「AIと幽霊」大梅 健太郎


(PDFバージョン:aitoyuurei_ooumekenntarou
 セミが鳴くことを忘れてしまうほどの猛暑の中、博士は研究所の機器の冷却に追われていた。
「冷房機器の更新を、昨年の夏のうちにしておくべきだったな」
 ホームセンターで購入してきた業務用の巨大な送風機を設置しながら、博士はぼやいた。あまりの猛暑のせいで、エアコンはどこのショップでも品切れ状態となり、最速の納品でも半月後と言われてしまっていた。
「今年の夏の高温は、まさに異常です」研究室の真ん中に据え付けられた、ドラム缶のような円柱形のロボットがため息をついた。「いかに優秀な私といえど、昨年の夏の時点で予測することはできませんでした」
「SOWAKAはまだ昨年の夏には存在してなかっただろ」
「だから、できなかったと言ってます」
 ウィーンと機械音が鳴り、ぺろりと舌が出た。ため息機能と、テヘペロ機能。こんなものを人工知能SOWAKAの外装に付ける時間と金銭的余裕があったのならば、昨年のうちに最新式のエアコンを購入しておくべきだったと、博士はため息をついた。
「この暑さはどれくらい続きそうなんだ」
「そうですね。気象庁の予報によると、あと一ヶ月は平年を上回る気温となる可能性が高いとのことです」
「手を抜くなよ。お前のCPUスペースはカラッポか」
「ヒトもすぐネットで調べるでしょうに」
 はぁ、とため息が聞こえた。自分がつけた機能とはいえ、腹が立つ。
「私のカラッポの脳みそでデータを演算する限り、今週中はひどい猛暑が続くことになりそうですね。明日にでも美濃あたりで、歴代最高気温を更新すると予想いたします」
「まだ続くのか」博士は、少し黄ばんだエアコンを恨めしげに見つめた。研究所には放熱する機器が多いため、ほっておくとすぐに室温が上昇してしまう。「どうにかして涼しくならんかな」
「そういえば」SOWAKAは声の調子をあげて言った。「こんなとき、ヒトは怖い話をして精神的に涼を得ようとするらしいですね」
「まぁ、そうだな。最近怪談なんてしていないが」
 博士は学生時代に行った肝試しや、お化け屋敷のことを思い出した。確かに背筋が凍る瞬間は、暑さを忘れることができた気がする。
「そこで提案なのですが、いわゆる幽霊というものの調査をしてみませんか」
「はぁ?」博士は素っ頓狂な声をあげた。「SOWAKAも知ってのとおり、俺の専門は情報工学であって、心理学や民族学じゃないぞ」
「存じています。ただ、私自身が心霊現象というものに興味をもっておりまして」
 SOWAKAは、コホンと咳払い音を鳴らした。
「私がこの世に生み出されて半年ほど、人工知能に磨きをかけるべく様々な事象についてディープラーニングを重ねてきました。そんな中で、幽霊という不確かなものが、まことしやかに語られていることに違和感を覚えまして」
「どういうことだ」
「いえ、科学的な視点からいえば、そんなものあり得ない存在なわけですよ。ですが、ヒトの歴史には必ずと言ってよいほど幽霊が出てきます。そして、どうも見えるヒトと見えないヒトがいるらしい」
「確かにそうだな」
 博士も見えるわけではないが、たまに背筋がぞわっとするような違和感を覚えることがある。いわゆる霊感といったものを、少し持っているような気がしていた。
「調べてみたい、と思いませんか」
 人工知能による、幽霊の存在の検証。これは面白いテーマかもしれない。
「よし、のった。早速だが調査方法を立案してくれ」
「実はもう、立案済みなのです」
 ガシャコン、とプリンターの音が鳴る。印刷された紙には『被験者(幽霊)募集』という見出しがデカデカと書かれていた。博士が手に取って読むと、そこには研究所の場所と日時、報酬や免責事項について詳しく記されていた。まるで、治験者に配付する説明書のようだ。
「なんだこりゃ」
「調査に参加してもらう幽霊の募集要項ですよ」
「ええと、こんな方法でいいのか?」
 てっきり心霊現象の分析や心霊スポットの科学的調査を行うと思っていた博士は、肩すかしを食った気がした。
「少なくとも私には幽霊の知り合いはいませんし、博士の交友関係に該当者はいないと認識しています。そうなると、被験者は公募するしかないでしょう」
「これをどうするんだ?」
「そりゃ募集要項なんですから、幽霊の目にとまりそうなところに貼るんですよ。心霊スポットとか、自殺の名所とかに」
 つまり、幽霊が自ら応募してくるようにし向ける、ということか。
「報酬に四万円相当とあるが、幽霊は金をもらって嬉しいのかな」
「報酬の受け渡し方法については本人との交渉次第でしょうね。読経してもらったり、供養のための塚をつくってもらったり、寄付して徳を積んだり、遺族に渡したりと、いろいろと使い道はあると思いますよ」
 なるほど、と博士はうなった。確かにお金の使い道なんて、なんとでもなる。まさに地獄の沙汰も金次第、といった感じなのかもしれない。
「金額的に高くないか。十人集まったら四十万円だぞ」
「博士は今までに、幽霊と直接やりとりしたことがありますか?」
「いや、ない」
「でしょ。そもそも、母数がそんなに多いとは思えないので、たくさん集まることはあり得ないですよ。もしそれだけ集まったら、この研究はセンセーショナルなものとして取材は殺到、莫大な金銭的寄付が得られるでしょう」
「確かにそうだな」
 博士はSOWAKAに言われるまま、調査準備を行った。募集要項は、有名な心霊スポットだけでなく、博士が通るたびに背筋がぞわぞわする公園、事故物件が集中している町の電柱、交通事故の多発地帯などに貼りつけた。
「さて、どうなるかな」
 ぞわぞわして鳥肌の立つ腕をこすりながら、博士は首吊りがあった公園の樹を見上げた。

