「スペキュレーションの会の御案内」山野浩一

(紹介文PDFバージョン:speculationnokaishoukai_okawadaakira
 〈山野浩一未収録小説集〉、小説作品はまだ二十作以上残っているのですが、今回は趣向を変えて、それらとは別の、小説と小説ではないものの境界線上にあるような作品をお届けしたいと思います。ジャンルの境界を軽々と渡り歩く、山野さんらしい仕事ですね。
 今回ご紹介するのは、「NW-SF」のNo.3(一九七一年三月)に掲載された「スペキュレーションの会のご案内」です。
 「NW-SF」は翻訳や創作のワークショップ、あるいは読書会を精力的に開催し、そこから多数のプロが巣立ったのはご承知の通りですが、この「NW-SFワークショップ」の前身にあたるのが、今回紹介する「スペキュレーションの会」と推定されます。
 しかし……。案内文を読んでいただければわかるのですが、この会、本当に行われたのでしょうか? 関係者に聞き取りを試みたことがあるのですが、わかるはずもありません。「会の終了後、会でいかなることが起こったとか、いかなる発言があったというようなことを認めることは誰もでき」ないのですから。

 「NW-SF」にはこの「スペキュレーションの会の御案内」に限らず、虚実ないまぜにした諸々の企画が行われてきました。
 文面だけ読むと、なんだかカルト宗教か自己啓発セミナー、マルチ商法のなんかのように見えなくもありませんが、どこまでも「個」の立場を貫き、他者とのつながりを拒否している点が大きく違います。
 それと、お金のニオイがしませんね。この点も重要です。
 そもそも、カルト宗教なんかが広く社会問題化する前に書かれたものであり、現在の状況では不可能な「案内」かもしれません。
 そうではない、と思われる方は、新世紀にふさわしい「スペキュレーションの会」を開催してみてはいかがでしょうか?

 なお、本文は無記名でしたが、関係者への聞き取り調査、文体などから、山野浩一氏の筆になるものと判断し、「SF Prologue Wave」に掲載するものです。(岡和田晃)

(PDFバージョン:speculationnokai_yamanokouiti
 当社(注:NW-SF社)では実験的な会合を開催いたしております。この会は参加者個人の内宇宙だけのために行われるもので、「他者」や「集団」との関係に於いて行われる討論会ではありません。つまり、いかなる結論を持とうとするものでもなく、いかなる合意にも到達しようとすることもなく、いっさいの記録も残さず、ただ参加者が喋り、聞くということだけが個人的に存在し、そこに思弁活動があるだけです。従って会としてはそこで「何も起らなかった」のであり、個人的な内宇宙にだけ「何か起っているかも知れない」のであります。
 参加者にとってこの会は個人的な意味しかなく、参加した他人との友好を深めようとしたり、会に集った人々の集団に興味をもったりすることはできず、いっさいの現実的価値はありません。いわばシュールレアリスティックな会合であります。
 会には次のようなルールがあります。
 1:開会中の出入りは原則としてできません。
 2:タバコ、酒、薬、書物、ノートなど個人的思弁に必要なものは持ち込めますが、テープレコーダー、カメラ、盗聴器などは持ち込めません。
 3:他人の発言の難解さに対し抗議できず、また他人の発言を間違いとみなすことはできません。(1+1=3といえばそう理解しなければなりません)
 4:発言は思弁的に行わねばならず、完全に了解済みのことを述べることはできません。
 5:以上のルールのために、議長の独裁が許されます。
 6:会の終了後、会でいかなることが起こったとか、いかなる発言があったというようなことを認めることは誰もできません。会には原則的に参加者が個人的に参加し、個人的に思弁が行われただけであることを認識しなければならず、のちに裁判所、国会などに於いて証言の必要があった場合にも、この理論は犯せません。

 前回の第0回に続き、4月中に第1回スペキュレーションの会を開きます。参加希望者は4月5日までに往復葉書でお申込み下さい。会費は無料です。第1回のテーマは、「J・G・バラード」ですが、本当のテーマは各個人の内的に存在するものであり、バラードを読んでなくとも結構です。
 この会に参加することを友人と相談したり、友人にさそいをかけたりすることなく、あくまで個人的に申し込みが行われることを望みます。

山野浩一プロフィール

 
山野浩一既刊
『鳥はいまどこを飛ぶか 山野浩一傑作選 Kindle版 』
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