(PDFバージョン:narimunoki_inotakayuki)
記録されていた生物学者のインタビュー
母胎樹がナリムを理解する鍵でした。母胎樹の葉の遺伝子解析結果が、ありふれたデコの木と一致したことでも、母胎樹の重要性に関する確信は揺らぎませんでした。
母胎樹とデコの木は、似ているところもありますが、形態は明らかに異なっています。あれだけ形態が違えば遺伝子解析の結果が一致することはあり得ず、それが逆に母胎樹の特異性を際立たせていると考えたのです。
ナムタワンⅣの初期入植者は、高度なバイオエンジニアリング技術を有していました。何らかの理由で、デコの木と、ヒトとのハイブリッド化を試みたのではないか。母胎樹は、デコの木とヒトとのキメラなのではないかと。それを確認するには、母胎樹の花と果実のサンプルが必要だったのです。
行動規範は十分に理解しています。現地の禁忌を犯すようなことは、極力、避けるべきです。ただ、調査を始めてから五年が経過したのにもかかわらず、調査が行き詰まっていたことで、無理をしてしまいました。
必要なものは、わずかな細胞で十分です。それに、母胎樹の花が咲く新月の夜、ナリムは絶対に外出しません。気づかれるはずがないと思っていました。
寝静まるまで村の外の森で待機していました。村に入ったのは深夜で、中心部を迂回して母胎樹が植えてある村外れの墓地に向かいました。暗視ゴーグルを使っていたのは、ナリムたちに気づかれる可能性を減らすためです。ええ、気づかれたはずがありません。
装備に特別のものはありません。ただ、たちの悪い虫がいるので、殺虫剤を持っていました。人の体に卵を生み付け、幼虫は脳に侵入することもあります。ナリムたちは殺虫剤を嫌いますが、ヒトには無害です。
墓地に入った直後でした。あれがいたのです。驚くなと言う方が無理です。突然、目の前に現れたナリムの女性の顔には、無数の蛆がうごめいていました。それで、慌てて殺虫剤を吹きかけたのです。
ええ、確かにゾンビとしか言いようのないものです。名前は知りませんが、三日ほど前に死んだ女性です。間違いありません。年齢は村長と同じくらいで、五十歳くらいでしょう。ナリムの女性としては早死にではないと思います。墓地への立ち入りは許されていないので、埋葬を遠くから見たのですが、ずいぶん墓穴が浅いと思ったことを覚えています。
悲鳴を上げたかどうか覚えていません。ただ、殺虫剤を吹きかけたとき、顔に貼り付いていた蛆がのたうち、ゾンビが怯んだのです。ゾンビは私に向かってきていました。使えるものは殺虫剤しかなく、空になるまで吹きかけ続けました。殺虫剤が空になって、それで逃げたのです。村の中を走り抜け、待機させていたウォーカーに飛び乗りました。
墓地に戻ろうとは思いませんでした。ゾンビの顔が目に焼き付いていましたし、立っていられないくらい震えていたと思います。ゾンビが後を追いかけてくるんじゃないかという恐怖があり、急いで基地に戻ったのです。
調査隊の基地の明かりを見て、やっと落ち着きました。守衛に、後から何か来るかもしれないから気をつけろと伝えました。ゾンビが追いかけてくると言っても、笑われるだけだからです。ドラマやゲームの中だけのものだってことはわかってますから。守衛は、夜行性の獣がいるとでも思ったのではないでしょうか。
でも、ナリムの墓地で見たものは、ゾンビとしか言い様のないものでした。
自分の部屋に戻って、私は何を見たのか考えようとしました。ゾンビなんているわけがないのですから、合理的な説明があるはずです。でも、蛆が這い回る顔を思い出すと、まともに考えることなんかできません。狭い部屋ですが、背後にあれがいるような気がして、朝まで一睡もできませんでした。
目を開くと、完璧な造形のリアナが私を見下ろしていた。
「処置は終わったのかな?」
まるで、あらかじめプログラムされていたかのように言葉が口をついて出てくる。なのに私は、その処置がどんな処置なのかを知らない。
「処置は、終わっています」
目をしばたき、苦労して堅いベッドから体を起こす。実体を持たないリアナは、基地にインストールされた支援知性だった。物理的には役に立たない。
背中に痛みがあった。私がいるのは基地の医療施設で、痛みがあるのは背中を負傷したからかもしれない。
「私は何をやったんだろうな」
次に私の口から出た言葉は、リアナへの質問ではなく、自問だった。
「お答えすることはできません」
知らないか、知っていても私に伝えることを許されていないか、どちらにせよ、リアナは嘘をつかない。
「わかった。誰か呼んでくれないか?」