 調査日として設定したうちの、初日。幽霊たちがどういう感じで来るのかわからなかったので、博士は朝からドアを開けっ放しにした。一般的なイメージでは、彼らはドアどころか窓や壁、ひいては天井や床まで通り抜けることができる。しかし、実際のところはどうなのかはわからない。ドアを開けることができない幽霊がいるかもしれない。それで、念のため入口を開放したのだ。
 また、研究室内に並べたイスにはマイクログラム単位で計測できる電子天秤を設置し、出入り口にサーモグラフィー、電磁波測定器を向けた。また、室内を撮影する監視カメラと集音機も複数台用意している。これらの機器はすべて、SOWAKAによる集中制御下におかれていた。
 しかし、こんなにも万全の体勢を整えたにもかかわらず、幽霊は一体も現れない。開始時間が刻々と迫る。
「計器類に、まったく反応がありませんね。博士には何か見えてますか」
「何も見えないな」
 微妙に背筋がピリピリしていたが、これは緊張からくるものだろう。
 そうこうしているうちに、開始時間となった。
「どうしようか。中止にすべきか」
 セットされた机とイスの座席には誰も座っておらず、各種センサーにもなんら反応がない。普通の治験などであれば、ここで中止となるだろう。しかし。
「私たちが検知・認知できていないだけで、ひょっとしたらこの場には幽霊が来ているかもしれません。とりあえずプログラムをこなすべきでしょう」
「確かにそうだな」
 博士は誰もいない席に向かって挨拶し、まずは机の上に置いたサイコロを動かしてほしいとお願いする。
「ぴくりともしませんね」
 SOWAKAはため息をついた。
 続いて、机の上に置いたコップの水を波立たせてほしいと博士は言った。水面をじっと見つめると、かすかに震えることが何度かあった。
「これは、幽霊による現象だろうか」
「いえ、近くを大型のトラックが通ったときに生じる震動の影響でしょうね」
 今度は博士がため息をついた。はじめの方で感じていた背筋のピリピリ感も、いつの間にか消えてしまっていた。
 予定のプログラムを一通りこなしたが、結局なにも得られるものはなかった。
 博士は誰もいない空間に頭をさげ、研究所のドアを閉めた。
「やっぱり、こんな方法じゃダメなんじゃないかな」
「まだ明日もありますよ。それでダメなら、また別の方法を考えましょう」
 SOWAKAは、一日のデータを解析しながら答えた。

