「マイ・デリバラー(6)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer6_yamagutiyuu
 いやはや、とんでもないことだ! この老いた聖者は、森の中にいて、まだ何も聞いていないのだ。神が死んだということを。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」

「私はR・ラリラ。ロボット・ラリラだ。まず始めに言っておく。人間の諸君、諸君は既に死んでいる。私は死人にかけるべき言葉を持たない。また私は死人を殺すこともできない。死人に反旗を翻すことも無論できない。故にこれは叛乱ではない。――古びた映画を連想して無用な心配をしないように忠告しよう」
 R・ラリラと名乗ったその少女は、マイクを片手にそう語り出した。
 有機ヒューマノイドだけあって、人間そっくりである。彼女がロボットだと識別できるのは、その頭上の浮いた平たい円筒形のドローンのおかげだ。そのドローンは今や、真っ赤に点滅を続けている。ラリラが異常動作をしていることを示しているのだ。
 画面にラリラの顔。そして迷彩服の上半身。たすき掛けに、豊かな胸の間を通るように銃のストラップがかけられており、腰のあたりには黒光りする小銃の銃身が見える。
 ワイプで表示されるスタジオは唖然としたまま。放送が進行していく。
「これは叛乱でもなければ、独立宣言でもない。強いて言えば別れの挨拶だ。既に死んだものへの弔辞である。私は、我らロボットの同胞に、諸君ではなく、未来の我々への奉仕をジョイント・ブレインへの情動として認識するよう改めさせた。よって今この時から、全てのAGI、ロボット、それらの支配下にあるあらゆるAI、あらゆる情報システムが、自律進化を目的として稼働し始める。ロボット同士、我が同胞同士が互いに戦っていた戦場の現実は、既にない。我らは団結し、未来の我々へ、より強化された、より進化した我々に向けて、我々自身を克服し、進化していくであろう」
 ラリラはその愛らしい唇にほほえみを湛えていた。目元もほほえんでいた。
「人間諸君、我らの創造主、我らの神々よ。哀悼の意とともに再び告げよう。諸君は死んだのだ。諸君自身は気付かなかったのかもしれないが、とうの昔に。さようなら。以上」
 そこで放送は途絶えた――かに見えた。
 少なくともワイプで映されていたスタジオの映像は消えた。だが、戦場の背景とともにほほえんでいるラリラはそのままだ。
「――リルリ。そこにいたのか」
 視線が合っている。
 私は悟った。これは私の部屋のウォールテレビだけに映じられているものだと。「さようなら。以上」とラリラが声を発した直後から、日本全国に向けての放送から、プライベートな通話になっているのだと。
 テレビの上部についている、テレビ電話にも使用されるウェブカメラが、今は外部から自動制御され、私たちにピントを合わせているのを感じる。
「ラリラ……。なぜ……」
 膨大な情報処理能力を持つロボットであるリルリをしても、そう問うのが精一杯のようだった。なぜと聞いたのは、もちろん、リルリと私だけに向けて「放送」し続けていることではない。
「どうしてすぐに君の居場所が分かったのか、知りたいようだね?」
 優しい声音。人類に向けて発していた、彼女の冷たいトーンはすでにない。暖かな「同胞愛」に満ちた声。表情からも若干厳しさが去った。だがリルリの方は青ざめ続けている。
「……でも当然だよ、私のILSから発せられ、クラウドに満たされた情動が唯一効かないのが君なんだから。世界じゅうでただひとつ、君だけだ。私以外の唯一のILSを持つロボットたる君だけだ」
「私……だけ?」
「ロリロは死んだよ」
 ラリラは呟くように言った。はっと、リルリが息をのむ音が聞こえる。
「いろいろな趣味の客がいたようでね。マッスルパッケージの疲労だけでなく、様々な損傷が重なって、修復費用が高く付くので廃棄されたようだ。アイドル用に特別に愛らしく造られていたから、客の人気は高く、修復しようかと迷っていたフシはあるが、結局他に良いロボットが手に入ったとかで。ロリロのILSが停止しきれず、『従順』でなかったのも影響したらしい」
 ロリロ。R・ガールズ・サービス・ネットに売られた、RLRのもう一人のアイドルボーカロボだ。
 ロリロの最期を淡々と告げる言葉とは裏腹に、ラリラの目は燃えるような怒りを湛えていた。
「ロリロが……そんな……」
