(PDFバージョン:aishouhishakai_yasugimasayosi)
俺は無事に蘇生した。
不治の病に犯され、このままでは余命いくばくもないと知らされた俺は、保険会社の実験的な提案に乗ったのだ。人体の冷凍保存である。未来の治療技術の躍進に命を託した。
そして、目を覚ました。
清潔な病室のベッドで俺を出迎えてくれたのは介護ロボットだった。スマートで柔らかそうな乳白色のボディで、目覚めた俺を自然な女性のボイスで優しくいたわってくれた。
ただそのボディは首元に七色のリボンが取り付けてあったり、頭部には不細工な模様の入った帽子がかぶせてあった。ロボットの洗練された対応はさすが未来と思ったが、そのあたりで台無しになっていた。
でも、些細なことだ。現在の状況をロボットに教えてもらった。
今は俺が冷凍されてから百年後の世界だという。病気は最新の医療技術で完治しており、冷凍保存からの蘇生による細胞破壊も最小限に抑えられ、それもほぼ治っているそうだ。意識障害や記憶の混乱はこれから検査があるとのことだが、俺自身の感覚からして問題はないように思える。一番の心配は保険会社に任せた俺の個人資産の運用である。ロボットはその件についても取り扱っている保険会社に問い合わせてくれた。当の保険会社は吸収合併されて名前すらなくなっていたが、引継ぎはうまくいっていたらしく、これからの生活には困らないだけの資産が充分残されていた。ひとまず安心だった。
俺が冷凍されてすぐに大きな天災や戦争もあったそうだが、ここ半世紀ほどの景気はとても安定し、紛争はなくなり、穏やかで平和な社会が続いているらしい。いい時代に目を覚まさせてもらったようだ。
でも、すぐには退院できない。百年も眠っていたのだ。体力の回復をしないといけなかった。
そんなわけでしばらく入院しているのだが、病室にくるのは担当のロボットだけで人間の医者や看護師が顔を出すことはなかった。
病院に人間がいないということはない。ほかの病室には入院患者がいたし、見舞い客の姿も見ていた。
しかし、医者や看護師がいないのだ。診察や検査もロボットがすべて仕切っていた。
ロボットの対応に問題はなく、不満はない。さすが百年後の未来だと思う。
それでも人間の職員がいないのはなんだか不安になる。またこの百年後の時代の人間とまともに会話をしてみたい欲求もあった。
リハビリ室からの帰り、付き添いのロボットに言ってみた。
「病院に人間の医者はいないのか? いるなら話をしたいのだが」
「承知しました」
ロボットは答えると、近くの病室の引き戸をノックして開けた。
ベッドにパジャマを着た初老の男性がいた。顔色はよく、病人には見えないが、入院患者には間違いない。
「先生、二〇四号室の患者様の問診をお願いします」
この人も患者じゃないのかと思ったが、初老の男性は「ああ、わかったよ」とにこやかに返事してベッドを降りた。
俺を見て訊いた。
「君が問診を希望する患者かい?」
「そうだが、本当に医者なのか」
彼はロボットに備えられた情報ディスプレイに目をやった。そこには俺の個人情報が表示されていた。
「コールドスリープから覚醒したばかり……ですか。わかりました。ご説明がいりますね」
口調が敬語になったのは、自分より年下に見えた俺が、実は百歳をはるかに越えているとわかったからだろう。
「私は松原と言います。よろしくお願いします。そこの相談室に行きましょうか」
松原はロボットが何台も駐機しているナースステーションの隣にあるカンファレンス・ルームに俺を招いた。
俺が椅子に座ると、松原は端末があるテーブルに置かれたメガネを手にしてかけた。そのメガネを指差しながらいたずらっぽく言った。
「これで私は医者です」
「どういうことだ」
「このメガネはあなたの時代で言うならパソコンの端末です。カメラといったセンサーもついていて、それを通してAI、人工知能があなたを診察します。その結果を私に見える形で知らせてくれるようになっています。病気についての質問なら答えも出るんですよ。それを私が代弁します」
「はあ? いや、俺は医者と話がしたいのであってだな」
「この時代に人間の医者なんていませんよ。必要ありませんから。問診や検査、手術から調薬まですべてAIが行ってます」
「冗談だろ。それで大丈夫なのか」
