「さらばでござる」大和田始

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 山野浩一さんがたちまちにしてなくなった。終活をきっちり済ませて逝ってしまった。私の人生でただひとり師匠というべき人だった。ただしこの弟子は出来が悪かったけれど。

 20才代の10年近く、山野さんの掌の上で転がされ、翻訳家に仕立てられて、何冊かの訳書を出してもらうことができた。ただし私はその後SFを離れたので、恩に報いることがあまりに少なかったのが心残りだ。

 山野さんはあらゆることを議論し解明しようとした。数学のような解の出るものから、一般には解などないと思われているようなことまで。山野さんのSFにならぶ業績である競馬の評論でも、血統によって馬の優劣を解明しようと、克明なノートを取っていた。

 人間も5年ごとに区切って性格を考えるのが好きだった。血液型人間学、占星術にも関心をもち、将棋や囲碁に熱中した。囲碁の先生とは指し手の評価をめぐって議論の果てに決裂したこともあった。

 SFについても同様で、スペキュレーションの徹底がなっていないとアメリカSFを断罪し、折からの英国ニューウェイヴに活路を求めた。自費をつぎこんで「季刊NW-SF」を発行し、日本SF界に殴り込んだ。革命には成功しなかったが、ラテンアメリカの小説の隆興に日本SFの未来を幻視していたのではないかと思う。近年、樺山三英や岡和田晃の登場を見て、革命の成就を感じていたのは幸いだったと思う。

 山野さんはもう、山野さんの書いたものと私たちの記憶の中にしかいない。

大和田始プロフィール