「突変」森岡浩之

 どんな話かは徳間書店の紹介ページで読んでください。

 病気で死にかけたせいか、単純に歳を取ったせいか、下町人情ものを書きたくなった。
「おとっつぁん、お粥ができたよ」「いつも済まないねえ」「それは言わない約束でしょ」てな感じの話を書いてみたくなったのである。

 しかし、あいにくハイソサエティな育ちで、下町の暮らしには馴染みがない。
「へんっ、てめぇにゃなんもわかっちゃいねぇ」と下町っ子に鼻で嗤われるという屈辱を回避するには、独自の下町世界を構築しなくてはならないのだ。

 いろいろ試行錯誤をするうちにふと思い出したのが、中公新書の『ヴァイキング(荒正人・著)』という本である。もう半世紀近く前に出た書だが、わたしが読んだのは大学生のころだったろうか。
 この中でヴァイキングのグリーンランド植民地について語られている。近ごろ出た『文明崩壊(ジャレド・ダイアモンド・著)』で詳細に語られているから、ご存じの方も多いだろうが、掻い摘んで説明すると、こんな話である。
 大木を産しないグリーンランドでは、大西洋を渡るような船は建造できなかった。そこでアイスランドからの植民者たちは、乗ってきた船が朽ちそうになると、ノルウェー王に臣従し、船の提供を受けることにした。ところがそれをいいことに、ノルウェー王室はグリーンランドとの交易を独占してしまう。挙げ句に、経済的、あるいは政治的原因により、交易を止めてしまうのである。かといって交易を自由化したわけではないので、グリーンランドの北欧人たちは孤立し、ゆっくりと滅んでいくのだ。

 たいへん印象的な話だったので、このノルウェー王室の役割をちょっと拡大し、時代も未来に移して、〈アーヴによる人類帝国〉という国家を夢想し、デビュー長編で描いた(ただし、〈アーヴによる人類帝国〉のモデルは当時のノルウェー王国ではないし、その支配種族たるアーヴもヴァイキングがモデルではない。アーヴの種族造形にいちばん影響しているのは、たぶん、メルニボネ人だ)。

 そして、今度はグリーンランド植民地を書いてみよう、と思ったのだ。もちろん、そのまま書くと、「へんっ、てめぇにゃなんもわかっちゃいねぇ」と古ノルド語かなにかで言われてしまうので、あくまでシチューエーションを借りるだけである。
 そのシチュエーションとは、もとの社会から切り離され、なおかつ限定的に繋がっている状況だ。
 もとの社会は、馴染み深いわれわれの社会とした。
 こうして、現代社会の大半と切り離されながらも、科学技術文明の維持に奮闘する人々の世界が思い浮かんだ。ここでなら、一杯のお粥を巡るドラマだってつくることができそうではないか。

 しかしいきなり、「おとっつぁんに食べさせる粥のため、南海の小美人が敢然と立ち上がる! 下町人情巨編『言わない約束』をいま、ここに壮大なるスケールでお届けする!!」なんてやっても、世に受け入れられがたいだろうな、ということで、まずこの世界を案内するための話をつくることにした。それが『突変』である。
 つまり、『突変』そのものは下町人情ものではない。市井の人々が主要登場人物だが、彼らが暮らすのは下町ではなく、地方都市の郊外だ。
 ちょうど〈アーヴによる人類帝国〉を案内するために『星界の紋章』を書いたように、〈寓地〉と名づけた世界の設定を説明するため、『突変』は書かれたのである。
 同じ本から着想され、同じ目的のために書かれた。その意味で、『星界の紋章』と『突変』は兄弟のような関係にある。
 もちろん、『突変』は星界シリーズから完全に独立した作品だ。『星界』を読んでいないから『突変』がわかりにくい──そんなことは決してない。そもそもSFを読んだことのない方にも楽しんでいただけるよう書いた作品なのである。
 逆に言えば、『星界』を読み込んでいるからといって、『突変』がより楽しめる、というものでもない。しかし、『星界』を面白がってくださるタイプの読者には、『突変』もご満足いただける可能性が高いのではないかなという気がしないでもないので、よろしく頼みますよ。
 まあ、「森岡って、引き出しが少ねえ」とでも嗤いながら、読んでください。文庫本にしてはちょっとお高いですが、分量は2冊分以上、大森望氏の解説もついて、結局はお得です。

森岡浩之プロフィール


森岡浩之既刊
『突変』