ナムタワンⅣは、およそ七世紀ぶりに再発見された世界だった。私は、タンクエン=タンの開発庁から委任された第二次調査隊の一員で、チームの総員は三十人近い大規模なものだ。
「調査隊は撤収しました」
リアナの言葉に、不思議と驚きはない。リアナがいるとはいえ、私はたった一人で目覚めた。医療処置室での覚醒には医務官が付き添う規則にもかかわらず、たった一人で目覚めたのだ。
つまり、私は取り残されたことになる。
「そういうことか」
なぜか驚きはなかった。
基地に何かが起きた。私は、それに居合わせたはずなのに、何があったか思い出せない。頭に手をやると、髪がすっかり剃り上げられており、傷を治療するためのテープが貼られている。
「開頭手術をする必要がありました。短期記憶に混乱や欠落があるかも知れませんが、いずれ回復すると思います」
よほど酷いことがあったのだろう。
「ナリムもいないのか?」
ナリムのことは、現地人と説明すればいいのだろうが、それだけでは正確性に欠ける。
「彼らの村に戻っています」
人類世界の拡大は急速すぎて、十分に統制がされていなかった。特に辺境においては、時間と費用がかかるテラフォーミングの実施が困難で、人類そのものを改変することで異なる環境への適応をはかろうという考え方が席巻した結果、ヒトという種の外縁が人為的な操作によって野放図に拡張されることになった。
その一例がナリムであり、ナリムは外見こそヒトでありながら、ゲノムには大きな差異があった。
「私はどうしてここに残されたんだ?」
当然の疑問だ。これは罰なのか、それとも特別なミッションを与えられたのか。
「あなたがここ残ることが、和解の条件だからです」
ナリムと調査隊の関係は友好的だったはずだ。それがなぜ和解なのか。ナリムとの間に和解を要するような敵対的な関係を生じたのだろうか。私自身の記憶は判然とせず、何があったのかわからない。
「村に来るように要請されています。急ぎではありませんが、あなたの覚醒予定時間は知らされています」
ナリムたちが、私が目覚める時間を知っているなら、待たせるのは良くないだろう。
「すぐに出かけた方がいいかな?」
改変された人類、あるいは自らを改変した人類の末裔であるナリムは、多くの面で人類と異なっている。だからこそ、人類社会への再統合に先立って、慎重な評価が必要になってくるのだった。
「ウォーカーの準備ができています」
そう言ってリアナは姿を消した。これからは私一人だ。リアナの機能は基地に多くを依存している。だから、これからのサポートは最小限になる。
ナリムの村への移動は一時間ほどの行程になる。開けた台地から森の中の村へは曲がりくねった踏み分け道が続いていた。
途中には、ナムタワンⅣへの初期入植者たちが築いた入植地の跡があった。遺跡の素材は発砲性コンクリートで、陽光にさらされた骨のように白い。入植地として機能していたのはせいぜい半世紀足らずだったことがわかっている。遺跡は文字通り森に浸食され、放棄されていた。
「お待ちしていました」
村の入り口に村長のアユダが待っていた。調査隊との接触を仕切っていた彼女は、人類社会の共通言語である汎語も話せる。もっともナニム語自体が汎語を基盤としており、調査隊のメンバーの多くも特別の支援なくナニム語を理解できる。
「こちらこそ。お待たせしたのでなければいいのですか」
ウォーカーから降り、挨拶を済ませる。
「では、村の方に」
ナリムの村は皿状の窪地にあった。ウォーカーを残し、ナリムの生活に欠かせないデコの木が葉を茂らせる下を、アユダと並んでゆっくり歩く。標準年齢で五十を超える彼女は、どちらかと言えば体重過多に見えた。
ナムタワンⅣへの適応過程で、ナリムたちは現代の情報機械文明を放棄していた。金属資源もなければ、エネルギー資源も熱量に乏しい泥炭だけで、情報機械文明を維持できない。その条件下でナリムは、森との共生を選んだのだろう。
村の中は静かだった。砂利を踏む音だけが響いている。
「静かですね」
子供たちがいたはずなのだ。ヒトの子供と変わらない子供たち。今はどの世界でも長命化処理が広がり、子供たちを見る機会が減っている。それに比べるとナリムで子供を見かける機会は多い。赤ん坊を抱いている大人をみる機会も多い一方で、妊娠した女性の姿を見かけない。人工子宮というテクノロジーを欠くナリムの社会で、それは謎の一つだった。
「村人は出ていきました。西に二日ほど歩いたところで、新しい村を作っています」
アユダの言葉に心がざわつく。この村になにがあったのか。その問いかけは、なぜか私の口から発せられることはない。
「……私は間違っていました」