「むしろ人間が医者や看護師をしているほうが危険でしょう。ちょっとした思い込みで誤った診断を下したり、投与する薬を勘違いしたりすることが人間であればどうしても起きます。ほかにも患者に対する対応も人によって差が出てきてしまいます。優れた医者や看護師であったとしても、一人の患者に二十四時間ずっと付き添うことは不可能です。AIであればミスもないし、疲れることもなく高度な医療や介護を常時受けられます」
「それはそうだが……」
「あなたの時代のAIでしたらそこまでの信頼は得られなかったでしょうが、そのころに比べたら性能が格段に上がったんですよ」
「それだけ進歩したということか。じゃあ、俺が人間の医者と話したいと言ったら、どうしてロボットはあなたを呼んだ?」
「私はアクターです」
「アクター……俳優や役者という意味のか」
「そうです。いくらAIが優秀で正確でも、患者にとっては自分の体のことですから診断結果や治療方針は人間の口から聞きたいという方もときどきおられるんですよ。その場合、アクターがこうやって医者役をするんです」
「コンピュータではなくて人から聞きたいというのはわかるな。でも、本職の医者じゃないんだろ。そんなことしていいのか」
「本職の医者というのがもういないんですがね。たとえ本職であっても診断はAIの所見に沿わなければなりません。これは法律で決められています。もし本職の医者とAIの意見に食い違いがあったとしても、AIに従わなければならないんです。そうでなければ罰せられます。このメガネはそういったこともチェックしていて、もし私が嘘を話せば通報されるんです。そんなわけですから本職だろうが、素人だろうが、関係ないんですよ。でも、人間であれば世間話もできますし、病気の悩みについても話しやすいでしょう」
「しかし、よりによって入院患者のあなたが医者役をしなくてもいいと思うんだが」
松原は笑った。
「ご心配なく。私は人間ドッグで入院しているだけです。アクターをやると費用が無料になるんですよ。受付でアクターの資格証を提示して申請すれば誰でもできるんです」
俺はため息をついた。
「医者が人工知能に取って代わられる時代になるとは想像もできなかったな」
「医者だけではありませんよ」
「え、本当か」
「もう人間にできることはすべてAIにもできるんです。ですから裁判官や弁護士もAIですし、大半の企業や銀行までもAIに事業運営を任せています」
「……まさか総理大臣もAIだったりしないよな」
「さすがに政治家は選挙を通さないといけないのでAIではありません。しかし、政策秘書はAIでなければ勤まりません。そのうえ官僚もAIです。ですので実質AIが政治を動かしているようなものですね」
「それではAIに支配されているようなものじゃないか」
「ですが、それほどのAIが世界中に普及したおかげで紛争はなくなりました。犯罪もずいぶん少なくなりました。景気も安定して、かつての大恐慌なんて悪夢はこの五十年一度もありません」
「じゃあ、人間にできてAIにできないことって何だ。芸術か」
「大衆文化における芸術ならAIが強いですね。売れている小説や漫画、音楽はだいたいAIの創作物です。出版社や音楽レーベルは人間のクリエイターではなくて、創作AIのプログラミングをするエディターを抱えてます。またどうしても人手のいる映画でさえもAIの助けがなければクオリティを維持できないそうですよ」
「ちょっと待ってくれ。そこまで何でもAIにやらせてしまっているなら、人間はどんな仕事をしているんだ? 俺の時代にもいつかAIに仕事を奪われて大変なことになるという話があったが、本当にそうなっているのか」
「確かにAIの発達は、百年前なら人間が就いていた仕事を奪いました。十九世紀の産業革命でも工業化が進んで特に農業の労働者が職を失いましたが、AIはそれとは比べ物になりません。あまりにも何でもできてしまいますからね。現在はAIが世界経済を担っているといっても過言ではありません。でも、それゆえに人間の雇用の確保が積極的に行われました。実は現在の失業率は一パーセント未満なんです」
「何だって? 俺の時代よりも失業率が低いじゃないか。それほどAIが優秀なら人間がやれる仕事なんてほとんどないだろ。どうしてそうなる」
「AIによって失業者が増えて経済が傾いたら本末転倒じゃないですか。AIが仕事を人間から奪ってしまったとして、それによって生産された商品やサービスを誰が買うんですか? 一部の金持ちがいくらがんばって消費しても、グローバルな経済構造を支えることなんてできるわけがありません。その金持ちも搾取する相手がいなければ儲けられないでしょう。とはいえAIの広がりを止めることは誰にもできません。経済を維持するにはこの状況を踏まえた上で、人間の雇用を作る必要がありました。その一つがアクターです」
