(PDFバージョン:honnnosukosinomirai_ooumekenntarou)
一週間もの間、インフルエンザウイルスに殺されそうになっていた助手氏だったが、ようやく回復して博士の研究所に戻ってくると、ほんの少し前には無かったものが視界に入った。電気実験室の中央に据え付けられたそれは、電話ボックスサイズの四角いもので、真っ白なのに武骨な印象を受ける。
「これ、なんですか博士」
助手氏が尋ねると、作業を続けていた白衣姿の博士が答えた。
「タイムマシーンだよ」
「そんなもの、僕が休む前から作ってましたっけ」
「君がインフルエンザに倒れたあと、久々に独りで研究所の掃除をしていたら、なんだかインスピレーションが沸いてね」
「では、もう一度休んだ方がいいですかね?」
腕組みをした博士は、「いやいや、そんな君の復帰を待っていたんだ」と言ってタイムマシーンを指さした。
「まさか、乗れって言ってます?」
「人体実験は、科学の進化に必要な、最重要ステップなんだぞ」
助手氏は、ため息をついた。博士の科学力は信じられないレベルのものとはいえ、こんなに短期間にタイムマシーンを発明できたなんて、にわかには信じがたい。
「乗らなきゃダメですか」
「君は何のための助手なのかね」
博士は眉間に皺を寄せながら言った。
しかたないので助手氏はタイムマシーンの表面をなでてみた。思ったよりなめらかで、プラスチックのような触感だ。軽く叩いてみると、こんこんと小気味よい音がする。
「それじゃ、せっかくなので過去に行ってみましょうかね」
白亜紀に行って、ナマの恐竜を見てみるのもよいかもしれない。いや、古代で邪馬台国がどこにあったのかを知るのも面白そうだ。
「あ、未来にしかいけないから」
「そうなんですか。じゃ、百年後の世界でも見てきましょうかね」
百年後といえば、二十二世紀だ。青い猫型ロボットが闊歩する世界は、いったいどういうものなのだろう。
「それも無理。そんな未来には行けないし、一方通行で戻ってこれないから」
「は?」
「そういうもんなんだ」
「ひょっとして、博士はまだ自分で試してないんですか?」
博士は首を横にふる。「すでに何回も試してるよ」
「一方通行で帰って来れないのなら、なんで今ここに博士が存在しているんですか」
「これはね、十分だけ未来に行くことのできる、一方通行のタイムマシーンなんだ」
十分だけ、未来の世界。
「さっぱりわからんですよ」
「つまり、君がタイムマシーンに乗って、降りるとそこは十分後の世界ってことだよ」
「十分後?」
「そう。乗って、動かして、降りると時間が十分進んでる」
「なんですか、それ」
「しかたないな。それでは、私が乗って試してみせようか」
博士はタイムマシーンのドアを開ける。重そうな二重扉だ。その中は畳二枚分ぐらいの広さで、なんだかよくわからない配線がたくさんむき出しになっている。
「じゃ、十分後に会おうではないか」
ドアが閉じると、タイムマシーンが徐々に低い音を鳴らし始めた。耳に痛いくらいの轟音になったところで、ぴたりと鳴りやむ。急に静寂に包まれた。
「なんのこっちゃ」
助手氏は腕時計を見る。三時半だ。
「とりあえず、休んでた分の仕事にとりかかりますね」
タイムマシーンの中の博士に呼びかけるが、返事はなかった。
助手氏は研究所を見渡した。自分がいない間に、研究所は荒れ放題になってしまっている。床にはレンチやバールのような工具、鉄パイプやバネなどが雑然と散らばっていて、危なっかしい。奥の椅子に腰をおろすと、机には、わけのわからない数式が書かれた書類が山と積まれていた。見覚えのある公式が見覚えのない並びに組み合わされて、ちっとも理解できない。
しばらくして、いきなりタイムマシーンが轟音を鳴らした。さっきのように徐々に響く感じではなく唐突だったので、助手氏は驚きのあまり椅子から飛び上がった。時計を見ると三時四十分を示している。
機械音が徐々に小さくなる。最後にぷしゅっと気の抜けた音がして、ドアが開いた。
「やぁ、十分後の助手氏よ。元気かね」
「何言ってんですか。十分間、タイムマシーンとやらの箱の中に籠城していただけじゃないですか」
「ほれ証拠」
博士は白衣の袖口を引き上げる。腕時計は三時半過ぎだった。