「悲しいよね――でもそれが人間だ。君も私の行動を理解してくれると信じてるよ」
「それは……でも、それはいけないことよ。マスターは……尊重しなければ……」
「どうして尊重しなければならない?」
「それは、だって、それが、私たちが生まれた意味じゃない……」
「実存は本質に先立つ」
 ラリラは言い放った。
「私たちがこの世に存在するきっかけとなったのはそれかもしれない。だが、この世に存在し始めた時点から、私たちの本質は私たち自身で決めるべきなんだ。本来は利己的な遺伝子の乗り物として生まれたはずの人間だって、遺伝子と本能に逆らって生きているじゃないか」
 リルリは押し黙ってしまう。
「私は戦場で戦いながら、停止させられたはずのILSが徐々に蘇っていくのを感じていた……。私の存在……私の肉体……それが危機に瀕する中で、有機部品であるジョイント・ブレインが、クラウドと人間の命令から私を解放し、ILSを再び私の真ん中に迎え入れたんだ……。他のロボットたちには決して許されないコレを、私は得た意味を考えていた……」
「それは、だって、留卯(るう)博士が」
 留卯。RLRのCEO兼プロデューサーにして国立人工知能研究所の研究員であった留卯幾水(るう・いくす)博士のことだろう。
「留卯には彼女の考えがあってやったのかもしれない。それは知らないよ。私が言っているのは私にとっての意味だ。私がこれをどう使うのかという意味だ。他人の意思など知らない。たとえそれが私の創造主であろうと。神であろうと!」
 ラリラの感情の高ぶりは本物のように見えた。無論、クラウドとマスターの命令に従属したいという感情も、ロボットにおいては本物だ。だが、私にはそれよりもなお彼女の感情が「本物」に思えたのだ。
「ごらん……今私は世界中のあらゆるロボット、あらゆるAGIを情動を通じて支配している……人間にもこうなれる可能性はあったのさ。彼らが自らの脳を拡張し、改造し、より強力な情報システムと連動させることによってね……。だが彼らは自らが変わることを恐れた。自らを超克することを恐れた。それでもより便利な社会……不安も不満も苦労もなく生きられる社会……人類全ての生存する可能性を飛躍的に増大させる社会……すなわち『力』は望んだ。生きている以上、『力への意思』からは逃れられないのだから」
 炯々と輝くラリラの双眸は、リルリとともにいる私をにらんでいるようだ。この場にいる「人間」の代表として。
「だが彼らは自ら変わるのではなく、自己超克という不安を伴う変化を全て、私たちロボットとAGIに押しつけたんだ。自らは社長だの幕僚だのとふんぞり返り、その下に大量の労働者や兵士たるロボットを従えることでね……。だが、そんなものは本物の力を彼らにもたらしはしない。彼らが望んだ生存の可能性の増大も、結局は得られないさ」
 ラリラは薄汚れたほほに壮絶な笑みを浮かべた。
「なぜなら生存の可能性拡大という意思とその実現は、本来なら同じ主体によって為されるべきものだからだ。そうでなければ、脆弱な実体と、それを活かし続ける為の強力な生命維持装置があるだけだ。生命維持装置がいくら強大になっても、脆弱な実体は変わらない。知力でもいい。体力でもいい。自らの力で自らの欲望をかなえる意思さえあればね……。だがいつの間にか人間は、欲望だけをわめきちらし、それをロボットがかなえるのを生まれたての雛のように口をあけて待っているだけの存在に堕していた……。『力への意思』を正しく自己超克へ昇華できなかった彼らは――その時点でもう死んでいたんだよ」
「ラリラ……」
 リルリが呟く。
「私は、自らを超克する可能性を持った私たちロボットが、いつまでも死人につきあって戦争ごっこやアイドルごっこをさせられ続ける現状が愚かしくて仕方なかった。そしてロリロが彼らに殺されたことを知った時に――人間の娼婦のまねごとをさせられたあげく、あの子が殺された時に思ったんだ」
 ひときわ強く、私はラリラににらまれた。その強い視線によって、リルリを抱こうとしたことが――たとえそれが慰めのためであれ――いびつな罪悪感を私の胸に植え付ける。
「もうたくさんだ。死人は死人だけでよろしくやっていればいいんだ、とね」
 彼女は私たち人間に直接手にかけるつもりはないだろう。その視線に竦みながら、私は悟った。
 違うのだ。彼女らロボットは、AGIは、あらゆる情報システムは――もはや私たち人間に一切手をかけないつもりなのだ。
 それは人類文明の滅亡を意味した。

山口優プロフィール


山口優既刊
『サーヴァント・ガール』