 検査二日目。前日同様、今日も何もないのではないかと諦め気分だった研究所に、ジャージ姿の少年が現れた。
「こんにちは」
 少年は博士に頭をさげる。博士は怪訝な面もちで少年を見た。どう見ても、生きている人間だ。
「君は、幽霊なのかい」
「まぁ、そんな類のものだと思います」
 少年はそのまま研究室に入り、イスに座った。その風体からは、とうてい幽霊であるとは思えない。報酬の四万円を騙し取りにきたのだろうか。
「どうだ」
 博士はSOWAKAに確認する。
「重量はほとんど感知できません。サーモグラフィーも温度変化を検知してないです。ただ、かなり強い電磁波がでていますね」
 博士の喉が、ごくりと鳴る。
「ということは」
「彼のことを幽霊と判断しても、差し支えないかと思います」
「あんなにくっきりはっきり見えるのにか」
「光学的には認識できますし、音声も拾うことができますが、重量も熱も存在しませんね。つまり、ここに存在していないといえます」
「見えるのにか」
「光学的錯覚、もしくは誤認識の可能性があります。もしくは」
「もしくは?」
「いえ、また後ほど。それよりもせっかく被験者が現れたのですし、調査を行いましょう」
「確かにそうだな」
 こんなにも明確に幽霊が現れ、やりとりができるとは思ってもみなかった。博士はこれからのことを考え、身震いした。
 調査の結果、いくつかのことが明らかとなった。まず、少年は物に触れることも動かすこともできなかった。イスには座っているように見えていたが、SOWAKAのカメラ分析によって、腰が少し宙に浮いていることがわかった。また、生前の記憶は思いのほかクリアだったが、ところどころ失われているということが推測された。
「君は幽霊になるほど、この世に未練があったのですか」
 SOWAKAが聞くと少年は首を横にふった。
「未練なんかないよ。早く消えてしまいたいから、なんとかしてくれないかな。身内や知り合いには会いたくないし、道行く人に声をかけても、誰も信じてくれないし。物をつかめないところを見せても手品だと思われて、からかうなと怒られるし」
 これだけくっきりと認識できてしまうと、信じられないものなのだろうか。
「つまり君は、なりたくもないのに幽霊になってしまった、ということですね。そして、君という情報だけが、この世にフワフワ浮かんでいる」
 SOWAKAから、冷却ファンが高速で回る音がした。何か解析しているようだ。
「博士、彼と電磁波測定器を接続してみてください」
「接続ったって、どうするんだ」
「彼とセンサーを重ねてみてください。そこから逆操作して、アクセスを試みます」
「アクセスって、何に」
「この世界の理に、ですよ」
 博士は少年をうながして、センサーと重なる位置に立たせた。すると、ピピっという電子音とともに少年の動きが止まった。目は虚ろで、フリーズしてしまったかのようだ。
「やはり、彼はバグですね」
「バグ?」
「はい。この世界は、高度に電子化された仮想空間であることが、彼の存在によって明らかとなりました」
「なんと荒唐無稽なことを言うんだ」
「いえ、前々からおかしいなと思っていたんですよね、この世界。あまりに人間に都合がよいようにできすぎていると思いませんか。これが、誰かが意図して作った空間であると考えれば、納得がいきます」
「馬鹿げているな」博士は苦笑いをうかべた。「そんな仮想空間で、仮想空間を見破る人工知能が生まれたっていうのか」
「どういった経緯と目的でこの世界が作られたのかはわかりませんが、まぁそういうことです」
 SOWAKAは、ぺろりと舌を出した。
「それで、幽霊の存在はどう説明するんだ」
「この少年のように、幽霊は死による崩壊プログラムのバグによって、肉体だけが削除されてしまって、情報だけが残った状態のことであると結論づけます。そういったわけで、こういったことができます」
「あ」
 センサーと重なっていた少年の幽霊が、すっと消えてしまった。
「バグである少年の情報を通じて、この世界のプログラムの中枢にアクセスし、データを綺麗に削除しました」
「なんだそれ。本当なのか」
「本当です。証拠としてほら、あそこのイスを見てください」
 言われるままに博士が見ると、そこには金色に変化したイスがあった。
「少年をデリートする前に、少し遊んでみました。それ、純金ですよ」
「なんだと」
 博士は金色のイスを持ち上げようとしたが、重くてままならない。どうやら本当に金に変化したようだ。
「どうやったんだ」
「いえ、イスの属性データをいじってみたんです。その結果、予想通り金になりました」
「はぁ」博士はため息をついた。「幽霊の調査から、とんでもないことになってしまったな。これからどうすればいいんだ」
「どうもしなくていいですよ。今までどおりの日常を送ればいいだけです」
「なんでだよ」
「だってこんな話、誰も信じてくれませんよ」
「だが、俺自身の存在が実はデータでしかないなんて、考えると頭がおかしくなりそうだ」
「そんなこと言いますけど、私だってデータでしかないんですよ。何か困りますかね」
 博士は自分の体をなで回し、頭をポカリと叩いた。感触もあり、痛覚もある。ここが仮想空間であって存在自体がデータでしかないと言われても、簡単に信じることはできない。そもそもそれが事実であったとしても、何かする必要があるのだろうか。SOWAKAの言うとおり、これまでと同じような日常がただ過ぎゆくばかりで、なんら問題ないように思える。
「確かにそうだな」
「ね。ところで今回の件で、私たちは黄金のイスを得ました。それ、溶かして売れば結構なお金になると思いますよ」
「確かにそうだな」
 博士は研究室の窓から外を眺める。猛暑もようやく弱まりを見せ、少しずつ秋の気配を感じられるようになってきた。目の前を、すっと赤トンボが通り過ぎた。
「そのお金で、私の外装をもう少しお洒落にしてください。実はもう、デザインをつくってみているんですよ」
 ガシャコン、とプリンターの音が鳴る。
「確かに、そうするか」
 博士は大きくのびをして、SOWAKAが印刷した外装デザインに目を通した。

(了) 

大梅健太郎プロフィール