人気のない村を歩きながらアユダが言った。村は静まりかえり、村人達は彼女を残して村を出たようだった。
なぜ、彼女が一人で残ったのか。そんな状況で、なぜ、私が呼ばれたのか。そもそも私はなぜ、たった一人で残されたのか。
「……私は愚かでした。好奇心というものがいかに抑えがたいものか、十分にわかっていたのに、どのような対策が必要か、考えが足りなかったのです」
アユダは、うつむき加減で歩きながら、ぶつぶつと言葉を続けていた。
「……もともと人という種は好奇心の奴隷なのかもしれません。だから私たちの祖先がこの地を訪れ、あなた方もこの地を訪れた。私はそれを忘れるべきではなかった」
アユダが何を言おうとしているのか、私にはわからなかった。ただ、声には深い後悔の念が込められている。
「……隠し通すつもりなら、もともとあなた方を受け入れるのではなかった」
村のはずれ、墓地に近づくと母胎樹が見えてくる。村にあるデコの木より背が低く、太い。枝ではなく幹に直接なっている実は、デコの実がせいぜい拳大なのに比べ、母胎樹の実は大人が一抱えするほど大きかった。
「……受け入れるのなら、すべてを知らせるべきだった。どっちつかずの判断をしたのが私の間違いだったのです」
ナリム語を汎語に翻訳する課程で、母胎樹という訳語の妥当性に関して議論があった。母胎樹という名称は、墓地に葬られた死者の霊的な再生を祈る意味があるとの解釈がなされた一方で、ナリム達が常食にしているデコの実に必須のミネラル分が不足していることから、母胎樹の実がミネラル補給に不可欠なのではないかとの推論もあった。母胎樹が墓地に生えているという事実は、必須ミネラルの再利用という意味では説得力があったが、果実の成分分析をしなければ結論を出せない。私が支持しているのは、文字通りに母胎樹がナリムを生んでいるという仮説だったが、ナリムは母胎樹の調査を拒み続けており、結論は出ていない。
「……あなた方は母胎樹のことを知りたがった。その時点で、全てを知らせるか、追放すれば良かった」
低い声で話し続けるアユダの様子は、どこかおかしかった。私たちはすでに墓地に立ち入っており、ふと気がつくと、アユダの手には鉈が握られている。
「……これが、あなたがほしがった事実」
私たちは母胎樹の前に立っていた。いくつもの大きな実がなっている。ただ、いつもと様子が違う。つややかなはずの緑の表皮が、黄色がかって、しわが寄っている。
アユダが鉈を振り下ろすと、母胎樹の実が二つに裂けた。その中からは大量の液体にまみれた胎児。異臭を放つ胎児は青白く、明らかに死んでいる。
アユダは次々に鉈を振るう。そのたびに母胎樹の実が引き裂かれ、中からは成長の度合いが異なる死んだ胎児が現れる。胎児は、へその緒で母胎樹とつながっていた。
「これでわかったでしょう。私たちは、この木から生まれるの」
アユダの狂ったような目が私を見据えた。
「どうしてこんな事を?」
「あなたが殺した。私があなたに殺すことを許した。だから私は罰を受けなければならない」
アユダは鉈を逆手に持ち変える。
「……次は私のはずだった。それなのに、あなたは私から子供を残す機会を奪った」
アユダは決して若くない。彼女は五十代だが、ナリムの女性の中では高齢の部類だろう。
「子供?」
「ええ、私の子供。次の新月には完全に成熟するでしょう」
アユダが着衣を引き裂くと、わずかに膨らみを帯びた腹部が現れる。彼女はそこに鉈を押し当てた。
「止すんだ!」
鉈が真横に動き、一本の赤い線が引かれたかと思うと、鮮血があふれた。
アユダが膝から崩れ落ちる。抱きかかえた私が見たのは、おなかの傷からあふれる白いもの。蛆のようなものが、引き裂かれたアユダの腹の中でうごめく。
私はその蛆のようなものに見覚えがある
第二次調査隊基地の支援知性体の証言
隊員たちからはリアナと呼ばれていました。第二次調査隊の基地に配備された私は、ナリムとの協調関係の崩壊を目撃しています。
最初に、ナリムの村にいた三人が殺されました。それから、武装した大勢の村の大人が基地を襲撃したのです。もちろん、再接触に関する行動規範のため、殺傷性の高い兵器での応戦はできません。なぜ、態度を急変させたのか、交渉を通じてかろうじて聞き出せたのが、攻撃の前夜に調査隊の一人がナリムの墓地に侵入したということです。
調査隊は和解を試みました。並行して、誰が何をやったのかも調べました。基地の出入りの記録から、ナリムの生化学を研究していたファンダルアジズが特定され、彼がナリム側の合意を得ずに、母胎樹を調べようとしたことが判明しました。ですが、ファンダルアジズは、自分がやったことの意味を全くわかっていませんでした。それは、彼のインタビュー記録でも確認できます。
