「冥王の樹」八杉将司

(PDFバージョン:meiounoki_yasugimasayosi
 初めてそれが芽生えたのは、南米アマゾン盆地を覆う熱帯雨林の奥深くだった。
 誰も踏み入ったことのない密林の大地にひっそり生えた樹木の芽は、人類が知るどのような種類のものでもなかった。
 その新種の樹木を発見したのは、ジャングルに住む先住部族の長老の息子であった。部族間の争いに敗れて奥地に追われた先で見つけたのだ。
 すでに芽は大きく育ち、高さは数十メートルにも達していた。幹は周辺の樹木より何倍も太く、空を突き刺しにいくかのようにまっすぐ隆々と立っていた。
 見たこともない大木に、息子は驚愕した。父である長老は大いに恐れ、ひざまずいた。恐怖のあまり魅入られた長老はここを聖なる地とし、部族はこの地に誰も踏み込ませないことを天命とした。
 近づくものは問答無用で襲い掛かり、殺した。そのためほかの部族は怖がって近づかなくなり、観光ガイドやハンターも危険な地域として決して足を踏み入れることはなかった。

 異常に気がついたのは、森林の環境保全調査で人工衛星の観測画像を分析していた女性の学者だった。
 ブラジルのベネズエラ国境に近い内陸部で奇妙な森林の減少が目に留ったのだ。
 アマゾン川流域の熱帯林が減っていることは今に始まったことではない。しかし、その場所は開発の手が入ったわけでも、違法伐採と思われる痕跡もなかった。そもそも密林があまりに深く、業者が入れる余地などない場所なのだ。それにもかかわらず、そこだけ何かを中心におよそ半径十キロほどの円状に森林が消えて、地面が剥き出しになっていた。
 彼女は飛行機をチャーターし、現地に飛んだ。
 そして、空の上からとんでもない巨木を見つけた。
 高さが二百メートルを越える新種の大樹があったのだ。世界でもっとも巨大に成長するセコイアデンドロンでもこれほどの大きさのものは見つかっていない。
 その大木を中心に、なぜか周辺の植物がなくなっていた。刈り取られたのではなく、朽ちてなくなっているようだった。
 地上から調査をしたかったが、そこは地元のガイドも近づかない危険地域に指定されていた。とても凶暴な戦闘部族が縄張りにしているという。あの巨木は彼らにとって信仰の対象になっているらしいのだ。それでも見たことない巨大な樹木と周辺の異常さに、彼女はブラジル政府に働きかけ、また自らもその危険な部族に接触し、粘り強く説得した。
 何年もかけた交渉は成功し、彼女率いる調査隊は巨木がある聖地に入ることを許された。
 そのころには巨木の高さは三百メートルにも達していた。成長の早さも異常だった。また巨木を中心に起きていた植物の枯死現象も、見つけたころより範囲がはるかに広がっていた。部族が調査隊の受け入れを許したのも、自分たちの縄張りの自然が枯れ果て、生活していけなくなっていたからだった。
 やがて調査が進み、恐るべきことがわかってきた。
 巨木の根が周囲の土地の養分をすべて吸い取っていたのだ。根はとてつもなく深く、広く伸びていた。水や養分を吸収する能力はすさまじく、ほかの植物との共存をまったく許さなかった。その勢いが衰えることはなく、どこまでも森林を食い尽くしていった。
 彼女は巨木を「ハーデース」と名づけ、伐採する決断をした。
 政府や国際機関にハーデースの害を訴え、縄張りの部族に危険性を諭し、伐採許可を得た。ところが、ハーデースの幹や根は鋼のごとく硬く、林業用の大型チェーンソーや重機でもほとんど歯が立たなかった。それでも削るように太い幹を切っていき、二ヶ月かけてようやく切り倒すことに成功した。切り株は焼却することで二度と枝葉が生えてこないようにした。
 しかし、一年後。
 十キロ離れた密林の一角で、ハーデースのそそり立つ姿が目撃された。
 同じ種の別個体ではない。切り倒したハーデースの根が生きていて、そこまで伸びていたのだ。地下茎としての役目もあったらしい。新しいハーデースの成長は以前よりも早く、たった一年で幹の高さは五十メートルに及び、周囲の草木をすべて枯らしていた。
 彼女は早速伐採に着手し、今度は根の根絶も図ろうとした。だが、並の薬物では根を枯らすことはできなかった。しかも広範囲に根が伸びているため、強い薬物を使用すればほかの自然環境に深刻な打撃を与えることが考えられた。また生えた樹木を伐採すれば別の場所でまた復活し、それも切るたびに成長速度は加速した。
 まさにもぐらたたきである。それでも彼女は手を尽くし、生涯をかけてハーデースとの戦いに挑んだ。