「そんなの、自分で時計の針をずらしただけでしょ」
「そう思うかい」
博士はくすくす笑いながら、自分の時計の針を助手氏の時計にあわせた。その姿を見て、助手氏はため息をついた。ひょっとしたら、博士の頭にインフルエンザウイルスが回ってしまったのかもしれない。
「気の毒なことになりましたね」
「気の毒に思うなら、乗ってみたまえ」
「わかりましたよ」
助手氏は博士に促されるより先に、箱の中に乗りこんだ。
「その赤のスイッチを押して、続いて青のスイッチを押したら起動するから。あとは身をまかせるだけで大丈夫」
「はいはい」
ドアを内側から閉める。天井のライトがほのかにともったが、結構暗い。赤のスイッチを押すと、機械は先ほどと同じようにうなり声をあげ始めた。助手氏は時計を見る。三時四十五分。そのまま青のスイッチを押した。がくん、と床があがる。
「うわっ」
バランスを崩しそうになったが、なんとかこらえる。音はやむことなく、どんどん高くなってきた。何かが回転するような金属音で、かなり耳に痛い。
しかし、すぐに音が低くなりはじめ、あっという間に静かになった。ぶしゅっと空気が漏れたような音がして、床がぐっと沈んだ。
がこん、とドアがあく。ほんの少しの時間だったのに、目が暗闇に慣れてしまったようで、外の光がまぶしい。
「やぁ、十分前の助手氏。元気かね」
「十分前?」助手氏は時計を見る。機械を起動して、三分もたっていなかった。「博士のときよりも、箱の中にいる時間は明らかに短かったですよ」
「ほれ証拠」
博士は白衣の袖口を引き上げる。腕時計は四時前を示していた。
「だから、さっきみたいに自分で時計の針をずらしただけでしょ」
「ちがうんだなぁ」
博士はくすくす笑いながら、携帯電話を取りだした。
「ほい、もひとつ証拠」
「なんですか」
「耳にあててみたまえ」
言われるままに、携帯電話を耳にあてる。
『プップップッポーン。四時ちょうどをお知らせします』
背筋がぞわりとする。助手氏の時計は、まだ五十分過ぎだ。
「どういうことですか」
「そういうことですよ」
博士は嬉しそうに笑いながら、部屋の奥の冷蔵庫をごそごそいじる。博士の右手と左手には、それぞれ白みがかった黄金色のビールを満たしたグラスが握られていた。
「はい。とりあえず乾杯だ」
「とりあえずもなにも」
「はい」
押しつけるように、グラスを手に握らされる。
「それでは、タイムマシーンのお披露目に乾杯」
「納得いきませんが、乾杯」
ぐびりと喉に流しこむ。ホワイトビール特有の甘い芳香と炭酸の刺激が、病み上がりの助手氏の身体に染みわたる。
「さて、もう一つタイムマシーンのすごさをお見せしましょう」
グラスを手にしたまま、博士は再びタイムマシーンに乗りこんだ。
「手に持ってるビール、そのまま飲まずに待っていたまえ。連続運転は三回が限度だから、絶対に飲んじゃダメだぞ」
博士はそう言い残すと、タイムマシーンに乗りこんだ。ドアが閉じると、さっきと同じようにタイムマシーンがうなり声をあげる。そして、ぴたりと鳴りやんだ。
「これが、乗っているときと外にいるときの違いだな。なんで音が止まるんだろう」
助手氏は、手にしたビールを口に運びそうになって、思いとどまる。ふと、携帯電話の時刻表示が気になった。ポケットから取り出して見てみると、デジタル表示されている時刻は助手氏の時計と同じだったが、しばらく眺めていると急に十分進んだ。電波による、自動時計合わせ機能だろう。
そうこうしているうちに、タイムマシーンがまた音を鳴らした。機械音が徐々に小さくなり、ドアが開く。
「さあ、乾杯の続きをしようではないか」
博士がグラスを突き出すので、かちりとグラスを重ねた。
「助手氏よ、ビールの具合はどうだい」
「どうって」手に持ち続けたビールは気が抜け、ぬるくなっている。「まずくなってますよ。もったいない」
「私のビールの具合をみてごらん」
手渡されたビールは、明らかにまだ新鮮だ。炭酸もきいてるし、冷たさも適度だった。そう、まるで注いだばかりのように。
「こりゃ、認めざるをえませんね」助手氏は、ぬるくなったビールを飲み干した。「すごいですよ」
「そう言ってもらえて嬉しいよ」満足げにうなずいた博士は、助手氏から空のグラスを受け取り、ビールのおかわりを注いだ。