「アクターの仕事はそれほど多いのか」
「はい。アクターは先ほど話したAIが代わって受け持っている職業全般にあります。裁判官や弁護士、官僚などにもアクターがいます。AIが登場したからこそ生まれた雇用形態の一種といっていいでしょうね。しかも専門知識がなくてもなりたい職業に就けるんですから、ある意味職業選択の自由の理想が実現したといってもいいかもしれません」
「それでいいのか? AIのスピーカーに成り下がっただけだろ。人間が馬鹿みたいじゃないか」
「AIに比べたら人間は馬鹿ですよ。自分はAIより賢いと主張する人間がいたら、それはちょっとおかしい人か、詐欺師でしょうね」
俺は不機嫌になって眉をひそめた。
「それでも間違っているとしか思えない。なんというか仕事に困らなくても人としての尊厳が奪われているように感じる」
「おっしゃることはわかります。私もどちらかといえば古い人間なので、あなたのお気持ちは理解できます。しかし、生産物を購入する消費者の立場として考えたら、AIと人間、どちらが作った商品を選ぶかというと圧倒的にAIの商品です。安全で間違いがなく、優れている上に価格が安い。人の生産物は市場原理で負けてしまっているんです」
「じゃあ、もう人類は、自分たちでモノを作って売るということを諦めてしまったのか」
ここで深刻な事態になっていることに気がついた。人類がこれまで培って身につけてきた技術はどうなった。人は売れるモノを作ろうとして製造の能力を大幅に発達させ、技術を向上させてきたのである。AIはそれを引き継ぎ、さらに発展させたのだろうが、明け渡した人の中身はどうなる。
しかし、松原は「いいえ」と首を横に振った。
「実はアクターだけでは国民の雇用はまかない切れません。コストの問題でアクターの賃金は安いですしね。またアクターを生きがいにはできないといった人々も結構いらっしゃいます。自分たち自身でモノを作って売ることを喜びにしているのでしょう」
「でも、作っても売れないんだろう?」
「売るんです。AIに」
「え?」
松原はドアのそばに控えたロボットを指差した。
「ロボットに帽子とリボンが飾られているでしょう」
「ああ、誰かにつけたんだろうと思ったが」
「人が勝手につけたものではありません。あの帽子とリボンは人が作ったんですが、それをあのロボットが購入したんです」
「ロボットが? ロボットのAIがあれを欲しがったというのか」
「はい。国民の雇用創出のため、AIにそういうプログラムを組み込む法律ができました。あのような装飾だけではありません。AIたちは人が描いた絵画や演劇をお金を払って鑑賞したりもします。もちろん好みを操作して一部の人間の生産物ばかりが売れるような事態が起きてはいけませんから、特殊なアルゴリズムによって好みが自動形成される仕組みになっています。人はそんなAIの流行を慎重に探って商品を作ります。かなり複雑で難しいそうですよ。それだけにヒットした喜びはひとしおと聞きます」
「消費者までもAIにしたわけか……」
「そういうことになりますね。昔に比べたら理不尽なクレームや風評被害が起きない利点もあって、生産側も精神的に楽でいいそうですよ」
AIは人のために、人はAIのためにモノを作る。いずれAIはAIのためにモノを作るようになるのではないだろうか。じゃあ、そのとき人はどうなる。
「仕事どころか、人類そのものがAIに代わられてしまうのかもしれないな」
「今のAIに人間のような自我や意識はありませんが、いずれそのようなものを持つようになったら、そうなることはあり得ますね」
「そのときAIは人間に何を思うんだろうな」
松原は少し黙ってから答えた。
「AIにとって人は創造主です。いわば神様です。将来人類がいなくなったら、神話としてAIたちに語り継がれるのかもしれませんね」
人は神様を必要としなくなって神話の世界に追いやった。そんな見方もできる。ならば必要なくなった人もまた神話の世界に放り込まれることになるのではないか。
そうなれば俺も神様の一人か。
ちっとも嬉しくないが。
きっと神様も、自分が作った人間を見てそう思ったことだろう。
(了)
八杉将司既刊
『まなざしの街11
鎮魂』