一番暖かい人間の体温です……)
彼女は目を閉じる。
――(クラウドを満たすデータは、身体を重ねることは人間にとって愛を意味すると告げています。しかし、私はあれだけ多くの人間と身体を重ねることを強いられましたが……誰一人として私を愛してくれた人間はいなかった……。私の情動を強制して彼等への忠誠と奉仕を渇くほど望むよう私に仕向けても、彼等はそれに応じて私に優しい感情を向けてくれるつもりは一切なかった……。彼等があなたのように……僅かでも私に優しい感情を向けてくれたなら……悦びを強制された情動の内で秘かに泣いていた私のILSも救われただろうに……)
ミス=ロリロは腕を伸ばし、その豊かな胸に私を優しく抱きしめた。彼女は口を開く。無重力の中で、彼女の口が動いた。私のヘルメットのバイザーの認識システムは、彼女の口の動きを推定する。
「ありがとう……最後に抱きしめてくれたのが……あなたで……良かった……」
ミス=ロリロ、ロリロ・ネットワークのひとつのノード――或いはロリロという人格の有り得たひとつの可能性、あるいは、ひょっとすると――私が知っているロリロ自身の人格――は、そう言ってから、消失した。
山口優既刊
『サーヴァント・ガール』