 彼女が病気で他界したのは、それより三十年後のことである。
 ハーデースを撲滅することは叶わなかった。それは人類には不可能なことであったようだ。
 南米全土にまで張り巡らされたハーデースの根は北米にまで届き、カナダでその大樹の威容を現した。慄いた世界各国はなりふり構わずアメリカ大陸の自然と引き換えにハーデースを滅ぼす手段に出た。ハーデースは倒され、大陸の森林は消滅した。
 しかし、ハーデースは再び姿を見せた。
 アフリカ大陸に。
 根は海底の地中を這い、大西洋を越えていたのだ。
 ハーデースの成長加速は前とは比べ物にならないほどすさまじく、アフリカの自然をたった半年で平らげてしまった。樹木自身も三千メートルもの高さまで育ち、幹の太さは数十キロにもなっていた。それはもう木というより巨大な山で、広がる枝葉は雲海だった。
 もはや人類はこれに対抗することはできなかった。
 二つの大陸の自然が壊滅したのだ。世界中に影響が出ていた。大幅な気候変動とそれに伴う深刻な食糧不足、そこから引き起こされた経済恐慌は無数の紛争を招いた。
 たくさんの国家が破綻し、人々は路頭に迷い、死んでいった。
 そんな中、一部の難民はアフリカに救いを求めた。
 ハーデースの巨木である。
 樹木の中には真水が豊富にあり、肉厚な葉は多彩な栄養分を含んでいて食糧にすることができた。樹液も調理油や香辛料に使えた。それらを消費しても数日後には元に戻り、いくらでも利用できた。
 その事実を知った難民たちが、ハーデースの元に集まり、生活していくようになったのだ。
 そうしているうちにハーデースの根はヨーロッパとユーラシア全土を侵蝕し、そして、再び海を越えて東南アジアの島々やオーストラリア大陸にまで達した。草木は枯れ、森林はなくなり、その影響は当然ながら海の生態系にまで及んだ。多くの生物が生きていけなくなって絶滅した。
 四十六億年をかけた地球生命の実りを、たった一本の木が飲み込んでしまったのだ。

 与圧服を身にまとった少年が、ハーデースの巨木の頂上に立った。
 標高五万メートルの成層圏。ハーデースはそれほどの高さにまで到達していた。
 少年はヘリウムバルーンの高高度気球を利用してここまで上ってきていた。
 目の前には全長百メートルを越す卵の形をした茶色い塊があった。鳥の巣のように複雑に絡んだ枝の根元からそびえ立っていた。ココナッツに似たそれは、ハーデースの実だった。
 これまでハーデースに実がなったことはなかった。ところが、背丈を成層圏にまで届かせたところで成長を止めたあと、大小様々な茶色い実を頂上近くに作るようになっていた。
 その実は非常に変わっていて、枝についたところから化学反応による爆発的な噴射をして打ち上がるのである。どうやら実の中で水を水素と酸素に分解、液状にしたあと実の下部で混合させて燃焼、噴射することで飛び上がるらしい。
 タンポポの綿毛みたいに種子の拡散を狙った活動と考えられたが、目指しているのはもはや自然が壊滅した地球ではなく、宇宙のようだった。ほかの惑星に新天地を求めているのだろうか。しかしながら、いくつかの実を低軌道に投入するのがやっとで、はるか遠いほかの惑星に行くことなど到底できそうになかった。
 そこで人類が手を貸すことにした。
 地球は荒廃し、栄華を極めた文明は失われ、数少ない人類や生物はハーデースを食糧にしてこれまで生き延びてきたが、そう遠くない未来に滅ぶ運命であることは誰もが気づいていた。
 だから自分たちの種を残そうと、このハーデースの実を利用することにしたのだ。
 実の厚い殻の内側は中空で、気密構造の部屋になっていた。その周辺部の果肉は大量の水分を含み、食糧にもできるため自給自足が可能だった。そんな閉鎖空間に天然のロケットエンジンがついているわけで、宇宙船として充分使えた。
 もちろんそれだけで広大な宇宙は渡れない。人類は廃れた科学技術の知識をかき集め、自分たちの子孫のために研究開発に取り組み、ハーデースの実を播種宇宙船に改造した。果実発電を可能にし、電力を利用した生命維持装置の開発、長距離航宙を可能にする電気推進、コールドスリープ・システムと受精卵の凍結保存技術など播種計画に必要なものを実に組み込んだ。
 その宇宙船に乗る船長が、この少年だった。
 地球型惑星に渡るまでの凍結受精卵の管理や航宙制御のコントロールを行う。ほとんどコンピュータで行えるように設計されていたが、それでも人間による融通があればトラブルがあっても対処しやすい。また生まれてくる新しい子供たちを導かなければならない。その結果コールドスリープがあってもなるべく長生きできる少年が選ばれたのだ。
 少年はゆっくりした足取りで実に取り付けられた居住区画のハッチに近づいた。
 そこには実を宇宙船に改造した技術者の大人たちが待っていた。神妙な面持ちで彼のためにハッチを開く。
 少年はふと足を止め、振り返った。
 真っ暗な宇宙空間が見え、赤茶色に変色した地球が切り取られたようにして眼下に広がっていた。
 少年はブラジルで最初にハーデースを発見した先住民族の一族の末裔だった。ただ彼が船長なのは偶然に過ぎない。勇気のある優秀な子供として選ばれていた。
 感慨を振り切って前を向く。ためらいなく実の中に入っていった。
 ハッチが閉められ、最終チェックが行われる。
 ロケット点火。
 改造されたハーデースの実が、炎を噴いて暗闇の宇宙へと旅立った。
 いずれどこかの惑星にたどり着き、新たな生命が芽生えることになるだろう。
 この奇抜で遠大な計画の成功を疑うものは多かった。
 しかし、実は前例があった。
 この地球の知的生命体の発祥である。
 遠い惑星からやってきたハーデースの実に寄生していた知的生命体が人類の始まりであったことを、誰も知らない。

(了)

八杉将司プロフィール


八杉将司既刊
『まなざしの街11
 鎮魂』