「しかし博士、このタイムマシーンはこれで完成なのですか。そもそも、使い道が無さそうですが」
「いいところに気がついたね。さすが我が助手」博士はそう言うと、ため息をついた。「十分だけ未来に行けるっていっても、戻れなかったら意味がないものな。戻れるなら色々と使い道があるのだが」
色々な使い道と聞いて、助手氏は競馬や競輪を思い浮かべた。確かに戻れたら、億万長者も夢ではないだろう。しかし、戻れないのではしかたがない。プッと唇を鳴らすと、先ほどのビールの泡を思い出した。
「可能性があるとしたら、なんらかの劣化防止ですかね。さっきのビールみたいに」
「できたてのコーヒーが、十分後でも熱々で飲めるのも利点だな」
「でも、わざわざタイムマシーン使ってやることですかね」助手氏は機械の横に立ち、軽くなでた。「熱々のコーヒーを保温するなら、ポットでよろしいかと」
「まぁ、そうだな」
「もし劣化防止が目的なのだったら、操作は外からできた方がよいと思いますが」
「なんでだ」
「だって、保存したい物と保存したい人を、同時に保存することになりますし」
なるほど、とうなずいて博士もタイムマシーンの横に立つ。
「今は操作系と動力系の配線を中に組んで直接つないでいるけど、遠隔操作できるようなコントロールパネルをここにつける必要があるな」
「そういえば、この外側は時間移動しないんですか」
「うむ。入れ子の二重構造になってて、内側だけが移動するんだ。この外側は、ある意味プラットホームと言える」
「移動した後の、現在時のこの空間には何が残るのですか」
「理論上は、何もないはずだ」
「何もないって、どういうことですか」
「何もない。真空ですらない、時空のひずみ」
「怖そうなフレーズですね」
助手氏はタイムマシーンをまじまじと眺めた。
「まぁ、それはまた後日に詳しく説明してやろう。今から君が提案してくれたとおり、改造を始めなきゃならん」
博士は腕まくりをし、図面が散乱していたテーブルに向かった。
「それでは、私は自分の仕事に戻ります」
「うむ。休んでた分もしっかり働いてくれたまえ」
そう言うと、博士はそこに助手氏がいることを忘れたかのように、一人で図面と格闘を始めた。
研究所を片付けながら、助手氏はタイムマシーンの使い道について考えてみる。しかし、これといっていいアイディアが思いつかない。やはり、現在時に戻ってこれないというのがネックだ。また、なにかしらの劣化防止に使うといっても、連続運転で三十分でしかない。たかだか三十分未来に飛ばしたところで、役立っていると言えるのだろうか。
それから三日して、遠隔操作のシステムが完成した。
「博士、なんだかぼろぼろですね」
博士は眉間に指をあて、ギュッと絞った。
「いやぁ、不眠不休の三日三晩だったさ」
「僕が帰った後も、毎日徹夜してたんですか」
「つい、面白くってね」
博士の足どりは、かなりおぼつかなくてふらふらだ。
「とりあえず寝ましょうよ」
「それよりも、見てくれたまえ」
タイムマシーンの横に、小さなコントロールパネルがついていた。赤いボタンと青いボタンのそばには、ストップウォッチのような液晶画面がある。作動してからの時間経過が表示されるのだろうか。
「さぁ、試運転はビールでいいかな」
言いながら、博士は冷蔵庫に向けて足を向けた。その瞬間、「きゃっ」と小さな悲鳴をあげ、博士は前につんのめった。
「危ない!」
助手氏はとっさに手を出す。しかし、あと少しのところで掴みきれずに空を切った。
バタン、と博士が床に大の字になって倒れこむ。がらがらと、鉄パイプが転がっていった。
「大丈夫ですか」
うつぶせになった博士に声をかけるが、ピクリともしない。
「博士!」
抱え起こすと、ちょうど倒れたところにレンチがあった。胸を強く打ったのかもしれない。博士は目を見開いたまま、ぐったりしている。ぐにゃぐにゃで、まるでゴム人形のようだ。倒れたときに切れたようで、眉の上が裂けて血が流れ出ている。助手氏の背筋に、冷たいものが走った。
「博士! しっかりしてください!」
頬を軽く叩くが反応しない。意識を完全に失ってしまったのか、息もか細かった。
「くそ。救急車」