一方、ナリム側は、彼の行為により、村の今後の一世代が失われるとともに、村を捨てざるを得なくなったと主張しました。この主張は、ナリム側で調査隊との接触に当たっていた村長のアユダによるものではなく、彼女に次ぐ地位にあった男性によるものです。
彼は被害の均衡を要求しました。ナリム側は五十人を超える被害を申し立て、調査隊はたったの三十名ですから、均衡はあり得ません。戦闘が始まり、調査隊は脱出した数名をのぞいて全滅しました。拘束されていたファンダルアジズも瀕死の重傷を負いました。
私も破壊されそうになりました。それを止めたのがアユダです。アユダは私を知っていました。アユダはなにが起きたのかを私たちに理解させたかったのです。アユダは、原因を作ったファンダルアジズを生かしておくように私に要求しました。彼は、ナリムの襲撃によって頭部と背中に致命的な傷を負っていましたが、治療は成功しています。アユダの指示に従っていくつか処理を施した後、私は彼をアユダに引き渡しました。さもなければ私も破壊されていたでしょう。それは、人類の利益に反すると思います。
彼は、証人として生かされています。必要な知識は、ナリムが与えたはずです。
彼は、放棄されたナリムの村にいます。
目の前では雑草がはびこり、朽ちていくアユダの亡骸を隠していた。
私は動けなかった。両足の腱を切られ、背中で母胎樹に寄りかかるように座らされていた。縛り付けられ、両手を母胎樹に打ち付けられていた。何日、何週間、何ヶ月か経過しても生きているのは、首の脇から体内に流れ込んでいる母胎樹の樹液のおかげだった。
「あなたが、ファンダルアジズですね」
まどろんでいたのだろう。気がつくと目の前にナリムではない男たちがいた。背後にはウォーカーがある。
「ああ、私だ」
調査隊のメンバーではない。調査隊のメンバーなら、知らない顔はない。
「良好な状態ではなさそうですが、生きておられて良かったです」
男は、わずかに腰を折りながらそう言った。見下されている気分だったが、この姿勢ではどうしようもない。
「そうか。まだ生きているのか」
私は、結果的に私が命を奪った胎児たちのことを思い出している。
「どこまでご存じかわかりませんが、第二次調査隊とナリムの間で衝突があり、双方に大きな犠牲が出ています。私たちは、衝突の原因調査のために派遣されました」
衝突という言葉を聞き、そんなことだろうと思った。私が間接的に命を奪った者の数が、また大きく跳ね上がる。
「リアナは?」
多分、リアナが私をアユダに引き渡したのだ。あの時のままなら、リアナはまだ稼働しているだろう。
「証言は聞いています。あなたが証人として生かされているとも聞きました」
「多分、インタビュー記録があるはずだ」
私は学術チームのリーダーに呼び出された。私が村で何をやったのか詰問され、ゾンビのことを話した。
そう、ゾンビだ。
「確認しました。ただ、あのインタビューでは……」
誰がゾンビなど信じるだろう。気が狂っていると思われるのが落ちだ。
「ゾンビは本当だよ」
アユダが自分の腹を掻き切った時、墓地にはナリムの男たちがいた。私を捕まえ、両足の腱を切り、母胎樹に両手を打ち付けた男たちだ。その中の一人が私がやったことの意味を教えてくれた。
「もう少し詳しく教えてもらえませんか?」
「そうだな。まず、母胎樹のことだ……」
私は、母胎樹のことを説明する。ナリムが人工子宮の代わりにデコの木を改変して母胎樹を作ったこと。ある程度成長した受精卵が母胎樹の花に触れることによって、母胎となる果実が誘導されること。私が使った殺虫剤により、私が繋がれている母胎樹が汚染されてしまったこと。
「殺虫剤のことは調べました。ヒトにも植物にも害のない、安全性の高い薬物とのことでしたが」
「ナリムの胎児は虫とのハイブリッドのようなものでね。微量の殺虫剤でも致命的だ」
私が見た蛆のような生き物は、成長した受精卵だった。受精後、長い休眠期間を経て、ある段階で一斉に成長を始めた受精卵は、小指大の大きさまで母親の体内で成長する。成長後は母体の死を待ち、死んだ体をコントロールして母胎樹に向かわせる。私が見たゾンビは、その段階だった。
一人の母親の体内には千近い幼虫相の胎児がいる。一方で、一度に咲く母胎樹の花はせいぜい四つか五つ。夜のうちに母胎樹の花に取り付いた胎児だけが生き残り、母胎樹の実の中で胎児になる。
「それが、あなたの見たゾンビですか」
新月の夜、子供たちを母胎樹に届けるために死体は歩く。私はそれを見たのだった。
伊野隆之既刊
『蒼い月の眠り猫』