「都市伝説X」平田真夫

(紹介文PDFバージョン:tosidennsetuxshoukai_okawadaakira
 日本SF作家クラブ会員の平田真夫さんが、〈山野浩一未収録小説集〉に収めた「四百字のX」シリーズへの返歌を書いてくださいました。
 題して、「都市伝説X」。なにはさておき、まずは本文を読んでみてください。

 ……読みました? いかがだったでしょうか?
 「四百字のX」のなかでも、とりわけ「箱の中のX」に通じる書き方になっていると思います。
 「箱の中のX」は、入れ子構造、チャイニーズ・ボックスのジレンマを連想させる話で、何かを「X」と書くと、書いた時点でその「X」は――正体はわからないながらも、それ自体として――存在してしまう。その不思議さをうまく表現している作品でした。
 山野さんの場合、この「X」には、明らかに実存主義的な問題意識が投影されています。実存主義といっても、サルトルやカミュの実存主義にとどまらず、ヤスパースやベルジャーエフの影響が強いようではありますが。
 この「X」はまずもって、社会と対置される「個」の空隙を表しているようです。「箱の中のX」では会社に相当するものですね。これが「都市伝説X」では、街という全体にまで広げられる形で語られているようです。
 そういえば、山野浩一さんには「都市は滅亡せず」(「流動」一九七三年一〇月号)という名作がありまして……。(岡和田晃)

(PDFバージョン:tosidennsetux_hiratamasao
   ――故・山野浩一さんに捧ぐ

 いつの間にやら広がった噂――。街にはXが居るという。住民の誰に訊いても、それは変わらない。必ず、「ええ、居るそうですよ」と同じ答が返って来る。困るのは、誰の言葉も皆、決まって伝聞の形を採っており、Xがどんなものなのか、遭うと不幸になるとか、家路に就く幼稚園児を狙うとか、はたまた、じっと立ってこちらを見詰めているとか、そういった特徴が全く伝えられていないことである。この手の話に付き物の、「誰それが追い掛けられた」とか、「どこそこの路に現れた」との情報もない。そもそもどんな形をしているのか、人のようなものなのか、四足の獣なのか、或いは不定形の微生物に似ているのか、それすら誰も知らないのだ。まるで、「ただ、この街に居る」という、その事だけがXの本質であり、存在意義ででもあるかのように――。だが、それでも街の人々は、Xの存在を露程も疑っていない。何となれば……この街には実際、Xが居るからである。

平田真夫プロフィール