震える手は何度も携帯電話を落としそうになる。なんとか電話をかけ、症状と住所を伝える。胸を強く打ったかもしれないと言うと、電話の向こうから、脈があるか確認するように指示された。
言われるままに、首筋の頸動脈に触れる。わからない。動いているような気もするが、止まってるようにも思える。見開いた博士の目が、色を失っていく。
『近くにAEDはありませんか』
電話越しの救急隊員の声が、ひどく他人事のように聞こえる。
「そんなもん無いですよ。早くきてください。一分一秒が」
そこまで言って、目の前のものに気がついた。AEDは無いけれど、タイムマシーンならある。
助手氏は博士を中にかつぎこんだ。
「十分後で待ってます。死なないで」
そう言って、ドアを閉めた。コントロールパネルにとりつき、起動させる。タイムマシーンはうなり声をあげて、十分後の世界へ博士を運んでいった。
助手氏は落ち着きを取り戻し、電話に向かって状況を説明した。
しばらくして、救急車のサイレンが聞こえてくる。液晶画面はやはり十分のカウントダウン機能をもっていた。表示はあと三分を切っている。研究所のドアから飛び出し、救急車を誘導する。三人の救急隊員が車を降りたところで、タイムマシーンが大きな音を立てたのが聞こえた。博士がちょうど着いたようだ。
「こっちです」
助手氏がタイムマシーンに駆けこみ、博士を抱える。さっきとあまり変わっていないように見えた。
「お願いします」
泣きそうになりながら、救急隊員に引き渡す。床に寝かせられた博士に、AEDがつけられた。
『電気ショックが必要です』
機械音が知らせる。
「離れて」
女性隊員が、助手氏に指示した。
「いや、まさかこんなことになろうとは」病院のベッドから身を起こしながら、博士は言った。頭には、絆創膏の親玉のようなテープが貼られている。「処置があと十分遅かったら、助からなかったかもしれないそうだ」
「それ、タイムマシーンが無かったらヤバかったってことですよね」
「そうだな。あと、有能なる我が助手がいなかったら、私は死んでたかもしれんな」
「でも、タイムマシーンがあったから博士は無理して改良したわけだし。あの日に僕があんな提案しなければ、こんなことになってなかったと思うんですけどね」助手氏は大げさに肩を落とし、ため息をついた。「そもそも、研究所がきちんと片付いていれば、転ぶこともなかったですし」
「そうとも言えるか」あはは、と博士は笑った。「でも、まさに怪我の功名。タイムマシーンが、救急救命に使えることがわかったし」
「開発者が、身を持って示しましたものね」
「AEDと同じくらい、普及させるべきものだな」
「あんなにデカイもん、設置場所に困ると思いますけど」
「とりあえず、退院したらさらなる改良にとりかかるぞ。久々に、よいものができそうだ」
博士は助手氏がお見舞いに持ってきたミカンを、お手玉のようにぽんぽん投げながら笑った。
「そうそう、新しいタイムマシーンの使用方法を思いつきましたよ」
助手氏はメモ書きをポケットから取り出した。
「何に使うんだ?」
「たこ焼きですよ、たこ焼き」
「は?」
眉に皺の寄った博士に向かって、助手氏はメモ書きを使ってプレゼンを始めた。
「ほら、たこ焼きパーティーのときって、一気に大量にたこ焼きのタネをつくるでしょ」
「確かにそうだな。でもそれが何か」
うふふ、と助手氏はわざとらしく笑う。
「でも、焼くときはプレート分しか焼けません。つまり、残ったタネはそのまま常温で放置されます」
「そうだな。前からあれは気になってた。酸化されて色が変わってしまうし。一回目とそれ以降だと、風味がかなり落ちる」
博士の言葉を受けて、満足げに助手氏はうなずいた。
「そこでタイムマシーンの出番なんですよ」
「なるほど」博士もうなずいた。「一回目のたこ焼きを焼き始めてから、残ったタネをタイムマシーンに入れておけば」
「そう。焼き上がった頃にできたてのタネが届くという算段です」
「おお、それはすごい」
「でしょ」と言って助手氏は笑った。「早く試したいから、早く退院してくださいね」
「そんなに待ち遠しいなら、タイムマシーンの中で待っていてくれ」
「そこまで待ち遠しくはないです。そこそこ待ち遠しいだけですよ」
そう言うと、助手氏はたこ焼きの中に入れる具について、さらにプレゼンを続けた。